#13 青きレーナ川
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石畳みの建屋の中は暗く、秋口の弱い陽光も部屋の全てを照らすには至らない。この街で最も高位の場所でありながら、まるで地下の遺構のようにすら感じられる。
ダンジョン内包型都市の場合、中央にはダンジョンがあり、政庁舎は中央からは離れた高台に設けられるのが常だ。守られるべき内と外が、大崩壊前の時代とは逆転している。アージェントも例に漏れず、街の東側を区切る第二層から立ち上る丘の頂点に、全体を見下ろすような形で都市庁舎を含む政治中枢が整備されている。警邏の衛兵たちがそこかしこに立ち、雑多な街の喧噪から離れたこの一角は、常に人に緊張を強いる場所ではある。
ダーリントン鉄道連盟に勤務して三十余年、このアージェントに飛ばされてから三年。未だに慣れぬ部屋の空気に、支局長ダン・ニコラス・ストラグネルは顔に吹き出る汗をハンカチで拭う。
石積みで作られた庁舎の最上階。彼にとっては最も重要な仕事の現場であり、最も足を運びたくない場所でもある。原因はいうまでもなく、彼の目の前に坐る部屋の主の姿にあった。
「ご協力に感謝を申し上げます。おかげを持ちまして、無事に”荷”の搬入を終えることが出来ました。場所についても広さ、設備共に十分と、呼び寄せた研究所の者たちも喜んで――」
「お互い暇な身ではなかろう。本題を述べたまえ、支局長殿」
掠れて力のない老人の声が、男の耳朶を打つ。
「では、これからの段取りについてご説明を差し上げたく。現在、対象とするダンジョンの選定を行っております。我々の研究員を含めた調査団が、スコッパーを装って各所の規模と確認を行う予定です。もう四、五日の間には、結果が出るかと」
「それで、必要なものは何か」
「は。先の騒動で、こちらの想定以上にスコッパーの数が減っております。”決行日”には、周辺警戒と掃討を含め、都市警備軍を動員いただきたく」
「よかろう。調査についても邪魔が入るようなら、使って構わん。ギルドの輩には腹を探られすぎぬように。あの男、最近何かと小うるさい」
「はっ、留意致します」
スコッパーズギルドのアージェント支部長の?せこけた顔を思い出し、男は顔を伏せる。彼と彼に付き従う者たちの正義漢ぶった振る舞いのおかげで、計画は何かと進めにくくなっている。一年以上をかけて入念に準備を進めてきた計画を、英雄ぶりたいスコッパーの分際に乱される訳にはいかなかった。
「しかし、探るといえば――荷の護衛についた監察官が、職を辞していきなりこの都市に移住したのは驚きました。我々の動きが気取られているのかと」
「ふん。カリギリーの家の者だったな? まったく、勝手をしてくれる。世界は己が庭だとでも思っているのだろう。奴輩は」
部屋の主人は、苦々しげにパイプから口を離し、強く打ち付けて灰を落とす。
苛立つ主をなだめるかのように、部屋の主人の隣に立つ男が口を挟む。
「しかし、今のところ、こちらを探る様子はありません。子供を雇ってスコッパーに仕立て上げる為に訓練をつけている他は、大崩壊前の遺物の商いを始めようとあれこれ動いている様子ですが、その程度です」
「道楽か。ならば良い。捨て置け」
「よろしいのですか?」
「”荷”が、貴殿らが囀る通りのものであれば、恐れるものは何もなかろう? 小娘一人、やりようなど幾らでもある」
「は、それは勿論」
腕の立つスコッパーの一人や二人いようとも、彼らが目指すものにとっては路傍の石と変わらない。やんごとなき血筋といえど、親から見捨てられた係累であれば、目の前にいる老人に罪を押し付けさえしてしまえばどうとでもなる。危ない橋だが、少なくとも男にとっては、渡り切った先に眠る黄金のほうが何倍も価値があった。
「まあ良い。些事は政務官と話すがよい」
傍らに控える初老の男が頭を下げる。
「それでは、ダンジョンが決まり次第、お知らせを――」
「どこも適さないというのであれば。ここでも構わん」
支局長と呼ばれた男の手が止まる。
背筋にひやりとした汗が伝う――――目の前にいるこの老人はいま、何と言った?
「――は? は、はは、いえ、お戯れを」
「戯れ。そうだな、戯れだ」
「はははは、これはこれは、その、お戯れに気づけず……では、私はこれにて失礼を」
老人は何の面白味もなさそうに煙をふかし、窓に目をやる。男は慌てて部屋を出ようと頭を下げ、椅子から立ち上がった。
「待たれよ」
そこに老人のしわがれた声がかかり、男は動きを止めた。
「例の荷だ。名は何と言ったか」
「ブラウレーナ。古き西部の言葉で、”青きレーナ川”という意味にございます」
「そうか」
それきり、部屋の主人は口を閉ざす。
気まぐれか、はたまた痴呆の始まりであるのか。真意を掴めず、男は戸惑いながら一礼をして、逃げるように部屋を辞した。
部屋を出ていく男の姿を見遣ることもなく、老人は窓の外を眺めていた。
青きレーナ川。
この部屋からでも、その威容はよく見える。老人が生まれてからこの方、かの大河の流れを見ることなく一日を過ごしたことはない。
だからどうだというのだ、と老人は自身が吐き出した煙に揺れる河を眺める。
故事にならって恰好をつけたつもりなのだろう。
革新的な事業である、と口から泡を飛ばしながら説明に来た研究者どもの顔を思い出す。
敏く、己らの行いこそが世界を変えるのだという傲慢に満ちていた口舌の音を思い出す。
万学に通じながら、一理すら得られぬ道化の賢者たちの姿を、思い出す。
子供なのだ。
世界が残酷で苦いものに満ちているということに、備えることが出来ていない。
老人には、ただただ煩わしかった。
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