#16 お前は、オレの敵か?
†
ミラが北部第三都市アルゲンに旅立ってから、早くも九日が経った。
運悪く、ミラが出発する前日に、魔獣による影響で線路に不具合が出ていると連盟から新聞発表があった。旅客輸送が不安定のため、場合によっては足止めや馬車での振替輸送に切り替わるという。
下手をすると往復で二週間近く留守になる、と言づけて、彼女は更なる北の地に向かっていった。
スタンピード以降、北部の物流は混乱し続けていて、スコッパー向けの備品や薬も欠品が出始めている。都市がダンジョンを管理し損ねた弊害は社会のあちこちに噴き出て、改めてユーリはダンジョンと世界の繋がりの深さを意識させられることとなった。
中央にちょっと顔出してくる、と告げて以来、長らく主人であるイズラハの姿も見ていない。
何某かの問題が起きたとの話はミラ伝手に聞いてはいるものの、そのミラも不在となり、発足したばかりの商会だというのに上位者が誰もいないという状態である。
最後の頼みのエイリカは風呂にも入らない、食堂にも来ないの体たらくで、館唯一の使用人の娘は涙目になりながら世話をさせられている。だがユーリの身体に残った半端な強化印をどうにかしようと研究中だと言われては、何も言い返せない。使用人の娘には何か甘いものでも差し入れしようとユーリは思った。
心細くはあったが、ピッケもドランも何くれとなく気を回してくれており、寂しさはない。何より、約束した以上、いつまでも師匠の背中に隠れる子供ではいられない。ユーリはこれまで以上の熱心さで、ダンジョンに潜り続けた。
不幸中の幸いか、間引き依頼の人手は常に足りていない。ミラと帯同ではなく、ユーリの七等級の資格ではこれまでのような単独行は許されないが、ユーリのような駆け出しでも放り込まれる任務は大量にあった。
「おう、小坊主、今日もか」
「はい、よろしくお願いします」
ギルドホールに集まった間引き隊の隊長にユーリは一礼し、隊長と仲間たちは鷹揚に頷いた。
当初こそユーリのような子供の参加を嫌がるスコッパーも多かったが、ガリべルの口利きと連日の参加のおかげで、スコッパーたちの態度も嫌々から当たり前に変わりつつある。
「精が出るな」
不審者や魔物に対して警戒するために、ダンジョンの入口前には都市警備隊の詰所が置かれている。すっかり顔見知りとなった年かさの警備兵も、声をかけてくれるようになった。今までは歯牙にも掛けられていなかったが、連日生傷を作っては潜りを繰り返す子供の姿に絆されたのか、その声は優しい。ユーリは目礼を返し、数名のベテランと、それらの荷物持ちとして雇われた小間使いたちに遅れないよう、粛々と歩を進める。
アージェント中央洞窟は、螺旋状に地に潜っていく通路と大広間を繰り返す、天然の大迷宮である。岩盤の様相が変わるごとに分類された、上層、中層、下層、ダンジョンコアのある深層の四層構造。疲労による生還率低下を避けるため、一つのパーティがダンジョンに潜れる時間は、最大でも五時間までと厳しく定められている。一日では上層の十分の一も掃討しきることは難しい。小さいダンジョンなら二、三パーティでかかれば一度で済む間引きも、大きなダンジョンであれば大勢で何日もかけて行うのが常だ。
魔物の氾濫を抑え発掘隊の安全確保の為に間引き任務が発行され、それが完遂されると発掘隊が出発する。この洞窟が出来て、城塞都市アージェントが完成して以来、数百年変わらない光景だ。
ユーリのような駆け出しの七等級のスコッパーや怪我をして第一戦から退いたベテランは、上層から中層までを担当するのが常だ。魔物が弱い層の間引きを行い、魔物が溢れかえるのを防ぐ。
ダンジョンコアを吸魔石に置き換えることでダンジョンの拡大は抑制できても、魔物の発生は防げない。都市と周辺地域の安全は、スコッパー達の命によって贖われていた。
それでもいい、とユーリは思う。
そんなチャンスがなければ、貧民たちは飢えと寒さと魔物に怯えて、明日への希望も抱けずに死んでいくしかない。
それに、真摯に戦い続ければ、周囲は少なからず見てくれていて、反応は変わっていく。師の名を汚さない為にも、手を抜く訳にはいかなかった。
「――シッ!」
色素の薄い体毛を揺らして猛る洞窟猪の突進を避け、呼吸は軽く、鋭く、剣を振り切る。その余勢をかってもう一閃。自分には師のように、頭骨を丸ごと両断する斬撃の切れ味は無い。その事を理解しているユーリは、敵の前足を刈って動けなくした後、首を狙う。狙いは上手く行った。
前衛が討ち漏らした一体を手早く片付けたユーリに、冷やかすように隊長から声がかかる。
「ほう、小坊主。一端に使えるようになってきたじゃねえか」
「ありがとうございます」
毎日のようにダンジョンに潜り続ける内、自然と顔見知りになっていったスコッパー達も、単なる足手纏いではなく、戦力の一員として認め始めてくれていた。 揉め事を起こさない、嘘をつかない、自分の担当は精一杯仕事する、報酬は小間使いへの報酬を除いた出来高のみ。
当たり前のことを人一倍当たり前のようにやれ、がミラの教えでもあった。今のユーリにとって、師の言葉は絶対だ。裏切るわけにはいかない。
ガキはガキでもまともなガキ。そう思ってもらえたことは大きな進歩だった。
大人たちには、少しづつ仲間入りできつつある。
だが、問題もあった。
「これ、入れておいてくれ」
「……」
己の担当の荷運び役としてあてがわれた子供に、牙を渡す。返事はない。ぶすっとした顔を隠そうともせず、手に触るのも嫌だとばかりに受け取ってすぐ背嚢に放り込む。
(なんだかなぁ……)
荷運びを担う小間使い達から受ける視線は、敵愾心が強い。
彼らと一緒に小間使いとして仕事をした経験は無い。
だが、荷物持ちがスコッパーに成り上がるとやっかまれるのは常の事だ。元々、自分たちと同じかそれ以下にすら見える子供が、後ろ盾を運良く手に入れてスコッパーの真似事を始めた。彼らからすれば、鼻持ちならないズル野郎、ということだろう。ここまであからさまな態度は出さないが、ユーリとて同じ立場であれば、平常心ではいられなかったかもしれない。
弱者の嫉妬というのは魂にこびりついて離れない業病だ。
自分の人格が損なわれるとわかっていても、それは常に魂の隣にある。
ミラがいた頃は戦利品の確保よりも戦う術を身に着ける訓練が主で、小間使いを雇ってはいなかった。雇ったとしても、ミラへの恐怖心から露骨な嫌がらせはできなかっただろう。
先を行くスコッパーたちの後ろについてくる小間使い達の集団の陰口は、声を潜められていてもユーリの耳には届いてくる。
だが、こんなところでは止まれない。まだ何一つ成し遂げてなどいない。未だ遠い師の背中を思い描けば、有象無象の周囲の視線など気にならなかった。
ユーリは鉄剣を鞘に戻し、前だけを見据え、スコッパー達の背中を追って歩き出した。
「オレたちと変わらねえガキのくせに」
「すましやがって」
強い妬みの目には、気づかない振りをしながら。
†
破綻は、存外に早く訪れた。
次の日、上層の奥へと到達した間引き隊は、中層へと続く階段の前で相談したのち、引き返すこととなった。練度の問題もあるが、戻り時間を考慮すれば時間切れが近かった為だ。
パーティが踵を返し始めたとき、何かが弾けるような音と複数の物音がして、最後尾にいた小間使いたちが騒ぎ始めた。
隊長は魔物が現れたわけではないらしいとわかると、気をつけろよ、と声だけかけて、他のスコッパー達を引き連れて帰っていく。
ユーリだけが踵を返して近づいた。騒ぎの中心にいたのが、昨日と同じユーリの荷物を持った子供だったからだ。
「どうした」
声をかけると、へらへらと笑いながらユーリの荷物が入っていたはずのマジックバッグの残骸を指さす。
「マジックバッグの金具が吹き飛んでよ、階段から下に素材の中身が落っこちまった」
「落っこちた?」
「ああ」
「全てか?」
「残ってるのはこれだけだ」
今日は洞窟猪のチャンバーをつぶしたので、かなりの量の牙としっぽ、魔物の体内で作られる魔石が回収できていた。それが、今や子供の両手に抱えられる程度の素材しか残っていない。
マジックバッグは、その印が刻まれた袋に穴が開いた際、圧縮されていた荷物が一気に外に噴出する。荷物を背負った人間をつぶさないよう、背中とは反対側にあえて壊れやすい金具の部分が設けられていて、これが安全弁となって必ず背負った人間の背中とは反対側に荷物が吹き出るように作られている。そうやって吹き出た荷物が階段の下に落ちていったのだろう。
魔物が落とす素材は、スコッパーにとって重要な収入源だ。採掘任務でないのに荷運びの為の雑人を雇うのはその為だし、素材がなければ雑人達への手間賃も払えない。ミラからは当面の活動資金として、回復薬代などの消耗品代を支給されてはいるが、それとて無尽蔵ではない。赤字が続いては彼女が戻ってくる前に金欠になる。
ユーリは苛立ちながら、中層に続く吹き抜けの螺旋階段の下を覗き込む。
少なくとも近場の階段には、素材の姿は見えない。中層まで落ち切ってしまったことだろう。一人で降りるのは極めて危険だった。
「ふざけてるのか?」
「まさか。ギルドが支給したバッグがクソだったんだ。おれたちのせいじゃねえ。アンタがもう少し報酬に色をつけてくれたら、俺たちは金出し合って自分たちのマジックバッグが買えるんだけどな」
だからといって、こんな明らかに落ちたら取りに行けないような場所で、狙いすましたかのようにバッグが壊れるはずもない。あからさまな嫌がらせだった。
ユーリはぎゅっと拳を握りしめて怒りを押し殺し、じっと考え込む。ここで問題を起こすことは、自分にとっても商会にとっても得策ではない。ギルドからも扱いにくい人材として見られ、これ以上の難癖をつけられても人数の差で自分が不利だ。師の名前にも傷をつけるかもしれない。
それに、明日はこのまま行けば中層の入口近辺で間引きを行うだろう。間に合えば、明日拾いにいくチャンスもある。
「……次からは気をつけてくれ」
絞り出すようにその言葉を紡ぐと、ばかにしたように小間使いたちが笑いを漏らす。ぐっとこらえつつ、ユーリは間引き隊の面々の後を追った。
「へっ、玉無し野郎が」
声を潜めてあざ笑う子供たち。
その輪から離れて、ひと際背の小さい子供は、何も言わずに佇んでいる。
「……」
外套を目深に被り、背嚢の肩掛けの部分を握りしめ、ただ、じっと息を殺していた。
次の日。
ギルドホールに集まった面子は、一部ガラの悪そうな面がスコッパーに増えている程度で、昨日とほとんど変わらない。小間使い達が集まる輪の中に、ユーリは入っていき、自分の荷物持ちをやっている子供に手持ちの袋を押し付けた。
「今日はこれを使え」
怪訝そうに子供はユーリを見る。
昨晩、引き籠るエイリカの研究室に突撃して頼み込み、マジックバッグを借り受けていた。容量は小さめだが、ほぼ新品といっていい。予想外のことが起きない限り、壊れるなどという不具合は起きるはずもない代物だった。
「……そうかよ」
ユーリが差し出した背嚢を鬱陶しそうに受け取ると、渋々の態で子供はそれを背中に背負った。
「壊したらお前が弁償しろ。昨日みたいな事はごめんだ」
「わかったよ」
今にも舌打ちしそうな苦虫をかみつぶす顔で吐き捨てる。
ユーリとしても、べたべたと仲良く群れたい相手ではなかった。必要なことだけを済ますと、さっと距離をとった。
故に、気づかなかった。新参者のガラの悪いスコッパーと、小間使い達が何事かを話し合っていることに。その目が、自身への悪意に満ちていることにも。
その日の探索は、早めの解散となった。
ダンジョンは時折、活性化と呼ばれる状態に陥る。”魔神の癇癪”などと呼ばれもするそれは、普段、チャンバーを中心としてお互いが重ならないように生きるダンジョン内の魔物たちが、本来現れないはずのエリアに現れたり、特定の魔物の異常発生といった異常を引き起こす。
上層を進んでいた最中、先に中層に入ったパーティ達が異常発生した魔物の群れに消耗し、早めに引き返してきた。その姿を見て、間引き隊の隊長は安全策をとって引き返すことを決めた。
戻り道のさながら、ユーリは焦燥に駆られる。
(こんなことを続けていても、師との約束は果たせない)
アージェント近郊にも、他に弱いダンジョンはある。
中央洞窟がこの状態なら、多少の危険は冒しても、足を延ばすべきかもしれないと思った。
「なあ、あんた」
「あ?」
物思いに沈みながら歩みを進めていると、背後から声をかけられた。ユーリの荷物を持つ子供だった。
「昨日は悪かったな。スコッパーに食い扶持を減らすような真似をするなって、クランの親からも叱られてよ」
普段の振る舞いからは考えられないほど、殊勝な言葉だった。
「今日もこの有様で、大して稼げてねえだろ? 中層までいきゃあ、オレが落っことした荷物だって拾えるかもしれなかったけどよ。うちのクランの兄貴たちがよ、落とし前つけてこいって言われてんだ。この後、うちのクランハウスに寄ってくれ」
ユーリはしばし考え、首を横に振った。
「いや、いい。大した額じゃない」
「そんなこと言うなよ。俺らだってもっとデカくなったら、あんたみたいにスコッパーになりてえんだ。少しは仲良くしようぜ」
「……群れるのは苦手なんだ」
よほど兄貴というのが怖かったのか、それとも別の理由か。これまでとは別人のように卑屈になった子供が、ひたすらにユーリに取りすがった。
「そういわずによ。礼ぐらいは受け取ってくれよ。あんたを連れてこなきゃあ、オレたちがまたどやされちまうぜ」
周囲の子供たちも頷き、そうしてくれよ、と言った。子供たちの輪に加わらず、二、三歩離れている外套を深く被った子供を除き、ほぼ全員が同じクランのようだった。それすらも気づいていなかった己の視野の狭さを今更思い知った。
図々しい態度が煩わしくなり、ユーリは適当に頷いた。
「……わかった」
「よし、なら清算が終わったらついてきてくれよ」
胡散臭い笑顔を見せる子供を横目で眺めながら、ユーリは酔っぱらったスコッパー達がよくやる硬貨遊びを思い出す。表が出るか、裏が出るか。果たして賭けの意味はあるのか。
どうでもいい、どちらにしても片がつけばいい、と溜息をつく。
そこからはいつも通りの流れ作業だ。ダンジョンを後にし、入口の衛兵に活性化に関する報告を行い、ギルドに戻って清算をする。こっちだ、と先に立って案内する子供についていく。なぜかその後ろについてくるガラの悪い男の姿を見たとき、ユーリはどうやら”裏”が出たことに気づいた。
スコッパーのクランハウスが立ち並ぶことが多い工業区の外周から外れ、一行は貧民街に近い方向に足を進めていく。浮浪者の姿に、酒に酔いつぶれて道端で眠る男の姿。ユーリにとっては二月ぶりに嗅ぐ、饐えた懐かしい匂いだった。
案の定、案内されたのは廃材が立ち並ぶ袋小路だった。
「ここがクランハウスか?」
「これからのてめえの家だろうよ」
その言葉と同時に、突然前に歩み出たガラの悪い男から振るわれた短槍のこじりを、寸でのところで避ける。警戒を解いていなかったが故に躱すこと自体は出来たが、躱した先が悪かった。
もう一人、髭面の男が待ち構えていたように物陰から現れ、ユーリは壁際に押しつけられた。慣れた手つきで腰帯がナイフで切られ、腰に佩いていた鉄剣が地に落ち、足で蹴とばされた。
演技はここまでとばかりに、ぎゃはははは、と子供たちがけたたましく笑う。
「おめえ、貴族様に飼われてるらしいじゃねえか。それも今はどっか他の街にいったっきりで、いねえんだろ?」
「違う。あの人は師匠だ。俺を雇っている主人は、別にいる」
どこから聞いたのか、単なる憶測か。ミラが街を離れていることも知っているらしい子供たちの様子に、眦を上げる。
「どっちでも構わねえよ。横やりが入らねえならな」
「てめえ、すかした顔で俺たちを顎でこき使いやがって、何様のつもりだ? あ?」
「顎でこき使ってなんかない。ギルドを介した、ふつうの契約だぞ」
髭面の男の背後で毒づく子供に、ユーリは淡々と言い返した。
任務毎に集まったスコッパーと小間使いは、ギルドによって引き合わされ、ギルドの規定に基づいて雇用関係が定められている。
だが、このごろつき共にすればそんなことは関係ないのだろう。腕を組んで子供たちのやりとりを眺めていた髭面の男がいきり立って声を上げた。
「そのツラが気に食わねえっていってんだ!」
どかん、と近場にあった廃材が蹴り飛ばされる。
「だからよう、もう少し手間賃増やして貰わねえとな! 荷物が落ちたら困るだろうがよ? 有り金と、屋敷ん中の金目のもん、全部持ってこい。それでてめぇの生意気な態度は許してやるよ」
「貴族様の飼い犬だもんなぁ? 残飯だって俺らの飯より豪華だろうよ!」
(結局、金が目的か……)
しょうもない吊るし上げだった。
小間使いと戦闘職のスコッパーの間には、本来、隔絶した実力差がある。こんなふざけた脅しが効くような関係ではない。だが、庇護者が不在の、子供のスコッパーなら脅せば金を踏んだくれると思ったのだろう。
子供が八人、大人が二人。子供はろくな武器もなし。大人は一人はナイフ、一人は短槍。子供のうち一人は、遠巻きに見ているだけ。
何もせず、ただ胸倉をつかまれたまま、感情の無い瞳で周囲を見渡す。
恐怖など、微塵もなかった。あの日、追われたオークや、木刀を持った師の立ち姿に比べれば、蠅にたかられた程度のうざったさしかない。
「なんだ、びびってんのか」
「玉無し野郎! 何か言い返してみろよ!」
抗うことをしないユーリの姿を見て、臆していると勘違いをしたのか、子供たちは嬉々として罵詈雑言を投げかけてくる。大人二人は何も言わないが、ただへらへらと笑っていた。
目の前にいるごろつきたちは、大人も含めて、根本的にスコッパーという人種を理解していないのではないかとすら思えた。殺意のない戦場など、あの暗い洞穴の中、ただ人間への怨嗟だけを募らせた化け物たちの害意に比べれば、ぬるま湯でしかない。
反応を示さないことに業を煮やしたのか、罵声はあらぬ方向にエスカレートしていった。
「あの女の剣士がいねえと何も出来ねえんだろ」
「最近見ねえよな」
「ガキ相手にすんの飽きたからよ、男でも漁りにいったんじゃねえのか。でけえ乳とケツゆすってよ!」
――今、なんと言った?
下品な手振りと共にけたたましく笑うその様を見て、ぶつん、と音を立ててユーリの中の何かが切れた。
「今の言葉を今すぐ取り消せ」
「あ?」
「取り消せ、と言った」
ケンカを売る相手は考えたたまえよ、少年。
先日のエイリカの言葉が頭に浮かぶ。
――だが、《《それは相手にも言えることだ》》。
「なに凄んでやがんだてめえ? 自分の立場が分かってんのか?」
「そうか」
すっと頭の芯が冷える。
全身全霊の力を瞬間的に込め、背後の壁を蹴り抜く。眼前の髭面のあご骨をめがけて、鉄板を仕込んだグローブの拳を叩きつけた。ごりゅ、という鈍い音と共に、何かが砕ける音がした。様々な液体をまき散らしながら倒れる男の姿に、周囲が騒然となる。
「てめえ!?」
「やんのかこの半端野郎!!」
ユーリのやる気が伝わったのだろう。
いきり立つ群れに、ユーリは真正面から飛び込む愚は侵さず、手近な子供からつぶしていく。
一人目、大きく振り上げられた槍を斜め前に跳んで避け、腕の隙間のガラ空きの顎を目掛け、全身のバネを使ってアッパーを叩き込む。吹き飛んで倒れこむ。残った大人一人を真っ先に無力化した。
二人目、子供たちの集団の外側にいたのっぽの側頭部に回し蹴り。ついでに足先で鼻を折っておく。
三人目、スコップを振り翳して襲ってきたところに足払いを喰らわせ顔面から転倒。掌を踏み砕いて無力化。
四人目、髭面の男が取り落としたナイフを取ろうとしてしゃがんだ子供の頭に蹴りを入れる。
五人目、六人目、七人目、無力化。
どうやら、ユーリ自身も知らなかった才能ではあるが、喧嘩が得意らしい。
自分より弱いものだけを相手にしてきたごろつきの拳など、当たるはずもない。瞬きの後には手遅れになっている師の動きに比べれば、立って寝てるも同然の動きだ。
「そっちが先に仕掛けてきたんだからな」
「ひっ」
最後に残ったのは、ユーリの荷物を担当していた子供だった。三人目が倒されたころには足がすくみ始め、他の子供たちを盾にしてじりじりと後ろに下がっていた。ここに連れてくるまではよく回っていた口は震え、何の言葉も出ないまま、その眼前にユーリが立つ。
「オレは訂正しろといった。その返事を聞いていない」
「も、もうやめてくれ」
「訂正しろと言っている」
腰が抜けた子供の胸倉をつかみ、マウントを取りながら顔面に拳を叩きつける。
「なあ」
もがく。訂正しない。もう一発。
「なあ」
まだもがく。訂正しない。さらにもう一発。
「なあ」
「モ、モ、やべでくれ」
「聞こえねえよ」
血と涙と鼻水で覆われ、曲がった鼻づらの顔面に、もう一発拳を叩きこむ。子供は気を失って伸びる。
ふう、と息を吐いて、周囲を見渡す。うめき声をあげながら破壊された箇所を抑えるばかりで、反撃をしてくる気配はなかった。
一人、じっと動かない影がある。遠巻きに頭一つ小柄な子供が、じっと何の言葉も発することなく、目の前の惨状を見ていた。赤茶色の外套を頭から深く被り、顔は見えない。
ユーリはただ必要なことだけを確認した。
「お前は、オレの敵か?」
小柄な子供は、ふるふる、と首を振った。
ならいい、と軽く頷き、投げ捨てられた装備と背嚢を回収して踵を返す。
こんなつまらないクズを懲らしめる為に、師から学んだ技を使ってしまった。
そのことだけがユーリの後悔だった。
†
さらに次の日。
ギルドホールに足を踏み入れた途端、小間使い達がざわっとしてユーリに視線を向け、そそくさと離れていく。顔をぱんぱんに腫れあがらせた《《見覚えのない顔》》がいくつか並んでいる。カウンターの向こうでは不気味な笑みを浮かべたガリベルが手招きしていた。
「坊主、オレがいねえ間にずいぶん派手にやったそうじゃねえか。ええ?」
「ギルドはいつからあんなクソみたいな小間使いしか雇わなくなったんですか?」
そちらの監督不行届だ、と強い不満を込めて睨むと、ガリベルは肩をすくめて見せた。
「政庁の連中が、東部からの難民を呼び寄せたんだとよ。元々都市で暮らしていたガキどもだから、市民権は持ってる。スラム街のガキよりからは信用できるって話だったんだがな」
先日、街でも耳にした話だった。
「もちろん、難民全員がそうってわけじゃねえ。真面目なやつも多い。だが、おかしなのが混じってるようでな、あちこちで似たような問題が起きてる。素行が悪いやつは弾いているんだが、なにぶん人が足りねえ」
「ダンジョンに潜る者同士は背中を預け信頼せよ、でしょ。ギルドがそれじゃあ誰もダンジョンなんて潜らなくなりますよ」
ダンジョンに潜る者同士は、背中を預け信頼せよ。
スコッパーズギルドに所属する際に、いの一番に教えられ、事あるごとに繰り返される信義則である。人間同士が争っていてはダンジョンの中で生き残ることなど出来るはずも無い。あの連鎖顕現時の寄せ集め世帯とて、お互いがお互いの仕事をするという最低限の信頼はあった。いやがらせの為に戦利品を意図的にロストさせ、スラムに連れ込んで集団でリンチをかけようなど論外もいいところだ。
「東部は、あんなことになる前はダンジョンが少ない土地だったからな。市民権は持っていても、どうにもダンジョンってもんがわかってねえ奴らが多い。ダンジョンを腹の中に囲ってる街になんか住めるわけがねえ、とか騒ぎ出すやつもいるくらいだからよ」
「どんな田舎者なんですか」
平和ボケもいいところだ。スコッパー達が足しげく通える場所にダンジョンが無ければ、間引きなど十分にできるわけがない。明かりと熱を生む魔鉱石が近くで採れるからこそ、都市は闇に怯えず、寒さに怯えずに生きていられるのだ。
呆れるユーリを諭すように、ガリベルはカウンターから身を乗り出した。
「俺としては、スコッパーが舐められないように強く出るのは当然賛成だ。だがまあ、十人ぶちのめして病院送りは、さすがにやりすぎだ。変な噂も回るだろう。お前の荷物を持ちたがる奴はしばらくいないだろうよ」
顔を腫れあがらせた子供と取り巻き数人が、遠巻きにユーリとガリベルを眺めている。関わっていない者たちも、腫れ物に触るかのようにそそくさと二人の近くを離れていった。
「信頼出来ないやつに荷物預けるくらいなら、自分で抱えたほうがまだマシです」
「そうは言うがな、ずっと背負ったまま戦うってわけにもいかないだろうが」
ガリベルと話しているところに、ぐいと服を引っ張られる感触がした。振り返ると、そこには顔をすっぽり覆う茶色の外套を着こんだ小柄な子供がいた。
「お前……そういえば、昨日の」
頭に血が上りすぎて忘れていたが、
昨日、いじめられていたと思しき小さな子供だった。褪せた赤茶色のフードを目元まで深く被って、顔は全く見えない。最近、背が伸びてきたユーリよりも頭半分ほど小さい。
何か昨日去り際に尋ねた気もするが、ユーリ自身も頭に血が昇っていて記憶が朧げだ。
近寄ってきたっきり、何もいわず立ち尽くしている。困惑したまま
「何の用だよ?」
「……」
「あのな、何も言わねえとわかんねえよ」
言いながら、そういえば、とユーリはふと思い出す。この子供の姿を見たのは、昨日が初めてではない。ここ数日、いや、さらに以前から、ダンジョンで何度か見ていた気がする。
「もしかして、俺の荷物、持ってくれるのか?」
こくり、と頷く。
「いいのかお前。村八分にされるぞ」
じっと固まったまま、何も言わない。
口がきけないのか。
ユーリはそう納得すると、別にそれで構わないとも思った。意思疎通は不便するだろうが、昨日のような不快な思いをしなくても済む、というだけでも百倍は良いと思えた。
「……まあ、お前がいいなら、それでいいけど」
こくこく、と首が二度動く。
そんな不思議な経緯でもって、ユーリは専任の小間使いを得ることになった。
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