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99 〈現夢〉の呪いは祝いへと


 此処はどこだ?


 俺は現状を把握しようと周囲を伺うが、どれだけ知覚しようとしても叶わない無限の漆黒、上下左右も分からぬ深淵の闇の中で、自らの存在を感じるだけで精いっぱいだった。

 此処に来る前のことを思い出す。確か、儀式の途中で瘴気に取り込まれたところまでは覚えているが、その後の記憶がない。瘴気によって、此処に移動させられたのであろうか?

 俺はもう一度、周囲を知覚するために集中した。今度は周囲を知覚しようとするのではなく、敢えて自身を知覚することに意識を向ける。

 すると、左手が熱くなるのを感じ、そこから広がる様に知覚すると、俺は『闇』の中に浮かぶ、自身の身体を認識する。

 さて、『俺』という存在を知覚したのは良いんだが、これから先どうやってここから脱出するんだ?

 周りを見ても闇が広がるばかりで、手掛かりらしきものは見当たらない。儀式が成功しているのならば、ここに『偉大なる御方』がいる筈なのだが…。

 そういえば、合一しているスマラとマグダレナは大丈夫か? 俺は二人に念話で話しかける。

『二人とも大丈夫か?』

 返事はない。二人は何処へ行ってしまったのだろうか? 俺は手を動かし、手探りで装備している個所を確認する。そこで気付いたのは、俺はいま全裸だということだ。

 この空間は寒暖に関しても一定で、空気の流れのようなものを感じていなかったので気づかなかったが、もしかすると、俺の精神は肉体から離れ、此処に来たのかもしれない。

 いくらなんでも、あの瞬間に全ての装備が失われたとは考えにくいし、二人との『繋がり』が切れたという感触はないので、そんな予想を立てつつ、俺はそれならば、と意識を周囲に『伸ばす』ようにイメージする。これがある種の精神世界ならば、有効ではないかと思ったからだ。

 俺の予想は正しかったらしく、俺を中心として、全ての方向に知覚する感覚が広がっていくのを感じた。俺はその感覚を限界まで伸ばしていく。

 すると、伸ばした感覚の端で、何かを感じ取ることができた。それは、同時に俺にも気づいたらしく、此方に向かって真っ直ぐに近づいて来る存在として感じられる。

 その『存在』が近づくにつれ、ハッキリとした気配を感じ始める。それは、今までにも何度か感じたことのある、ヒトとは比べ物にならないくらい強大な存在、『神』と呼ばれるものであることを理解するのに、そう時間は掛からなかった。


 偉大なる御方のお出ましか。


 俺は意識を集中し、左手を握り締める。掌に埋め込まれた深紅の宝石が、淡い光を発し、無限の闇を僅かに照らす。

 そこに現れた巨大な気配、距離を無視したかの如く急激に増したそれは、この場所に来て初めて感じる『風』と『熱』、そして何とも表現が難しい『香り』と共に俺の前へと辿り着く。


 デカいな…。


 その存在から感じる気配で、俺は大きさを想像した。未だ姿は見えないが、恐らく10メートル以上のサイズはある。これだけの気配を持つ相手に、裸でどこまで対応できるか分からないが、何もできずに終わることだけはしないぞ、と覚悟を決める。

 未だ見えぬ存在から、漂って来る香りが強まった。決して不快ではなく、蜜のような甘い『感じ』として捉えた俺は、それがその存在が放つ『吐息』であることに気付き、顔があるであろう方向に視線を向ける。

 俺の《暗視》を以てしても見通すことのできない闇の中、もう一度吐息と共に届いたのは、脳裏に直接響く『声』だった。

『我が寿ぎを抱きし者が現れたのは、何時以来であったか…。時という概念が存在するこの世界を、我が訪れたのがいつのことであったか』

 それは男性とも、女性ともつかぬ印象の『声』として、俺には伝わって来た。

『我の元に参じるものとしては、聊か様子が変わっているが』

 そう言って、気配が近づくと共に、吐息の甘い香りも強まる。俺は目の前にいるであろう存在に、声を掛ける。

『始めまして。貴方が偉大なる御方でしょうか?』

 俺が問いを発したことに驚いたのか、その存在は言葉を発することなくその場で動きを止める。そして、

『我がこの世界において顕現するための〈器〉に意志があろうとは。自ら志願しての儀式とは、何時以来であろうか』

 と言い、気配が揺れる。どうやら笑っているらしい。

『俺はヴァイナスと言います。儀式に志願してまで、この場を訪れたのには理由があります。俺の願いを聞いて頂けないでしょうか?』

『願いとは、奇なることを。我が此方の世界(オーラムハロム)へと身を移し、我が力を振るうことこそ、其方らが望む唯一無二のことではないのか』

 あー、まぁ神様を呼ぶならそういう事を願うのが普通だな。そうでなければ、神の力を得て、力を得るとか不老不死を得るとかが定番だけど。生憎と既に俺は不死を得ているし、〈異邦人〉は不老( これに関してはシステム上の設定かと思っていたのだけど、そういうものらしい。ネフに確認済み )なので、不老不死は望む必要がない。

 かと言って神の力を行使して貰うつもりもなかったので、どうやって説得したものかと考えていると、

『どうした? 我が〈祝福〉を受けし者が、何を躊躇するのだ? 己が望みを述べよ』

 と言われた。ああ、やっぱり背中の黒紋は偉大なる御方の〈祝福〉だったか。妙に鼓動が早くなるし、気分も高揚するからもしかしてと思っていたけれど、一種の強化付与(バフ)だったらしい。

 だが、ザフィリという存在を経由したためか、効果が変質してしまったのだろう。過剰に付与された祝福は、強すぎる薬が毒になる様に、その対象の生命を脅かすほどになってしまっているのだ。

『俺が貴方に望むことは唯一つ。この祝福を消し去ることです』

『何? それが望みだと申すのか? おかしなことを望むものだ。我が与えた力を否定するとは』

 闇の中、偉大なる御方が不快気に身を捩らせたことが感じられた。良かれと思って与えた祝福を否定されれば、文句の一つも出ようというものだ。

 だが、このままでは多くの人が命を失うことになる。元々、望んで与えられたわけじゃない、押し付けの『祝福』なのだ。こちらとしては即刻クーリングオフをお願いしたいところだった。

 言葉を発しようとする俺の脳裏に、エメロードの苦し気な姿が過ぎる。だが、まずは説得を試みた。

『俺達のような矮小な存在に、貴方の〈祝福〉は強すぎるのです。このままでは折角の祝福によって、命を失う者が数多く出てしまいます』

『弱き者が死するは、自然の摂理であろう。何故、救おうとする?』

『俺達は弱く小さな存在です。それ故に力を求め、努力します。時には強者の力を借り、大事を成すこともあるでしょう。ですが、現在貴方の〈祝福〉は歪み、間違った形で多くの者に死の烙印として刻み込まれています』

 弱き者には貴方の〈祝福〉は過ぎたるものなのです。聞き届けて頂けませんか? 俺は闇に向かって深々と頭を下げた。

『…我が祝福が不要である、などとは前代未聞ぞ。しかし、我が力を得た者が何もできずに死するとは、我が力が価値無きものと誹られるようだ。心穏やかにはおれぬ』

 偉大なる御方から伝わるのは明確な怒り。だが、ここで引くわけにはいかない。俺も出来る限り言葉を改め、願い続ける。

『お怒りは御尤もなれど、重ね重ねお願い申し上げます。今この地に満ちる、貴方の御力を鎮めて頂きたい』

『それは受け入れられぬ。其方の身に宿り、我はこの地で力を振るうのだ』

 頑なな態度に俺はため息をつく。やはり神というものは、融通が利かない頑なな存在なのであろうか。


 仕方がない…。覚悟はしていたけど。


 俺はゆっくりと左手を構え、真っ直ぐに闇へと視線を向ける。偉大なる御方は身動ぎし、

『祝福を受けし者が、我に刃を向けるとはな…。此度はつくづく前代未聞が続く』

 と言うと、今まで感じていた気配の質が変わる。明らかに殺気を纏った強大な気配に、思わず挫けそうになるが、腹の底に力を貯め、必死に睨み続けた。

『祝福と呪怨は表裏一体。其方だけではない、我が祝福を得た者全てに、呪いを授けることもできるのだぞ?』

『今のままでは祝いも呪いも同じです。いずれにせよ死するというのならば、生きるため、全力で抗うのがヒト。我が力、貴方に及ばずとも、一矢報いることは出来る筈』

 俺は強気に攻める。こういった交渉事では引いたら負けだ。相手に決定権がある以上、徹底的に攻めの姿勢を保ち、優位を勝ち取る。というか、俺にはそれ以外の方法が思いつかなかった。

 俺は〈捻双角錐の掌〉を剣へと変化させ、眼前に構えた。掌中の宝石から深紅の光が迸り、周囲を照らし出した。

 光を浴び、照らし出された姿に、俺は喉から悲鳴が漏れそうになるのを必死で堪え、膝から崩れ落ちそうになるのを我慢した。


 それは、異形の『神』であった。


 全体的な印象は、強いて言えば巨大な黒い羚羊だ。湾曲した双角や、やや長めの柔毛、太く逞しい蹄を持つ四肢。

 だが、見れば見るほど違和感を覚えていく。柔毛に見えるものはゆらゆらと蠢く数万、いや数十万本の細い触手であり、深紅の光を受けて煌めくのは、触手を包む粘液の照り返しだ。

 蹄を持つ四肢全てが異なる形を持ち、蹄の形も偶蹄、奇蹄、参蹄と同じものが無い。

 そして、そこだけは触毛に覆われることなく、剝き出しにされた幾重にも連なる乳房が、触手から流れる粘液によって妖艶さを増し、主の憤りに合わせ、揺れ弾んでいる。

 何より湾曲、否、捻くれた角の下にある羚羊の頭部、そこに収まる眼窩は十重二十重と連なり、不規則に瞬きを繰り返している。

 その瞳に射竦められた俺の背中を、凄まじい熱が襲う。背中に浮かぶ玄紋が激しく輝き、俺の背を灼いているのだ。

 熱さと痛みに顔を歪めるが、構えを解くことはしない。この程度、〈稀人の試練〉で受けたものに比べたら、大したことはない。

 俺が痛みに臆することなく立ち続けるのを見て、黒き羚羊が僅かに目を見開いた。

『我から直接呪いを受け、立っている只人がいようとは…。それに、その腕、その光。彼の神の寿ぎを得ているとは思わなんだ』

 〈捻双角錐の掌〉を見つめ、黒き羚羊はそう呟く。彼の神の寿ぎ? 俺は知らないうちに、神の祝福を得ていたというのか?

 確かにシェアトやマフデトには『祝福』を受けた気もするが、それは能力の上昇であったり、〈不死なる者〉としての力だったりするわけで、この左手とは関係がない。

 となると、これを貰ったネフからの祝福、ということになるのだが…。享楽的な神だったとはいえ、とんだ祝福もあったものである。便利ではあるのだが。

 背中で暴れる玄紋の熱に耐え、俺は黒き羚羊に切り掛かる。左手が喜びを表すかのように光を放ち、深紅の刃が一閃する。

 果たして俺の力が通用するのか? 疑問であったが、それは杞憂に過ぎなかったようだ。刃は滑るように羚羊の躯体の上を走り、テラテラと蠢く触毛を斬り裂くと、黒き羚羊は体液をまき散らし、四肢を踏み荒らしながら身を捩らせる。

 効いている! これで他の装備があれば良かったのだが…。俺は無い物ねだりをしつつ、次の攻撃に備えて左手を引き戻した。

『我が呪いを物ともせず、これ程の力を振るうとは…。最早只人とは思えぬ。このような者を、否、このような者であるからこそ、我が器として相応しいのか』

 黒き羚羊はそう言うや否や、虚空を蹴り、俺へと肉薄してきた。俺は咄嗟に【瞬移】の魔法を唱えるが、ここでは魔法が使えないらしく、発動することなく突進をまともに喰らってしまった。

 吹き飛ばされながらも、足場の無い虚空という、不安定な状況の中で体勢を整えて対峙する。喰らった瞬間、自ら後方に跳んだおかげか、大きなダメージを受けてはいない。

 それにしても奇妙な空間だ。何もない虚空であるはずなのに、足元を蹴ろうと意識すれば、しっかりと地を蹴る感触は伝わってくるのに、上下に対しても、飛ぶようにイメージすれば難なく行うことができる。

『只人の身で、そこまで動けるとは、益々気に入った。それに、彼の神だけではない、異なる神の力も感じる。しかも、竜の加護まで…。其方、一体何者なのだ?』

 渾身の突進を凌がれたためか、黒き羚羊の言葉に戸惑いが見える。確かに、何柱もの神様と交流してきているからな。ドラゴンだって何体も斃している。

『これまで結構修羅場を潜っているからな。あんたにだって負ける気はない!』

 一度矛を交えたなら、神様だってタメ口で充分だ。俺は気合の声を上げると、虚空を蹴り、こちらから突撃する。

 〈全贈匣〉から予備の武器を出そうとするが、やはり開くことができない。身一つで何とかしないと割り切り、黒き羚羊の首を目掛けて刃を振るう。

 黒き羚羊は首を振り、刃の一撃を躱そうとする。だが、俺は瞬時に左手を触手に変化すると、黒き羚羊の歪んだ角に巻き付け、首の動きを利用して、一気に顔へと取り付く。そして、渾身の力を込めて、驚きに見開かれた眼の一つへと、右手を突き入れた。

 眼窩を貫いた右手から、形容し難い感触が伝わってきた。俺は臆することなく、右手を貫き手に構え直し、更に突き入れる。

 痛みに打ち震える黒き羚羊は、俺を振り落とそうと躍起になって首を振るが、触手と化した左手はがっちりと角を巻き込み、放さない。

 突き込まれた右手は、既に肘まで埋め込まれている。右手が進むたびに痛みが増すのであろう、黒き羚羊の動きが激しさを増すが、何もない虚空では、壁や床に叩きつけるということもできず、ただ只管に首を振り、身体を揺らして振り落とす以外に、取れる方法がない。何もない、本来なら俺にとって不利な環境であるこの場所が、俺を優位に導いていた。

『さあどうする? このまま頭の中を死ぬまで掻き回されるか? それとも俺の望みを受け入れるか?』

 俺はこの状況を利用し、黒き羚羊に話しかける。その間も右手を突き入れることは止めない。突き立てられた右手の周囲からはとめどなく体液を、周囲の瞳からは血の涙を流しつつ、黒き羚羊は答える。

『諾、諾だ。其方の望み、諾である。其方の意思、機転、判断、闘志、確と認めた。我が力、彼の世界に与うるを辞す』

『それでは、まず先に祝福を解け』

 俺は右手を突き入れたまま、黒き羚羊に命じる。黒き羚羊が身じろぎすると、背中で灼けていた熱が消え去るのを感じる。だが、これで終わりではない。

『続けて誓え。俺がこの世界に在る限り、その力を行使しないと』

『それは…、後生である、それだけは許し給え。我が存在の意義に関わる重篤な理ゆえ、世界に力及ばずれば、我は存在を消失する』

 黒き羚羊からは、弱弱しく否定の言葉が返ってくる。そうか、神としては力の行使イコール存在の証明であり、それができなければ、存在そのものの消失に繋がるということか。

 俺は素早く考えを纏め、提案する。

『ならば、俺の赦し無しに力を行使しないと契約を結べ』

『…心得た。其方と契約する。其方の赦し無しに力を行使しないと我が真名、シブ=ニググラトフに誓う』

 シブ=ニググラトフ…。どこかで聞いたと思ったが、ファリニシュに関わっていた神の名だった気がする。こんなところで出会うとは、数奇なものを感じた。

『それじゃあ、汝、シブ=ニググラトフの名において命じる。我と盟約を結び、その力を我にのみ捧げよ』

『我、シブ=ニググラトフの名に於いて誓う。汝、…其方の名は何と?』

 しまった、言ってなかったか。

『ヴァイナスだ』

『汝、ヴァイナスの命に従い、我が力を行使することを盟約す』

 盟約を交わした瞬間、右手の甲が灼ける様な熱さに包まれた。慌てて引き抜くと、甲の部分に背中にあった紋が浮かび上がっていた。だが、その色は漆黒ではなく、暗緑色の光を仄かに放っている。

『契約は成った。我が力、存分に振るうが良い』

『言っただろ、無暗に使う気はないよ』

『それでは我の存在意義が…』

 気が付けば再生し、傷跡もない多眼をしば立たせ、縋るような視線を向けてくる黒き羚羊(シブ=ニググラトフ)に、俺は苦笑を零しつつ、

『分かったよ。折を見て力を借りるから、大人しくしていてくれ』

 と答えると、

『心得た。我が力を振るう時を楽しみに待つとしよう』

 シブ=ニググラトフは満足そうに頷く。その動きに頭から転げ落ちそうになったので、態勢を整えつつ俺は質問する。

『それで、ここから出るにはどうしたら良い?』

『彼の世界にある拠所を強く思えば、辿り着けるであろう』

 拠所か…。その時俺の脳裏に浮かんだのは、笑顔を浮かべるエメロードだった。早くこの目で見たいものだ。そう思いつつ念じると、俺の意識は遠のき、周囲の闇に呑まれるように、溶け込んでいった。



 誰かが俺の名を呼んでいる。

 母の胎内にいるかのような安らぎの中、微睡むように過ごしていた俺を呼ぶ声がする。

 最初は、どこか遠くから微かに聞こえてくる感じだったが、それが徐々に強まるにつれ、強くはっきりと聞こえてくる。

 それに合わせ、俺の意識も明瞭になってくる。そして、最も強く呼びかけられた時、俺の意識は覚醒した。

 騒めきに囲まれる中、ゆっくりと目を開ける。

 俺は、瘴気に飲み込まれた祭壇の上に横たわっていた。周囲を見渡すと、どうやら戦闘があったらしく、魔物の血臭や体液の匂いが漂う中、倒した魔物の素材を剥ぎ取る者や、動く魔物がいないか確認をする者達が動き回っている。

 そんな中、俺の名を呼んでいた者が、俺の胸の中に飛び込んで来た。流れのままに受け止めると、柔らかな感触と共に、一面の銀によって視界が埋まる。

「良かった…! 戦いが始まっても目を覚まさないので、心配しました…」

 震える声と共に、頬を濡らす涙を拭おうともせず俺の首に手を回してしがみついているのは、ロゼだ。俺が目を覚ましたことに気付いたのか、ジュネやブリス、ヴィオーラ達も俺の周囲へと足早に近づいて来る。

「良かった、目が覚めたのね。瘴気に包まれた時にはどうなることかと思ったわ」

「無事で何より」

「貴方が瘴気に取り込まれてから、こっちも大変だったのよ」

 口々に声を掛けてくれる皆に笑顔を向けつつ、ふと視線を向けると、気を失っているのか横たわる狼頭人(ベリト)の傍に寄り添う、静寂の美女(インファンタ)窮鼠人(エゴン)の姿があった。

「あいつも急に倒れたのよ。それと同時に魔物の勢いが弱まったから、そこからは戦いに余裕ができたけど」

 スマラが祭壇へと飛び乗り、教えてくれた。傍らにはマグダレナもいる。二人も合一を解いて、戦闘に参加していたそうだ。

「随分と激戦だったみたいだな」

 俺は儀式が始まる前に、祭壇を囲んでいた魔物を思い出し、周囲の惨状を見て、その様子を頭に思い描く。

「強さもそうだったけど、周囲に見境なしに攻撃していたから、祭壇を護るのに躍起だったわ」

 マグダレナがそう言って苦笑する。シブ=ニググラトフの〈祝福〉に中てられ、狂乱した魔物達は、同士討ちも気にせず暴れ回っていたらしい。おかげで不利を承知で乱戦に飛び込み、戦うことになったとブリスがぼやいた。

「それでも、祭壇を中心に円陣を組んで戦ったから、何とかなったけど。集団戦の訓練しといて良かったぁ」

 キルシュがそう言って大袈裟に安堵のため息をつく。確かにあの数の魔物と戦うには、広いとは言えない祭壇周囲の状況は、味方を巻き込まないように戦うには苦労しただろう。

 特に後衛にとっては、広範囲の魔法を迂闊に使うことができないため、気を遣った筈だ。それでも、良い経験になったと笑顔を浮かべるキルシュに、守ってくれたことを感謝する。

「気にしないで。ゼファーも格好良かったし! 素敵だったわ~、真っ先に群れの中に飛び込んで、次々に魔物を倒す様は」

 そう言って両手を頬にあて、視線を向ける先には、ガデュス達と共に、巨大な魔物の剥ぎ取りを行う、ゼファーの姿がある。

 ゼファーも漸くこちらに気付いたのか、作業を中断して近づいて来た。

「よう、お目覚めのキスは必要なかったか?」

「主殿、御無事で?」

「大丈夫だよ。皆も無事かい?」

 俺の確認に、ゼファーは親指を立て、ガデュスは詳細を報告してくれる。怪我の大小はあれど、全員無事と聞いて、俺も笑顔を浮かべて頷いた。

「それにしても、大量だな」

「おうよ。呪いによって変異したのか、素材も普段回収できるものとは違いもあるし、良い値段になりそうだ」

 ホクホク顔のゼファーに頷き、俺は未だに縋り付いたまま肩を震わせるロゼの頭を優しく撫でると、横抱きに抱えて祭壇から身を起こした。

 ロゼは驚きに顔を上げるが、もう一度くしゃりと表情を歪め、泣き笑いのような顔で啄むようにキスをすると、再び首に手を回し、しがみついて来た。

「それで、呪いはどうなったの?」

 スマラの質問に、俺は片手でロゼを支えると、右手の甲を見せた。そこに浮かぶ紋章を見て、スマラの鼻に皺が寄る。

「ちょっと、呪いが解けていないじゃない!」

「いや、これは呪いじゃない。〈祝福〉なんだよ」

 俺は瘴気に呑み込まれた後、何が起きたかを説明する。シブ=ニググラトフの祝福について説明すると、スマラは目を瞬かせ、

「まったく…。何でそう貴方は考えなしに行動するのかしら」

「仕方がないだろ。穏便に事を済ませるには、そうしたほうが良かったと思ったんだし」

 俺の言い訳にスマラは息を吐くと、俺の手の甲を凝視した。

「…確かに強い力だし、瘴気すら糧とする神の〈祝福〉なんだろうけど。強すぎる薬は毒にもなる、か。神様の加護も考えものね」

 お前も神様だろうに…。自分のことは棚に上げ、すまし顔で顔を洗うスマラに苦笑しつつ、俺はインファンタ達の元へ向かう。

 インファンタが俺に気が付き、微笑みを浮かべる。俺はそっとロゼを降ろし、宥めるように背中を叩く。ロゼは頷き、もう一度頬にキスをすると、ジュネたちと共に傍らに立つ。

 俺が横たわるベリトに近づくと、インファンタは俺を抱き締め、力を込めた。俺もそっと抱き締め返す。

 インファンタは何度か頷くと、そっと離れ、俺の手を取ってブリスの傍へと誘う。

「無事だったか。ベリトは気を失っているようだ。呼吸は落ち着いているし、呪いも解けたようだ」

 エゴンの言葉に、ベリトに掛けられた上着を捲り、腹部に浮かんでいた玄紋が消えているのを確認した。

「ベリトの命を奪うことなく、呪いを解いてくれたこと、感謝する」

 深々と頭を下げるエゴンに、俺は頭を振って答える。

「結果的に上手く行きましたが、ベリトさんが意識を取り戻し、俺と敵対する可能性だってあります。感謝の言葉は、それを確認してからでも遅くありませんよ」

 俺の言葉に、エゴンは頷くとベリトへと視線を戻す。呼吸は落ち着いているし、そのうち目を覚ますだろうが、まずはこの迷宮を出て、街の人達の〈祝福〉が解かれているかどうか確認しないとな。

 俺は皆の作業を眺めつつ、エメロードのことを考えていると、袖を引かれて我に返る。視線を向けると、俺は思わず目を見開いていた。


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