元気そうで何よりっす
「はぁ〜今日のテスト地味に難しかったねぇ」
語学終わりの教室を後にしながら、透子がため息交じりにぼやく。
「ね。チャイ語舐めてたわ。漢字だし雰囲気でいけると思ったんだけどなー」
隣を歩く茜も疲れた顔でそう返すと、スマホで時間を確認しながら透子の方を振り返った。
「私、この後もう一コマあるけど…透子は今日サークルだっけ?」
「うん!これから行くつもり」
透子が笑顔で返す。
(サークル久しぶりだなぁ。新しいカレー屋にみんなで行った以来だもんね)
楽しみだなぁと頬を緩ませる透子に茜が尋ねる。
「結構ちゃんと行ってるよね。なに系のサークルだっけ?」
「え!えぇっと…り、料理系かな…?お、主にカレーとか…」
(部長がいたら、『ただの料理サークルじゃない、インドカレー研究会だ!』って言われそうだけど…)
透子は曖昧に笑いながら、平良の常人ならざる熱量をやんわりと隠して答える。
「へー、楽しそうじゃん。あ、でもあの変な男も一緒なんでしょ?なんか…大丈夫?そのサークル…」
茜がじっと疑いの眼差しを透子に向ける。
「え、えぇっと…」
(変な男…や、八神さんのことだよね)
透子は困ったように笑いながら語学初日のことを思い出す。
(一応、八神さんのこと誤解されないように話したつもりだったけど…茜ちゃんの中ではすっかり危険人物扱いになっちゃってるなぁ)
「だ、大丈夫だよ!八神さんはたしかに変だけど…他の人もいるし…!」
(ま、まぁ、平良部長もちょっと変わってるけど…ゆりねさんはいい人だし…)
そう言って顔の前で大きく手を振る透子に、茜は腕を組んでうーんと唸る。
「ほんとに?なんか心配だなぁ。透子ちょっと抜けてるとこあるし…なんか変なことされたらすぐ言うんだよ!しばきに行くから!」
茜が力強い口調で透子に詰め寄る。その勢いに思わず透子から笑みがこぼれる。
「ふふ、もー大丈夫なのに…でもありがとう!じゃあ、また明日ね!」
そう言って茜と別れると、透子は部室の方へと歩き出した。
(とっさに他の人もいるって言ったけど…そういえば、私まだサークル入って、ゆりねさんと部長にしか会ってないなぁ…ほんとはもっといたりするのかな?どうなんだろ…あっ)
そんなことをぼんやり考えて歩いていると、前方から見慣れた猫背姿の男がゆらゆらとこちらに向かってくるのが視界に入った。透子はその姿を認めると、近寄りながら声をかけた。
「八神さーん!」
「ん?お前か」
八神が顔を上げる。その顔はいつもより白っぽく、目の下にのさばった濃いクマもいつにも増して目立っていた。
「あっ…うん。えっと、八神さん今日いく?サークル…」
見るからに疲労の溜まった顔に、透子は思わず言葉を詰まらせながら恐る恐る尋ねる。
「悪いが、今日はマジで忙しいからパス。色々締切が迫っててな」
そう話す八神の声は少し掠れていて、やはりいつも以上に覇気がない。心なしか白目の部分もぼんやりと充血しているように見える。
「あ…そっか。うん、わかった、伝えとくね」
「よろしく」
「あっ八神さん…!」
軽く手を振って立ち去ろうとする八神に思わず透子は声をかける。
「ん?」
八神のどんよりとした黒い目が肩越しに透子を映した。その視線に、透子は思わず喉まで出かかった言葉を飲み込むと、鞄を持つ手をぐっと握り込む。
「あ…ううん、なんでもない…」
「?おう」
困ったように笑う透子を不思議そうに眺めたあと、八神はくるりと背を向け、そのままゆっくり歩いていった。
「……………」
透子はその後ろ姿をしばらく見守ったのち、ふぅ、とひと息つくと、部室の方へととぼとぼ歩き出した。
(八神さん、いつも以上にクマ酷い気したけど大丈夫かな…締切って言ってたけど、多分本業のことだよね…あんま寝れてないのかな)
そんなことを悶々と考えながら歩いていると、視線の先に部室が見えてきた。よく見るとドアが少し開いている。その隙間から光とともに、微かに音が漏れていた。
(…?なんの音だろ?)
恐る恐る中を覗くと、奥に見知らぬ人影が見えた。どうやら音は男が持っているスマホから流れているようだった。何やら集中しているのか、透子の気配には一切気付かず、スマホを横に持ちながら画面を高速でタップしている。
(だ、誰だろ……ん?ま、まってこの曲って…!)
「ス、スタライ!?」
何度も聞いてる推しグループの楽曲に、思わず声が飛び出る。
(……って、やば……!私また反射で……!)
「ん?あー、すいません。ちょっと待ってくださいね」
口元を抑えながらワタワタと慌てる透子をよそに、男は画面を叩きながら落ち着いた声で返す。そしてしばらく素早く指を動かしていたが、最後力強く画面を叩くと突然指を止めた。男の持つスマホから『フルコンボ!』という声が上がる。
「よし、フルコンっと…あ、すいません、なんすか?」
音が止んで静かになった部室で、男が透子を見る。薄茶色の前髪の隙間からスッとした糸目が覗いた。
「あっ…えっと、すみませんその…!ぜ、全然大したことじゃないんですけど…!い、今の曲、スタライかなって…!」
(あ〜〜なんで私って反射で反応しちゃうの…!全然知らない人なのに…!)
心の中で自分の頭を叩きながら、透子は手をバタつかせて必死に説明する。その辿々しい説明に男は「すたらい?」と小首を傾げると、スマホの画面をチラッと見て、あぁと呟いた。
「この曲っすか。すいません、僕、あんまり曲自体は詳しくなくて」
「あっ…そ、そうなんですね…!す、すみません、私、いきなり…!」
男のあっさりとした返しに透子の顔がさらに真っ赤に燃え上がる。
(ひ、ひとりで盛り上がって恥ずかしい…消えたい…)
あまりの羞恥に耳まで赤くして俯いていると、ドアの方から音がした。
「ごめんね、透子ちゃん遅くなって…って、あら。棗くん?こっち帰ってきてたの?」
「ゆりねさん!」
凛とした声に透子が思わず振り返る。視線の先にはゆりねが立っていた。暑いのか、髪を一つに束ねている。
「ねえさん、元気そうで何よりっす」
糸目の男はゆりねを見ると、そう言って人の良さそうな笑みを向けた。
「ねえさんはやめなさいって言ってるでしょ」
ゆりねは呆れたようにため息をつく。
「お、お知り合いですか?」
慣れた様子の二人の顔をキョロキョロと見ながら、透子がゆりねに尋ねる。
「サークル仲間よ、一応ね。棗くん、挨拶なさい」
棗くんと呼ばれた男は透子に笑いかけると、立ち上がって軽やかに挨拶をした。
「はじめまして、春川棗っていいます。テキトーに棗さんとか呼んでください」
「こ、こちらこそはじめまして!新入生の佐倉透子っていいます!よろしくお願いします!」
にこやかな笑みを浮かべる棗に、透子は慌てて頭を下げる。
(サークルの人だったなんて…!うわー私の第一印象、絶対最悪だ…恥ずかしい…)
数分前の自分を恥じ入る透子に、棗は特に気にする様子もなくさらりと返す。
「透子さんっすね。よろしくっす」
「棗くんは海外留学でしばらくいなくてね。もう帰ってきてたとは知らなかったわ」
荷物を置きながらゆりねが口を挟む。
「はは、まぁ言ってないすからね」
「か、海外留学?!すごい!」
こともなげに返す棗に、透子は目を丸くして驚く。
「いやいや。僕の学部って一年の後期に全員強制で数ヶ月海外行かなきゃいけなくって。それでしばらくオーストラリア行ってたんすよ」
「オーストラリア…!カンガルーの国ですね!え、じゃあ英語もしゃべれるってことですか…?!」
「まぁ多少は。日常会話程度っすけどね」
「全然十分ですよ!私、海外行ったことなくて…すごいです!」
「棗!棗じゃないか!」
キラキラと目を輝かせる透子の後ろから、聴き慣れた大声が飛んでくる。振り返ると、遅れてやってきた平良が目をパチパチさせながらドアのところに立っていた。
「部長。お久っす」
驚いた顔で立ち尽くす平良に棗が爽やかに微笑む。その笑顔に、平良は小走りで駆け寄ると、いつもの大きな声で詰め寄った。
「いつの間に帰ってきてたんだ!一報くらいよこせ!あ、佐倉!こいつは棗といってな…」
「部長、もうその件やったので大丈夫っすよ」
透子の方を振り返って説明を始める平良を棗がにこやかに遮る。
「お、そうか」
平良は素直に引き下がると、満足げに棗の細い肩を叩いた。
「いやしかし、いいタイミングで戻ってきてくれた!」
「いいタイミング?」
「うむ!棗もわかるだろう!ほら、5月といえば?!」
キラキラとした瞳で迫る平良に、棗ははて、と首を傾げる。
「え?何かありましたっけ?あ、こどもの日?」
「違う!それもそうだが!5月といえばアレしかないだろう!なぁ、ゆりね!」
平良が勢いよく、ゆりねの方を振り返る。我関せずと静かにスマホをいじっていたゆりねは、小さくため息を吐くと、呆れた調子で呟いた。
「はいはい、皐月祭ね」
「その通り!!」
平良が力を込めて叫ぶ。その名前に透子も小さく声を上げる。
「皐月祭…!高校のとき行きました!」
透子は高校時代に行った時のことを思い出す。進路が定まらず、大量の大学のパンフレットと睨めっこしていたあの頃。オープンキャンパスや説明会を聞いてもしっくり来ず、焦りを感じていた時に行ったのが八大の皐月祭だった。
(出店も催し物もたくさんあって…何より学生さんが皆すごく楽しそうで…あれで、この大学行きたいって思ったんだよね)
地元から2時間近くかけて行った甲斐があったなぁ…なんて当時を振り返る透子の横で平良が言葉を続ける。
「うむ、皐月祭には我々インカレ部も当然参加する!そろそろ動き出さないとだからな、今日はそのことについて話そうと思ったんだが…八神がいないな?」
「あ、今日はマジで忙しいから行かないって…」
透子の返しに平良は腕を組みながら、ふむと呟く。
「そうか、仕方ない。この話は週末にするか。八神もいる日に話しておかないとな。あいつはあれで寂しがり屋だから拗ねるかもしれん」
(それはないと思うけど…)
心の中でそう思いながら、透子は苦笑いを浮かべる。
「八神?」
平良の言葉に反応する棗に、横からゆりねが答える。
「透子ちゃんと一緒に入ってきたの。新入生…よね?」
ゆりねがチラリと透子を見る。
「え!…っと、そ、そうですね、一応…」
(本当は29歳だけど…勝手に話さない方がいいよね…まぁ社会人入学とはいえ新入生なわけだし嘘ではないよね…?)
頭の中でぐるぐる考えながら、透子は曖昧に笑った。
「へぇ、いいですね、賑わってるじゃないすか」
棗が頭の後ろで腕を組みながらヘラリと笑う。
「でもあんま人数増えるとなぁ。入り浸りづらくならなきゃいいすけど」
そう付け足す棗に平良が声を張り上げる。
「棗は部室きてもゲームばっかしてるもんな!まったく、ここは溜まり場じゃないんだぞ!」
「え?違うんすか?」
「違う!ここはインドカレーの奥深さを探求することを至上の目的とした真剣サークルだ!棗も皐月祭ではちゃんと働いてもらうからな!」
「はいはい。相変わらず部長は熱いっすねぇ」
平良の熱弁を飄々とかわす棗を横目に、透子が尋ねる。
「えっと、すみません、私初めてであんまりよくわかってないんですけど…具体的に何をするんですか?」
透子の質問に、平良は待ってましたとばかりに食いつく。
「うむ、よくぞ聞いてくれた!ゆりね、棗、お前らも知りたいよな?!」
満面の笑みで二人を振り返る平良に、ゆりねがスマホをいじりながら「はいはい、知りたい知りたい」と棒読みで返す。
そんな雑な返答でも、平良は満足したらしく、噛み締めるように頷きながら熱く言葉を続けた。
「よしよし、よく聞けよ。ズバリ!我々がやるのは、インドカレーをメインとした模擬店だ!!」
バンッと効果音がつきそうな勢いで、平良の声が部室に響き渡る。しばしの沈黙の後、棗がふっと微笑む。
「勿体ぶったわりには想定内っすねぇ。ま、要は去年と同じっすよね」
「同じじゃない!ちゃんと今年の皐月祭に合わせてメニューも一から考える!食べ物系のサークルは多いからな…群雄割拠の飲食戦国時代を勝ち抜くためにも、お前たち今から気を引き締めておけよ!油断していると足をすくわれるからな!」
「せ、戦国時代?」
日常会話らしからぬ単語に透子が思わず聞き返す。
「売上がトップだったサークルは大学から補助金が出るから、どこも熱量が半端ないのよね」
ゆりねが横からため息交じりに補足する。
「そ、そうなんですね…!」
(な、なんか思ったより激しそうだな…!つ、ついていけるかな私…)
あの楽しげな祭りの裏側でそんな熾烈な争いが繰り広げられていたとは…驚きと不安の入り混じる表情を浮かべる透子の横から、棗が淡々と口を挟む。
「芸能人がくるステージの周り。あの辺とれるといいんすけどね。まぁ客が大量にきてもそれはそれで大変だからなぁ。ほどほどがいいっすけど」
「あ、あのステージですね!私が行った時も芸人さんがきてました」
講堂前の開けたエリア。たしか、去年もあの辺りに大きなステージが用意され、芸能人を呼んだ華やかなイベントが開催されていた記憶がある。
「そうそう。今年は誰だったかな…」
「うむ、場所取り、宣伝、接客、メニューなど考えないといけないことは山ほどあるが、大事なのは一つ、情熱だ!!あとはインドカレーへの愛!!あ、当日まで走り切る体力とかも大事だな!」
「一つじゃないっすねぇ」
拳を握って熱弁を振るう平良に棗が微笑みながら突っ込む。
「そうと決まれば早速週末、みんなで話し合おう!!開催日まであと1ヶ月ほどしかないからな、忙しくなるぞ!」
平良は棗のツッコミを華麗にスルーすると、いつも通りの気合の入った声でそう叫んだ。




