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#10 弱者に、怯える余裕は無い







 ある日。

 師から予告されていた日が、遂に来た。


「ダンジョンに潜ります。準備なさい」


 と短く師に告げられ、外套と背嚢を手渡される。これまではギルドから貸与されたマジックバッグを使っていたが、用意してくれたのだろう。決して安いものではないはずだったが――と思いつつ、ユーリはありがたく身に着けることにした。

 師と連れ立って、スコッパーズギルドを訪れた。二次遠征が終わり、山狩りも盛りを過ぎたせいか、ギルドホールの喧噪は鳴りをひそめ、往時の姿に戻りつつある。


「変わりませんね、ここも」

「師匠も、ここで仕事したことがあるんですか?」

「ええ、五、六年前ですが。少しだけ」


 どこか懐かしそうに辺りを見回すミラの姿は、普段の装いと異なる。モノトーンを中心とした色遣いは変わらないが、黒いジャケットに、伸縮性のあるグラウンドワイバーンのレザーパンツは見るからに手間のかかった特注品で、彼女の怜悧な印象を強める。左腰には彼女の愛刀・月下弾琴が提げられている。


 正直なところ、我が師ながら、めちゃくちゃ恰好いい。

 始めてみる一流の戦闘職の姿に、胸が踊る。彼女こそが我が師なのだと街中に触れてまわりたい。

 そう憧れる純粋な気持ちと、少しばかり身体の線が浮き出た風体に、少しだけユーリはどぎまぎする。遺物で身を固める上位のスコッパー達は、常識的な鎧甲冑を身につけず、軽装にすら見える衣装でダンジョンに潜るとは聞いていた。常に凛々しい師匠に対して不埒な思いは禁物、と少年は生来の生真面目さで気を引き締める。

 そんな多感な少年の様子に気づくこともなく、ミラはクエストボードを眺めながら尋ねる。


「ダンジョンへの入り方はわかりますね?」

「はい。えっと、クエストボードの求人票に貼ってある、採掘・間引き・討伐・緊急のいずれかの任務票を取って、カウンターに持っていく。自分たちの実力や突入人数、氏名、時間を伝えて、職業票ドッグタグを渡す、です」

「よろしい。間引きは完全に倒したモンスターの質と数の出来高払いな分、人数も時間も受けて側の自由になる。ダンジョンでの戦闘経験を積みたいなら、間引き一択です」


 壁に掛かったクエストボードの間引きの欄には、アージェント支部が管轄する近隣のダンジョンの間引き依頼が無数に張り出されている。勢いが無いとはいえ、北部第二の都市である。管理するダンジョンの数は両手の指では足りない。馬車で三日かかる場所もあれば、徒歩でいける程度の距離もあり、様々だ。

 おもむろに一枚の依頼書をミラはボードから剥ぎ取り、受付に持っていく。カウンターにいたのは、今日もガリベルだった。こちらと目が合うと、柄の悪い人相が驚愕に染まった。

 

「おいおい、誰かと思えば、”暁闇”の。何でこんなところにいやがる」

「相変わらず凶悪面ですね、ガリベル。まだくたばってはいないようで残念です」

「引退したと聞いたが? なんでそこの小僧っこをつれてやがる」

「えっと、色々あって、弟子になった……感じです」


 男は大きく目を見開いた。まるでこの世で最も悪いニュースを聞いたかのような有様で顔を覆う。


「スコッパーの弟子? 本気でいってるのか? おい坊主、こいつを誰だか知って弟子になったのか? こいつはーー」


 かちゃり、とミラの腰に吐かれた刀の鯉口が切られる。ユーリが今まで見たことがないほど剣呑な目つきでミラは男を睨め付けた。


「前にも言いましたが、お喋りな男は嫌いです。さっさと手続きを」

「わかった、わかったから、そいつは抜くなよ、頼むから。オレの寿命がいくらあっても足らん――で、間引き任務だと? 復帰するのか?」 

「ええ。片手間ですが。どうせ人手は足りていないのでしょう? まだ腕は錆びていないつもりです」


 いつもの調子のまま、ミラは腕組みした己の腕を軽く叩く。


「そいつぁ結構。だがなぁ……お前さんでなければ、ひよっこの十人か二十人は預かってもらいたいところなんだが……」

「あいにく、一人で十分です……ガリベル、今日は彼も小間使いではなく、スコッパーとして潜ります。七等級なら申請さえすれば、無条件で職業票ドッグタグが発行されるはずですね? 早く手続きを」

「わかったよ、そう急かすな。坊主、職業票ドッグタグ出しな」

「は、はい」

 

 ユーリから受け取った職業票ドッグタグを手にカウンターの奥に戻ると、ガリベルはすぐに戻ってくる。手には一回り大きな鈍色の職業票ドッグタグがあった。手元の平台に置いて何かの操作を行うと、一瞬だけ光を放ち、取り出した板をユーリに手渡した。


「ほらよ、坊主。これでお前さんの情報は全部移された。今まで通り首にかけてな」

「これが……」


 ユーリの顔に喜色が浮かぶ。ガリベルは幼子を見るような目で、わずかに相好を崩した。


「俺が言うのも何だが、そんなにありがたがるもんでもねえよ。そいつがあったからといって、出来るようになるのは戦闘系の任務を受けられることくらいだ。五等級以上のスコッパーの保証が必要だから、クランの繋がりが無ければ手に入れるのは難しいが」


 ガリベルはそう言うが、その大したものでないものさえ、貧民の子供には手に入れられなかったのだ。輝きも鈍い、少しばかり大きいだけの職業票ドックタグだが、ユーリにとっては宝物だった。


「……師匠、ありがとうございます」

「例を言うのは早すぎます。あなたには、もっと先に行ってもらいますから」


 腰を折り、ユーリが首にぶら下げた新たな職業ドッグタグをその細指で弄びながら、ミラは語った。


「スコッパーズギルドの創設者エヴァン・ガントレットは、中央都市フェリクスの巨大ダンジョンから、”金葉樹”を持ち帰った。フェリクスに植えられた金葉樹は魔物を遠ざけ、その差し木が植えられた開拓地は地力を蓄え、肥料無くして麦穂を実らせた。崩壊した人類の食料事情を支えたのは、一人のスコッパーがダンジョンから持ち帰った遺物レリックだったのです。

 我々が倒す強大な魔物が持つ遺物には、それだけの力が秘めている可能性がある」


 知っている。彼女が語っているのは、スコッパーのみならず広く知れ渡っている伝説だ。空想上の存在と思われていた神々の降臨に次ぐ、最新の神話。ユーリも幼い頃の寝物語として聞かされ、胸を躍らせたものだ。


 金葉樹を持ち帰り、人を飢えから救った英雄エヴァン。

 白銀花を持ち帰り、人を魔物から遠ざけた弓聖ノクターン。

 翠包珠の原型を持ち帰り、第五元素アイテールを貯蔵するバッテリー技術を生むきっかけとなった賢者ニイロウ。


 持ち帰った遺物レリックによって、英雄たちは滅びゆく人類を救った。

 神から力を授けられた預言者の一族とは違う、いわば”民衆の英雄”である七人の功績を讃える為、スコッパーズギルドは彼らが得た宝を、七つに分かれた職業等級の名前とした。後に続く者たちの道標として、今なお残されている。


「おいおい、駆け出しの小僧に”初代様”になれってか?」

「たとえ話です。だが、ああなりたい、という憧憬は、人に最初の一歩を踏み出させる。励みなさい。可能性は、貴方にもあるのだから」

「はい、師匠!」


 背を正す少年の姿に、満足そうにミラは微笑んだ。

 若々しい主従のやりとりにガリベルは肩を竦める。

 

「気合があるのは結構なことだ。手続きは終わりだ。今日は……二パーティだけだが、既に潜っている。言われずともわかってるだろうが、同士討ち(フレンドリーファイア)は厳禁だ。それに、例の連鎖顕現以降、アージェント周辺のダンジョンに活性化の兆候が見られる。用心しな」

「ガリベル。タイタンスコップの貸与を。彼の分だけで構いません」

「間引き任務でか?」

「戦闘職の間引き任務といえど、私たち(モグラ)の最後の頼みの綱はこれでしょう?」


 いい心がけだ、と笑って、ガリベルはカウンター近くに立てかけられたスコップの中でも、小ぶりなものを少年に手渡した。







「――――シッ」


 一息だった。

 見ていなさい、と指示をされ、立ち尽くすユーリの隣から消えたと思った瞬間には、目の前にいる魔物が倒れ伏している。


「次」


 しばらくして遭遇した熊の魔物、クレイジーベアの分厚い毛皮に覆われた腕を軽く一閃して落とし、すれ違いざまに頭の上半分が切り飛ばされる。

 

「次」


 先ほどのクレイジーベアが二体、暗がりの向こうから走りこんでくる。ユーリは緊張のあまり、手に持たされた鉄剣を強く握りしめる。

 が、次の瞬間、爆発的な脚力で走りこんだミラの手によって、四肢を斬り飛ばされ、鋭い熊手は虚しく空を切り、藁でも切るような容易さでもって解体される。


 圧倒的だった。ユーリの背筋に震えが走る。戦闘と呼べる戦闘ですらない。彼女にとって、アージェント都市が魔物を封じ込める為に作り上げた都市中央洞窟ダンジョンの敵など、障害ですらないのだと思い知らされる。


(これが、白銀花――)


 思わず息を飲む。

 第二等・白銀花。数十万人の戦闘職スコッパーの中でも、上澄み中の上澄み。全身をモンスタードロップの戦利品で身を包み、技を磨き上げ、単独で最高難易度ダンジョンへのダイブを許される、練達の戦士の力だった。

 

「魔物は見敵必殺。早く見つけ、早く殺し、疾く去る。この穴倉の中は我々の為の土地ではないのです。一切油断なく、殺し切りなさい」


 返り血すら浴びることなく、いつも通りの涼しい顔で刀を振るう。いっそ機械的とすらいえるその姿に、ユーリは震えた。


「あ、あんなにいっぱい魔物を斬ったのに、刃こぼれとか無いんですか……?」

「この程度ならば。遺物とはそういうものです」


 ダンジョンボスを始めとした強大な魔物は、倒した際に体内に取り込まれていた第五元素アイテールが解放され、稀に武具や道具などの姿となって落ちる。彼女の右手に握られるそれは、紛れもなく高位の遺物だ。


「本来の刀なら脂が巻いたり、刃こぼれが起きて切れ味が鈍りますが、遺物レリックは壊れにくい。その分、研ぐのは一苦労ですが」


 師の握るその刃を、しげしげと眺める。根本から切先まで波打つ水面のような模様は勇壮で、切先は鋭い。洞窟を照らす魔鉱石のランタンの光を受け、白く輝いてすら見える。刀の知識の無いユーリにとってもわかる、鳥肌が立つような美しさだった。

 目を輝かせながら刀を見入るユーリに、ミラはたしなめるように声をかけた。


「武器の力に溺れてはいけない。私も駆け出しの頃は遺物レリックさえあれば、と思っていましたが、いかに優れた刀であっても、使い手にそれを振るう技がなければただの薄い鉄の板にすぎないのですから」


 その通りだった。今のユーリが彼女の愛刀を預かったところで、背丈も合わなければ満足に振り切る技術もない。


「腕の良いスコッパーは、いつか必ず遺物レリックとめぐり合います。あなたもいつか手にする時が来る。その時までに、自分の技を磨きなさい」

「はい」


 ユーリが頷くのを見ると、ミラは納得したように頷き返して刀を納めた。

 しばらく無言で洞窟を歩いていく。

 アージェント中央洞窟は、大崩壊後、早い時期に現れた歴史の古いダンジョンだ。アージェントとという都市自体が、この洞窟から溢れ出る魔物を止める為に築かれた壁と砦に詰める兵士たちによって出来上がった街である。それまでの人類にとって、壁とは外から来る敵から身を守るものであったが、大崩壊以降、内から湧き出る魔物を押し留める為の物に変わっていた。自然発生したこのダンジョン内包型の都市は、世界中に存在する。都市国家の最も原始的な形である。

 当時は吸魔石などというダンジョンの成長を抑制する便利な道具はなく、幾度ものスタンピードを経て成長・拡張を繰り返してきたダンジョンの通路は、一本一本が大広間のようである。

 魔鉱石が湧出する為に加工できない洞窟の壁にかけられる代わりとして、周囲の第五元素アイテールに反応して光るランタンの台座が通路の左右に一定間隔で置かれ、潜るスコッパー達が迷わないように工夫がされている。地面にはトロッコを走らせる為の簡易的な軌道も敷かれている。こうした人工的な光景は、人類が長らく潜り続け、鉱山化を推し進めたダンジョンならではの景色だ。ユーリにとってもホームグラウンドといっていいダンジョンである。今となっては馴染み深い景色だった。

 しばらく進むと、不意に動く影が二つ見えた。マイティボア。地上でも見かける凶暴な猪だった。乱入者の姿を認めると、ふう、ふう、と荒い息を吐き、後ろ足を地にこすりつける。


「ユーリ、小さい方は任せます。あなたが倒しなさい」

「は、はい!」


 二手に分かれて駆けてくる猪の片割れに、正面から走りこんだミラが、あっという間の手さばきで猪を屠る。その姿に足を止めた猪だったが、怯えた腰つきで寄ってくる小さい影を倒しやすいと踏んだのか、ユーリ目掛けて吠えかけた。

 興奮した獣の息が、耳に響く。手の震えが止まらない。正面に構えた短い鉄剣が震える。


「――怯えるな!」


 師からの檄に、身体が跳ねるように反応した。

 その瞬間、突っ込んできた猪を躱すように右に動き、横薙ぎに剣を振るった。剣の角度と当たり所が悪く、頭の骨に当たった刃が滑る。何とか剣を手放さないようにユーリは必死に握りこむが、肉を絶つには至らない。頭に大きな裂傷を受け、ぎゃあん、と鳴き声を上げながら、猪は吹き飛んでいく。

 

「とどめを!」


 その声に従い、ユーリは吹き飛んでいった猪に追いすがる。剣を突き立てようと構え、その時、猪と目が合った。


「ッ!?」


 生きるために必死な目だった。目の前に迫る死から何とか逃げ出そうと、抗おうとしていた。その姿に、剣を握る手が一瞬ゆるみ、踏み込んだ足が踏み下ろしどころに迷う。猪は地面を掻くように四肢をばたつかせ、その腹に突き立てようと剣を突き下ろす。

 外した。剣の切っ先が地面を叩く。慌てたユーリが再び振りかぶろうとした時、猪はユーリの足を目掛けて突進した。予想外の衝撃に転がり、剣が手から離れる。振り返り、再度ユーリに飛びかかってこようとしたところを、ユーリは咄嗟に背嚢に背負ったスコップを取り出し、その鼻づらを叩いた。

 倒れた猪を、何度もスコップで叩く。頭に血が上り、剣の存在を一瞬忘れていた。何度も、何度も叩きつけ、既に目の前の獣が動かなくなったことにも気づかず、スコップを振るった。


「やめなさい」


 氷よりも冷えた師の声に、瞬時に覚める。

 血まみれになったスコップと、潰され、砕けた魔物の死骸。

 無様だった。

 怯えて、竦んで、足を掬われ、逆上して、スコップを叩きつけた。

 教わった剣の振り方は何も出来なかった。ただ死にたくなくて、暴力を振るった。


「ユーリ。迷いましたね?」


 ぱあん、と音を立てて頬が張られる。

 最初に衝撃が来て、後から赤熱したような痛みがやってくる。


「言ったはずです。倒さなければ、倒されるのは貴方だと」

「……すみません」

「下手なのは良い。初めての戦闘で、上手く剣を振るえる訳がない――しかし」


 師の顔を伺う。初めて見る、明らかな怒りの形相だった。


「迷うのだけはいけない。私が行うのは命のやりとり。私たち人類は、このダンジョンの中では弱者です。弱者に、怯える余裕は無い」


 ミラがマイティボアの死体を指さす。


「この醜い死は、あなたが与えた。あなたの未熟さと恐れが招いた。向き合い、越えなさい。己の恐怖を」


 口の中が乾き、言葉が出てこない。

 ミラは進みます、とだけ言い、ユーリはただ無言で従った。


 結局、ユーリはその日、他に一体の魔物しか倒すことは出来なかった。


 その日の晩。行きと異なり、何も会話することなく館に帰り着き、師からは早めに休むようにと言われ、初めてのスコッパーとしてのダンジョン行は終わりを告げた。

 寝床に入ったものの、眠気はやってこない。ぐるぐる、ぐるぐると、今日の戦いの光景だけが頭によぎり、寝返りの回数だけが増える。与えられた初日には、あんなに広いと感じた従者向けの個室の天井が、今日は狭く見える。


「ちくしょう……」


 手で顔を覆う。

 どこかで驕っていた。見る見る間に様々なことを覚えて、出来ないことが出来るようになり、スコッパーの職業票ドッグタグまで手に入れた。それでも、まともに剣を振ることさえ出来なかった。

 師からの怒りは、臓腑に響いた。己が情けなかった。強くなると息まき、多くの物を与えられたにも関わらず。


 怒られるのはいい。

 なじられるのも、憎まれるのもいい。


 失望される事だけは、耐えられなかった。


「わふん」

「……お前、どっから入ってきたんだ?」


 突然、もぞもぞと布団が動き出し、白い子犬が顔を出した。元々潜り込んでいたのだろう。気が動転していたせいか、全く気づくことは出来なかった。

「せっかく家を作ってもらったんだから、そっちで寝ろよ」

「わふ」


 ぺろぺろと探るように顔を舐められる。


「……慰めてくれるのか?」

「わふー」

  

 白い毛並みをすくように手で溶かすと、ユーリの懐に潜り込んでくる。毛むくじゃらの身体を抱いて、ようやく目を閉じることが出来た。


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