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#17 まだ息をしていたのか、恥晒しめ





 イズラハは未だに中央都市フェリクスに足止めされていた。

 あれだけセンセーショナルに煽っておきながら、当のルナーリアは何を問いただしても、のらりくらりと煙に巻く始末。北部に行く準備をつけたら連絡すると一方的に伝えると、さっさとどこかに行ってしまった。


 仕方なく、セーフハウスとして最低限の生活が出来る家具だけ残した元の貸家を拠点に、フェリクス中を飛び回ることにした。

 イズラハはミラに郵送で帰りが遅れる旨の手紙を出すと、まず自身が持つ情報源を活用しながら調べに入った。腐っても世界の首都たるフェリクスである。情報が最も眠っている街であることには疑いようもない。


 が、北部で誰かが悪だくみしている、連盟の支局長が関わっているかもしれない、と憶測じみた情報だけでは、まるで一向に調べがつかない。監察官時代の情報網も、連盟を辞めた人間とは付き合いたくないのか、連絡がつかない者も多かった。それどころか、何かの諜報組織の構成員と思しき者からの尾行すらつく始末だ。


 警告のメッセージか、ただの囮か。


 シベール・コレット監察局長は、イズラハに情報をほのめかせば、このように動くと見据えて動いている筈だ。癪ではあったが、踊らされてやる他ない。

 諦めて帰ろうかと思ったこともあったが、アージェント方面の列車は旅客輸送が不安定になっており、未だに切符が取れていなかった。

 こんなことなら大鷲のピッケを連れてくるべきだったかもしれない、とも思う。彼がいれば、休み休みではあっても馬より早く帰ることは出来る。だが、苦境に陥ったアージェント都市に航空偵察の助けは不可欠だ。こちらからの申し出にも関わらず、やはり受けられないと返答していては、ギルドとの関係も悪くなっていただろう。何事もままならない。


 想定をはるかに上回る長い不在となってしまい、焦る気持ちは募っていく。

 その間にフェリクスに赴いた本来の目的である、アルカディア商会としての用向きをこなしていった。エイリカに整備させた前時代の遺物レリックの販路開拓を進め、用事はあと二つを残すところとなった。

 

 まず赴いた一つ目。

 広大なフェリクス都市の郊外、小高い丘の上の小さなぶどう園のただ中に、大叔父の邸宅はある。

 ぶどう園を持つ貴族は多いが、大半が饗応と趣味の為のワイン用であり、変わり者の大叔父は甘いものが大好きで、種無しぶどうを使用人を雇って生食用として栽培している。

 丘の上に広がる低いぶどうの木々を見ると、幼い頃、親族会議に訪れた大叔父からもらうぶどうは子供たちに大人気だったことをイズラハは思い出す。


 突然の来訪にも関わらず、連盟の制服を着ていない又姪の姿に男は喜んで応接室に案内した。


「そうかね。ついに独立することにしたかい」


 革張りのソファに座り、出されたハーブティーをいただく。ぶどうと共に育てられているヒソップなのだろう。少しクセはあるが、清涼感のある香りが清々しく喉を通っていく。


「叔父様に勇気づけられましたから」

「うーん、悪い影響を与えてしまっているようだねぇ。クレナからどやされそうだ」

「もう手遅れではありませんか」


 交わす言葉は気安い。この形式に囚われない優しさが、この大叔父の美徳だった。


 部屋の内装も、風変りな大叔父の趣味が存分に反映されていて、一般的な絵画や調度品の類は一切ない。

 大叔父が愛する、大崩壊前の機械文明時代の名残である機械の骨董品が置かれ、壁際を埋め尽くすのは何かの商品を宣伝するポスターである。生真面目な貴族であれば馬鹿にされているのかと激怒されてもおかしくない猥雑な空間である。


 だが、その猥雑さの中にも一本筋の通った美学と品があり、イズラハはそこが好ましかった。雑多ではあるが、野卑ではない。大叔父の性格をよく表している部屋だと思った。

 

「大崩壊前の遺物の販売ね。もちろん大歓迎だ。うちの商会も最近は東部と西部から仕入れが細っていてね。北部からの供給が多くなるというなら、大歓迎さ」


 北部から遺物を仕入れるので、販売をお願いしたい、という又姪からの頼みに、大叔父は頬を揺らして喜んだ。心配していた訳ではないが、その様子を見て一安心とイズラハは一息つく。


「しかし、目利きと分別の作業はどうするんだい? 発足したてとはいえ、仮にも商会長になるのだろう? 君一人で全て行うのかい?」

「その……サナンダン家の末娘に協力してもらおうかと」

「それはいかん」

「あくまで、鑑定と清掃だけです。彼女が弄り回した遺物を大叔父様にお渡しすることはありません」


 一気に曇った顔を見て、慌ててイズラハは補足を加えた。


「うちに連れてくる気はなかろうね?」

「いえ、さすがに大叔父様のご機嫌を損ねたら、私の独立もパアになってしまいます」

「それならいいが」

 

 ふっくらとした福顔の眉根が寄せられる。

 エイリカとこの大叔父の相性は、似たようなものを愛するところから一見良いように思われたが、実は壊滅的に悪い。


 大叔父は古いものはそのままの状態で愛する。

 エイリカは古かろうが新しかろうが、自分の手で好きなようにいじる。


 その昔、骨董品を見たい、と騒いだエイリカの為にこの屋敷に連れてきたところ、あの女はいつの間にか館中を歩き回り、長年ため込んだ大叔父のコレクションを好き勝手にいじりまわした。復旧不可能なほどに破壊の限りを尽くし、数少ない名誉出禁者となったのがエイリカである。

 

「しかし連盟を突然辞めて北部で独立とは。大人としては若者たちの無茶に、一言偉そうな小言でも垂れるべきなのだろうがね」

「大叔父様が言っても、説得力がありませんよ」

「だよねえ。ははっ」


 そう言って大叔父はあっけらかんと笑った。

 二十年前、まだダーリントン鉄道連盟の盟主がイズラハの祖父であったころ、カリギリーの一族内部で起きた権力闘争に嫌気が指して出奔したのが大叔父だ。

 早々に不干渉を宣言し、フェリクスの郊外に骨董品を扱う商会を立てた。カリギリーの資本を入れずに商いを続けてきた叔父の存在が、独立を志向していたイズラハには大きな影響を与えた。

 イズラハにとっては、親族の中でも唯一といっていい、味方の一人である。


「ところで、最近、何か変わったことはありませんか?」

「ん? えらく要領を得ない聞き方だね。私の身辺のことかな? それとも商売の?」

「両方です。出張づくしからの北部行だったので、まったく情報に疎いのですよ」


 大叔父は、遺物の好事家たちの集うサロンの主催者だ。趣味人だらけで政治力などまるで無いが、その分、変わった人脈を持つ。これまでろくな情報を仕入れられなかった分、藁をも掴む思いでの質問だった。

 ふむ、と考え込んだ末に、男は答えた。


「変わったことね。あるとも」

「それはどんな?」

「どこだかの都市のお貴族様の趣味で、という話だが、自動人形の買い付けを行っているクランがあるようでね」

「自動人形?」


 耳慣れぬ単語に、イズラハは首を傾げた。


「大崩壊前の遺物だね、人を模した機械仕掛けの人形だよ。ほとんど人のような真似が出来たらしいが、完全な状態で残っているものはもう無いね。大崩壊直後の魔物との戦乱で真っ先に消費されてしまったらしいが」


 嘆かわしいことだ、と溜息をつく。


「古い自動人形を探しているようだ。隠しているようだが、どうにも連盟の息がかかった連中であるらしい」

「その自動人形というものは、今でも何かに使えるものなのですか? それとも好事家向けのアイテムなのでしょうか」


 ふむ、と大叔父は顎に手を当てた。


「君もこれから関わることもあるだろう。実物を見せようか」


 ついてきたまえ、という大叔父の後を追って、イズラハは応接間から出る。

 貴族らしからぬ造作で、工作室、と素っ気ない看板がわざわざ下げられた部屋の扉を開けると、そこはまるで小さな工場のようだった。所狭しと機械と何らかの部品が詰め込まれ、残骸が転がっている。およそ貴族の邸宅の一室とは思えない。

 

「これだよ」

「おお……」


 部屋の片隅にあった等身大の布を取り払うと、そこには無機質な白く光沢のある肌をした人形が直立していた。台座の上に立ち、腰には立たせるための支柱がはめ込まれている。ガラスでできたゴーグル状の瞳には光がなく、


「これはかなり完全な形で残された、本当に珍しい例だ。大体は残骸の形で戦場跡から出土される」

「これ、動くのですか?」

「いや、動力源が完全に死んでしまっているし、制御の方法も”コンピュータ”を失った我々には扱えない代物なんだ。制御する為の機構自体は残されているが」


 そういうと、叔父は人形の背中をぱかりと開け、イズラハを手招きした。退色した線が絡んでいる向こうに、手のひら大の緑の板がはめ込まれている。イズラハも知識としては知っている。電子基板という代物だ。多くが経年に耐えきれずボロボロに朽ちたものが大半で、ここまでキレイな緑を保ったものは珍しい。


「こんなに綺麗な状態で残っているなんて」

「さすがにこれはレプリカさ。私が形ばかり復刻させたものだよ」

「叔父様の技術でも無理なのですか?」

「まるでレベルが違う。薄い銅箔を電気の通り道にしながら、まつ毛よりも細く小さいガラス繊維に、樹脂を混ぜ込んで、薄紙よりもはるかに薄い絶縁性の塗膜を何枚も塗り重ねる。こんな芸当が出来るほど、我々は機械文明を復興できていないねえ」

「”再発明”すら遠い代物なのですね」


 大叔父は、そうとも、と頷く。

 いかに大崩壊といえど、人類の全てや、書籍の全てを葬り去った訳ではない。かつて存在した電気と機械の文明の名残は残っており、存在したことはわかっているが、今の人類の技術力では到達しえなかったもの。これを復興させることを、”再発明”と呼ぶ。


 砂鉄や魔鉄鉱から鉄を作る、たたら製鉄。

 大豆や植物の葉からとれる油でできた蝋燭。

 馬車の乗り心地を劇的に向上させた、サスペンション。


 石油と電気を失った人類が、再発明を強いられたものは数多い。

 そうした再発明を生業とする研究機関や好事家に、各地で発掘された大崩壊前の遺物を売り渡すのが大叔父の会社、フルートアンドマン商会の生業である。


「話が逸れたね。まあ、こういうもので大昔は人形を制御してたのさ。でも、どんなに精巧な魔法印でも、人の代わりができるほど精密で複雑な制御は出来ない。十氏族の中でもそんな権能持ちの話は聞いたことがないね」


 人形の背中を閉じながら、大叔父は語り続ける。


「だが、古い自動人形の中でも、一部の高性能なものは、数百年たっても可動部がまだ動くものがある。どんな原理なのか全くわからないが、錆び一つなく関節が曲がるものがごく稀にあるのだ。彼らが捜しているのはその手の動かせる自動人形らしい」

「きっと、今を生きる我々には想像もつかないような技術なのでしょうね。錆びない金属、軽くて強靭な躯体に、自動制御技術」

「大崩壊から数百年。第五元素という新たな力を与えられても、我々はまだまだ旧時代の影すら踏めていないのだ。一部の人間がこれを独占して、広く恩恵を世の中に行き渡らせることが出来ていない。悲しいことだがね」


 大叔父はそう言いながら、深く溜息をつく。

 友であるエイリカも良く語ることではある。

 第五元素は便利な力だが、その力の大小は扱う人間の適正に依存してしまう。だからこそカリギリーやサナンダンなどといったごく少数の家が、貴族として扱われるような世の中なのだ。


 一方で、旧時代の機械文明は、今とは全く異なる発想と技術でもって進化の樹を伸ばし続けた。より多く、より広く、より小さく、より万人にとって便利に。数こそが力の源泉だったのだろう。

 その時代の残滓が、イズラハには眩しく見える。


「単純な機構だけなら、真似をすることは出来る。一定の速度で歩く、走る、止まる、それくらいなら、魔法印の技術を工夫すれば出来る……らしい」

「らしい?」

「かなり高度な技術なのだよ。ちょっと筋力を強くする、という単純な強化印とは訳が違う。私もどこぞの都市軍と関わりのあるクランが研究している、という噂だけでしか聞いたことがないね」


 弓や投石といった単純な動作でしかできないものでも、無人の兵士を作れるというのであれば需要は幾らでもあるのだろう。

 特にダンジョンという環境は狭い。後先を考えなければ、大量の投石によって圧殺してしまうのが最も早道なのだ。尤も、そうして道が詰まってしまった場合、その石を取り除かなければダンジョンの魔物は氾濫し、いつしか大変なスタンピードとなって地域を食いつぶす。

 大叔父は、自身の人形を見やりながら、つぶやく。


「その、今でも関節が動くという自動人形。何に使おうとしているのは知らないがね。どうもろくでもない匂いがするねえ」


 北部。アージェント。連盟支局長。自動人形。


 いったいこれらが何を意味するのか、イズラハには皆目見当もつかない。


 ただ、何かが動いている。

 只人には悟られないよう、深く、静かに。


 最後の用事を済ませ、早々にアージェントに帰ろう。

 無機質な人形の相貌と相対しながら、イズラハは決意した。







 フェリクス行、最後のピースを受け取りにいったのは、次の日だった。

 最後の訪問先は、技術顧問として招く予定の友が待つ、サナンダン邸である。

 だいぶ遅くなってしまったが、出不精な友を拾いにいこうとフェリクスの高級住宅街の外れにある邸宅を訪れたところ、応対に出てきてくれた執事長からの返答はまさかのものだった。


「――は? いなくなった?」

「ちょうどイズラハ様からお手紙が来たとお伝えしたその日には。いつも通りお部屋の前にお食事をお持ちしたところ、昼餉が夜になってもドアの前にありましたので、ご不興を被るのを覚悟しながら、お部屋を開けたところ……」


 ぴらり、と執事長から手渡された紙に書かれていたの一言だけ。

 探さないでください。

 実に古典的な置手紙であった。


「てっきり私どもはイズラハ様の元におられるとばかり……」


 子供っぽいと言われることを何より嫌うサナンダン家の問題児は、既に成人を過ぎたというのに、家族と喧嘩をするとよくイズラハの貸家に逃げ込んでくるのが常だった。


「旦那様と奥様にもご相談したのですが、好きにしろの一点張りで……」


 エイリカの両親は、変わり者の多いサナンダン家にしてはだいぶ常識的な人物である。

 そういった人物であるからこそ、一族の舵取りを任されたのだろうが、癖の強い家々をまとめる労苦は大変なものなのだろう。そして娘はアレだ。両親の苦労は察して然るべきだった。


「昔はそれはそれは素直なお子でいらしたのですが、幼少のみぎりに高熱を出されて目覚めて以来、どうもあのような奇行が目立つ有様で」


 さめざめと無く執事長の姿を見るのもこれが初めてではない。面倒見の良い執事長は、諦めきった実の両親に代わり、なにくれとなくあの変人の面倒を見てきた祖父代わりの存在だ。

 昔より更に増えた白髪を気づかわしげに見て、優しく言葉を掛ける。


「私のほうでも探してみます」

「どうか、イズラハ様だけが頼りです。何卒お願い申し上げます」


 執事長からの丁寧な一礼を受け、イズラハは辞した。


(お宅の娘さんを拉致ってこうとしてた身です、とは言えない)


 エイリカへの手紙では、アージェントに居を構えたから迎えにいくので待つように、とまでは伝えている。

 虫の居所が悪かったのか、両親から嫌味を言われた後だったのか。待ちきれずに飛び出したのだろう。自由奔放な彼女らしい振る舞いではあったが、まさかここまで梯子を外されるとは思わなかった。

 

(まあ、いっか。明日の便でさっさと帰ろう。執事長さんには道中で見つけたからこちらで保護する、と伝えておけば言い訳も立つし)


 ようやく取れた切符の片方が無駄になるのは仕方がない。あれ以来、姿を見せないルナーリアに押し付けるのも良いアイディアだと思った。

 今後の算段を思案しながら、門扉に向かって歩いていく。


 すると、門前に一台の見慣れた紋章を掲げた高級馬車が止まり、門扉が開かれた。

 開けられた扉から降りてきた女性は、恐縮した様子で応対に出た警備員に何事かを伝えると、立ち尽くすイズラハに目を向けた。

 見覚えのある切れ長の瞳が、すっと細められる。


「――お姉さま」


 イズラハの実の姉、アガリエル・沙李衣・カリギリー。

 このフェリクスへの滞在期間中に、最も出会いたくなかった人物のうちの一人に出会ってしまった。

 かつかつとヒールが石畳を叩く音を立てながら、ダークグレーと鮮やかな赤のデイ・ドレスに身を包む怜悧な美貌が近づいてくる。

 一切の情を感じさせない瞳でイズラハを見据えると、蔑む様に唇を開いた。


「まだ息をしていたのか。恥晒しめ」

「ッ!」


 遠慮も呵責も無しに腕が振りぬかれ、張られた頬が痛い。視界が白ばむほどの衝撃に思わずたたらを踏んで耐える。


「せっかく与えられた仕事を放り出して、北に逃げ出したときいた」


 一切の感情のない声が、上から降ってくる。

 イズラハにとっては慣れ親しんだ声だ。この姉から、何かを褒められたり、暖かい言葉をかけられた経験など無い。


「貴様は恥だ。我が家から出た汚物め。あのお母さまの胎から生まれたとは思えぬ」

「……お姉さまはこちらには何用で?」

「貴様には関係無い」


 名門フェリクス貴族高等学園を主席で卒業、高名な槍術の師に槍を教われば免許皆伝。

 預言者の十氏族が一つ、チューダー家から入り婿をもらい、既に二児の母でもある。育児は家人に任せながら、自分はダーリントン鉄道工業の専務として、大企業の経営に携わる。

 文武双方において、さらに人としても。

 イズラハはこの姉に勝てる者が、ただの一つもありはしなかった。


「私は貴様を呼び戻すことには反対だった。きっとこのように与えられた仕事に泥をかけるからと。やはりこうなった。この三年で多少はマシになったかと思ったが、屑はやはり屑のままか」


 母に似た怜悧な美貌は、子を産んでからも何一つ衰えるところはない。実の妹を睥睨する、その冷厳な瞳の鋭さも。

 自他ともに厳しい人間であるが、彼女がこれほど苛烈に当たり散らす人間は、この世にイズラハしかいない。


「同じ血が流れていると思うだけで吐き気がする」

「……」


 この姉から呪いの言葉を吐かれるのは慣れたものだ。じっと黙ってやり過ごすことで、何発かは殴られてもやり過ごす事は出来る。

 不出来な妹の存在そのものが許せない人間に、失敗作であるイズラハが何を言っても無駄なのだから。

 じっと黙して罵詈雑言の終わりを待つ妹の姿に苛立ったのか、更に暴言の度は増していった。


「父もお爺様もなぜこのような不良品を作り、育てたのか。見識がないにもほどがある。さっさと縊り殺して次の子を作ればよかったのだ」


 ぎりっとイズラハは奥歯を噛み締める。自分のことはいい、どれだけ言われても慣れ切っている。だが、父と祖父については別だった。


「父上もおじい様も関係ないでしょう……!?」

「何を賢らにこちらを睨みつけなどできるものか、理解に苦しむ。貴様が我が家に何をしたのか、忘れたとでも?」


 研ぎ澄まされた宝石のような瞳が細められ、瞳孔が紅色に染まる。カリギリー家の一部の者に現れる、本気で怒りの感情を抱いた際に出る症状だ。この瞳に睨まれると、イズラハは心臓が鷲掴みにされたように苦しくなる。

 この人がいる周りでは、自分は生きていくことが出来ない。

 息をすることさえ許されない。

 会う度に、その事実だけを再確認する。


「二度とその面を見せるな、穀潰し」


 その言葉を背に、逃げるように姉の前を離れ、門前に待たせていた送迎馬車に乗り込んだ。


 己の身体をかき抱く。

 寒い。早く帰りたい。

 それ以外、何も思いつかなかった。


 ごうごうと深海で鯨が這いずり回るような音が駆け巡る頭を、革張りの背もたれに押し付ける。ひんやりとした感触はあるが、落ち着く事はなかった。

 耳鳴りが収まらず、声をかけてきた御者の話は聞き取れない。イズラハは適当に相槌を打つ。馬車は走り出した。


 帰ったらどうしようか。

 そうだ。

 白い子犬を撫でて、ミラとユーリ少年と一緒にお茶をしよう。


 良い茶葉を手土産にしよう。いや、茶葉だけではだめだ。ピッケへの土産も必要だ。何がいいだろうか。大鷲族は肉食を嫌うから、フェリクス名物のりんごが良いだろう。


 大した時間を過ごす事なく、家を長く空けてしまったが、土産次第では許してもらえる筈だ。隣人のモランおばさんは、焼き菓子が上手だ。頼んで多めに焼いてもらえばよい。クッキーと、かわいらしい貝型のマドレーヌがいい。


 あの二人は真面目すぎて、思い詰めそうなところがある。だから自分がからかって笑かしてやらなければ。

 あの屋敷に茶器はあっただろうか。

 いや、無ければ三人で街に買い出しにいくのもいい。あいさつ回りと訓練だらけで三人で集まる機会がなかなか取れなかった。経営者としてはありえない体たらくだ。そう、そうしなければならない。これは福利厚生の一環なのだから。休みを与えて、労ってやらなければ。


 妄想は甘やかだ。現実の苦味を忘れさせてくれる。


 北の果てではあるが、今の自分には帰れる場所がある。


 それだけが彼女にとっての救いだった。




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