第二十七話 恋ではなかったーーキリアン視点
「あれは恋なんかじゃない!」
思わず声を荒らげていた。
ミリシャの「あなたのおばあさまは、オレアの恋を応援していらっしゃるように思えます」という言葉を聞いた瞬間、拒絶するように言葉が飛び出した。
これまでのオレアの言動が、走馬灯のようによみがえる。
あれは恋なんかじゃない。
あれは――支配だ。
キリアンは、ずっとそう思っている。
どうやって支配しているのか。
「オレアは、気に入らないことがあると、ご飯を食べなくなるんです」
ミリシャの目が大きく見開かれた。
「静かに泣いて、部屋にこもって、出てこなくなる」
少し間を置いてから、キリアンは続けた。
「オレアの両親――ルテル男爵夫妻が事故で亡くなり、ポートル家で預かることになった時、オレアはまだ五歳でした。
それまでは私が一番年下だったので、妹ができたようで嬉しかった。
この時は、まだ」
数年は良い関係だったと思う。
少なくとも、キリアンから見れば。
変わったのは、オレアの行く末が大人たちの話し合いで決まってからだった。
オレア自身というより、ルテル領の今後と言った方が正しいかもしれない。
「いくつか案がありましたが、早い段階で、オレア本人に男爵位を継がせるのは資質的に難しいと判断されました」
残った案は二つ。
一つは、オレアが婿を取り、その婿が男爵位を継ぐこと。
もう一つは、ルテル領をポートル領へ統合することだった。
しかし、統合案も現実的ではなかった。
男爵領とはいえ、実り豊かな土地がそのまま重要領地へ組み込まれることになる。
そのことを、快く思わない貴族は多いだろうと考えられたからだ。
有事ならともかく、平時に貴族間の均衡を崩す危険は冒せなかった。
「なので、オレアが婿を取り、その婿が男爵位を継ぐのが望ましい、という結論になりました」
この結論に異を唱える者はいなかった。
問題は、その相手だった。
ポートルと近すぎれば、領地統合と変わらない。
逆に関係が遠すぎても、有事の際に連携が取れない。
できればルトワー王国北東部の情勢に詳しく、なおかつポートルとも友好的な家が望ましかった。
条件を満たす家は多くはなかったが、それでも何家かが名乗りを上げた。
何人かの子息が候補となり、あとはその中から一人を選べばいい。
――はずだった。
しかし。
オレアがごねたのだ。
キリアンと結婚したい、と。
ごねるだけではなかった。
部屋へ閉じこもり、一切出てこなくなった。
食事を運んでも手をつけない。
このままでは餓死してしまうのではないかと、皆が心配した。
「それまで私は、オレアを妹としてしか見ていませんでした。
自分を好きだと言ってくれることは嬉しい。
ですが、それは兄が妹に慕われることへの嬉しさです。
だから、とても戸惑いました」
キリアンは当時を思い返しながら静かに言った。
もちろん、オレアがどれだけ望んでも、結婚は認められない。
そんな感情だけで動かせる問題ではない。
当主判断で部屋の扉を開け、医師立ち会いのもと説得も試みた。
それでもオレアは泣くだけで、食事を取ろうとはしなかった。
このままでは命に関わる。
ポートル家だけでは限界だと判断し、王家へ身柄を預けようという話まで出た。
それに強く反対したのが、祖母――オルレア前侯爵夫人だった。
「オレアが可哀想だ」と言って。
皆が、せめて王立病院へ預けようと説得した。
しかし祖母だけは首を縦に振らなかった。
そして言ったのだ。
『婚期まではまだ数年ある。
それまではキリアンのそばにいさせてあげたい。
婚期が来たら、その時選ばれた相手と結婚させればいい』
その話を聞いたオレアも、ようやく折れた。
『時期が来たら、その相手と結婚する。
でも、それまではポートル家で暮らしたい』
そう約束した。
この案に眉をひそめたのは、祖母以外のポートル家の人間だけではない。
オレアとの縁談を望んでいた家々も、
「すでに好きな相手がいる令嬢と結婚しても、良い結果にはならない」
と判断した。
この時点で、婿候補は全員辞退した。
このままでは、いつまで経っても婿は決まらない。
父も。
兄も。
親族も。
皆、オレアをポートル家から切り離すべきだと進言した。
だが祖母だけは、
『どうせあと数年なのだから、その間くらいはオレアの気持ちを大切にしてあげたい』
と言って聞かなかった。
なぜそこまで肩入れするのかと思えば、祖母も若い頃、報われない恋を経験していたらしい。
さらに名前が似ているオレアに、自分を重ねてしまっているようだった。
皆あきれ返った。
けれど、その場でオレアは、
『婚期が来たら必ず婿を取る。
その後はきっぱりキリアンを諦める』
と約束した。
その内容を記した書類にも、自ら署名した。
本人がそこまで約束してしまえば、それ以上強く反対することは難しかった。
しかし、周囲から恋人同士だと思われても困る。
そこで、通り名ではあるが『オレア・ポートル侯爵令嬢』と名乗らせることになった。
「そうすることで、私とオレアは兄妹以上の関係ではないと周囲へ示せる。
それが、ポートル家の判断でした。
私からも改めて『兄妹としてしか接しない』と伝え、オレアもその時は了承したのです」
その代わり。
オレアの髪色を思わせるサファイアのついたクラバットピンを、いつも身につけていてほしいと頼まれた。
「その程度なら問題ない、と思いました」
キリアンは小さく息を吐いた。
サファイアの濃い青は、オレアの髪の色でもある。
だが同時に、それはキリアン自身の瞳の色でもあった。
だから深く考えなかった。
けれど。
兄妹として接するという約束は、少しずつ曖昧になっていった。
幸い、その頃のオレアはまだ男女の違いを深く理解してはいなかった。
だから濃厚な関係を求められることはなかった。
その代わり。
キリアンがオレア以外の令嬢と親しくしていると、激しく焼きもちを焼くようになった。




