そんなに怖がることかね
「んー!おいしい!」
口の中に広がるカレーの旨みに、透子がぎゅっと目をつぶって、喜びの声をあげる。
新しくできたカレー屋は駅の反対側にあった。開店してまだまもないため、店内は大勢の客で賑わい、店員も忙しなく動いている。
「ううむ、うまいな。これは俺の中の八大周辺インカレランキングを見直さないとか…?」
ブツブツと独り言をいいながら平良もまた、その店一番のオススメであるチキンカレーをパクパクと食べ進める。透子も二口、三口と休むことなくスプーンを口に運びながら、顔を綻ばせた。
「チキンがすっごく柔らかい…!野菜もクタクタでおいしい…!」
「本当ね。……八神くんはどうかしら」
透子に優しく返しながら、ゆりねはじっと八神を見つめる。平良に無理やり連れてこられた八神は眉間にシワを寄せながら、黙ってカレーを口に運んでいた。
「あ?まぁ普通にカレーだな」
「お前はそれしか言わないな!もっと芯から味わえ!」
平良が八神に突っかかる。言い合う二人の様子をしばらく見つめた後、ゆりねは透子に微笑みかけた。
「…………。あ、そういえば、透子ちゃんはもう語学は始まったんだっけ?」
「あ、はい、今週から!今日も語学のと…友達、と課題してからきました!」
口元を押さえながら透子は少し気恥ずかしそうに答える。
「あら、お友達できたのね。よかったじゃない」
ゆりねの笑顔にコクコクと嬉しげに頷くと、透子は言葉を続けた。
「は、はい!あ、でも半分くらいは八神さんのおかげかも……」
「あ?なにがだよ」
口に運んでいたスプーンを一瞬止めて、八神が透子を見る。
「え、えへへ…まぁ気にしないで!」
そう言って笑う透子に怪訝な視線を投げつつ、八神は再びカレーを口に運んだ。
プルルル…
「お、誰か電話鳴ってるぞ」
平良が周りを見渡す。着信音は八神のポケットから鳴っているようだった。
「ん、俺か」
八神はポケットの中で振動するスマホを取り出すと、画面を確認するなり顔をしかめた。
「チッ、またか。だりぃな…」
八神がため息をつく。そして皿に残ったカレーを一口で平らげると、そのまま立ち上がり、店の外へと出ていった。
その後ろ姿を見送ったあと、透子は八神のキレイに完食された皿を見て小さく驚く。
「わぁ、八神さん食べるの早いなぁ。もう完食してる」
「ははは、普通のカレーなんて言いつつ、結構気に入ってたんだな!素直じゃないやつだ!」
「……………」
二人の会話を片耳で聞きながら、ゆりねは八神が出ていった後をじっと見つめた。
「ゆりね?どうした?」
「ごめん、私もちょっと」
尋ねる平良にそう告げると、ゆりねも席を立った。
◇
「だから問題ねぇって。つーか大学ってこんな課題多いのかよ。拘束時間も長ぇし、ネタ探しどころじゃねぇんだけど」
八神は苛立ちの浮かぶ表情でスマホの向こうにいる編集・田中に悪態をつく。数日前に通話したから、しばらくは来ないだろうとタカを括っていたが、どうやらそういうものでもないらしい。八神は夕風にそよぐ前髪をイライラとかきあげながら、ぞんざいに返す。
「…あ?原稿?あぁ、打ち切りのやつね。わぁってるよ、ちゃんと期限までには送る。ったく、打ち切り確定してる作品の原稿ほどだるいもんはねぇわな…あぁ、うん。はい、よろしく。はいはい。じゃ」
八神は早口で相槌を打つと、そのまま電話を切った。今日の用件は原稿のリマインドがメインだったようだ。通話が終了した画面を睨みつけながら、八神はため息をつく。
「ったく、いちいち電話してきやがって。母親かあいつは」
「…そういうことだったのね」
「あ?」
背後で鈴のような声がした。八神が声の方角を振り返ると、そこには腕を組んだゆりねが静かに立っていた。
「仕事。まさか作家先生だとは思わなかったわ」
ゆりねが口元だけで笑いながら言う。冷ややかな瞳が八神をまっすぐ見つめていた。
「盗み聞きとはいい趣味だな」
八神はスマホをポケットにしまうと、目を伏せた。
「人のプライバシーをネタ扱いする方がよっぽどいい趣味だと思うけど」
ゆりねが八神に近づく。長いまつ毛に縁取られた瞳が夕闇の中でチラチラと光った。
「趣味じゃない、仕事だ。文句なら編集に言え。俺だって好きでやってるわけじゃない」
「……………」
いつも通り、ぶっきらぼうに返す八神をゆりねが訝しげに見つめる。八神はその視線に構うことなく言葉を続けた。
「まぁ、これでわかったろ。俺が何かバラすことはまずないし、あんたも特に動かないなら、少なくともあの鈍感野郎にバレることはない。今まで通りがいいんだろ?なら問題ねぇよ。俺はなんもしないからな」
「……………っ」
事も無げに軽々と言ってのける八神に、ゆりねの端正な顔が歪む。ゆりねは何度か言葉を飲み込みながら、ただ黙って目の前の不遜な男を睨みつけた。
ジリジリと焼くような視線に、八神は仕方なく目をつぶる。
「あー、繰り返しになるが…べつにあんたの悪いようにはしねぇよ。ちょっと勉強させてもらえりゃいいんだ、恋愛ってもんを。まぁどうしても気に触るってんなら潔く退部するさ。幸か不幸かここは大学、サンプルは他にもあるだろうしな」
「ふっ…恋愛を勉強、ね。随分仕事熱心だこと。ご自身でされた方がよっぽど実になると思うけど?」
ゆりねが冷たく言い放つ。
「それができたらそうしてるさ。あいにく縁がなくてな」
二人の間に沈黙が流れる。店を行き来する人の会話だけが二人から少し離れた場所で響いた。
「………いいわ」
「あ?」
ゆりねの薄い唇が動いた。ぼうっと宙を見つめていた八神の視線がゆりねに移る。
「気に触ることこの上ないけど………退部しろとまでは言わない」
八神の視線を交わしながら、ゆりねが淡々と言葉を続ける。
(八神くんだけ追放するのも、逆に変に思われる…透子ちゃんも不思議に思うだろうし…)
「ただし…」
ゆりねが八神を見上げる。
「少しでも変な動き…勘付かれるようなことをしたらその時は……わかってるわね」
薄くかかった前髪の隙間からゆりねの瞳が爛々と光る。その光には、日本刀を喉元に突きつけるような凄みが宿っていた。
八神はその鋭利な視線を静かに受け止めながらため息交じりに返す。
「だからしねぇって。……しっかしなぁ」
八神は、目の前で仔鹿のように細い脚をピンと張ってこちらを睨みつけるゆりねをじっと見た。
「なによ」
「や、べつに」
ゆりねから視線を逸らし、浅くため息をつく。
(そんなに怖がることかね)
好きバレってやつは、ここまでして回避したいものなのか。八神は首を傾げつつ、まぁそういうもんかもな、と心の中で曖昧に頷く。そして、ポケットの中のタバコを手で探りながら、突っ立ったままのゆりねを促すように言った。
「話はもういいか?」
「……えぇ」
ゆりねが目を伏せる。日本刀のような鋒鋭い眼光はすでに消えていた。
「じゃ、戻れ。いつまでも席外してんのもおかしいだろ。俺はちょっと吸ってくっから」
「…言われなくても」
ゆりねはそう言うと、八神に背を向けて店の方へと戻った。
その後ろ姿を横目で追いながら八神はぼんやりと考える。
(……とはいえ、サンプルが一つってのもな。もう少しあるといいんだが)
まぁなんとかなるか。八神はそう雑に思考を放り投げると、タバコ片手に喫煙所へと向かった。




