#15 もちろん。あなたは、私の弟子ですから
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「今日は都市外に出ます」
いつも通りのスコッパーとしての戦闘服に身を包み、手には白樺の樹皮で編まれた瀟洒な籠を持った師に連れられ、ユーリは都市外への乗合馬車に乗った。庶民向けの壁の無い天蓋だけの馬車で、乗り心地は良くないが、十を越える人が乗っても四頭引きの車は力強く前に進んでいく。風が穏やかなことも幸いだった。秋晴れの陽気が心地よい。
ミラが隣に座るユーリに語りかける。
「ユーリは、”層流の森”は初めてですか?」
ライトリード大森林に囲まれる北部の水瓶、ベリスタ湖。アージェントが位置する丘陵地帯からは、北の山向こうに位置する。アージェント以北の切り立った山々が蓄えた水は、水差しのように湖に流れる。大崩壊時の火山噴火によって地形は大きく変わったとされ、それによって生じたという歴史の新しいカルデラ湖と渓流である。
層流の森という名のダンジョンは、そのベリスタ渓流の中流付近に位置する。アージェントからも乗り合い馬車で一時間半と近く、以前は風光明媚で人々の憩いの場となっていた美しい渓流だ。ナラ、アカマツ、ハルニレの木々が並び、針葉樹と広葉樹が模様のように混ざりあう景色は圧巻といわれる。しかし、三十年前にダンジョンが発生して以来、人の足はぴたりと遠ざかった。
もっとも、ダンジョンとしては比較的新しく、規模も小さい。
「はい。あんまり取れるものもない、美味しくないダンジョンだって教えられました」
「あながち間違いでもないのですが」
師曰く、色々と特徴的なダンジョンなのだという。その内容についてユーリが問うても、頑なに、着いてからの楽しみに、と語ってはくれなかった。
そうする間にも、馬車は進んでいく。丘陵を抜けた山までの平地には、ジャガイモ畑の緑が地の向こうまで広がっている。夏の終わりに撒いたイモが育つまでの間なのだろう。緑の青々とした草が生い茂っている。何事もなければ、秋の終わりには人々が冬を越すための十分な収穫が得られるだろうと思えた。
秋も半ばに差し掛かりつつある。木々は色づき、高く育ったカエデの木から落ちた葉が風に乗って漂う。街道に揺られ、移り変わっていく景色が実に目に楽しい。同乗している乗客たちの中にも、物見遊山の為に乗っている者も多いようだった。森が近づき、明るい赤と鮮やかな黄色に色づいた木々に周りが囲まれると、その風雅な景色に歓声の声が上がった。
「ご姉弟で旅かね? 仲が良くて良いわね」
「いえ、私たちはスコッパーでして――」
乗り合わせた老婦人から声がかかり、ミラが応対してくれていた。
灰色の髪と、薄い金糸のような髪。金色の瞳と、アイスブルーの瞳。共通するといえば、かろうじて北部人らしい色素の薄い肌くらいだろうか。外見上は似ているところなど無い筈だが、敬愛する師に似ていると言われたような気がして、ユーリとしては少しだけこそばゆい。
気のせいか、ミラの表情も柔らかで、旅の時間を楽しんでいるようにも見える。まるで二人で旅行に来たようだと思い至って、ユーリはわずかに赤顔した。
そうして馬車に揺られること一時間半。街道の道半ば、ベリスタ渓流入口跡と書かれた停留場で、二人は降りた。まだずっと先の集落まで行くのだという老婦人を、手を振って見送る。
停留所といっても、今となってはスコッパーしか訪れることのない場所だ。雨露はかろうじてしのげる程度の静かに朽ちつつある戸のない木の小屋で、降りるものは他にいない。
「ここからは魔獣が出ることもあります。気をつけて」
石畳で舗装された道も、青々とした雑草に突き崩されるように乱れ、草生していた。
停留所から数十メートルほど歩くと、魔獣避けの結界石が途切れた。穏やかな旅は終わり、スコッパーとしての顔に切り替わったミラが、藪を避けながら傍らのユーリに声をかける。
「ここは渓流の一部と森自体がダンジョンに変わった、自然型と呼ばれるダンジョンです。コア自体は少し奥まった洞窟の中にありますが、洞窟だけがダンジョンというわけではありません」
「ここが……」
歩いていくほどに、木々の様子が変わっていく。
吹き抜ける風も、季節が少しばかり逆戻りしたかと思うほど、暖かい。木の肌に、魔鉱石の粉末が混ざっているかのように、陽の光を受けて僅かに輝いている。不思議な森の景色だった。整備された歩道はまだ残っているが、足のくるぶしを覆う程度には雑草が伸びてきている。
「ユーリ。今日は出てきた魔物を、全てあなたに退治してもらいます」
「え?」
突然、師から告げられた言葉にユーリは目をむく。
今までのダンジョン行では、魔物の一部を任されることはあっても、全て退治することなど無かった。
「いや、でもオレの腕ではまだ無理です」
「ここの魔物の質は低く、数も少ない。奥までいっても、さほど大型の魔物は出てきません」
言い募るユーリに、ミラは淡々と答える。
「落ち着いて対処すれば問題ありません。私がいないものと思って戦うように」
「わ、わかりました」
師の意思は固く、翻意させられないようだった。やむを得ず、ユーリは頷く。
これも新しい訓練の一環なのだろうか。
二人はそろそろと歩みを進めていく。間伐されて人の手が入ったことのある森のため、木々の合間からは光が差し込んでいる。道も整備されていることもあり歩きやすい森で、魔物は見つけやすいのが幸いだった。暗い洞窟に比べて警戒は容易い。
しばらく歩くと、遂に獣の気配がした。
「師匠」
「そのようですね」
背後から、がさがさと草をかき分ける音がした。
さっと振り向くと、三本の角を持つ兎の魔獣の姿がある。トライラビットという弱い魔物ではあるが、角を向けられた突進をまともに受ければ大怪我にもなりえる。ぐるる、と威嚇するように唸ったかと思うと、ユーリから少し離れた場所に立つミラに突進するような勢いで駆け出す。
「っ! 師匠!」
あろうことか、ミラは目をつぶっていた。魔獣の気配を感じていないはずがないであろうに、直立不動のまま動こうとしない。そこに、魔獣の角が迫る。
「危ない!」
全力で地を踏み抜き、ミラと魔獣の間に割って入る。無我夢中のまま剣を振るうと、刃は兎の胴を狩り飛ばし、勢いを失って地に倒れる。そこにとどめの刺突を加え、一息で絶命させた。
「上出来」
いつの間にか目を開けたミラが、短く告げる。
「師匠、なんで――」
「その調子です、ユーリ。このまま進みなさい」
「は、はい」
何も無かったかのような平静さで、ミラは先を促した。
森が深くなっていく。道は沢に続いており、青々とした川の流れが陽光に煌めいて美しい。思わず見入ってしまいそうな美しさの中であるが、森の縄張りに入り込んできた異邦人に気づいた魔獣たちは、散発的にユーリ達に襲いかかってきた。
「……」
その全てに、ミラは手を下さなかった。
魔獣が現れると立ち止まるか、あえて身を晒すように歩み出て挑発する。ユーリは気が気ではなかったが、師の身に傷をつけさせる訳にはいかない。全力で走り回り、その全てを倒していった。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
息が切れる。
鉄剣の革巻きの握り手が汗でべたつくのを、服で乱暴に拭う。師のような上手い剣ではない。剣筋も最適の線をなぞれているとは言い難い。
だが、いつもよりも剣は振れている。
「疲れましたか」
「いえ、まだ、やれます!」
「もう少しです」
少年らしく虚勢を張ってみせるユーリだったが、そんなことはお見通しなのだろう。軽く励ましつつ、ミラは先を促した。
少し歩くと、渓流の幅は細くなり、川が蛇行し始める。沢の途中には岸壁がせり出し、そこには地下に降りる大きな空洞が見えた。
「師匠、この洞窟の中ですか?」
「ええ。目的地はここです」
ミラはここまでの道中で初めて、ユーリを先導するように歩き出した。戸惑いながら、その後ろをおっかなびっくり追いかけていく。
冷えた洞窟の空気と、湿気を感じながら、恐る恐る降りていく。洞窟にありがちなカビたような嫌な匂いは無い。むしろ早朝の高原のような、清々しい香りさえする。不思議な場所だった。
「壁が……」
「青燐石ですね。第五元素に反応して光るだけの硬い石です。ここは、これが全てを覆っていて、ダンジョンの成長は極めて遅く、通常の魔鉱石を産みません」
「不思議なところですね……」
通常の洞窟ダンジョンであれば、湧出する魔鉱石は壁に張り付いた欠片が成長し、壁を覆った後には床と天井も覆い、厚みを増していく。それらを突き崩して拾い上げていくのがスコッパーの本来の仕事だ。美味しくないダンジョンと言われる理由なのだろう。
ミラは街中でも歩くかのような気安さで階段を降りていく。しばらくすると、その足が止まった。
「ここです」
「わあ――――」
言葉も無かった。
辺り一面の天井と壁の岩々から、細い氷の管が水面に落ちている。まるで時が止まり、幾何学的な氷の飾りであるかのようだ。青く輝く魔鉱石の光を受け、氷の管が光を反射して、幻想的な風景を作り上げていた。澄んだ水を湛えた足元の池底も、全て青燐石なのだろう。全てが清廉な青に包まれた、青の洞窟だ。
「この管の一本一本がまるで氷のように見えるでしょう? これは実のところ、全て水なのです」
「すごい……」
手じかにあった氷のように見える管の一本にミラが手をかざすと、乱れた水の流れが生まれた。手を離すとすぐに戻り、透明な管の姿に戻る。
「これは魔法でも何でもない、層流現象というそうです。綺麗に空いた穴から、一定の速さで水が流れないと生まれないのだとか。ダンジョンが生んだ奇跡という人もいます」
まるで手品のようだった。ユーリも自分の手をかざしてみるが、全く同じように管は水になり、放せば戻る。その隣の管も、更にその隣も、全てが不思議な水の流れだった。
辺りには、反響する二人の声と、最後にちょろちょろと落ちる水の音だけが響いている。洞窟の広さはさほどの大きさでもない。ギルドホールより少し大きい程度の大部屋で、どうやらこの美しい水の溜まり場が行き止まりのようだった。よく見ると、明らかに人工的な杭が打たれている。ここにくる途中でもよく見かける、白銀花を埋め込んだ四角の杭だ。
「師匠、この杭は全て魔物避けですか?」
「はい。この美しい景色を守りたいと思った誰かがいたのでしょう。この洞窟を丸ごと囲うように、結界石で徹底的に覆われています。ここは、セーフティゾーンです」
師が何の警戒もなく階段を降りたことに合点がいった。
結界石の杭は、村や都市、大きなダンジョンの休憩所を守るために置かれることはあるものの、決して気軽に置けるようなものでは無い。多くの杭を打たないと、魔物を避ける効果も出ないのだという。ここを守りたいと思った人間はよほどの物好きだったのだろう。
きょろきょろと物珍しく辺りを見渡すユーリの姿をしばらく見守っていたミラは、乾いた平岩に腰を下ろした。
「ちょうどいい。ここで昼食にしましょう、ユーリ」
ミラはそういうと、手に持っていた籠を開き、中に入っていた紙包みの塊を取り出した。
「……サンドイッチ?」
「ええ。どうぞ」
戸惑いながら横に腰を下ろし、ユーリはその塊を受け取った。一見、モラウおばさんがよく準備してくれる単なる携帯食のサンドイッチのようではある。
黄色みがかった油紙にきっちりと包まれたそれを紐解くと、がんがりと焼き目をつけられたサンドイッチが顔を出す。具は贅沢で、こんがり焼いた薄切りの豚肉のベーコンと、黄色が鮮やかなチェダーチーズの間に、みじん切りにされたピクルスが挟まれている。
恐る恐る一口頬張ると、小麦とライ麦が混ざったパンに塗られた粒マスタードの辛味と、肉とチーズの塩味とコク、ピクルスの酸味がとても合っている。薄く挟まったソースが個性の強い具材達をまとめあげているのだろう。実に相性が良い。少し塩気は強いが、汗をかいたあとにはちょうどいい塩気だった。ダンジョンに持ってくる携帯食とは思えないほど手間がかかっていて、作り手の熱意が見えるようだ。
感動に震えながらぱくぱくと食べ進めるユーリを横目に、ミラは自分の手に持ったサンドイッチを食べることをせず、ユーリが食べる様をじっと眺めていた。
「……美味しいですか?」
「めちゃくちゃ旨いです!」
「そう。それはよかった」
何の疑問もなく素直に美味しいと伝えると、ミラの表情が緩む。
「早起きした甲斐があったというものです」
「え、これ、師匠の」
「手作りです」
ユーリの手が止まる。
ミラは珍しく、わずかに白皙の頬を染める。
「その、サンドイッチだけは自信があるのです。昔からよく作っていましたから。他の料理はその、機会がなくて、アレですが」
「オレ、こんなに美味いサンドイッチ食べたことないです。ほんとに」
「そうですか。おかわりもありますので、遠慮せず食べてください。いや、別に無理をして食べる必要はないので」
「無理なんてとんでもない! 食べるのがもったいないくらい美味いです!」
「そうですか」
「……」
「……」
何を言えばいいのかわからず、言葉が止まる。つい先日まで仕事以外では対して人と会話しない生活を送っていた子供に、妙齢の女性に気の利いた言葉を掛ける甲斐性など、あるわけもない。
しばらく気まずい沈黙が生まれた。何事かを考えている様子だったミラが、意を決したように顔を上げる。
「ユーリ。私はしばらく、アージェントを留守にします」
「え?」
持参した水筒に口を付けながら、ミラはユーリの方に目を向けず、遠くに目をやる。
「もう少し、あなたの成長を見たかったのですが、イズラハ様からの言いつけがあります。アルゲンに行き、一度実家に戻ってきます。これからの商売の相談と、あなたの新しい先生を探しに」
新しい先生。
その言葉に、目の前の師が遠く離れていく気がして、言いようのない心細さを覚える。
「そんな、ミラさん以外の先生だなんて! オレの師匠は、ミラさんだけです」
「私だけでは、教えられることにも限界がある。来たばかりのエイリカ様からは、既に色々と教えられたのでしょう? あなたは多くの人と触れ合い、多くのことを経験すべきです」
それは比べものにならない、とユーリは思う。
エイリカはたしかに来て早々に知識を与えてくれた。だが自分がアルカディア商会に買われてから、生活とスコッパーとしての全てのことを教えてくれたのはミラなのだ。彼女がいたからこの一月余り、ユーリはこれまでの人生で最も実りある時間を過ごすことができた。それを伝えたいと思うが、言葉が出ず、もどかしい。
「あなたには戦うことの恐ろしさだけを最初に教えてしまいました。全てが間違いだと思っているわけではありませんが、偏った教えでした」
そこまで言って、ミラは己の足元に目を落とす。
「ダンジョンでの戦いは、間違いなく恐ろしいものです。でも、ダンジョンは、ただ敵に満ちて、資源を回収するだけの存在ではない。多くの未知と冒険が溢れています」
顔を上げると己の前に手をかざす。かつて目にしてきた風景を懐かしむように、目を細める。
「道化の吸血鬼が支配する常夜の宝石都市。
森の中に浮かぶ塩の湖と、純白の島々。
切り立つ桃色の結晶樹と、砂漠の緋色のオアシス。
地底に眠る千の果実を持つ、常夏の黄金果樹園」
語られる幻想的な場所の数々に、少年の心は躍る。いったいどんな風景なのだろう。どんな香りがする場所なのだろう。空想の大地を踏み締める靴裏の感触すら想像できるかのようだった。
「魔物さえ何とか出来るのであれば、この大地を侵して広がっていくものでなければ、ダンジョンはその全てが悪というわけではありません。イズラハ様と私は昔、多くのダンジョンを渡り歩いてきました。そして多くの美しい物と、残念ながら多くのそうでないものと出会った。その全てが、私の血肉となっています。ここは、私の中でも大事な景色。だから、貴方にも見て欲しかった」
遠い過去を思い出すかのような目で、滔々とミラの口から言葉が漏れ出す。
「まだまだ貴方は未熟で、教えられていないことは無数にあります。でも、最低限の力は備わり、今日、私は見た。自分の力を試しなさい。そして疲れたら、こんな景色を見にくればいい。世界は、まだまだあなたが見たこともない、美しいものに溢れているのですから」
「……はい」
瞼が熱くなる。
厳しさに根を上げることもあった。それでも師は情けない子供を見捨てず、こんなにも多くのことを考えてくれている。
伝えるべきだと思った。自分の言葉で、いま胸に溢れる、精一杯の何かを。
意を決して、ユーリは口を動かした。
「師匠、あの」
「はい?」
「今日は嬉しかったです。ここに来る間も、いろんなものを見れたし、こんな凄い景色を観ることが出来ました。オレ、ほんとうに嬉しいんです、師匠が弟子にしてくれて」
語彙力のなさが恨めしい。
熱病に浮かされるように、働かない頭を強引に働かせて、少年は言葉を紡ぐ。
「オレはまだ、自分を買ってくれたことの価値を示せてませんけど、でも、いつか出来るようになると思います。結果で、証明してみせます」
行いをもって証明せよ、と彼女は言った。
彼女に認めてもらうには、結果が大事なのだとユーリは思う。そうでなければいつまで経っても自分はただの子供のままだ。
だから。
「だから、その……また一緒に、ここに来てくれますか」
きょとん、とした顔でミラがユーリの顔を見つめる。
あれ、何を言ってるんだろうオレは。
最後に何か余計なものが挟まってしまった。感謝の言葉を伝えるだけのはずだったのに。
混乱して真っ白になったユーリの頭の中に湧き上がるのは、恥ずかしさと後悔だけだ。未熟者が、大恩ある女性に何を言っているのだろう。彼女から見れば、自分はただの子供に過ぎないのに。
時間にすれば実に僅かな一瞬に過ぎなかったのだろうが、永遠のように長く感じる間を挟んで、ミラは答えた。
「もちろん。あなたは、私の弟子ですから」
優しく微笑む横顔を見る。
少年の耳には、零れ落ちる水の音と、自身の心臓の音しか聞こえない。
澄み渡る青に包まれた水の森は、どこまでも美しかった。
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