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#11 天才をやっている





 その後もダンジョンに潜り続ける日々が何日か続いた後。

 ある朝、ユーリは師から訓練中止を言い渡された。

 

「あの、オレ、クビなんでしょうか……?」

「そうではありません。買い出しを頼みたいのです」


 よかった、と安堵の溜息を漏らす。不出来な弟子はもう不要と告げられたのかと思い、心臓が止まる思いだった。

 ミラはメモ用紙、受け取り用の証書、幾らかの硬貨が入った革袋と次々に少年に手渡す。


「私は今日、イズラハ様の名代として出なければなりません。その間、ダンジョンで必要な薬と物資を幾つか買ってきてほしいのです」

「すみません、オレが変なケガばっかりするから……」


 ミラは首を横に振った。


「これは必要経費です。初心者が傷を追うのは当然のこと。店の場所は、わかりますね?」

「はい、大丈夫です」

「今日はそのまま休養とします。よく身体を休めるように」


 そういって踵を返す師に、ユーリは頭を下げ、溜息をつく。

 あの日以降、指導以外の会話が出来ていない。どうしてもあの時の怒りを忘れることが出来ず、師の前では身体が強張るようになってしまっていた。魔物との戦闘も、さすがに剣を取り落とすことは無くなったが、順調といえるような内容でもない。

 あくまで師匠と弟子の関係ではある。それが普通なのかもしれないが、以前まで存在した、年齢や性別を越えた不思議な共感からくる親しみが遠ざかってしまったことが、ユーリには寂しかった。

 不意に、メモに目を落とす少年の上に影が落ちると、脳内に声が響いた。


『悩み事かね、少年』

「うわ! ピッケさん、戻られてたんですね」

『今日は近場の偵察だけだったからね。私たち大鷲族からすれば、コーヒー片手の朝の優雅な散歩のようなものさ』


 大鷲が翼をはためかせながら、ゆっくりと中庭に降り立つ。

 ユーリの恩人の一人でもあるピッケは、スコッパーズギルドから航空偵察の依頼を受けて、日常的にアージェント都市の周囲を飛び回っている。今日は朝の任務の終わりのようだった。紳士を自任する彼に食事を運ぶのは、ユーリの役割で、日に何度かは気安く話す仲となっていた。


「コーヒー、飲めるんですか?」

『実は飲めるとも。飲むだけならね。あれは香りを楽しむものだろう? 私たちは人族ほど嗅覚が強くない。ただの苦々しい泥のお湯だね……で、何に悩んでいるのだね、少年』

「別に、悩んでいるってわけじゃないです」

『うーん、キミは実に嘘が下手だ。顔に私は悩んでいますと書いて歩いているような人間はね、嘘を舌にのせてはいけないよ。間違って飲み込むと、腹を壊してしまうからね』


 彼の言い回しはユーリには馴染みのない独特な諧謔に満ちている。中央の人――いや、鷲というべきか――はこういうものなのだろうか。村とアージェントしか知らないユーリには判断がつかない。

 ピッケはうつむいたユーリの顔を覗き込む。


『ミラ嬢とてまだ若い。固さだけでなく、柔らかさも持てれば良いのだが』

「オレが悩んでいるのは、師匠のせいじゃありません! オレが悪いんです。オレが上手く戦えないから……」

『そう自分ばかり責めるもんじゃないよ。まだ訓練を初めてひと月と少しだろう? 上手く戦えないなど当たり前のことさ』

「でも、師匠は十二から魔獣と戦ってたって」

『それは比べる対象が悪い。長い歴史のある武家、ブロムダールの神童と呼ばれた子だよ、あれは』

 

 多くの人が慰めてくれる。

 お前の師匠はすごい人なのだから比べても仕方がない、と。

 その言葉は少しだけ少年の心に影を落とす。

 それは、お前は師匠のようにはなれない、と言われているような気がしたから。


「すいません、オレ、買い出しを言いつけられてるので。麦は、いつもの場所に置いてありますから」

『おお、毎日すまないね。ありがたくいただいておくよ』


 ぺこりと頭を下げて去っていく少年の後ろ姿を身ながら、鷲はひとりごちる。


『人の世は難しいねぇ……』


 大鷲族の巣から一羽離れて数十年。人と共に生きてきた時間のほうが長くなったとはいえ、種族の違いもある。

 どうやら、自身の伸び悩むに苦しむ少年と、どうフォローすれば良いか悩む若い師匠の間で多少ぎこちないようだった。二人とも真面目すぎるのだ。己をすぐ責めてしまう。

 その点、誰かのせいにするのが上手い――とピッケは勝手に思っている――彼らの女主人イズラハさえいれば、上手く解きほぐしてくれるのだろうが、古巣に呼び出されて中央に出張中なのが痛い。


 誰か、この空気をぶち壊してくれるような何かが来てくれればいいのだが。

 内心でそう呟くと、鷲は裏庭にある自身のねぐらへと戻っていった。隣人の白い子犬も寂しがっていることだろうから。







 館の門扉を開け、アージェントの商業区の大通りを目指す。

 中央洞窟を中心点として、円状に三層の内壁を設けられた大がかりな城塞都市の中には、坂があり、林があり、丘もある。ダンジョンに封じ込めに成功したことをきっかけに、多くの人々がアージェントに集まり、無秩序な拡大が行われた結果だった。その分、維持が大変な都市となり、都市警備軍の維持と壁の補修費は都市財政の慢性的な負担となっている。

 丘のある高台側に位置するアルカディア北部商会本社から、商店の集まる大通りまで、徒歩では少しばかり遠い。

 ユーリは歩きながら、改めてミラから預かったメモを読み上げる。

 

「リゾナリー書店、クレッド装具店、カッシーナ武具店、都市医療棟……これ、半日で回れるか……?」


 自身が住んでいたのはスラム街に近いような下層区であったとはいえ、二年も住んだ街だ。店と道は覚えている。頭の中でルートを確認しながら、しばらく歩いていると、大通りの雑踏にぶつかった。


(ずいぶん外からの人が増えたな……)


 久々に街を歩き辺りを見回すと、北部人らしい色素の薄い髪色の人々の中に、違う色彩が多く混ざっていることに気づく。黒や赤みがかった髪色の人が多い。噂に聞く東部人だろうか。貧しい風体の人々も多く、ダンジョン連鎖顕現の事件前にはあまり見なかった光景だ。


「スリだ! つかまえろ!」

「衛兵! あそこだ!」


 制服を着こんだ衛兵たちが走り回っている。治安も悪くなっているのか、あちこちが騒がしい。

 そうこうしていると、最初の目的地の書店にたどり着いた。

 古い木の扉を開け、薄暗い店内に足を踏み入れると、店主らしき男がカウンターの向こうから出てきた。片眼鏡ごしにうろん気な目を少年に向ける。


「なんだね、冷やかしは困るよ」

「あの、アルカディア北部商会の者です。書籍を受け取るように言付かっているのですが」

「ああ! ブロムダール様の使いだね! ちょっと待ってくれよ、いま持ってくるから」


 ユーリが受け取り用の証書を差し出すと、途端に態度が豹変し、店奥に大急ぎで引っ込んでいった。すぐ戻ってくると、重そうに両手で背嚢を持ってきた。


「こ、これですか?」

「ああ。マジックバッグに一式詰めて、封を止めて渡しとくれという注文だったが」

「な、なるほど」

 

 いったい師は何を頼んだろうか。背負うと、なかなかに重い。マジックバッグは重さを五分の一にする便利な道具だが、百科事典が何冊も入っているのか、背にずしりと来る重さだった。


「封をしてあるから大丈夫だとは思うが、物盗りには注意するんだよ」


 店主が気づかわしげに言った。


「ずいぶん増えたなと思ってました。東部の方からの移住者ですか?」

「移住者というより難民だよ。ほら、東部の都市がダンジョンに飲まれた事件があっただろう? あれから東部は荒れ放題で、難民も多い。都市の上の方の連中が、労働者として引き入れたそうだ」


 困ったものだ、と店主は溜息をつく。


「物騒な事件も多くなった。君が入ってきたときはまた物盗りかと思ったんだよ。さっきはすまなかった。ブロムダールの姫様にもよろしく言っておいてくれ。お得意様ならいつでも歓迎だ」


 そう語る店主に見送られて、ユーリは店を後にする。

 雑踏の流れに入り、歩く。かつてのユーリであれば難民たちのいざこざに巻き込まれれば、すぐ命を失っていたかもしれない。改めて己の幸運をかみしめる。

 だが、背嚢は想像以上の重さだ。治安が悪いときくと、不安にもなる。一度、館に戻ったほうがいいだろうか――そんなことを考えていると、目の前には次の目的地であるクレッド装具店だった。

 

「なんと! この細工で銅貨七十枚! ははっ、ぼったくりだな!」


 店前に並べられた装具を手に取りながら、何事かを叫ぶ騒がしい客がいる。足元には大きな旅行鞄があり、遠くからやってきた旅人のようである。待ちゆく人から胡乱げな視線を向けられながらも、一向に気にする素振りもなく、けらけらと笑い声を上げながら商品を物色している。


「おい、お嬢ちゃん、ぼったくりとはどういう了見だい? うちは創業百年の老舗だよ? 下手な言いがかりはやめとくれ」


 馬具や鷲の鞍、剣を下げる為の帯など、様々な装具を扱う店で、ユーリも何度か訪れたことがある店だ。


「うーん、女将さん、これ作ってるのは旦那さんかい? それともお弟子さん?」

「旦那だけど?」

「目が悪くなっているのではないかな! 眼鏡を用立ててあげたほうがよいと思うぞ! ステッチの幅がバラバラだ。少し革が突っ張ってしまっている。裁断の腕とセンスは悪くないが、手元があやしいな!」

「し、素人にそんなこと言われたかぁないよ!」


 何かのベルトを持ちながら商品の不備を指摘する客に、普段は押しの強い女将も押されていた。

 どうも話が長引きそうだと思い、ユーリはその客の後ろから女将に向かって声をかけた。


「あ、あのー……」


 くるり、と商品を眺めていた客が振り返る。若い女だった。背は低く、ユーリよりも少し背が高い程度だ。着ている服は高級そうだが、緑の刺繍の入ったぐしゃぐしゃの白衣に、ぼさぼさ頭のひどい有様である。


「む、なんだい君は。職業勧誘リクルートはお断りだぞ。それとも、まさか軟派というやつか? 君のような少年にはいささか不純異性交遊は早いと思うのだがな! 北部は進んでいるな!」


 小さな身体にどれだけの元気が詰め込まれているのか、雨あられのように言葉が吐き出される。


「あの、あなたに話かけたわけではなくて」

「いやいや、だからといって結婚の申し込みも困る。私、これでも結構いい家の出だから、配偶者には何よりも経済力を求めるのでな。いやー、さすが天才、まさかこの街に到着して二時間でこんなに強く求められてしまうとは……」


 本人の容貌からすると、意味不明な言動に反して良いところの出身なのだろうという雰囲気はする。肉付き豊かで女性的な体形だが、ぐしゃぐしゃのだぼっとした白衣と寝ぐせだらけの頭を見て、彼女を口説こうとするものはいないだろう。

 ユーリはあまりの話の通じなさに声を荒げた。


「だから、そうじゃなくて!」 

「あれ、あんた、たしかアルカディア商会の丁稚だったね。例の頼まれ物かい?」

「はい、受け取りです」

「ちょうどよかった。何だか変な客に…あれ? どこいった?」


 ユーリに対して勝手に何事かをぶつぶつと呟いていた女の姿が、いつの間にか消えていた。周囲を見渡すも、雑踏にまぎれて見えない。


「ちっ、まったく変な客だよ……で、頼まれ者だったね。ほら、こいつだ」

「ありがとうございます」


 布袋を受け取り、ユーリはその場を辞した。


 結局、館には戻らず、その後もミラの書きつけに従い、ユーリは街を回った。医療棟で長い時間を待って薬を受け取った後には、既に太陽は中天に上っていた。


「さすがに腹減ったな……」


 今日はモランが手伝いに来れないとのことで、館に昼食の用意は無い。戻って買い置きのパンで軽く済ませる手もあったが、せっかくの外出だ。それに、空きっ腹につられた鼻が、実に良い香をかぎつけている。

 横を見ると、庶民向けの食堂がある。ユーリの懐事情でも十分入れる店だ。ちょうどいい、腹ごしらえを――と思い扉を開けると、そこには先ほど見たおかしな女性客がぶら下がっていた。


「は?」


 怒りの形相を浮かべた店主が、太い腕で女の白衣を猫でもつまむように掴み上げ、ぶらぶらと手足が揺れている。


「姉ちゃんよ、金がねえってのはどういうことだ!?」

「だから盗まれたのだと言っているだろう! ははっ、この天才、一生の不覚! どうにもあちこち回っていたらいつの間にかスラれたらしい!」


 女はぱんぱんと己の白衣のポケットを叩く。その開き直りっぷりに、店主の顔に浮かんだ怒りの血管が太くなる。


「はは、じゃねえんだよ馬鹿ちんが! おい、誰か衛兵呼んでくれ! 食い逃げ犯だ!」

「いやいや、待ちたまえご主人。ここは一つ取引といこうじゃないか。私はこの街にこれから世話になる予定でね。友人はいいところの生まれで金持ちだ。ここをツケにしてくれれば、私は足しげく通って売上に貢献をするとも」

「初見の客にツケなんざ許すわけがねえだろう!」


 どこまでも底抜けに明るい声を出す食い逃げ犯は、極めてずうずうしくツケを要求し、かっかと笑っていた。

 店主は店に入ってきたユーリの姿に目を止め、声をかける。


「お客さん、すまねえが衛兵を呼んできちゃくれねえか? この女、金もねえのにしこたま喰いやがったんだ」

「あ、ああ……」


 状況が掴み切れないまま、ユーリが後ずさろうとした時、女もユーリの存在に気づいて目を細めた。


「むむ。君はさきほども会ったな。まさかストーカーか? それとも私を連れ戻しに来た家のものか? 私は帰らんぞ! 帰らんからな!」

「違います! オレはただ、ごはんを食べようと思って……」

「なんだてめえ、知り合いか?」

「とんでもない!」


 店長の怒気の矛先を向けられ、ユーリはぶるぶると頭を振った。

 突然、吊り下げられたままの女がしげしげとユーリの顔を眺めだす。


「うーん? 灰色頭に、金の瞳、スコッパーの職業票、わんこみたいな雰囲気……」

「わ、わんこ?」


 再び意味のわからない事をぶつぶつと呟きだす女に、ユーリは戸惑う。そんなユーリをよそに、女は何かに気づいたように手を打った。


「まさか、君の名前はユーカリ君というのでは?」

「ユーリです!」

「そうか、君がイズラハの言っていたユーカリわんこ君か! ははっ、私は実に運がいい!」

「人の話きいてますか!?」


 ユーリの困り声に耳を貸すこともなく、女は腰に手を当てた。


「名乗られたからには、名乗りかえせていただく! 私の名前はエイリカ、天才をやっている!」


 名乗ってすらいないユーリに向かって、女は高らかに己の名を名乗った。

 店主に吊り下げられながら。


 





「なんと、イズラハが話していた少年とは君のことだったか! はは、私は最高にツイてる! さすがは天才!」


 食堂に迷惑料を含めた多めの支払いを済むと、エイリカと名乗る女は案内せよと声高に歩き始めた。


「あの、イズラハ様のお知り合い、ですか?」

「知り合いなんてものじゃない、親友さ! 共に一族の鼻つまみものだからね! 社交界とお見合いを抜け出す逃げ足はフェリクス一と呼ばれた名コンビだとも!」


 女は胸をそらしながら言った。ユーリは疑いの目を向ける。主のことを悪く言いたくはないが、友は選ぶべきではないかと思った。


「いきなり北部で会社を立ち上げると聞いたときは驚いたがな! なに、実家の臭い飯もうんざりしていた所だったのだ! 実にちょうどよかった!」


 ひとまず館に案内しようとユーリが先導しようとするも、女は右へ左へ目が止まったものにあれはなんだ、これはなんだ、と問いを投げかけながら進む。一向に進まない。全く別の方向に勝手に歩き出す始末だった。


「エイリカさん、館はそっちじゃないですよ!」

「なに、硬いことを言うな少年! 私はまだついたばかりなのだ! もっとこの街を知らねばな! 何せこの私、エイリカの名前が轟く最初の街になるのだから!」

「ええー……」


 いったいウチの主人は何を思ってこの変人を呼び寄せたのだろうか。ユーリには皆目検討もつかなかった。

 まずはアージェントの名物である大鐘楼に案内させられた。

 中央に高い尖塔が設けられ、大鷲達は遥か遠方からでもこの尖塔を見てアージェントと判断するのだという。地上に近い側も立派な廟堂となっており、多くの人々がこの場所で憩う。吸魔石が発明され、中央洞窟ダンジョンが攻略された後、本格的に城塞から都市へと変貌していく過渡期に建てられた北部地方安堵の象徴だった。ユーリも最初に目にした時にはとんでもない大都会に来たと思ったものだと思い出す。


「これがアージェントの大鐘楼か! なんと見事な...北部は地震が少ないせいか、良い建築が多い。実に見事だ」


 次は屋台で食べ歩き。

 両手に串を持ち、肉をほおばりながら熱い賞賛の声を上げる。


「わんこくん、この串焼きは何の肉だ!? 凄まじい旨味だ……感嘆を禁じ得ない」

「これは山の香草畑で育てた羊の肉で、アージェントの名産の一つの”山賊焼き”です」

「素晴らしい! これを発明した者は永遠に讃えられるべきだ! 私が銅像をたて、彼か彼女かの名前で勲章と基金を立てよう」

「おい坊主、何だこの変な姉ちゃんは」

「主人の客人なんですが、オレにもさっぱりで……」


 串焼き屋の店主が顔を顰めながらユーリに尋ねた。店主は以前からの顔見知りだ。安くて味も良い、大通りの中でもかなり良心的な値段で打ってくれる店で、見入りの良い日には空きっぱなしの腹を満たすご馳走だった。

 エイリカは口いっぱいの肉を一息に飲み込んだかと思うと、肉を焼く網の上に避けられていた香草を興味深そうに手に取り、口に運ぶ。


「おい姉ちゃん! そいつは食い物じゃねえぞ!」

「むむ、これはなんと苦いのだ!」

「だから勝手に食うんじゃねえ! しかもそいつぁ香りづけの香草だ! 食いものじゃねえ! 腹壊すぞ!」

「何、私は便秘知らずの健啖家だ! 鋼鉄の胃袋と友人にも称された私の胃を舐めないでいただきたい!」

「舐めてねえし訊いてもねえよ!? いい年した女がこんな往来で便秘とかいうな!」


 店主はたまらず叫んだ。

 気づいてはいたがこの女、他人の話を全く聞いていない。耳には入っているのかもしれないが、意に介していない。店主の怒りもどこ吹く風といった様子で、網の上から焼けた炭を覗き込む。


「ふむ、この独特な香り、泥炭を少しだけ使っているのだな? ふむ、こんな屋台でもこれだけ大量の炭を使えるとは、北部も侮がたし。心なしかなんだか不思議な匂いもしてきた」


 長い髪が垂れて網の上にかかり、じりじりと炭火で炙られた髪が焼けていた。ユーリは慌てて女性の腰をつかんで引き戻す。


「エイリカさん、髪!髪!」

「おわあ! おめえの髪が焼けてる匂いだよ馬鹿タレ! 坊主、さっさとどっか連れてってくれ!」

「はいぃぃぃぃ!」


 毛先がこんがり焼けたにも関わらず、女は腹を抱えて笑っている。


「わははは、己の髪を焼くとこのような匂いがするのだな! これは偉大な発見だ! 人によって違いはあるのかな? ちょっと実験してみたいところだ」

「か、勘弁してください……」

 

 ユーリは額に浮かんだ汗を拭う。この勢いでまだまだ各地に連れまわされては、とてもではないが身がもたない。本当に館まで連れていけるか、ユーリが自信を失っていたところ、ふと聞き覚えのある声が聞こえた。


「――エイリカ様?」


 道を行き交う送迎馬車の中の一台がユーリ達の傍に止まっていた。小窓を開けて覗き込んでいたのはミラだった。外行きの上品なドレスワンピースに身を包んだ彼女が、珍しく狼狽した様子を見せている。


「おぉ、ミラ君ではないか! 一年ぶりくらいか? 相変わらずのクールビューティっぷりで何よりだ!」

「あの、エイリカ様、なぜこちらに? イズラハ様がお迎えにいかれると手紙を出していたはずですが……」

「はっはー、来てしまった! 実家から家をさっさと出ていけとうるさかったのでな!」

「ああ……」


 ミラが顔を覆って天を仰いだ。


「ともかく、エイリカ様、馬車にお乗りください。館までお送りしますので」

「大丈夫だ、この少年に街を案内してもらうのでな! まだまだ見たい場所があるのだ。観光案内によると、やはり次はリライウッドの石塔群とやらをだね」

「……ユーリ、彼女を押さえてください。このままだとまた行き違いになりかねません」

「は、はい!」


 まだ回り足りないと勝手にどこかに行こうとするエイリカを必死に押しとどめ、もがく女の首根っこをミラが掴み、送迎馬車で館まで一行は戻ってきた。突然の来客に目を丸くする使用人に命じて客人を風呂に叩きこむと、ミラは溜息をつきながらユーリを労った。


「ユーリ、ご苦労でした」

「師匠……あの人、何なんでしょう?」


 短い時間ながら疲れを見せるミラが、重たげに口を開く。


「イズラハ様の幼馴染で、協力者の一人です。中央にイズラハ様が外出されたのは、あの方を迎えにいくのも目的の一つだったのですが……」

「手紙を出したら、勝手に来てしまった、と」

「元々、少々風変りな方なので……」


 少々で済むレベルか? と思わないではないが、師の精一杯の配慮に満ちた言葉選びに水を指しても仕方ない。


「頼んでいたものは全て揃いましたか?」

「はい、一応すべて。あの、いただいたお金なのですが、少しあの方の食事代に消えてしまって」

「そうですか。いや、それ自体は構いません。お風呂から上がられたら、一旦今後のことを話しましょう」


 頭痛を押さえるようにミラは額に手を当てる。


「物はどこに? 私の私物も含まれてますから、そちらは預かっていきます」

「あ、先ほどの入口のところに――」


 話していると、先ほど客人が消えていったはずの廊下の奥から、どしどしと歩いてくる足音が聞こえた。


「で、私の部屋はどこだね? さすがに私も乙女だ。研究室と寝室は別が良いのだが!」


 濡れた身体をタオルで拭きながら、全裸の女が現れる。ぐずる客人を風呂に押し込んで、まだ数分も立っていない。慌てふためいた使用人の少女が、どどど、と慌てて走りこんで来た。


「わああああ、お、お客様ぁ! 服! 服!」

「ユーリ、見ないように」

「いや、あの、見えません」


 肌色の影が見えた、と思った瞬間に超反応を見せたミラの手で視界が隠され、目の前は真っ暗だ。

 むしろ師匠との近い距離のほうが少年にとっては問題だった。普段の事務的な風体と異なり、女性を感じさせる服装からは、華やかな香水の香りがする。むしろこちらのほうが心臓に悪い。


「まずは服を着てください、エイリカ様。お茶を淹れますので、まずは今後の相談を」


 ミラは長く息を吐き出しながら言った。







 すったもんだの末、どっと疲れた面々が客人向けの応接室に集まる。

 お茶菓子を遠慮なく口に詰め込み、ティーカップで胃に流し込むのを横目に、ミラの口からこれまでの経緯と、彼女がこれから住み込みの社員となる旨が語られた。


「え、ここに住むんですか……?」

「ユーリ、失礼ですよ」

 

 師匠からたしなめられるも、その声は弱い。


「私がイズラハから依頼されたのは、遺物の研究と鑑定だ。それ以外は好きに研究していいと言われている。中央ではなかなか研究できなかったテーマもたくさんある。楽しみだ!」

「離れに元は遊戯室だった別棟があります。爆発と、外観以外は好きにして構わないとのことでした」


 たしかユーリの記憶では客室はまだまだ空きがあった気がしたが、寝床がいきなり吹き飛んでも困る。何も口を出さないのが懸命だろうと思った。


「残念ながら機材はこれからの商会の利益から捻出して、少しづつ揃えていくことになるでしょうが」

「そこは任せてくれたまえ。それで、そこのわんこくんの面倒も見ればいいのだろう?」

「わんこくん……」

「……師匠?」


 じーっとアイスブルーの瞳が向けられ、ユーリの背に緊張が走る。一挙手一投足を見逃すまいとしているいつもの師匠としての瞳ではない、不可解な様子に首を傾げていると、ミラは不意に気を取り直した。


「いえ、何でもありません……こほん、ユーリ、エイリカ様は少々変わった方ではありますが、フェリクス魔法工学院でも変じ、いえ、異才と謡われた方です。今後スコッパーとして大成を目指すのであれば、第五元素アイテールへの適正検査や、強化印を身体に刻むことが必要不可欠です。エイリカ様は専門家です。大いに力になってくれるでしょう」

「強化印……!」


 第五元素アイテールを用いて肉体強化を行う強化印は、一流のスコッパーであれば誰しもが持つものだ。等級の上位と下位を明確に分ける要因といっていい。

 強化印を人の身体に刻む彫刻家の人数は少ない。単に入れ墨を彫る彫師というわけではない。第五元素アイテールを扱う為の回路となる刻印は複雑な文様で、少しでも間違えれば機能を発揮しないどころか、人体への害ですらある。

 これまで散々見せられてきた奇行からは、そんな高等技術の持ち主とはとても思えない女性は、任せろ、と能天気に胸を叩いた。


「適正がなければ刻むことは出来ないからな、まずは検査からだな。ふむ。機材はトランクで持ってきているので、今すぐにでも出来るが、どうするね?」

「主人の意向を仰ぎたいところではありますが、どうやらお戻りにはもう何日かかかる様子。私の一存となりますが、よろしくお願いいたします」


 猫舌なのか、必死にティーカップをふーふーして冷ましている客人は、諦めてソーサ―にカップを戻すと、頷いた。


「あいわかった、では、わんこくんを借りるとしよう。部屋の模様替えも手伝ってもらってよいのかな?」

「お手柔らかに。明日以降はまたダンジョンに潜りますので。ユーリ、離れへの案内をお願いできますね?」

「は、はい。では、こちらです」

 

 正面玄関から出て、離れは母屋のすぐ隣にある。

 鍵もかかっていない古びた扉を開ける。一階建てではあるが天井は高く、太い木の柱がむき出しになっている。埃は払われてはいるものの、最低限といった風情である。中には大きな机と寝台、それに衝立が置かれていて、隅っこには遊具らしいものが雑然とまとめられていた。その隣には更にガラクタらしき物の山が置かれていた。

 

「建築ギルドの元親方が近くに住んでますので、お気に召さなければイズラハ様とご相談いただければ、あれこれ直すことは出来るかと思います」

「いや、広さは十分! これなら色々と出来そうだ。お、あいつめ、色々集めてきてるじゃないか。これは腕の振るいようがありそうだぞ」


 がしゃがしゃとガラクタの山から物を引っ張りだしては、床に放り投げる、すぐに床がガラクタで埋め尽くされていくのを見て、ユーリは止めに入った。間違いなく片付けの役目は自分か使用人の少女に回るだろうと思われた。


「そ、そんなに散らかすと片付けが大変ですよ! もう、子供じゃないんだから……」

「子供!? 子供だと!? 私を指して子供だといったのかね、わんこくん!?」


 思わず漏らした言葉に、エイリカは激しい反応を見せた。ぐりん、という音が聞こえてくるかのような勢いで首を回し、烈火のような勢いでユーリに詰め寄る。


「訂正をしたまえ! これでも二十歳を過ぎた淑女なのだぞ!」

「わ、わかりました、わかりましたって!」


 疑わしげにエイリカの目が歪む。


「君はどうやら、この天才への敬意が足らんようだな。しからば――出でよ、我が銀の腕たち!」

「うわぁ!?」


 エイリカがぱちんと指を鳴らしながら叫ぶと、足元にあった旅行鞄がごとごとと勝手に動き出す。

 ぱかりと口の開いたトランクから出てきたのは、銀色の箱から六本の腕が生えた機械だった。節足動物のように複数の関節を持ち、緑白色の装飾が為され、奇怪な芸術品のようですらある。


形態変形チェンジフォーム! 女郎蜘蛛シルバーウィドウ!」


 巨大な翡翠色の宝石を中央にあしらった銀色の箱が、ひょこりと宙に浮く。吸い寄せられるように彼女の背中にぴたりと張り付くと、箱から射出された銀の帯が彼女の腰と肩に巻きついて固定される。腕の一本一本は、人の背丈の倍以上もある。六本の腕の内の四本を床につき、エイリカの身体を浮かせると、残りの二本はユーリを威嚇するように構えている。


「ふははははは! どうだ、少年! 驚いたか! 余りの格好良さに声も出ないだろう!」

「な、な、な」


 ここ最近、見たこともないものを見せられるのには慣れてきたとばかり思っていたが、どうやら誤解だったとユーリは思いなおす。くたびれた旅行鞄の中から、変形して装備できる機械の腕が出てくると、誰が想像出来るのだろう。


「魔法工学の技の粋を集めた一品だよ、これは。第五元素アイテール貯蔵機能に、変形機能に音声認識機能付き、防犯対策付き。ばっちりかっこよく決まるように私が作ったのだ。これでこそロマンの塊! 人の夢というもの!」

「つ、作ったんですか、これを!?」

「うむ、私は運動はさっぱりでな! 首から下は不要と学院でもよく言われていた! だから己の身を守れる道具を作ったのだ!」


 全く理解が追いつかない。今日散々見せつけられてきた変人の姿と、こんな凄い物を作る科学者であるということが等号で結び付ける事が出来ない。頭が少しばかりでなくおかしい人だと思っていたが、実はとんでもない天才だったのか――少年は畏怖と共に彼女の作品を見つめた。


「おお、良い感じに少年からの敬意の高まりを感じるぞ! ちょうどいい、もう一度名乗ろう!」


 彼女は実に尊大に、この世全てに己の存在を告げるように、大きく横に手を広げた。


「私の名は、エイリカ・クレハ・サナンダン。フェリクス魔法工学院主席中退!」

「サナンダン……?」


 ”大崩壊”で散り散りになった人類を導いた、十の氏族がある。

 預言者たちと呼ばれ、都市国家の長となり、連盟の長となり、様々な面から文明の火を守った者達。それぞれの得意分野や、家名を誇示するように仕立てた装束の色の名前を取って、次のように呼ばれる。


 白のアジール。

 青のシブ。

 灰のウォーダン。

 黒のチューダー。

 橙のプレスギータ。

 空のピアジェ。

 黄のプレッジハンマー。

 桃のロイアル。

 赤のカリギリー。


 そして――翠のサナンダン。


「天才をやらせてもらっている!」


 顎に手を当て、颯爽と女は名乗った。










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設定TIPS



■書店


 近代的な出版については様々なすったもんだの果てに”再発明”が行われており、羊皮紙や筆記模写が主だった時代に比べて、書籍は庶民に広く膾炙している。都市連合が加盟都市に課す法の中には木の伐採量制限がある為、かつてのペーパーバッグほど安価ではないが、中産階級でも十分、手は届く。


 リゾナリー書店は、アージェントに三軒ある書店のうちの一つ。百科事典や学術書、歴史書は扱わず、通俗的な本や、いわゆるビジネス書に近いような新しめの本を扱う。

 店主は、妻に病で先立たれ、息子夫婦は政庁勤めだったが業務上の理由で北部第一都市テラトールに移り住んでいる。妻と二人で始めた書店を畳むのが忍びなく、今はひとり暮らしをしている。孫達と会うのが唯一の楽しみ。

 長年の酷使に耐えかねて腰を悪くしており、配達の依頼は断っている。

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