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2.地獄への道のりは善意で舗装されてるやつ




「お聞きになりまして?アステル殿下があのリゼット・ローエンタールに求婚なされたとか」

「私の聞いたお話によると、"求婚する予定"であると仰られたと」

「まぁ、どちらにしても何かの間違いでは」


 サーファス王国国立魔法学園敷地内に併設されたサロンにて。

 放課後に開かれたお茶会の話題は既にその一つで持ち切りだった。

 ランチタイムに学食でアステル第一王子が悪名高かったかも知れないリゼット・ローエンタールに求婚予告をした。それは学食内に居た全ての生徒が証人となり、即座に学内に噂が駆け巡ったのだ。

 学園内は貴族の小さな社交場でもある。一度(ひとたび)生徒がこの話を家に持ち帰れば、本場社交界においてもリゼットの外堀がコンクリでガチガチに固まりかねない。あの王子はそれをわかっていてあの場で求婚予告をしたのか。どうだろうか。


「モブレ様はどうお思いですか?このお話」


 本日のサロンの主催者である公爵令嬢モブレに視線が集まる。奇しくも悪役令嬢リゼット・ローエンタールと同じく艷やかな黒髪を真っ直ぐ伸ばした彼女は、パチンと扇を閉じて代わりにスッと紫水晶の瞳を開いた。


「渦中のリゼット・ローエンタール嬢に関してですが。私思うところがありまして、急ぎ調べを進めさせましたの」


 控えていた使用人から報告書を受け取り、モブレ公爵令嬢はそれをテーブルへと広げる。

 それはリゼットの素行調査の結果であった。と言っても過去の洗い直しに過ぎないが。


「学園内に限定した話ではありますが、彼女が犯したとされる悪行はどれもこれも口分口伝の域を出ぬ不確かなものばかり。どれ一つとして確固たる物的証拠が上がっておりませんの」

「まぁ……」

「なんてこと……」

「これはもしや」


 モブレ公爵令嬢は紅茶を一口飲む。


「現在学外の彼女の素行調査も急がせておりますが、恐らく結果は同じことでしょう。つまりこれは、噂が一人歩きを繰り返した結果、彼女に"悪役令嬢"という不名誉な烙印が押されたに過ぎない。ということですわ」


 冷静に断じられたその言葉に、集った生徒である名門貴族令嬢たちは息を呑む。午後の暮れ始める前の光の差し込むサロンは、異様な空気に満ち始めていた。


「確かに私、思い返せば彼女に助けて頂いたことがありますわ。しつこく求婚なされて来る子爵家の令息を撃退してくださって、その上二度と近付かぬようにと釘まで刺してくださって」

「私も、魔法の実技の授業でサポートして頂いたことが。魔力の放出が上手くコントロール出来ずに暴走しかけていたところを、彼女が自身の魔力コントロールで暴発しないよう収めてくださいましたわ」

「そう言えば私も、乗馬の訓練中に誤って落馬しそうになったところを助けて頂きました。お陰で怪我もなく、それどころか馬を落ち着かせて厩舎まで共に来てくださって」


 それから次々とリゼットに恩を受けたと記憶を辿る者が名乗りを絶やさなかった。リゼットとしては少しでも悪役令嬢という印象を払拭出来ればと動いただけに過ぎないが、そのどれもこれもがこの世界の悪役令嬢補正に負けて今まで埋もれていたのである。ちなみに最終的にはヒロインミランダの手柄になるよう世界の強制力で流れていったことも原因の一つではある。

 しかしそのミランダも既に居ない。世界の悪役令嬢補正も崩れた。後に残るのは悪役令嬢補正と戦って残ったリゼットの善行の記憶と記録のみである。


「……要するに、リゼット様は、アステル殿下が求婚するに値するだけの素質を充分にお持ちであると?」


 とうとう名前に"様"まで付いた。つい昨日まで"あのリゼット""悪役令嬢""リゼット・ローエンタール"と散々礼を欠いた言われようだった有り様から随分な出世である。あるべき形に戻っただけとも言う。


「私はそう判断しておりますわ。何よりローエンタール侯爵家は、元より由緒正しき名門中の名門。その歴史と王家への忠義は我がイジョウ公爵家にも並ぶとされております。殿下が彼女を望まれるというのであれば、相応の理由があってのこと。私に異議を唱える理由はない、とこの場にて断言しましょう」


 ざわ、とサロン内がざわめく。

 紅茶の芳しい香りも、周囲に植えられた花の彩りも、今の彼女たちの意識を惹くことは出来ない。今この場にあるのは、名門イジョウ公爵家の令嬢が早くもリゼット・ローエンタールをこの国の第一王子の婚約者候補として認めた、という事実のみだ。


「……本気でございますのね、モブレ様」


 ゴクリと静かに喉を鳴らして声を発したのは、昼間学食にてアステルを始めとした攻略対象らに諫言を呈したあのいかにもな縦ロール令嬢だ。神妙な面持ちでモブレの冷静な表情を見つめている。


「当然ですわ。既にこのことは我が家にも一報を入れ、お父様にも許可を取りました。つまりこれは、私自身の意志であると同時に我がイジョウ家の総意でもある、ということです」


 どんだけ仕事早いんだこの公爵令嬢。問題のランチタイムからまだ半日も経っていない。

 そしてこの更なる断言にサロン内は水を打ったように静まり返った。困惑ではない、モブレの意志と覚悟に誰もがその本気を感じ取ったのだ。


「……わかりましたわモブレ様。私も、この件に関しましてはこれ以上一切の異議を唱えることは致しません」


 いかにもな縦ロール令嬢がまず同意を示し。


「私も、必ずやモブレ様のご意志とお覚悟を父へと伝えましょう。それを以て、以前のご恩をリゼット様へお返し致すこととします」


 私も、私もと次々モブレに同意を示す令嬢たちにより、今回の放課後お茶会はアステル第一王子とリゼットの仲を応援する会の決起集会みたいになってしまった。


 当の本人の、いないところで。




(だからどうしてこうなるのよっ……!)


 学内サロンのすぐ外で盗み聞きしていたリゼットは頭を抱えていた。

 悲しいことにこのサロンで開かれるお茶会には一度として招待されたことのないリゼットだが、時折情報収集を目的としてこうして盗み聞きしていたのであった。但し、どう頑張っても折れない自分の悪役令嬢補正に心の方が先に折れて最近はめっきり来ていなかったが。

 ちなみに盗み聞きの手段は、サロン内に咲いている花にあらかじめ自分の魔力を注ぎ込み自身の聴覚と同調させるという荒業だ。やりようだけ見れば悪役令嬢の所業として罪状が一つ追加されるのだが、悪役令嬢補正をブチ折る為に手段を選ばなかった当時のリゼットは躊躇わなかった。

 そんな勢いで身に着けた術が他にもいくらでもある、無駄にハイスペックとなったリゼット・ローエンタールである。悪役フラグに打ち勝つ以外は何でも出来る女はこうして爆誕したと言っても過言ではない。


 ちなみに言うが、公爵令嬢モブレ・イジョウは原作小説においてリゼットの前に立ちはだかり拭い切れない悪役令嬢補正を突き付けた中ボスクラスのお相手である。冗談みたいな名前とは裏腹に端正で美しい顔立ちと優れた判断力を誇り、原作において悪女が成り代わったミランダとリゼットを公正な目で見極めた陰の裁定者でもある。悪役令嬢補正さえなくなってしまえばこうなることは自明の理だったのだ。


 しかし何度でも言う。どうしてこうなった。

 悪役令嬢補正がなくなったことは喜ばしいが、代わりに第一王子の婚約者候補などという厄介極まりない問題が降って来た。それだけに留まらず、あと3人リゼットに並々ならぬ好意を向けている男たちが待ち構えている。悪役補正がなくなってもリゼットに平穏は訪れないのか。


「リゼット」


 とぼとぼと一人暮れ始めた廊下を歩くリゼットを、涼やかで静かな声が呼び止めた。

 振り向いた先に居たのは、プラチナブロンドのもう一人の噂の当人。アステル・ロウ・サーファスが、穏やかな笑みでリゼットを見つめていた。


「少し、話をしたいんだ。時間を貰えるかい?」


 差し出された右手。落ち着いた声音でそう切り出した彼の申し出を、リゼットは少しの逡巡の後に受けることにした。






 アステル・ロウ・サーファス。

 サーファス王国第一王子にして、原作小説に登場する乙女ゲーム『世界の果てまで祝福を!』に登場するメイン攻略対象。朝日色に輝くプラチナブロンドヘアに晴れ渡る青空色の瞳をした、ザ・王道タイプの王子様イケメンである。

 物腰は柔らかく優しさや正義感も備えた完璧な王子スタイルを誇る彼だが、原作小説においては悪女inしたヒロインミランダに結構振り回されていた苦労人でもあった。ちなみに身長は181cm、趣味は読書で好きな食べ物は魚料理である、とアニメ円盤特典で付いてきたブックレットの乙女ゲーム攻略ページ風プロフィールには書いてあった。閑話休題。


 しかし現在、実際目の前に居る彼は決して振り回されるような軟なタイプではないとリゼットは感じている。寧ろ意思を強固にゴリ押しそうな印象すらある。

 案内されるがまま足を踏み入れたのは学園の貴賓室で、紅茶とクッキーまで用意されていた。王族や賓客などを招いて持て成す為の部屋なので、当然アステルにも使用権がある。どうやら事前に根回しをしてこの部屋を確保していたらしい。

 小さなテーブルを挟み、ソファに腰掛けてお互いに向き合う。ドアの前には付き人が立ち、密室に二人きりという状況を避ける配慮が感じ取れた。


「昼間はすまなかったね。しかし場の勢いではあったけれど、決して気軽な冗談であんなことを口にした訳ではないことは断言するよ」


 紅茶に手をつけながらはっきりと言うアステルにため息をぶつけたくなる。現在のリゼットの中の人こといのりはぶっちゃけアステルのことはそんなに眼中になかったので気乗りしないどころの話ではない。何よりも、昨日までの悪役令嬢補正のあった世界の中では正義感だの秩序だのを振り翳して問答無用でリゼットを追い詰めてくる筆頭だったアステルからいきなりそんなことを言われても。という感じだ。

 けれど昨日までとは違って、どこか理知的な目をしているアステルに真っ直ぐに見つめられて、以前よりかはまともに話を出来そうな気がしているのも事実である。何より声がいい。アニメになった時にかなり安定感のある声優さんが担当していたのもあってアステルは問答無用の王道イケボだ。それが穏やかに話し掛けてくるって時点で卑怯だろうといのりinリゼットは内心ぐぬぬしている。


「お気になさらず、とは申しませんが。それならばそれで理解に苦しみます。どうして私なのですか」


 昼間に求婚予告をされた時点で受け流し戦法を諦めたリゼット。もうストレートにぶつける。

 そんなリゼットの右ストレートを、まるでジャブのようにアステルはにっこり笑顔で受け止めた。


「実は私もそれをずっと考えているんだ」


 …………………………はああ???

 いのりinリゼットの頬が引き攣る。受け止められた右ストレートがアステルに受け止められたまま戻って来ない。


「不思議なことにね。今朝目が覚めてからずっと、僕の頭は今まで靄がかかっていた感覚が全てクリアになったような心地がしているんだ。まるでこれまで積み重なっていたものを誰かに見ないようにされていて、その障害が急に取り除かれて視界が開けたような……そんな心地が」


 うぉっとぉ……。

 リゼット、急に動悸がする。

 心当たりがあり過ぎる。確実にアレだ、出奔前にミランダがやらかしたという世界のシステムをなんやかんや弄って好感度バグったとかいうやつ。

 しかしなんだ、"積み重なっていたもの"……?"見ないようにされていた"?

 それはもしやアレだろうか。先ほどサロンの放課後お茶会でも起きていた、今までリゼットが無意味に積み上げてきたと思っていた生存戦略の為の善人補正行為が、ここに来て急に芽吹いた形の。それがアステルたち攻略対象者の身にも起きていたということか。

 それでもわからない。そうだとして求婚予告まで行くほどのことなのか、と。

 品の良い調度品に囲まれた貴賓室の中で、じっとりと手に汗が滲む。


「正直に言おう。私は昨日まで、君を悪人だと思っていた。人心を惑わし、他者を傷付け、利己的な行動で周囲や社会を脅かしても何とも思わない類いの悪女であると」


 真剣な表情でアステルは語る。

 あっそっちの評価のが安心する。最早実家のような安心感だ。今まで散々悪評を覆そうと頑張ってきたのにどうしたことか。悲しい。

 貴賓室の上等なソファの感触に気を落ち着けようと、リゼットは呼吸を整えて紅茶を手に取る。


「だが今朝目を覚まして、スッキリとした僕の頭に思い浮かんだのはね。……以前、ミランダの頭上に振ってきた植木鉢を、鋭くも優雅な蹴りで粉砕した君の輝くような勇姿だったんだ」


 ん??????

 …………ちょっと、落ち着こう。今、なんて???

 一口飲んだ紅茶をリゼットはテーブルの上に戻す。アステルを見る。

 先程までとは打って変わって、心做しか頬を染め、うっとりとした表情を浮かべる正統派イケメン王子の姿がそこにはあった。


 サッとドアの前に居る付き人たちを見る。サッと目を逸らされた。

 アッなるほどこれもう把握してる訳ですね皆さん。もしくは全力で聞いてないフリをしている。…………ちょっと待って!?

 目線が全力でクロール遊泳しそうになるリゼットはもう一度ギギギ、とアステルの方に錆びたブリキが如く顔を向ける。尚も頬を染めてリゼットを見つめるアステルしかそこには居なかった。


「はっきりと思い出したんだ。あの時、あの瞬間、僕の心は君に鷲掴みにされたのだと」

「殿下お疲れですね。お早めにお帰りになってベッドに入られた方がよろしいかと」

「君はどんな枕が好みなのかな。特注品を用意するから詳しく教えて欲しい」

「同衾の話をしてんじゃねーですよ!!」


 最早令嬢としての仮面をぶん投げてリゼットは叫んだ。ヤバい。これはヤバい。思ったよりもこの王子ブッ飛んでる。どれだ、どのタイプのブッ飛び野郎だ、自分も踏まれたい蹴られたいタイプのブッ飛び野郎か、それともじゃじゃ馬を乗りこなしたいタイプのブッ飛び野郎か。


「あの時のトキメキを思い出して……つい、こんなものまで作ってしまった」


 どこからともなくアステルが取り出したのは黒地に『もっと蹴って♡』『素敵なお御足♡』と蛍光ピンクで書かれたやたら綺麗にデコられたうちわだった。

 まさかの推し活タイプかよっ!?


「それだけじゃない、あの時以降も至るところで様々な騒動を解決して回る君の凛々しい勇姿を全て思い出してしまって胸の高鳴りが止まらないんだ。これはもう国を挙げて結婚するしかないと思うんだがどうだろうか」

「どうもこうも発想もブッ飛んでるですよこのロイヤルゴリ押し活王道プリンス野郎!!」


 頑張って積み重ねた結果がこんなのってない。まさかメイン攻略対象の性癖の新しい扉を開いてしまうだなんて。

 しかもガチ恋勢の推し活の道に引き摺り込んでしまうだなんて、一体誰が想像した。


 すっかり冷めた紅茶の向こうで、アステルは熱の籠もった青い瞳をリゼットに向け続けている。


「ちなみにうちの父と君のお父様にはもう打診の先触れは出してあるんだ。すぐにとは言わないから、是非ともゆっくり前向きに検討して欲しい。ドレスの希望も含めて」

「ガッツリ嫁入りの方向で話進めてんじゃねーっていうか根回し早すぎ!!お断り申し上げますわ!!」

「却下♡」


 にこにこ自作の推し活うちわを振ってご機嫌なメイン攻略対象王子なんて、見たくはなかった。


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