3.夜風と薔薇とイケメンと
「良い話だリゼット。王家とガルタス侯爵家と王国騎士団長子息と宰相んとこの小倅からお前に縁談が来ている。揃いも揃って朝っぱらから家に押し掛けて来た時は何事かと思ったが、お前いつの間にこれだけの男を誑かしたんだ。いや責めてはいない、我が家の史上最悪不良債権の権化たるお前が一夜にして玉の原石に化けたんだ、言うことなんか何もないさ」
ぶん殴っていいだろうか。
学園から屋敷に帰り着いて早々に書斎に呼び出されて父親に投げつけられた第一声がこれだ。リゼットは頬とこめかみをヒクヒクさせた。
ローエンタール侯爵家当主、エンレス・ローエンタール。ロマンスグレーの髪を後ろに撫でつけ上品な仕草で嫌味に笑う、それでいて堂々した佇まいの一見細身な優男。それがリゼットの父であった。
「お前の母譲りの美貌も宝の持ち腐れだと思っていたが、なかなかどうして上手いこと働いたもんだ。正直どこに売り飛ばしたもんかと思っていたからな、これだけ揃えばどこに嫁いでも文句はないぞ。王太子妃は言わずもがな、社交界の裏を牛耳るガルタス家への介入も悪くはない。騎士団長子息は遊び呆けている噂は聞くが剣の腕や仕事ぶりは確かだ、飼い慣らせばいくらでも化けるだろう。狸宰相の小倅は……まぁ三男坊とは言えアイツの息子だ、使いようによってはこちらの発言権も上がるし何ならこっちに婿入りさせてもいい。いやあよくやった、よくやったぞリゼット。で、本命はどれだ。まさかもう全員骨抜きにして手玉に取ったのか?」
「取ってねーーーしどれ一つ取っても一切これっぽっちも身に覚えのない爆弾案件なんですよお父様コンチクショウ!!!!」
ビキッと立った青筋をリゼットは押さえきれなかった。
例に洩れずリゼットの悪役補正を昨日まで受けていた父は、当然の如く全くもってリゼットの味方ではなかった。今朝方4人がかりでリゼットを無理矢理エスコートという名の連行をかました攻略対象たちの暴挙を止めずに寧ろ生贄として娘を差し出したような父親だ、端から期待などしていなかったがいっそ清々しいほどに貴族脳に満ちていた。
というかアステルだけでなく4人全員から縁談話が届いてた。揃いも揃って根回しが早すぎないか。やはり昼間落としたアステルの爆弾発言が事を速めたのか。
いずれにせよ、リゼットにとっては嫌な展開だ。侯爵家当主たる父に話が回ってる以上、政略的な話も絡んで是が非でもどれか一つを選べと迫られるに決まっている。嫌だ。こんな状況で早急に結婚相手をあの4人の中から選べだなんて嫌過ぎる。
リゼットの頭の中には生まれてから昨日まで、散々に悪役扱いされてきた思い出がみっちりと刻み込まれている。社交界デビューしてからはあの4人はその最たる部類だ。リゼットにとっては理不尽な理由で望まぬ悪役補正に雁字搦めにされ、急にそこから解放されたかと思ったら今度は結婚しろと迫られている。正直リゼットの心は未だにこの落差に追い付いていなかった。
侯爵家令嬢としては納得しても、中の人的には未だ精神的疲労と抵抗感が根強い。そんな感じだ。
やはり出奔か、今日中に実行するかとリゼットが手足に力を込めた瞬間。父の口から出たのは、実に意外な言葉だった。
「だがまぁ、焦らなくていい。向こうも返事は急がないそうだ」
「…………へぁ?」
気の抜けた声がリゼットの口から溢れ落ちる。悪役令嬢らしいビジュアルの凛とした目つきがぽかんと丸くなった。
「今はまだ打診の段階だ。正式な申し込みではない。揃いも揃って同じことを言って来てるぞ、見るか?」
ニヤリと面白そうな顔をした父がリゼットに差し出して来たのは、四つの書状。
それぞれ筆跡の違う、けれども似たような文言の書き綴られたそれには、文末に同様の文句を添えて締められていた。
曰く。
『正々堂々と口説くので、リゼット自身の心で決めて欲しい』
………………。
ぽかーん、とリゼットは口を開けていた。侯爵家令嬢にあるまじき間抜け面である。
くくっ、と父エンレスは隠さずに喉の奥で笑った。
「こちらとしても話を急がせる理由はない。何せ揃いも揃って良縁の方からお前を欲しがって口説き落としに来るというのだからな。お前の婚姻には我が家の家督も絡まないし、さっきも言った通り元々最悪売り飛ばすつもり満々でいた。貰ってくれるというのならば万々歳だ」
「……正気ですか、お父様」
四つの書状を握り締めて、リゼットは再び父に目を向けた。
「リゼット。これはな、政治の話でも貴族同士の腹の探り合いでもない」
書斎の机の上で両手を組んで、父は実に愉快そうにニンマリと笑った。
「お前を巡った4人の男のガチンコ勝負だ。面白いじゃないか」
面白い。面白いと言い切ったこの男。明らかに貴族間同士の政治的要因も絡む類いの縁談話を、そうではないと断言した。
「存分に悩めよリゼット。そして足掻け。これはお前にしか答えを出せない問い掛けだ」
愉悦を含んだ父の声。
ほとんど日の落ちていく窓から僅かに届く明かりが、立ち尽くすリゼットの足元の影をぼんやりと滲ませていた。
リゼットは屋敷の庭園に出ていた。
夕食を終え、夜風に当たって落ち着こうと一人東屋に向かう。ローデンタール家自慢の庭園は、見頃を迎えた白い薔薇が月明かりの下で冴え冴えと咲き誇っていた。
普通の令嬢ならばお付きや護衛やメイドの一人も付いて来るところだが、生憎リゼットは普通ではない。悪役令嬢ポジションに恥じぬ高スペックを誇り、当然のように皆無な人望を補うように研鑽を重ねてあらゆる技術(主に自衛面)を磨いて来た。原作リゼットのように、自身の悪役フラグをへし折る為に。
それでもどうにもならなかったフラグが一夜にして粉砕……いや、撤去された。正直やるせない、素直に喜べないのがリゼットの今の心情だ。
やり方は決して間違ってはいなかった。正攻法も邪法も使ってあらゆるフラグの芽を摘み、悪行になんて一度も手を染めなかった。
けれども前提的な根本が間違っていたのだ。必要だったのはバグの手直しではなく、バグを生み出すシステムそのもののフォーマット。
それに気付いて心がぽっきり折れた矢先に起きたのが、これだ。ヒロインの手で行われたフォーマットの置き土産により発生した、攻略対象たちからの過剰なる矢印。擦り切れて穴の空く寸前だった袋にいきなり大量の砂糖やらシロップやらで限界まで煮詰められた桃や林檎なんかの果実を勢いよくブチ込まれた、そんな感じの強引で遠慮のない展開。袋の耐久が保つ筈もない。
東屋の椅子に腰掛けたリゼットは、ふうと一息吐いて夜空を見上げた。ようやく少し呼吸が出来た……そんな気がした。
袋は千切れる寸前だが、まだどうにか保っている。次にあの4人の顔を見る前に、どうにか心の整理をつけたかった。リゼットとて、世界のシステム事情翻弄されていた側である4人を頭ごなしに否定したくはない。やられたことは忘れられなくても。
目を閉じて庭園に咲く花の香りに気を落ち着ける。ささやかにそよぐ冷たい夜風が頬を撫でる。そうまるで、滑らかな絹のハンカチのように……
「…………ん?」
ぱち、とリゼットは目を開いた。絹のような肌触り。それは風の感触ではなかった。
左を見た。夜に溶けるような濡烏の髪にアメジストの瞳を持つ男、シグマ・ガルタスがそこにはいた。
「─────ッ!?」
悲鳴を呑み込んで思わずリゼットは飛び退き距離を取った。か弱い令嬢メンタルではないので咄嗟に叫ぶような精神をしていなかった自分がこの時ばかりは憎らしかった。
「すまない、泣いているのかと思った」
謝るところはそこじゃない!!
絹のハンカチを持ってシグマは気持ち申し訳なさそうにしている。髪の色と揃いの真っ黒な装束を羽織った彼は、控えめに言って不法侵入の不審者だった。
「シグマ様、このような夜更けに何故当屋敷の庭園にいらっしゃるのです?しかも私の背後を取るような真似を」
「ああ、申し訳ない。仕事の帰りに寄っただけなんだが、貴女の姿が見えてつい」
「つい、じゃねーですよ」
仕事がどうのは聞かなかったことにする。ガルタス家の裏事情とシグマの今の格好で色々察して余りある。
シグマは躊躇いなく飛び退いたリゼットと距離を詰めた。濡烏色の髪が、冴えた月灯りを受けて仄かに白く煌めく。
「リゼット嬢、良ければ貴女に贈り物がしたい」
「その前に先触れもなく我が家に突然侵入なさったことを謝罪なされては」
「すまなかった。それで、贈り物というのはこれなんだが」
軽い。謝罪が軽い。侯爵家嫡男が他所の侯爵家の屋敷の敷地に夜中に不法侵入しあまつさえそこの令嬢の背後に忍び寄ったことに対する謝罪が「すまなかった」の一言で済んで堪るか。
表情どころか顔色一つ変えずにシグマが懐から取り出したのは、手のひらサイズの綺麗な木目の細工箱だった。
ぱか、と蓋を開けると、仄かに甘くスッとするような香りが花咲く庭園の片隅に漂う。
「心を落ち着ける作用のある香料だそうだ。眠る時などに枕元に置くと良いらしい。うちと取り引きのある商会が新たに取り扱う品として試供品を寄越して来たんだ。調べたが怪しいものは入っていない、純正の花の香料だ」
やたらと饒舌に語りながらも、シグマは少しぎこちなく、けれども優しい手つきでリゼットにその細工箱を手渡す。口調は淡々としているが、どうやら緊張しているらしい。黒い鉄面皮とさえ呼ばれる、あのシグマが。
一瞬毒を疑ったが、悪役補正の効いていた昨日までならいざ知らず、今日一日の様子から見てその可能性は低いだろうとリゼットは判断する。
「……お受け取りしますわ。ですがシグマ様、どうやってこの庭園に?王宮ほどではありませんが、外にも巡回の兵などが居た筈ですが」
リゼットが細工箱を受け取ったのを見て、ほんのりシグマの纏う雰囲気が和らぐ。
「ああ、以前からこの屋敷の構造や巡回の時間帯は把握していた。もしもの時の為に」
ヒェッ。
一気にリゼットの心臓が冷え込んだ。
もしもの為。それは決して良い意味ではない。昨日までのリゼット悪役補正が効いていた状況で導き出される"もしも"とは即ち、"リゼットを速やかに拘束ないし暗殺で無力化する"為の"もしも"である。こわっ。流石王国の裏仕事も一手に請け負うガルタス家の嫡男こっわっ。
しかしそれを「こわっ」の一言で済ますリゼットも大概である、というツッコミは残念ながら入らない。
「そしてこちらがもう一つの贈り物だ」
ごく自然な流れで細工箱の後に手渡された"それ"に、リゼットは令嬢にあるまじき形相を顔面に刻んだ。
『リゼット・ローエンタールの素行に関する調べ』
そう題された書類の束。早い話がリゼットの素行調査結果の書類だ。眉間に皺刻んで頬引き攣らせても許して欲しい。
「シグマ様、喧嘩であれば正面から買いますが」
「誤解のないよう言っておきたい、それは予てより年単位で重ねて調査されていた貴女の調査報告書だ。そのごく一部に過ぎない」
「どこをどう誤解する余地がありますの年月の厚みの分より最悪になっただけじゃねーですか!」
書類を地面に叩き付けてしまいたかった。しかしぐっと堪えてリゼットは書類の表紙を捲った。
捲って、すぐに気付いた。最初の一行目からおかしかった。
『リゼット・ローエンタール、領地の街にて治水改革を行う。裏金なし、不正取引なし、不当な労働強制なし。寧ろ率先して自ら働き出す』
『専門業者との密な打ち合わせと労働環境改善の徹底により作業、滞りなく進む。別途資料参照』
『リゼット・ローエンタール、容姿と名を変え冒険者登録を行う。"イノリ"名義で依頼を受け、危険度の高い魔物討伐を中心に単騎で功績を重ねていく。登録手続きと討伐過程において不正は認められず。偽名登録に関する注釈に関しては別途資料参照』
『リゼット・ローエンタール、人身売買の元締めを摘発する。裏で繋がる貴族や有力者を芋蔓式に拿捕、自白証言と共に王宮騎士団に引き渡す。関係者に関する情報は別途資料参照』
『リゼット・ローエンタール───』
プライバシーが!!ない!!!!
いや悪役補正が効いて疑われてる以上調査は入ってるかもとは思ってたけど!!思ったよりガッツリ調べ込まれてる!!ていうか変装して名前変えてまでした冒険者登録もきっちりバレてた!!いざという時の逃げ道の保険にもしたかったのにガルタス家の情報網舐めてたわ!!
そんな感じでつらつらと並べ立てられているこれまでのリゼットの悪役補正と立ち向かった悪足掻きの数々たち。うん、こうやって改めて並べてみると結構無茶苦茶やってたな自分と遠い目をする。特にこの人身売買の一斉摘発のくだり、この頃の自分は一番頭おかしかったと思う。当時(肉体年齢)14歳だ。多分ストレス溜まってておかしくなってたんだろうなー。あんま思い出したくないなー。黒歴史です。
庭園の薔薇を撫でる夜風がリゼットの古傷を慰めていく。
「ローエンタール家令嬢の良くない噂が流れ出した頃から、我がガルタス家の諜報網を以て独自に貴女の動向を逐一念入りに洗わせていた。情報の精度はこの国随一と言っても過言ではない」
慰められた瞬間ポッキリ折れた。おはようからおやすみまで見張られていたようだ。時折それっぽい監視の目には気付いて撒いたりもしていたが、そこまでやられてたなんて乙女としてショックだしハイスペック悪役令嬢としても大変な名折れだ。今後はもっと隠密諜報関連の感知スキルを伸ばしていこう、とリゼットは決心した。
「結論を言わせて頂こう。貴女は決して悪人ではない。だが俺は……いや、俺だけでなくほとんど全ての人間が貴女のことを誤解していた。悪評だけで全てを決めつけ、貴女の本質を見ようとはしなかった。ここに、心からの謝罪をしよう」
「えっ、おっ、お待ちくださいシグマ様、どうかお顔を上げてください……!」
跪いて深く頭を下げるシグマにリゼットは慌てふためく。確かにこれまで一方的に悪役扱いされてきたのにいきなり好意をぶつけられてもと困惑してはいたが、こんなに真摯に謝罪されても自分の中に罪悪感が顔を出す。悪役扱いをしてきたのは紛れもないシグマたちだが、原因そのものは世界のシステムなのだ。ある意味ではシグマたちも被害者と言ってもいい。
リゼットの言葉に、シグマはそっと顔を上げた。但し、跪いた格好のまま。
「……俺は、ガルタス家次期当主として貴女の一件を任されていた。精密な調査をし、ここまで貴女の潔白を示す裏付けが取れていたにも関わらず、それらを無視して結局悪評のみで貴女の本質を否定していた。慚愧の念に堪えない」
「シグマ様……」
「このままでは面と向かって貴女に求婚出来ない。故に早急に行動を以て貴女に償いをしていきたい」
「んん???」
流れ変わった。これ夕方にも味わった。脳裏にいきなり黒団扇を持ち出してきたアステルのあの笑顔が過り、タラリとこめかみから冷や汗が一筋顎に伝う。
「貴女の名誉回復はガルタス家が責任を以て務めさせて頂く。それは最低条件にして当然の大前提だ。そしてその先、貴女に求婚する権利を得る為、一人の男として貴女に償い、想いを伝える許しを頂きたい」
真摯にリゼットを見つめるアメジストの瞳には、月明かりを弾いて余りある熱情が渦巻いていた。こっ、これは最早……お約束と化して来ている……!
戦慄したリゼットは調査報告書と細工箱を持った両手をあたふたと振り回した。
「おお、落ち着いてくださいませシグマ様!どこをどうしてそんな流れになるのです!?ホラ、私など簡単に悪評を立てられてそれをあっさり信じられてしまうほど人望のない女ですのよ!?」
自分で言ってて悲しくなった。
「その悪評を囃し立てる一端を担ったのが他でもない俺だ。であればそれを拭う義務がある。そしてその手段も行使すべき立場も持っている」
「そうでした……!いえそれは職権濫用というものでは!?」
「本来秩序を保つ為の力を発揮出来ず罪のない令嬢一人の人生を弄ぶ結果を齎しかけたとあってはガルタス家の名折れ、と現当主である父からも賜っている」
「今日の今日で根回しが早い……!」
「この件については対応と共により精査が必要だが、それを待っていては他の三人に出し抜かれて貴女を攫われかねない。それだけは我慢がならないんだ」
力強くシグマに断言されてうっとリゼットは言葉に詰まる。こんなに真っ直ぐに言葉や感情を(良い意味で)ぶつけられたことがなかったので耐性がないのだ……!
しかもだ、月明かり降る夜の庭園の真剣な表情をしたシグマは恐ろしく絵になっている。顔面が強い。視覚と精神から攻められてリゼットはたじたじだ。これだからイケメンは……!
サラリと癖のない黒髪を夜風に揺らし、シグマはリゼットを見つめ続けている。
「貴女を愛している、リゼット・ローエンタール。その気高い強さを、生涯最も近い場所で支えられる男でありたい」
「…………おっ……」
……お友達からで、お願いしますぅぅぅ……!
その夜、ローエンタール家庭園に情けない呻き声が溶けて消えた。
リゼット・ローエンタールは押しに弱かった。白旗を上げながらそれを自覚した。




