第三十一話 私は、あなたを待ちません
ハンカチを手にして、ミリシャは苦笑いを浮かべた。
毎日贈ってくれる花のお礼のつもりだった。
だけど、これは渡せないな。
刺繍をしながら、そう思っていた。
自分の気の強さが、そのまま表れているように感じたからだ。
ポートル家の――というより、前侯爵夫人の対応に不満があって、家名は入れたくなかった。
だから、“キリアン”とだけ刺した。
彼が贈ってくれた南方の花の図案とともに。
どちらもキリアンの髪の色と同じ銀糸で刺したので、ほとんど目立たない。
けれど、家名も家紋も入れていないものを、貴族籍に身を置くキリアンに贈るのは失礼だろう。
そう思い、キリアンには渡さず、自分で持っておくつもりだった。
何か別のものを贈ろうと思いながらも、何がいいのかは思いつかないまま。
だけど、キリアンの話を聞いた今なら、これを渡してもいいような気がした。
それと、もう一つ。
こちらも男性に渡すものとしてどうなのだろうと迷ったのだけれど。
キリアンが贈ってくれた、色鮮やかな南方の花々。
それを押し花にして作ったポストカードを。
ミリシャの怒りは、この花たちが癒してくれた。
前向きな気持ちにもしてくれた。
元はキリアンが贈ってくれたものだけれど、なんとなく、その気持ちを彼にも分けたいと思った。
ミリシャは二つを、キリアンに差し出した。
「これは、あなたが?」
キリアンは、ハンカチと押し花を見つめながら尋ねた。
「はい。家名も家紋も入れなかったので、渡すことはないだろうと思っていたのですが。さっきのお話を聞いて、ポートルという家名にこだわりがないのなら、渡してもいいかなと思いました」
「こちらの押し花は、私が贈ったものですか?」
「はい。とても嬉しかったし、その花たちに癒されたので」
その気持ちを分かち合いたかった、というところまでは、少し気恥ずかしくて言えなかった。
キリアンは、ハンカチと押し花のポストカードを、まるで捧げものでも受け取ったかのように大事そうに手にして、じっと見つめている。
あまりにも長い間そうしているので、ミリシャの方が恥ずかしくなってきた。
「あの、恥ずかしいので、しまってください」
可憐な乙女なら、好きな男性の気が済むまで待てるのかもしれない。
だけどミリシャは、自分の恥ずかしさを解消する方を優先した。
そして。
目の前にある、もっと大きな問題に向き合う。
「キリアン様。私は、やっぱりあなたが好きです」
キリアンをまっすぐに見つめて言った。
「そして、あなたの事情を知って、あなたの気持ちも理解したつもりです。
ですが、婚約は解消でお願いいたします」
ローテーブルの中央には、婚約解消に関する書類が置かれている。
ウェザレル家当主である父と、ポートル家前当主であるキリアンの祖父。
そして、ミリシャ。
三人の名前が書かれた書類。
そこに、キリアンの名前だけはない。
ミリシャはその書類を見つめた。
キリアンも、今の状態で婚約を続けることはできないという点では、同じ気持ちだったようだ。
「分かりました。ですが、いつかすべての問題が解決したら、もう一度申し込みます。その時は、改めて受けてくださいますか?」
すがるようなキリアンの表情を見ると、絆されそうになる。
だけど。
自分の心を守れるのは、自分だけだから。
「ごめんなさい。私は、あなたを待ちません」
ミリシャは静かに、そう答えた。




