第三十六話 最後の友情
キリアンに婚約解消の書類を渡し、その後、しっかりと話をすることができた。
おかげで、キリアンとオレアの関係がどういうものだったのか、彼が何を背負わされていたのかも知ることができた。
とはいえ、キリアンとはもう婚約者という関係ではなくなってしまった。
これから彼が、何をどうするつもりなのかも分からない。
だけど、ミリシャの心は凪いでいた。
ミリシャはキリアンを待たない。
ただ、一日一日を大切に生きていく。
自分がどういう人生を歩むのかを自分で決めて、そのための努力をする。
そうやって歩く道のどこかで、再びキリアンの道と交差できればうれしい。
けれど、それは今考えることではない。
ミリシャは、自然とそう思うことができた。
次の日からも、普段通り学園に通った。
オレアとは、目が合えば会釈はするものの、会話をすることはなくなった。
その後しばらくすると、彼女は学園へ来なくなった。
体調不良とのことだった。
ミリシャは、キリアンが関係しているのだろうとは思ったけれど、誰に何を言うこともなく日々を過ごした。
三月に入って、オレアと北方辺境伯の親戚との縁談が調ったという噂が流れた。
それに伴い、近いうちに北方辺境伯のタウンハウスへ移るらしいとも聞いた。
しかし、その後もオレアが学園へ顔を出すことはなく、誰も噂を確かめることはできないようだった。
同じ頃、キリアンの兄テルアから面会の申し込みが来ていると、父ウェザレル伯爵から聞かされた。
婚約解消の書類をキリアンに渡してから、ポートル家からの連絡は途絶えていた。
キリアン本人からは、書類はポートル家当主である父親に提出したこと、しばらく王都を離れることを書いた手紙が、一月の終わり頃に届いていた。
キリアンがいなくなり、オレアは落ち込んで、食事をとらなくなったのかもしれない。
オレアの問題は、彼女の健康面だけでなく、領地問題、ひいては貴族間の力関係にまで影響を及ぼしかねない。
これまでオレアを慰めていたキリアンがいなくなった今、彼女への対応をどうするか考えるのに精いっぱいで、ミリシャへは気も手も回らなかったのだろう。
そう予想できたので、呆れつつも気長に待つことにしていた。
ウェザレル家を訪れたテルアは、応接室に入り、席に着く前に深々と頭を下げた。
「キリアンとの婚約に際し、最初から最後まで不愉快な思いをさせたうえ、謝罪が遅くなっただけでなく、婚約解消の手続きについても何の連絡もしていなかったとのこと。重ね重ね、誠に申し訳ありませんでした」
ミリシャとしては、キリアンとしっかり話ができた時点で、この問題は終わっている。
家同士の問題として、手続きの報告や正式な謝罪がポートル家当主からないのは明らかな失態だろうが、父であるウェザレル伯爵も、さほど気にしていないように見えた。
婚約という関係が切れてしまえば、領地も離れているうえ、派閥も違う。
相手の失態を咎めたところで、何のメリットもないとの判断だろう。
しかし――
「我が家としては、キリアン殿がミリシャにしっかり謝り、二人が必要な話をして納得した時点で、一区切りついたと思っている」
父はそこで一度言葉を切った。
「とはいえ、婚約の手続きに関わった前当主でもなく、現当主でもなく、あなたが謝罪に来たことをどう受け止めるべきか、判断に迷う。はっきり言ってしまえば、こちらを軽く見ているのではないかと疑っている。先ほどの謝罪は、あなた個人のものとして見ればとても真摯だ。だが、ポートル家を代表してのものなら、まず、なぜあなたが来たのかを聞きたい」
人当たりのいい父にしては、かなり切り込んだ質問だった。
ミリシャは、この場で謝罪を受け入れれば、それで話は終わると思っていたので、少し驚いた。
しかし、次期ポートル侯爵であるテルアは、父からの問いを想定していたようで、顔色一つ変えなかった。
「お時間をとらせることになりますが、すべてお話しするつもりで、今日は参りました。ただ、オレアや前侯爵夫人に関する話も出てきます。かまいませんか?」
最後は、ミリシャへの問いかけだった。
オレアのことは、あえて知る必要はないとミリシャは思っていた。
しかし、学園に通っていれば大勢の人間がいる。
その中には、ゴシップを好む人もいる。
ミリシャとオレアの関係――入学以来仲がよかったが、最近は疎遠になっている――を知っている人もいる。
だからこそ、オレアの現状を面白おかしくミリシャに聞かせようとする人がいても、おかしくはない。
キリアンとの婚約以降、オレアの言動に戸惑ったり、腹が立ったりすることは増えた。
それでも、それまで仲がよかったことも本当だったと思う。
出自の件を話してもらえなかったことは、少し残念だ。
けれど、事情が事情である。
みだりに話せることではないのも分かる。
それに――
キリアンと出会えたのは、間違いなくオレアのおかげだ。
オレアがどういう気持ちでミリシャとキリアンを引き合わせ、彼の結婚相手として『ミリシャなら』と言ったのか。
その真意は分からないけれど。
それに対する感謝まで、なくしてしまったわけではない。
――薄らいではいるけれど。
万が一、間違った情報が流れたときは、訂正してやりたい。
最後の友情として。
「お聞かせください」
ミリシャはテルアをまっすぐ見つめ、そう言った。




