第二十八話 鎖が緩んだ日ーーキリアン視点
領地にいた頃は、まだオレアを諫める人がいた。
そのたびにオレアは泣き、部屋へ閉じこもり、食事を取らなくなった。
そして、そんなオレアを慰めるのは、いつもキリアンだった。
それでも。
「すまないな」
そう言ってくれる人はいた。
しかし、キリアンが王立学園へ入学するため王都で暮らすことになると、オレアまで王都へやって来た。
祖母も暮らす屋敷へ。
理由を尋ねると、
「祖母が望んでいるから」
とだけ告げられた。
祖母は、
『オレアはあと数年で、望まぬ相手と結婚しなければならない。その貴重な数年を、キリアンと離れて暮らさせるのは忍びない』
と言ったそうだ。
そのため、キリアンは寮へ入ることも許されなかった。
祖母にとってオレアは、自分の若い頃を重ねる存在でもあったらしい。
「王都では、オレアを諫める人がいなくなりました。
祖父も……見て見ぬふりでした」
祖父は、祖母に逆らえなかった。
祖母には、結婚前に想い人がいた。
それが理由なのか、それとも他にも何かあったのか。
「二人の夫婦関係は、表面的なものだったそうです。
だからというわけでもないのでしょうが、祖父は外に愛人を作りました。
祖母は、そんなこと気にも留めないと思っていたそうです」
だが、祖父の予想は外れた。
祖母は激高した。
『私は好きな人を諦めて嫁いできた。
好きでもない男に抱かれ、子どもも産んだ。
それなのに、お前は好きな女を作り、欲望を満たすのか。
私の献身への仕打ちがこれか』
そう叫び、祖父にも愛人にも刃を向けようとした。
「愛人は急いで逃がしたそうですが、祖父はかなり深い傷を負いました。
それ以来、祖父は祖母の逆鱗に触れないよう生きています」
だから。
オレアのことでも、祖母に意見することはできなかった。
学園へ入学したキリアンは、少しずつ人脈を広げるよう父から言われていた。
だが、それも思うようにはいかなかった。
令嬢と話す。
それだけでオレアは焼きもちを焼く。
相手を恋愛対象として見ているわけではない。
ただ、その家がポートル家にとって有益かどうかを見極めるための会話ですら、だ。
兄妹の関係を超えていると注意すれば、
泣く。
閉じこもる。
食べなくなる。
そして祖母は、
「オレアがかわいそう」
と言う。
そのうち、他の女性を褒めただけでも同じことが起きるようになった。
祖母は、
「もっと思いやりを持ちなさい」
とキリアンを諭した。
「恋愛を積極的にしたかったわけではありません。
ですが……あまりにも息苦しかった」
そうして、キリアンの学園生活は終わった。
卒業すれば領地へ帰れる。
そう思っていた。
しかし今度は、
「しばらく王都で人脈を築け」
と言われた。
オレアが学園へ入学するからだった。
そろそろ婚約者を探すべきではないのか。
身近に自分がいては、それも難しくなるのではないか。
そう進言しても、
「そのうち」
と祖母は言うだけだった。
友人たちは恋人を作り、婚約し、それぞれの人生を歩き始めている。
自分だけが。
妹としか思っていない女性に束縛され続けている。
ただ束縛されるだけではない。
本人の命を使って、脅されている。
いつしかキリアンは、そう感じるようになっていた。
このままでは、オレアが卒業するまで。
あと三年。
この生活が続くのだろう。
「半分以上は、諦めの境地でした」
キリアンは、自分の喉へそっと手を当てた。
諦めたからといって、息苦しさが消えるわけではない。
オレアが恋心を表に出して以来、胸の奥にずっと居座り続ける圧迫感。
いっそ本当に息が詰まってしまえば、この苦しさも終わるのではないか。
そんなことさえ考えた。
――もちろん、できるはずもないのに。
「そんな時、予想もしなかったことが起きました」
キリアンは、静かにミリシャを見つめた。
「オレアが、友人だと言ってあなたを家へ連れて来たのです」
入学式の日。
一人でいたオレアに声を掛けてくれた。
それ以来、仲良くなったのだと。
言いたいことをはっきり言えるあなたに憧れる、と。
話は聞いていた。
けれど、まさか屋敷へ連れて来るとは思わなかった。
しかも、自分のいる家へ。
キリアンがミリシャへ挨拶をし、少し言葉を交わしても、オレアは焼きもちを焼く様子を見せなかった。
それどころか、
「ミリシャは、お兄様のこと素敵だって言ってたのよ」
と嬉しそうに話してくる。
「大げさに聞こえるでしょうが……
鎖が、少し緩んだように感じました」
その言葉には、長年張りつめていた心が少しだけほどけた安堵が滲んでいた。
「それでも、あなたに近づきすぎないよう気をつけていました。
何をきっかけに、オレアが焼きもちを焼くか分からなかったので」
だが。
挨拶を重ね、少しずつ言葉を交わすうちに。
キリアン自身が、ミリシャへ惹かれていった。
特別な話をしたわけではない。
それでも、どうしようもなく惹かれた。
この気持ちは、オレアに知られてはいけない。
そう思った。
だが、なかったことにはできなかった。
それなのに。
どういう心変わりだったのか。
「ミリシャなら、お兄様の結婚相手でもいい」
オレアは、そんなことを言い出した。
「チャンスだと思いました」
オレアの鎖から解放される。
そして。
好きになった人と結婚できる。
そんな未来が、本当に訪れるのだと思った。
「私は祖父へ相談しました。
祖父は祖母に逆らえません。
ですが、祖母の考えに賛成しているわけでもありませんでした」
だから、祖母の耳へ入る前にウェザレル家へ婚約を打診してもらった。
一度話を通してしまえば、世間体を重んじる祖母は、公には反対できない。
そう考えた。
オレア自身も、
『ミリシャなら』
と言ったのだから、受け入れてくれると思っていた。
たしかに。
反対はしなかった。
けれど。
婚約の日には同席し。
ミリシャと二人で庭へ出ようとすれば、ついて来る。
ミリシャへ贈ったコサージュと同じものを、いつの間にか作らせていた。
第一夜会の日には、それを身につけて現れた。
コサージュは外させた。
だが、その直後、国王陛下の前で分かりやすく落ち込み、慰めを求めた。
いつもの癖で、私はオレアのもとへ行ってしまった。
その結果。
あなたの夢を、台無しにした。
「全部……
私の考えが甘かった。
そして、焦りすぎました。
その結果なのです」
そう言って伏せたキリアンの瞳には、深い後悔の影が落ちていた。




