学生になりましょう
「恋愛をしてください。」
「…は?」
◇
「…とまぁ、そんなかんじだ」
「…え?!終わり?!」
「あ?大体わかっただろ。文句あるか?」
顔を顰める八神に、透子は詰め寄る。
「ありまくりだよ!『恋愛してください』も全然追いついてないけど…でも、だからってなんで大学?!」
「チッ、細けぇな。つまりだな…」
八神は面倒そうに頭を搔きながら、話を続けた。
◇
「恋愛をしてください」
「…は?」
「八神さん自身が恋愛をして、実体験をもって書くこと。恋愛ものでヒットさせたいならそれが絶対条件です」
二人の間に再び沈黙が流れる。八神は宇宙人を見る様な目で田中を見た。
……誰かに頭でも殴られたか?
そんな喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込むと、八神は情けなく半開きになった口元を指でなぞりながら、声を絞り出す。
「………二次元で?」
「三次元で」
血飛沫の音が聞こえそうなほどの一刀両断ぶりに頭を抱える。何言い出してんだこのガキ………八神は自分よりも若い目の前の優男を睨みつけた。
「……マジで言ってる?俺、恋愛したことないっつったよな?」
「小説ってのはですね八神さん、作者の人生が滲むもんなんですよ。八神さんの一番のヒット作なんでしたっけ?」
田中は八神を逃すまいと食い気味に問いかける。灼熱の8月にあってもさらりと乾いた麻のようなこの男が、徹夜で書いた原稿も「面白くない」の一言で鍋敷きに使うような冷酷無比なこの男が、こんなに熱っぽく詰め寄るとは。見慣れない勢いに気圧されながら、八神は自身の過去作を振り返った。
「え?なんだろな。正直どんぐりの背比べだけど、まぁ『引きオタニートの成り上がり』かね。一応ドラマ化までいったしな」
『引きオタニートの成り上がり』。
3年前に連載していた八神の5作目の作品だ。連載当初は人気作の箸休めに読まれる程度だったが、アイドルグループ・スター☆ライトのメンバー、高峯優雅が自身のYouTubeチャンネルで紹介したことをきっかけにファンを中心に話題になった、八神の代表作である。
「はい、僕もそう思います。あの作品の何がよかったかって、やっぱり八神さんの人生が滲み出てたからだと思うんですよね」
「アレ、引きこもりオタクニートが主人公なんだけど、それに滲み出てる俺の人生ってなに?」
八神の虚な視線をよそに田中は澱みなく話し続ける。
「引きオタニートのトオルがリア充への報復として、サッカー部の陽キャ、ヒカルの水筒の中身を雑炊に変えるものの、それがきっかけでヒカルと美人マネージャーのマイコが付き合うことになる話とか八神さんの性根がすごく出てましたよね。あぁこの作者たぶんろくな青春過ごしてないな、修学旅行の班分けで余るタイプだったんだろうなって容易に想像できるっていうか」
「やめろよ!説明されるとすげーつまんない話に聞こえるし、俺どんだけ人生暗いんだよ!そこまで酷くねぇよ!俺はまず修学旅行に行かねーからな」
「底辺じゃないですか。まぁそれはともかく僕が言いたいのは、大袈裟にしてるとはいえ、あれは根っこに八神さんの陽キャに対するネガティブ感情っていう""本物""があったから面白かったんだってことです。恋愛ものに限らず、下地もないのにヒット作の真似だけで売れるほどこの世界は甘くない」
「……………」
冷たく、しかし熱い言葉が鋭く突き刺さる。八神もだてにこの業界で書き続けているわけではない。田中が不条理や意地悪を言っているわけではないことは十分わかっていた。それでも、この若き編集の斜めにぶっ飛んだ発想には、長年のキャリアをもってしても即座に追いつけるものではなかった。
「あー、その、おっしゃることはごもっともなんだが、こっちもだてに28年引きオタやってないんだわ。突然ゼロから恋愛しろとか、真中淳平がラッキースケベなしで卒業するくらい無理な話だろ」
八神は投げやりに答えると気怠げに頭を搔いた。田中はその様子をじっと見つめると、平坦な声で言い放った。
「というわけで、学生になりましょう。八神さん」
「は?」




