50人に1人の天才です
「というわけで、学生になりましょう。八神さん」
「は?」
田中の言葉が文字の羅列となって流れてくる。
なんて言ったこいつ?
ガクセイ?
……って、あの"学生"か?
八神がバカみたいに固まっていると、田中はいつもの湿度のない表情で続けた。
「学生になって、恋愛とは何かをきちんと学んでください。人と関わって、距離を詰めて、心を通わせる。そういう生の人間関係を経験すること。恋愛ものを書くなら、まずそこからです」
情報を足されても意味がわからない。八神はしばらく言葉を失っていたが、ようやく我に返ると、勢いよく身を乗り出した。
「ちょっっっとまて。え、もう一回学生やれってか?あのー、俺が泣く子も黙る高卒って知ってて言ってる?お前、高卒舐めんなよ。高卒なんてな、この学歴社会において将来引きオタニートになるか工場でパンにシール貼るかの二択だからな」
「高卒舐めてんのはあんただろ。あんたみたいな社会不適合者と一緒にされたまともな高卒に謝ってください」
田中は鞄から薄いパンフレットを取り出すとテーブルに並べた。どの冊子にもオフィスビルのようなキャンパスと笑い合う男女の写真が印刷されている。
「社会人からでも編入できる大学をいくつか選定しました。正直八神さんは社会人というより社会不適合人ですが、高卒の八神さんでも頑張れば入れそうなところをピックアップしといたんで」
「大人だからガキの煽りはスルーしてやるけど、あまりに用意周到すぎない?どうした?」
八神は鼻に皺を寄せながら如何にも雑な手つきでパンフレットを捲る。
「いや、最近八神さんが持ってくるネタが似た味ばっかだったので。なんでかなって思ったんですけど、やっぱ高卒な上にろくな就業経験もなくゲームばっかやってるから色々と経験値が低いのかなって。せめて大学とか行かせた方がいいのかなって、前から探してたんすよね」
「お前は俺の母ちゃんか!!え?年下だよな?どこの大学出たか言ってみろ!」
「一橋ですね。ちなみに現役合格です」
「うぜぇ〜!私大だったら所詮3科目受験がよ!ってバカにできたところを国立ってさぁ…5教科7科目はさすがに煽れないわ。すごいね、普通に。ちなむ必要はなかったけど」
「大学受験もしてないのに3教科ってだけで私大をバカにできると思ってる方がすごいですよ。」
「てか学生と恋愛がどう繋がるんだよ、だったらまだレンタル彼女とかキャバクラで疑似恋愛する方が実りあるだろ!」
もちろんレンタル彼女もキャバクラもまったく興味はない。それでも今から大学に入り直して恋愛ごっこをするくらいなら、一時的に金で解決する方がまだマシだ。せめてそっちの方向に誘導できないか……そんな八神の微かな希望は田中の硬質な声にバッサリと打ち砕かれた。
「金銭が発生する恋愛はダメです。もちろんゲームもダメです。重要なのは、自然な生活の中で恋愛をすること。もっというと恋愛だけじゃない。八神さんには人間関係そのものを経験してほしい。それがヒット作への一番の近道だと僕は思います」
「言いたいことはわかったけどだるいな」
「八神さんには才能があります。50人に1人くらいの」
「50人?!すごいのかそれ。ギリ凡人な気もするが」
「前の担当の川崎さんが言ってました。最初の持ち込みが悪くなかったので、若くしてデビューさせてしまった、それゆえの行き詰まりがあるんじゃないか、と」
「っつってもなぁ…」
八神はため息を吐いて、田中を見返した。田中は静かな眼差しで八神を見つめていた。いつもと変わらない、渇いた眼差し。けれどその奥には、編集者としての確かな矜持が灯っているように見えた。今日はやけに熱いな…八神はしばし目を閉じて唸った。田中と出会って3年、万年シベリア大陸のようなこの男にここまでの熱を感じるのは久しぶりだった。
(こりゃ、引かなそうだな)
面倒なことこの上ないが、夢の印税生活のためだ。騙されたと思ってこいつの熱に乗ってみるのもアリかもしれない。それにダメだったら辞めりゃいいだけの話だ。
八神は、心の中でゆるい覚悟を決めると、一番気になっていたことを田中に聞いた。
「なるほど、君の想いは伝わった。ところでその間の収入は?てか学費は?その辺どうなんだ?」
「学費についてはなんとかします。あとは今までの印税でどうにかしてください。足りない分はバイトするなりなんなりしてください。これまでだってそうやってきてるしまぁ問題ないですよね」
「問題大有りな気がするんだが。てかなんでそんな太々しいんだよ、大卒だからって調子乗んなよマジで」
「そういうわけなんで、はいこれ。過去問と参考書です」
学歴コンプレックス全開のツッコミを華麗にスルーして、田中はこれまたどこから出してきたのか、大量の本を八神の前にどさっと置いた。鈍器のような分厚さの本が二人の間に堆く積まれ、視界を完全に埋め尽くす。
「うっわ吐きそう。てかえ?受験日いつ?」
「半年後ですね」
「無理だろ!!だったらまだ土下座の練習でもした方が可能性あるわ!」
「土下座する前に勉強してください。真面目にやれば受かります。いいですか、八神さん。これは八神さんがこのまま引きオタニートで終わるか、売れっ子作家になるかの分かれ目なんですよ!」
「引きオタではあってもニートではないんだが…一応作家として活動してるし、あとたまにYouTubeとかもだな……」
「なんか言いましたか?とにかく、決戦は半年後です。僕も勉強教えますから一緒に頑張りましょう。受験科目は小論文、英語、面接。小論文は得意分野でしょうし、英語は勉強すりゃ一定レベルには達します。問題は面接ですが……まぁなんとかなるでしょう」
「急に雑でびっくりしてるんだが、本当に大丈夫か?なんかすげー口車に乗せられてるような…」
「言ったでしょ?八神さんは50人に1人の天才です。死ぬ気でやればできないことなんてありませんよ。じゃ、僕はこの後新人作家の持ち込みがあるので失礼します」
「新人作家に乗り換えようとしてねーか?大丈夫?なぁ、ほんとに大丈、」
「それでは」
田中は続けて「経費で落としますので領収書もらっておいてください。」とだけ告げると、いまだ混沌の中にいる八神を置き去りに颯爽と席を立った。白いシャツが視界から消えると、後には大量のグラスと山のような参考書、そして期せずして受験生となってしまったアラサー男だけが取り残された。
大学生くらいの女性店員が項垂れる八神に声をかける。
「お客様、申し訳ございません。現在店が混み合っておりまして…」
「あぁはいすいません、でます」
店員が言い終わる前に慌てて立ち上がる。大学に入ったらこれくらいの歳の女の子と机を並べるのか……八神はため息をつくと、大量の参考書を抱え込んでレジへと急いだ。心の中で悪鬼、田中への呪詛を延々と唱えながら。




