#12 はじまりの都市フェリクス
†
アージェント市から離れて、数日。
ところどころで思わぬアクシデントに会いながらも、イズラハはようやく目的地に到着した。
大陸中央部、はじまりの都市フェリクス。
人類が最初にダンジョンを攻略した街であり、文明世界の首都と呼ばれる最大の街。イズラハにとっては生まれ故郷であり、つい先日までの住まいであった街は、アージェントでは忘れかけていた殺人的な喧噪に包まれている。
「帰ってきた……」
列車に揺られ、凝り固まった体をほぐし、息を吸い込む。
行き道は車掌長のゴマすりのおかげで貴賓車での旅だったが、退職した身ではさすがにそのような扱いを受ける訳にもいかない。とはいえ、一般市民向けの一般車両は狭く、さすがに身体への負担は大きかった。
久方ぶりの埃っぽい空気に顔を顰めつつ、大きなトランクを抱えてタラップを降りる。ギルド支部長からの依頼でピッケは航空偵察の為に居残り。ミラはユーリ少年への教育の為に居残り。久方ぶりの単身での旅は気軽さもあったが、不便も多く、何よりも退屈だった。
世界最大の駅舎の中は、多くの人で賑わっている。赤煉瓦作りの建屋の中に満員の人を詰め込んだそれは、まるで人を呼吸する巨大な生き物だ。自身も遠くはあれど、この巨大生物を維持するための働きバチの一人であったこと、そしてもはやそれは自分の仕事ではないのだと思うと、少しばかり感慨も湧く。
流れゆく人の流れを目で追いつつ、送迎馬車のロータリーに向かおうと踵を返した途端、声をかけられる。イズラハは驚きを隠せなかった。
「イズラハ・カリギリー第十三席ですね? お迎えに参じました」
「あなたは……」
見覚えのある顔だった。三年の間、内勤よりも各地への出張している期間の方が長い身ではあったが、直属の上司についている補佐官の顔は流石に記憶に残っていたらしい。見慣れた連盟制服に身を包む青年は、丁寧に一礼した。
「どうぞ、こちらへ。案内するよう仰せつかっております」
「どうやってこの列車だとわかったの? そちらへは連絡を入れていない筈だけど」
「私は案内役にすぎませんので。直接、お尋ねください」
慣れた手つきでトランクを預かり、イズラハに先だって歩いていく。コンコースを出て改札を抜けると、車止めには連盟のロゴ入りの高級馬車が停車している。豪勢な作りではあるが、無駄な装飾は無い。持ち主の趣味をよく表したそれが誰が頻繁に仕様する車であるのか、イズラハは嫌というほど知っていた。
「局長」
「まったく、好き勝手してくれるものだ。え? イズラハ君。どうやら私は監察官の職責の重要性を教え損ねたようだ。三年間たっぷりと教え込んだつもりだったが」
御者が扉を開けると、そこには鉄面皮に怒りの表情を滲ませる局長こと主席監察官シベール・コレット――イズラハの元・上司の姿があった。撫でつけたオールバックの白髪に、緑がかった瞳。連盟の上級社員にのみ着用が許される丈の長い詰襟のような制服を、一部の隙も緩みも無く着こんでいる。手には以前送った辞表が握られている。
「こちらからお伺いするつもりで来たのですが、まさかコレット局長自らお出迎えとは思いませんでした。いつから監察局は送迎馬車屋に商売替えしたんです?」
「どこかの阿呆がふざけた辞表など送りつけてこなければ、今頃こんな些事に出張ることはなかった。おかげでミレーゼのチェロの発表会に行きそびれた。業務上横領に近しい重罪だとは思わないか」
切れ長の目が、イズラハを射貫くように向けられる。
そのむき出しの装飾剣のような見た目と反して、局長の子煩悩は有名な話だ。もっとも、親の行き過ぎた愛情に当の娘はうんざりしており、何度か会っているイズラハはよく愚痴を聞かされていた。どんなに拒絶されても愛を失わないのは親としての美徳ではあろうが、行き過ぎた感情はいつだって毒だ。毎度のことに呆れながらイズラハは口を挟む。
「親馬鹿もいい加減にされては? 呼ばれてもいない発表会に行って、ミレーゼちゃんに泣かれても知りませんよ」
「貴様のような親不孝娘を引き合わせてしまったのが運の尽きだ。悪い影響を受けたのだろう。娘にとって最大の不運といっていい。あの娘はただ、私にだけ少しばかり素直でないだけだ」
「それを反抗期というんです。いい加減、娘さんの行事全てに参加しようとするのは諦めてください」
先ほどの案内役の青年に乗車を促され、イズラハは嫌々、馬車に乗り込む。
「お前がいると下らん話ばかりになる」
「局長が娘さんがどうとかいうからじゃありませんか」
大きく溜息をつき、シベールは本題を切り出した。
「で、辞める理由はなんだ。あの北の寂れた街で、商会なんぞ作って何をする」
「いやあ、一身上の都合で……」
「それで誤魔化せるとでも思っていたのか?」
じっと陰険な瞳で見つめられ、諦めてイズラハは口を開く。
「元々、家の面子の為に強制的に放り込まれた仕事です。勘当されてからは惰性で続けていただけ。いつかは独立しようと思っていました。ちょうど良く北部に縁が出来たので、退職したまでのことです。元々、担当を持たないのが監察官ですから、人が足りないのはさておき、別に私一人いなくても仕事は回るでしょう」
「御託はいい。それで?」
「それで、とは?」
「私は二度、誤魔化すなと言った。三度目はないぞ」
眼鏡の奥の目が細まる。この睨み一つで新人時代は震えあがったものだが、慣れた今となってはまだ最後の一線には遠いことを知っている。イズラハは一呼吸置き、言葉を探す。
「誤魔化しているわけでもありません。先に話したことも、ちゃんと理由の一部です。中央のしがらみから離れたくなったのです」
「それで、北か?」
イズラハは言葉を探して、人の行き来が絶えない大通りを見る。地面の石畳が見えないほどの人の数。人口が減り続けている地方都市とは異なり、フェリクスは人が増える一方だ。ダンジョンに土地が食いつぶされようとも、フェリクスだけは何とかなる。多くの人間がそう思っている。
大通りを抜けて住宅街に進む馬車から、黄金色の葉をつける大樹が見える。アージェントの尖塔の二倍もある大樹は、世界樹と呼ばれる。スコッパーズギルドの創設者エヴァン・ガントレットがもたらし、十氏族が協力して植え、育て、この街を作り上げた。人類の安息地となるようにと祈りを込めて。その祈りはフェリクスだけはダンジョンに侵されない、という神話と化し、数百年も続いている。明日がそうではないと誰も保証などしてくれないのに。
「ここにいて、連盟にいる限り、私はカリギリーの娘であることから離れられません。勘当されていようとも、どこまでいっても血は付きまとう。だから、地方で始めたいのです。人間が、ダンジョンへ依存しなくて済む方法を見つける為に」
「それは何の冗談だ? ダンジョンをこの世からなくすとでも? なぜダンジョンコアを破壊した後のダンジョンに、吸魔石などという物を設置する必要があるのか、お前はよく知っているはずだ」
シベールは言葉を切って、眼鏡を直した。
「ダンジョンは再生する。壁を壊しても、核を壊しても、あの穴倉は一度育ってしまえば、二度とそれが無かった状態には戻せない。それが常識だ。だから人類は、ダンジョンの最奥めがけて流れる第五元素を、魔鉱石の形で湧出するように吸って吐き出す装置を作り出した。サナンダン家がそれを為さなければ、この世界はとうにダンジョンに食いつくされている」
「大崩壊後の混乱を生き抜く為に、必要なことだったのは、私もわかっています。しかし、だからといって化け物の湧き出る鉱山を、金になるからと懐に抱えて生きるこの世は狂っている。そうは思いませんか」
「そうでなければ生き延びられなかったからだ。もはや地面を掘れば石油や石炭なんて便利なものが出てくる時代ではない。エネルギーはどうする? 鉱物は? 今更、鉄と鉛に戻れとでも?」
人類の歴史はエネルギーと資源の歴史だ。
木から炭へ。石炭から石油へ。核分裂から核融合へ。
青銅から鉄へ。銅からアルミへ。鉄からステンレスへ。
より身近に手に入るものを食いつぶし、科学技術という名の魔法が育つ時間を稼いできた。
だが、それは、一度退行すれば二度は戻れない片道切符の進歩だ。もはや人類の手近な領域に、安価でエネルギー密度の高い資源など存在しない。採掘しやすい鉱物は取りつくし、更に地の底へ、海の底へと延びていった人類の発展は、大海に空いた大穴を契機とした滅びに飲まれた。
シベールが語っているのは歴史の事実だ。一度手に入れた資産を、人類は絶対に手放さない。だからダンジョンに頼る。貧民の命で、魔鉱石によるエネルギーと資源を贖う。それが今の人類の姿だ。
第五元素は神からその存在を教えられ、扱う術を与えられたものであるが、扱えるのは人間だけではない。異世界からこちらの世界に現れた魔族も、ダンジョンの中の魔物でさえも扱う、諸刃の刃のようなエネルギーである。
「そうして、いつかダンジョンに喰い殺される。私は座して死を待つ囚人ではありませんし、多くの人間がそうだと信じています」
「ばかばかしい。子供の夢だ、それは……まさかこれほど青臭い考えの持ち主だったとは。多少は現実が見えている小娘だとばかり思っていたが、よく擬態していたものだ」
「これでも監察官ですので」
「元、な」
元部下の下手な皮肉に、シベールは鼻を鳴らす。
ありえぬ理想であることはわかっている。筋金入りの現実主義者である彼に対して、口に出すのも恥ずかしい理想だった。顔が赤くなりそうな思いだが、イズラハとて既に行動を起こした身であり、今更引き返すつもりもない。
妥協点の見えない、無為な言い合いを避けようと、イズラハは話の矛先を変えた。
「それに、北部の異常は見過ごせません」
「異常は、北だけではない。南では竜族の活発化と執政官令嬢の追放、西ではアジール家の内紛が激化、東は東部連合による第四次国土奪還作戦の失敗。中央は何もせぬ木偶ばかり。まあ、最後はいつものことではあるが」
「全ては北から始まっている、と私は思っています」
「根拠は?」
「時系列です。北部の森林地帯で山が幾つも燃えるほどの謎の大火が初めに起こり、次にフェリクスまで揺れるほどの地震が来た。そして冬将軍。全てはその年から始まっています」
「因果関係はどう立証するのだ?」
「勘です」
我ながらとんでもないことを言っている、とイズラハも思う。合理性の信徒である上司を説得できるような言葉ではない。
だが、確固とした予感があった。
あの雨の日、行かなければと思った予感。自分がアージェントに向かっていたこと、そしてユーリを助け出したこと、きっとそれには意味があるのだろうと。
心底呆れたという顔をしながら、シベールは口を開く。
「お前は、自分のことを救世主か何かだと勘違いしているのではないか? お前は都市の執政官でも、大陸都市連合の議員でもない。連盟の長でもない。ただの娘でしかない。少しばかり有名な血統書付きの、な」
「まさか、単なるしがない実業家志望です。今は。お金儲けをした結果、ちょっと世の中が良くなるだけです。食わせてやらなくちゃいけない社員もいますし」
公理と、私利。
火と水のように相反するその二つが、自分の中では混ざりあい、溶け合っている。公の為にならなければ仕事に意味はない。だがその為に私の全てを捨てては意味がない。全ては調和なのだ。
人の行いの天秤は常につり合いが取れていなければならず、でなければ誰の手も取ってはいけない。イズラハはそう信じている。
傷ついた子犬のような少年の幼い顔を思い出す。
呆れながらもついてきてくれる、凛々しい友の姿を思い出す。
彼らの未来や、子供たちが、ダンジョンに飲み込まれて死ぬ。
そんな未来の為に生きるのはバカバカしかった。
だから誓約したのだ。
あの日、少年と手をつないだ日。
あれは世界への誓約だった。宣戦布告だった。
いつか訪れる不条理に、くそったれと言いながら、拳を叩きつけてやる為の。
「……良い。寝ぼけた子供を相手にするのは、いささか疲れた」
はあ、とたっぷり溜息をつき、幾ばくかの間を置いた後、シベールはぞんざいに言い放った。
「休職という形にしておく。席は置いておけ。そのほうが何かと面倒もない」
「しかし」
「何をしたいのかは知らんが。何も連盟や都市に面と向かって喧嘩を売ろうという訳では無いのだろう? であれば置いておけ。辞めればカリギリーの一族方からの追求も厳しくなろう。逆効果だ」
呆れかえられただけかもしれないが、あっさりと引く男の姿にイズラハは訝る。要はこの会話は引き止めが目的ではなく、辞める意思の強さの確認の為だったのだろうか。
「”カリギリーの放蕩娘が、仕事に飽いて地方に引き籠った”。そのほうが体裁が良いと?」
「その通り。多少は自分というものがわかっているようだ」
馬車が止まる。外に目を向けると、そこはイズラハの貸家だった。ダーリントン鉄道連盟の本部でも、彼の娘の発表会が行われる音楽ホールでもなく。
「局長」
「休職中の人間に、本部をずかずか我が物顔で歩かれても体裁が悪いのでな。仕方がなく仕事のついでに、こちらから出向いたまでのこと。話は終わった。さっさと降りたまえ……ああそうだ、社章は預かる。他は持っておけ。回収も手間だ」
全ての連盟社員は、ど田舎の駅のもぎりに至るまで、社章を身に着けている。いかなる役職であっても外すことは許されない身分証明書である。
イズラハは用心の為にと外套の裏地にピンで括りつけていた社章を取り外す。輪と軌道、そして灯台をあしらったマークの下に、十三席の文字が刻まれている。彼女専用の社章だ。三年前、スコッパーとして家から隠れまわっていた彼女を縛り付ける為に与えられた楔。だが、この二十余年の人生の中で、最も多くを与えてくれた楔であったと思えた。
差し出された手に社章を載せると、イズラハは心からの感謝を込めて頭を下げた。
「拝命して三年。様々な事を教えてくださり、ありがとうございました」
「まったく――最初から最後まで、勝手に動き出す駒だったよ、君は。言っておくが、何かあれば辞表をすぐに受理される。守ってもらえるなどと思うな」
馬車の扉が開けられ、イズラハは降りる。部下に顔を向けることもなく、男は言い放つ。
本当に性格の悪い男だ。たった三年の間でも、何度も何度も何度も煮え湯を飲まされてきた。彼の人となりを心から慕う部下などただの一人もいないだろう。
だが、あらゆる悪意と奇異の目に晒される監察局において、誰よりも職務に忠実であり、誰よりも部下に対して公平な男だった。
「ありがとうございます」
「礼などいうな。気色悪い。上役としての責務を果たしているに過ぎん」
汚職や贈賄の一切を寄せ付けなかった硬骨漢であった。家柄を利用しろとは教えても、自身が家柄に阿ることは一切しなかった。上司として心底疎みながらも、彼の仕事からは多くの事を学んだ。
扉が閉まり、従者が再び馬車に乗る。発進しようとする車に、深く頭を下げつつ見送ろうとした。
「そうだ、忘れていた」
突然、シベールは馬車の小窓を開け、イズラハを手招きして顔を近づけさせる。
耳元で囁いた。
「昨日、調べがついた。アージェント支局長ダン・ニコラス・ストラグネル。アージェント都市政庁と、ダンジョンに関わる違法な企みが行われている可能性がある。注意しろ」
「局長、それはどういう――」
イズラハの言葉を遮るようにばたん、と小窓は締められ、馬車が走り出す。
トランクと女一人残され、早々と去っていく車を見送る。徐々に何を言われたのかを頭が理解しはじめ、思わず地団太を踏んだ。
「あんの親馬鹿陰険野郎……!」
頭に血が上り、先ほどまでの神妙な感謝の気持ちを全て投げ捨てる。
最初から、ただで休職させる気などなかったに違いない。辞めなかったのであればそのまま調査担当者として張り付かせ、辞めるのであれば員数外の外部協力者として仕立て上げる気でいたのだろう。
ああいう言われ方をされては調べない訳にもいかない。それを見越してのことだろうと想像がつくのが、尚更腹立たしかった。
拳を握りしめて憤慨していると、背後から柔らかい感触が振ってきた。
「まあまあ、そう怒んないでぇ、お姫様。キレイなお顔が台無しよぉ」
いきなり抱きつかれたことに驚き振り返ると、そこには激しく改造した連盟監査官の制服に、頭の両脇に髪を結い上げて多くのリボンで飾り、人形と見まがうほど顔に化粧を塗った小柄な女がいた。
「ちょっと! ルナーリア! いきなり抱きつかないでって何度も言ってるでしょう!」
「どおして勝手に辞めちゃうのかなぁ? 私たちにひとこともなくぅ? 人手不足だって知ってるよねぇ?」
「悪いとは思ってるけど、決めたんだよね、もう」
ルナージア・バステン。
ダーリントン鉄道連盟監察局第十五席。
変わり者の同僚の中でも、矢鱈に他人との物理的な距離感が近く、イズラハにとっても扱いに困る一人だ。それに困ったことに同期の仲でもある。厄介な血であること以外の勤務態度は優等生であるイズラハとは異なり、品行は悪い、奇抜なファッション、相手の性別に関わりなく性的関係の悪い噂も常に絶えない。何らかの縁故入社であろうと思われるが、同僚は誰もそれが縁なのかも知らない。謎とスキャンダルに満ちた、総務部の頭を悩ます不良社員である。
「もっとミラちゃんのもちもちのおしりも堪能したかったんだけどなぁ」
「やめて。次こそ斬られるから」
「あの子の怒り顔ったら、キレイでほんっとぞくぞくするのよねぇ。あ、もちろんお姫様もいい感じだよ、安心して」
不要な慰めだった。
あの真面目な友は、一度、この女の度を過ぎたセクハラに耐えかねて、本気で刀を抜こうとしたことがある。人の好き嫌いなど見せない麗人がエイリカの次には苦手とするのがこのルナーリアだ。イズラハは、どうしてこうも自分の周囲には変な女が寄ってくるのだろうと嘆く。
「で、なんでここにいるの、あんた。西部に行ってたんじゃないの」
「どっかの誰かさんがいきなり勝手にやめたせいで呼び戻されましたぁ」
「う、ごめん」
人事権を持つ上司に対しては何とかしろ、と強く出てみせることも出来るが、同僚からそこを突かれると返す言葉もない。素直に謝罪をすると、女はけらけらと笑った。
「局長がいろいろ会議の日程とか偽装してどこかに行くので追いかけてみたら、お姫様がいたのでラッキーって感じぃ」
奇抜な風体ながら、実は専門分野が諜報である彼女は、その手の監察官が使う偽装工作を見破る眼力がすさまじい。同僚のプライベートすら暴こうとするので同僚ウケは極めて悪い女だが、能力だけは一級品だった。
「で、お姫様ぁ、こっちに何日いるつもりなのぉ?」
ぐりぐりと首元に顔を寄せてくる女から身をよじって逃げようとするが、離れない。桃と苺の甘さだけを煮詰めたような香水が強く、触られるだけでも香りが移りそうなほどだ。ユーリ少年には絶対に会わせられないと思った。実に教育に悪い。
「四、五日で帰るわよ。色々手続きだったり、忘れ物を取りに来たりしただけ。まだ出来たばっかりの商会なんだもの。いつまでもほったらかしにしてらんないでしょ」
「ふーん……すこぉし予定伸ばしたほうがいいかもよ」
「はい?」
「局長から何か言われたでしょ。支局長がどうのって」
「あんた、知ってたの?」
「どーも結構ヤバそうな案件と絡みがありそうなんだよねぇ」
イズラハはその言葉に、思いっきり顔を顰める。
日常的に多くのトラブルを目にする監察官である。その職業にある者が”ヤバそう”と表現したら、その案件は特大の厄ダネであろう。
「あんたが来たの、局長からの指示?」
この接触自体があの陰険野郎の指金では、と思いイズラハがそう尋ねると、濃くマスカラが塗られた目が大きく見開かれた。
「んー? 違う違う、お姫様に声をかけたのはアタシの意思。アタシは元々、開発局の案件を内偵するように指示受けてただけ――それにねぇ」
イズラハの首にまとわりついていた入れ墨だらけの腕が消える。手を後ろに回し、悪戯っぽい仕草で女は振り返った。
「帰るおうちがぁ、丸ごとなくなっちゃっても困るでしょう?」
「……どういう意味、それ?」
元同僚の女は、全く目が笑わないまま、にこり、と口元だけで笑った。
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