恋愛をしてください
話は一年ほど前に遡る。
8月の昼下がり、某ファミレス。
向かいに座る担当編集・田中が八神に淡々と言い放った。
「というわけで『とあるニートの皮算用』、あと3話で終了です」
「………………」
「読者のコメント引用しますね。『ヒロインが可愛くない。』『後半急にエロ展開入ったの必死すぎるw最初からやれよ。』『無料話まででいい。以降は時間と金の無駄。』…だそうです」
機械のように読み上げる田中の言葉を八神は目を閉じて聞いている。コーラに沈んだ氷がカラリと音を立てた瞬間、八神の双眸がカッと見開かれた。
「あっっっそう。じゃあ読まなきゃいいじゃん!時間と金の無駄だぁ?ハッ!なら聞くがな、オメーは普段どんだけ有意義な時間をお過ごしなんだよ!?どうせくだらねぇショート動画スワイプしてるだけだろーが!」
低く、しかし明瞭な声に包まれた罵詈雑言がファミレスの一角で小声で響く。
「八神さん」
「いやそうだな!たしかに時間と金の無駄だわな!ありがとよ、たくさん費やしてくれて!てめーのなけなしの金は晴れて俺のタバコ代だよ、ざまぁみろや!!」
「八神さん」
「んだよ」
田中は表情を一切変えずに言い放つ。
「読者がすべてですよ、八神さん」
「わぁってるよ!!………はぁ、ちょっと一本吸わせて」
「ここ禁煙です、八神さん」
「クソが!」
メビウスの箱が怒りのままに叩きつけられる。が、ほとんど中身のないそれは、ただぺしっと情けない音を立てただけだった。
「まぁ、初めての漫画作品にしては善戦した方だと思いますよ。八神さんはそもそも作家ですし」
田中の手には一冊の単行本が収まっていた。地味な少年と清楚な少女が描かれた表紙の上で『とあるニートの皮算用』という文字がポップな字体で踊っている。
「最近は文字なんざ誰も読まないからな。いや、正しくは《《読めない》》、か。ハッ、文字の読めないバカでも絵はわかるからなぁ」
「口が悪いのはさておき、なるほど。売上のために小説ではなく漫画を描いてみたってことですか」
「あったりまえだろ。いいか、何度も言うが俺は働きたくないんだよ。朝起きてスーツ着て満員電車乗って労働。これができないから仕方なく創作してんの。じゃなきゃ誰が好き好んでこんな七面倒なことやるかよ」
投げるように吐き捨てる。八神には志も野心もない。ただ、働きたくないだけ。その一心で、18から書き始め、気づけば10年経っていた。
「ふむ。まぁどんな理由でも結構です。ヒットさせたいのはこちらも同じですし。ただ……」
田中が初めてその端正な顔を歪ませる。涼しげな目元が印象的なこの男は、八神の二代目の担当編集で、もうじき3年の付き合いになる。
「ただ?」
「八神さんの得意分野ってギャグなんですよね。しかもブラックユーモア系で王道じゃない。やはり大衆受けするにはギャグだけでは厳しいかと」
「そこだよ」
「ん?」
険しい顔で見つめる田中に対し、八神が口角を上げる。
「まさに俺もそうだと思って、俺なりに今までヒットした作品を分析してみた。したら、わかったんだよ。まだ俺がやってなくて、かつ安定的にヒットしてるジャンルがあるってことが」
「と、いうと?」
八神はフッと笑うと、細長い人差し指を一本、その鼻先に突き出した。
「恋愛もの」
「恋愛、ですか」
「そ。結局ヒットしてんのってこれだろ。ネットではさ、今時恋愛って(笑)みたいな冷笑ムーブあるけど、それしてんのオタクだけだから。世間一般の皆さんは、令和でもちゃんと恋愛やってんのよ」
滔々とオタクを貶す八神に、田中は平坦な声で返す。
「オタクへの当たりの強さに精神の歪みを感じますが、まぁ理屈はわかります。恋リアとかも人気ですしね。ただ…」
田中が一度言葉を切る。そして、自信に満ちた八神の顔を一瞥すると、静かに切り出した。
「プライベートな質問で恐縮ですが……恋愛経験はおありですか?八神さん」
「は?あるわけないだろ」
「………………」
「あ、三次元の話ね?二次元ならあるよ。むしろ得意なくらい」
八神が自身の薄い上腕二頭筋を叩く。田中はその様子を光のない瞳で見据えた後、長いため息と共に獄門を開くような低い声で言った。
「舐めんなよ、恋愛ものを」
無表情の圧が八神から笑みを奪う。その迫力に思わず閉口すると、八神は仕切り直すように確かめた。
「………タメ口?聞き間違えじゃなかったら今タメ口だったような、」
「テキトーにヒット作パクって、テキトーに人気俳優にでも演じてもらえばいけると思ってんだろ」
「………紛うことなきタメ口だな。まぁ一旦いいや、や、あのー、舐めてるとかじゃなくてさ、」
「思ってるだろ。山田涼介にでもやってもらえば一発だと思ってんだろ」
八神の抵抗虚しく、田中はいつもの鉄仮面で淡々と詰める。八神は観念したようにため息を吐いた。
「あーはいはい思ってますよ、正直ね。これで満足か?」
「思ってんのかよ。そして開き直るなよ」
「や、俺もさ、なにもノー勉強で言ってるわけじゃねーのよ」
先ほどの意趣返しだろうか。田中のツッコミをスルーして八神は言葉を続ける。
「色々見てみたけどよ、恋愛ものってやっぱメディア化が大事なんだなって。別に中身はなくてもいいんだよ。だってどれもあらすじ一行で足りるからな。男と女が性的に惹かれ合った結果、性的に結ばれましたっていう」
「性的性的うるさいな…精神面の描写次第で変わると思いますけど」
「や、それでいうと、正直俺、繊細な文章とかあんま得意じゃないから。どっちかっつーとこう、ざっくりテンポよくいきたいっつーか」
「絶対恋愛もの向いてないだろ」
編集たるもの、作家の可能性を初めから摘むのはよくない。が、読むまでもなく断言できる。費用対効果を何より重んじる八神が、一銭にもならない上、神経ばかりをすり減らす恋愛を真に理解できるとはまるで思えない。
「まぁ向いてはないわな」
独り言の様に呟く。八神はソファにばったりと背中を預けると、そのまま天井を仰いだ。周囲の喧騒に耳を浸しながら、うーんと唸る。
「っつってもな〜最後にうまくいったやつ2年前だぞ。そろそろちゃんとヒット出したいんだよな。もうそれだけで食ってけるようなやつ。キメヤイみたいな」
「キメヤイ…?あ、鬼滅の刃か。いや略し方キモすぎるんですが」
それそれ、と八神が視線だけで頷く。たしかに、ここ2年ほど八神はこれといった作品を出せていない。本業ではない漫画に手を出したのもそうした現状に対する危機感からだろう。
(ヒットを出したい、か)
田中は視線を落とす。八神には飛び抜けた才能はない。その上、作家としての矜持もべつにない。志とかプライドとか、腹の足しにもならないものに一切の価値を見出さず、むしろ邪魔とすら思っている。作家には珍しい、妙に俗っぽい男だった。
(でも、この人書くのだけはやめないんだよな)
働きたくない。だから印税で暮らしたい。そのためにはヒットが必要。ならば、ヒットが出るまで書けばいい。八神の理屈は驚くほど単純だった。それは、諦めが悪いとかとも違う、妙に合理的な泥臭さだった。
(そういうとこが厄介なんだよな、この人は)
田中は覚悟を決めたように目を瞑るとフーッと息を吐き出した。そしてなお天井を見つめたままの八神に言った。
「わかりました、八神さん。ただ、恋愛ものをやるなら一つ、条件があります」
「条件?」
八神は一度大きく伸びをすると、勢いをつけて体勢を戻した。黒目がちな瞳をぐるりと動かし、田中の言葉を促す。
「恋愛をしてください」
「…は?」




