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#05 ご壮健であれ、小さな戦士





 雪の庭園に、二つの人影が佇んでいる。


「いかないでください」

 

 美しい人だった。長く伸ばされた白銀の髪に、豪奢の喪服にも似た装い。透き通った肌は太陽の光を知らぬかのように透明で、凛と響く声は鈴のようだった。

 だが、そんな女に縋られてもなお、青年は背を向けたまま、彼女の手を取ろうとはしなかった。


「どうして貴方が行かなければならないのですか」

 

 剣を腰に佩いた長身の男は、振り返らない。

 

「すまない」


 ぽつり、と雫を落とすような静けさで、謝罪の言葉が落ちる。生真面目そうな青年の横顔は、俯き気味に逸らされている。


「そんなつもりで、貴方に渡したわけじゃない」


 今にも泣きそうな声で女は言った。

 そんな姿に胸が締め付けられる。今すぐにでも駆け寄って慰めたいと思う。男の薄情さに腹が立つ。


 「あなたを守ります。あなたと、あなたがいずれ出会う未来の為に。この身体は、その為だけにあるのですから」


 青年の覚悟は固かった。

 そう、彼はそういう人間だった。一度決めたら、その最後まで完遂させ、余人の誰にも無しえぬ成果を得る。それが彼の人生だった。覚悟だけが彼を彼たらしめる全てだった。だから、彼を翻意させることの難しさを知っていた。


 女は諦め、膝から崩れ落ちる。

 音もなく降る雪が積もった庭に、一人の足跡だけが生まれていく。


 諦めてはダメだ。

 行ってはダメだ。

 離れていく男女の姿を見ながら叫ぶ。大声を上げ、全力で引き止めたい、そうしなければならないと願うのに、体は縛り付けられたかのように動かない。


 赤いカメリアの花が落ちる。

 季節外れの吹雪でかき消える。

 去っていく男の姿も、うずくまる女の姿も、見えない。


 全ては、白に還ってゆく。







 何かの生暖かい息遣いが聞こえる。

 鉛のように重い瞼をゆっくり開けると、視界は真っ白に染まっていた。


「わうん」

「なんだ、犬……? ここは?」


 ユーリが気を取り直すと、小さなくりくりとした目を輝かせる犬がいた。足の短く、胴は長い。まるで長いパンの塊のようなもこもこした塊が、胸元に乗ってこちらを見つめている。どうやら寝床に寝かされているらしいことに気づく。


「わふん」

「お、おーい、くすぐったいって」


 ユーリの胸の上に座る子犬が、白い毛並みを擦り付けるように顔にまとわりつく。短いがふわふわとした毛並みで、動くたびにほのかに綺麗な毛皮のような匂いが鼻腔をくすぐった。まったく覚えのない子犬から好かれていることに戸惑いつつ、体を起こした。


「いってえ……」


 痛みに顔を顰める。全身に力が入らず、痛みで身体が吹き飛ぶそうなほどだった。


「病院なのか、ここは……?」


 消毒液の匂いと、簡素なベッド。調度品のないがらんとした小じんまりとした部屋に、すりガラスの向こうから穏やかな陽光が差し込んでいた。


「目を覚まされたのですね」


 ふと声の方向に目をやると、誰かが立っている。

 開け放たれた扉の前で、金髪を短く結い上げた若い女性が、こちらを見つめていることに気づいた。


「あなたは……?」


 ギルド職員に似た白いブラウスに黒のスカートの装いの女性は、凛とした佇まいで一礼した。


「イズラハ・カリギリーの秘書官、ミラ・ブロムダールと申します。記憶はありますか?」

「えっと……」

「あなたはダンジョンコード・ゴルフのスタンピードから逃げている途中で、偵察に出た我が主が救助した、と聞いています。気を失った貴方の身柄を保護し、このアージェント都市の医療棟にあなたを運び込んだと」

 

 ダンジョンという名前を耳にした瞬間、鮮烈な炎の槍がオークに突き立った瞬間が頭によぎる。ぼやけた頭に、あの戦いの感触が蘇り、意識は急速に覚醒した。


「思い、出しました。あの、助けてくださった方は?」

「アージェント政庁に、顛末の報告をなさっている頃でしょう。助けた人間に何かあっては寝覚めが悪い、と言いつけられ、従者の私が見舞いに参じた次第です」

「それはその、ありがとうございます」


 ミラと名乗る女性は、ベッドの側机に置いてあった水差しからコップに水を注ぎ、手渡す。ひんやりとしたガラスの感触が少しだけ気分を落ちつけてくれた。

 ベッドの隣にあるスツールに腰を下ろし、ミラと名乗る女性はゆっくりと状況を語った。

「あなたを救出後、都市警備隊の一部と、近隣都市からの援軍総がかりで、連鎖発生したダンジョンにはすべて吸魔石が設置されました。今はダンジョン外に流出した魔物の山狩りの為に、二次遠征が始まるところです」

「あの、オレの他に、生き残りは?」

「あなたが救助されて気を失った後、もう一名、発見されたようです」

「オレの他に、一人だけ……」


 数十人もの大所帯、そしてデーン爺。たった二名の生き残りを除いて、全てがあのオーク達の氾濫によって摺りつぶされた。

  

「オレは……何も出来なくて……」


 言葉が詰まる。

 手元で揺れる水面を見る。あの時感じた怒りは、もうどこにも無かった。胸中にあるのは後悔だけで、言葉にならず、ただ溢れ出る。

 自分に戦う力があれば、デーン爺は命を失うこともなかった。

 あそこに集った人々は今もこの街のどこかで生きていて、笑ったり、泣いたり、普通の生活に戻っていた筈だった。

 そんな思いが、心中の残響となって離れない。

 しばしの沈黙の後、ミラは口を開いた。


「……ずっと、スコップを離さなかったと聞いています」

「え?」


 突然の言葉に、ユーリは顔を上げる。


「気を失って大鷲の背に運ばれるまで、ずっと握って離さなかったと。イズラハ様が来るまで戦っていたのでしょう? オークの首領相手に。その小さな身体で」

「オレは、その、破れかぶれで殴りかかろうとしただけで、祟ってなんか……ただ、死にたくなかっただけなんです」


 恥ずべき事だと思った。あんな巨体を相手に、ちっぽけな子供が何を為せる筈もないのに。怒りのまま武器をとって、何もできずに死んでいたはずだった。

 だが、ミラは首を振った。


「死にたくないと思うのは人として当然です。死を目の前にして、諦めるのか、武器を手に取って戦うのか。あなたは何も知らないまま、後者を選んだ」

 

 言葉を区切り、しっかりとユーリの目を見つめながら、彼女は語りかける。


「あなたは小さな戦士だ」


 誇りなさい、と言いながらミラはユーリの頭に手をのせる。ユーリはそんな資格はないと首を振る。


「違います。オレは、弱くて何も出来なかったんです。目の前で調査隊が全滅して、人に守られて、その人も殺されて……オレは戦い方も、ろくにわからなくて……」

「それでも、戦おうとしたのでしょう?」


 ふさぎこむ少年の肩を掴み、ミラはゆっくりとその顔を覗き込んだ。


「私の家は、武人の家系です。父は戦士団の指南役として、私や二人の兄だけでなく、多くの子供達を鍛えました。それでも初陣を乗り越えられないものは多い。だが、あなたはスタンピードの混乱の中を生き抜いた。助けが来る、その時まで」


 ユーリは、訥々と語られる言葉をただ受け止める。


「あなたは確かに弱かったのかもしれない。でも、あなたの運は、死神の鎌よりも早く、私の主人をあなたの元に遣わした。あなたは生き、いま、ここにいる」

 

 殊更に優しい、甘やかすような声音ではない。ただ凛然と言葉を紡いでいるだけなのに、彼女の言葉は胸の奥に静かに響いた。細い白指が、震えるユーリの手に重ねられる。


「そう。私もそうだった。初陣で私は叔父の一人と、兄弟子を何人も失った。私だけ生かされたと悩む私に、父は言った。生き残ったことを誇れと」


 いつのまにか敬語はなくなっていた。


「生き残ったことを悔やむことはない。死者たちに気兼ねして、背中を曲げて生きなくていいのです」


 心中に直接語りかけるような、真摯な言葉だった。


「ありがとうございます、えっと、ミラさん。こんな、ただの小間使い風情に、そんなことまで話させてしまって」

「私が話したかったのです。初対面なのに、おかしいですね。こんなことまで話してしまうとは。それに……」


 不自然に言葉が切られ、何かを言い淀む姿に、ユーリは首を傾げる。


「いえ、なんでもありません――あなたが目覚めたら、お嬢様に報告せよと言われています。私はこれで失礼を。医官殿を呼んできます。都市の方も、あなたの目覚めを待っている様子でした」

「あ、待ってください!」


 立ち上がり、去ろうとする女性を呼び止める。どうしても言わなければならないことがあるとユーリは感じた。突然の大声に、ミラが僅かに驚いたように振り返る。


「ただの小間使いでも、”火守のカリギリー”様のお名前は知っています。命、拾ってくださって、ありがとうございました。そう、お伝えください」

「はい、たしかに」

 

 ミラは居住まいを正すと、深々とお辞儀をした。美しい所作だった。


「もう会うことは無いかもしれませんが。ご壮健であれ、小さな戦士」


 そう言って、怜悧な横顔を少しだけ崩して微笑み、ミラは去っていった。







 彼女が退出した後、入れ替わりで入ってきた医官と衛兵に、ユーリは全ての事情を説明した。彼が眠っている間にダンジョンが攻略されたからだろう、既に状況は移り変わっており、彼から聞き出す情報はその大半が既知のようだった。

 しかし、オークが壁を突き破って現れた場面の話になると、年かさの衛兵の眉間に大きく皺が寄った。どうやらその情報は誰からも得られなかったらしい。詳細を聞かれるがままに答え、足早に衛兵は去る。

 医官からは幾つかの注意事項を聞かされ、麦粥の入ったボウルを手渡される。薄味で麦の形もわからないほどに煮込まれていたが、滋味が空きっ腹に染みわたるようだった。

 ボロボロになった外套と作業着の変わりに、と服まで置かれていた。病院はこんなことまでしてくれるのかと驚いたが、全裸で過ごすわけにもいかない。ありがたい気遣いだった。


「わふん」

「お前、いつの間にかいなくなってたな。ずっと毛布の中にいたのか」


 ユーリの下半身を覆う毛布の下に潜り込んでいたのだろう、ひょっこりと再び白い犬が顔を出した。人見知りなのか、ミラと名乗る女性と話している頃から今に至るまで、いつの間にか姿を消していた。


「お前、病院の犬なのか? なんでオレのところにいるんだ?」

「わふーん」


 どうにも気が抜ける顔だった。人懐っこいを通りこして少しあほっぽさすらある。清潔な毛並みであるし、人に飼われているのは間違いないと思われたが、よほどのんきな飼い主に育てられたのだろう。

 凝り固まった肩をほぐしながら、ベッドを抜け出す。

 警備兵から、ギルドに顔を出して報告を行うよう告げられていた。ユーリは手早く与えられた服を着こみ、身体の調子を確かめながら病室から出た。多くのけが人が出たのだろう。騒がしい病棟を人の間を縫うようにして出る。

 元々、ケガの多いスコッパーも利用することが多い医療棟は、アージェント支部の都市警備棟を挟んで隣にある。まだ痛む身体を引きずりながらではあったが、歩けることは幸いだった。

 後ろを振り返る。先ほどの白い犬は、まだユーリをちょこちょこと追いかけ、ついてきていた。

 

「わふん」

「お前、なんでついてくるんだよ」

「わふ」

「いいけど、餌なんかないぞ」


 わん、と名乗る小さな追跡者を連れたまま、ユーリはスコッパーズギルドの扉を開けた。

 ダンジョンを監視する二次遠征の準備なのか、人でごった返すホールを通り抜けると、カウンターにいる職員と目があった。盗賊の親分のような面構えの男だが、ユーリのような雑人にも真面目に対応してくれる。彼がいたのは幸いだ、とユーリは思った。


「よう、災難だったな、坊主。よく生きてたもんだ」

「オレは助けられましたから、ガリベルさん。運が良かったです」


 地の底から唸るようなガラガラ声ながら、労いをかけてくれる男に、ユーリは会釈を返す。


「まったくだ。任務完了報告だろ? 職業票ドッグタグ出しな」

「はい」


 首にかけた職業票ドッグタグを渡す。ダンジョンに潜るもの全てにギルドから配布されるそれは、身分証でもあり、ダンジョンで倒したモンスターの数まで感知する特殊な魔術処理をされたマジックアイテムである。ダンジョン固有の第五元素アイテールの波動を識別し、潜ったか否かを判断する機能まで備えている。小間使いであっても全員に配布され、報告時には提出する決まりだった。

 窓口の男は何か手元に書きつけながら、口を開いた。


「連盟の監査官が偵察にきたところを助けてくれたなんて幸運、めったにあるもんじゃねえ。本当にお前さんは幸運だよ。まあ、連盟に借りを作りたくねえギルドの上は大騒ぎだが」

「連盟の、監査官?」


 真っ白になった頭が漂白されたところに現れた炎の槍と、颯爽と外套を翻す女性の姿を鮮明に思い出す。


「名乗らなかったか? ダーリントン鉄道連盟は、世界中に線路張り巡らしてる商売の要だ。食い物、武器、布、薬、金、何でも扱う。そういうのをネコババしたり悪さしたりしてねえかを見に来る役目の奴らがいるのよ」

「連盟のお目付け役って訳ですか」

「そう。腕が立たねえといけねえから、全員化け物みたいに強え。元スコッパー上がりも多いって話だ」

「どうりで……」


 鷲から飛び降りてそのまま槍で突撃するなど、どう考えても常人では無い。あの強靭なオークを簡単に屠った槍の腕といい、辺りを焼いた火の魔法の力も含めて、あの調査隊にいたスコッパーとは、明らかに格の違う強さだった。

「まあ、一族から勘当された変わり者の姫さんだと聞いちゃいたが、ダンジョンスタンピードに単身で駆けつけるほどの度胸とはな……ほらよ。これで終わりだ」

「あの、報告は?」

「いい。都市警備隊の方から聴取は受けたんだろ? そういう手筈だったからな。それで十分だ。今はギルドも警備隊も一緒になっててんやわんやしてる……そら、報酬だ」 


 そう言って男が取り出したのは、硬貨の詰まった革袋だった。銀貨二枚と、銅貨が三十枚。命を賭けた報酬は貴重ではあるが、ユーリの雇用主である人買いの手に渡せば、銀貨一枚すら残らない。

 黙ったユーリの姿を見て、男は言い含めるように口を開いた。


「お前さんが回収したっていうマジックバックの中身も全部、報酬の中に入ってるが、バッグ自体は壊れていたからな。賠償金が差っ引かれている」


 病室で見かけないと思っていたが、背嚢は回収されていたらしい。ギルドからの貸与装備の破損には賠償金がかかる。故に慎重に立ち回るのが常だったが、あれだけ激しく逃げ回れば、どこかしらが壊れていても不思議ではない。ユーリにとっては大きな痛手だった。


「わかってます」

「ギルドも今回の件では損害が大きい。死にそうな目にあったからといって、特別ボーナスなんて甘いことは期待するなよ」

「わかってますって」


 ユーリは辺りを見渡す。騒然とするギルドホールには多くのスコッパー達が行きかっているが、見覚えのある顔はほとんど無い。全て外から来た人員なのだろう。それだけ多くの人員が失われたということだった。


「まあ、命あってこその物種だ。仕事は山のようにある。真面目に働くこった――ん、お前……」


 男は何かに驚いたように、ユーリの背後に目を向けた。


「――おい、”灰かぶり”」

「……ネスティさん」


 振り返ると、自分以外の唯一の生き残りが、そこに立っていた。全身に巻かれた包帯と杖が痛々しい。目だけが爛々と異常に光っており、歪んだ三白眼がユーリを睨めつける。


「生き残ったのはてめえとオレだけかよ」

「あなただったんですね」


 元々、一方的にいやがらせを受けていた身としては、正直なところ、なんでこの男がという気持ちが無いではない。悪運が強かったのだろう、という程度の感慨しかなく、慰めあう気にはなれなかった。

 

「お前、あの時、なんで助けた」

「あの時?」


 ユーリは首を傾げる。


「とぼけんな。お前がオレを突き飛ばしたんだろうが」


 言われて、地上に出た瞬間に嫌な予感が背中を走り、青年に体当たりしたことをユーリは思い出す。だが、何か理由があってのことではない。別に彼を助けたかった訳でもない。


「あの時は、ただ勝手に身体が動いただけです。別にお礼を言ってほしいわけじゃありません」

「すかしやがって」

「でも、そうしなければ、死んでたのはあなたです」

「死んでればよかったんだ」

「……は?」

 

 ネスティが杖を付きながら、ユーリの前にぐっと身体を寄せる。息が荒い。


「俺たちはな、これからだったんだよ。腕を磨いて、良い装備を整えて。去年は自分たちだけで新しく生まれたダンジョンの石置きだって出来た。これからどんどん実績を重ねて、北の雄牛団は名前を挙げて、あのムラクモにだって勝てるクランになるのさ。北部のトップに。だからこんなことで躓いちゃいられねぇんだ」


 うわごとのように青年は呟く。


「あの時避けなきゃ、俺の仲間は全員生きてた。あの豚野郎どもの包丁につぶされてミンチになることはなかった。なんでだ? てめえみたいな疫病神がいたからだ!」 


 捨てられた杖が弾け飛び、ユーリは胸倉を掴みあげられた。苦しさにうめく中、ネスティの怒鳴り声がホール中に響き、周囲の人間がぎょっと目を剥いた。


「ずっと気に食わなかったんだ! 半ドワーフの爺に媚び売って、かわいがってもらって、一人だけ涼しいツラしやがって! お前のせいだ!」

「そんな、オレは――」

「おい、ネスティ、やめろ。小間使いのガキにケンカ売って何がしてえんだ、てめえは」


 ガリベルの静止も聞かず、ネスティはユーリに詰め寄る。青年の目は真っ赤に血走り、正気を失っていた。

 少年の姿を見かねてか、足元で白い子犬が懸命に吠えたてる。


「わふん!」

「なんだ、この犬っころは……へっ、今度は犬畜生にまで守られてやがんのか」

「やめてください、犬は関係ないでしょう!?」


 蹴り飛ばそうと足を振りかぶるのを、止めに入ったユーリの胸倉を掴み、怒りのままに青年は怒鳴りつけた。


「うるせえ! 全部、全部、こいつのせいなんだ……!」


 その時、ユーリは己の胸倉を掴んだ手に、あるべきものが欠けていることにようやく気づいた。

 右手の小指と薬指が、無かった。


「ネスティさん、指が……」

「お前……」


 仲裁に入ったガリベルの表情が歪む。びくりと青年の肩が揺れ、後ろずさりするようにたたらを踏むと、そのまま力なく崩れ落ちた。

 剣士や、戦を生業にするものにとって、小指は極めて大きな意味を持つ。小指の支えがなければ、握力は半分以下しか発揮できない。力強く武器を握れなければ、剣士としては廃業だった。


「返せよ……返してくれよ……」 


 声もなく嗚咽をもらす青年の姿に、掛けられる言葉がない。失ったのは仲間だけではない。彼の未来そのものだった。


「……坊主、行け。こいつのことはいいから」

「……はい」


 逡巡するも、何も語りかける言葉がない。ネスティの肩を抱くガリベルに後を任せ、鉛を飲んだような気持ちで後ずさる。ギルドの両開き扉が、今は重い。


 小さな戦士だ。そう語りかけてくれた女性の言葉が、途端に風化していく。凛然と、しかし純粋な情けで暖められた指先が、温度を失う。

 

 ダンジョンは人の都合など関係なくただ多くを飲み込み、二つだけが理由もなく残された。

 戦士になりたくて、うらやむだけの自分。

 戦士としての未来を絶たれた青年。


 現実は、どこまで非情なのだろう。

 

 少年は、未だ無力な子供だった。




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