第六話 約束しただろう
オレアと前侯爵夫人の会話は、その後も弾んでいた。
前ポートル侯爵やキリアンが、ウェザレル家にも話題をふってくれていたので、なんとか和やかな雰囲気は保てていた。
紅茶と焼き菓子の良い香りも、和やかさに一役買っていたと思う。
ミリシャは、なかなか緊張がとけず、会話を楽しむ余裕はなかったが、それでもみんなの会話には耳を傾けていた。
オレアは、祖母との語らいが一段落したところで、焼き菓子を手に取った。
その後は、時々キリアンに小声で話しかけながら、おいしそうに焼き菓子を食べていた。
それぞれの会話が一区切りついた頃、キリアンがミリシャに話しかけてきた。
「少し庭に出てみませんか?」
ミリシャの心臓がどくんと跳ねた。
先ほどの署名をもって、二人は正式な婚約者となった。
そのことを、思いきり意識してしまう。
「ミリシャ、顔が赤いわ」
オレアが無邪気な声で言う。
ミリシャの心臓が、再びどくんと跳ねた。
自分でも自覚していることを言葉にされて。
ミリシャの顔は、さらに赤くなったような気がする。
同時に、顔の産毛がぞわりと逆立った感覚がして。
思わずミリシャはうつむいた。
俯いたら、なぜか涙がにじんできた。
俯いたまま、二、三度瞬きをして涙を散らした。
「あらあら、ごめんなさい。お部屋の空気が少し温まりすぎたかもしれないわね」
ポートル前侯爵夫人が、やんわりとした口調でそう言って。
「私も少し暑いなと思っていたんだよ」
ポートル前侯爵も、襟元に人差し指を入れながら話を合わせていた。
「少し風にあたりに行きましょう」
キリアンがそう言って立ち上がり、ミリシャの元へ来た。
手を差し伸べてくれている。
ミリシャは、まだ顔が赤い自覚はあったものの、このまま俯き続けるわけにもいかず、そっと顔を上げた。
キリアンが優しく微笑んで待ってくれていた。
再び涙が浮かびそうになって、急いで瞬きでごまかした。
差し伸べてくれた手に、そっと手を重ねた。
重ねた手を通して、キリアンがそっと腕に力を込めたのが伝わった。
その力を借りてミリシャは立ち上がる。
その流れで、キリアンのそばに立つと、いつの間にかメイドがショールを持ってきてくれていた。
それをキリアンが、肩にかけてくれて。
質のいいカシミヤが、ミリシャの上半身を温めてくれる。
だけどそれ以上に、そばにいるキリアンの体温まで伝わってきて、ミリシャはほとんど寒さを感じなかった。
テラス窓から庭に出られるとのことで、窓の方へ歩もうとした時、
「やっぱり、私もいっしょに行くわ!その方が会話も弾むもの!」
そう言って、オレアが立ち上がった。
「私にもショール、持ってきて」
その場が一瞬固まった。
「オレア…」
ポートル前侯爵の声が、低く窘めている。
「オレア、約束しただろう」
キリアンの声には、苛立ちがにじんでいる。
約束?
ミリシャは、その言葉にわずかな引っかかりを感じた。けれど――
「いいじゃないの、キリアン。三人の方が楽しいのではない?」
前侯爵夫人が、やんわりとそう言ったから。
「ほら、やっぱり私も一緒の方が楽しいわ!ねぇ、ミリシャ?」
オレアは、嬉しそうな笑顔でミリシャに問いかける。
「えぇ」
「ほらぁ。ね。私のショールも持ってきて」
オレアはメイドに向けてそう言う。
「オレア」
もう一度、今度はキリアンが、たしなめる意図をもってオレアの名前を呼んだ。
だけど、オレアはキリアンを見ない。
ミリシャにショールを持ってきてくれたメイドだけを見つめている。
メイドは、どうしたらよいのか、ポートル家の人々の顔を窺う。
一人一人の感情が少しずつ体の外へ染み出していき、そのせいで部屋の空気がどんどん重く、濃くなっていくような感覚があった。
——息苦しい。
ミリシャは気づかれないよう、少し深めに息をした。
決定づけたのは、
「いいじゃないの。ねぇ、ミリシャさん?」
という、前侯爵夫人の言葉。
あくまでもやんわりと。ミリシャへのお伺いとして。
だけど、そう言われれば、
「はい。オレア、一緒に行きましょう」
こう答えるしかない。
ミリシャは返事と一緒に、口の中へ広がる苦みも飲み込んだ。




