第二十四話 本当にそれでいいのか
家に帰り、メイドに尋ねると、父はまだ在宅していた。
ミリシャは、昼休みにオレアと交わした会話を父に報告しておきたかった。
午後の授業を聞いているうちに、自分はあの時、感情的になっていたのだと思った。
婚約は、ミリシャとキリアンだけでなく、家同士の契約でもある。
それを、向こうが提案してきたこととはいえ、家族に相談もなく了承してしまった。
貴族議会への出席や社交で忙しい父を煩わせるのは気が引けたが、オレアに返事をしてしまった以上、数日のうちに婚約解消に関する書類は届くだろう。
気が乗らないことほど、早めに済ませておきたかった。
父との面会を申し出ると、『婚約のことで』と添えたせいか、すぐに呼ばれた。
案内されたのは執務室ではなく書斎だった。
執務室ほど雑然とはしておらず、壁紙や家具、小物は母の見立てで設えられている。そのおかげで、部屋全体が柔らかな雰囲気に包まれていた。
ミリシャはソファに腰掛け、父も席につくのを待って口を開いた。
「オレアから婚約解消を提案され、受けました」
新学期初日。久しぶりに顔を合わせたオレアから「婚約のことで話がある」と言われれば、あまり良い話ではなさそうだ、と父も予想していたかもしれない。
しかし、まさか向こうから――しかもキリアン本人でも、ポートル家当主でもなく、オレアが婚約解消を申し出たとは思っていなかったのだろう。
さらに、その提案をすでにミリシャが受け入れていたとなれば。
父であるウェザレル伯爵は、大きく目を見開いた。
「オレア嬢から、キリアン殿との婚約解消を提案され、それをお前は受けた?」
最後の方は、驚きで声が浮いていた。
「はい」
ミリシャも、自分が感情的になっていたことを今さらながら苦々しく思っていたせいか、返事は低い声になった。
「流れを教えなさい」
父にそう言われたが、流れらしい流れはなかった。
午前中はずっと避けるような態度を取られ、昼休みに話があると言われて空き教室へ行き、そこで婚約を解消してほしいと頼まれただけだ。
そう説明すると、父は目をぎゅっと閉じた。
意外と皺があるのだな、とミリシャは思った。
感情が振り切れているのか、妙に冷静だった。
「お前も知っての通り、オレア嬢はポートル家の実子ではない。彼女に、お前とキリアン殿の婚約に口をはさむ権利はないと思うが?」
父は、正論を述べた。
「私が口頭で同意すれば、あとはどうとでもなるそうです。前侯爵夫人が、そのように仰ったそうで」
ミリシャは、オレアの説明をそのまま伝える。
「キリアン殿は?」
やはり父も、そこが気になったらしい。
「キリアン様は、その話を聞いて怒ってくださったようです。ですが――」
その先は言葉にしなかった。
彼の意見は、おそらく聞き入れられない。
そう口にすると、キリアンを傷つけるような気がした。
この場にいない彼の心情を慮ってしまう自分が、おかしかった。
「お前は、本当にそれでいいのか?」
父の問いに、ミリシャは改めて自分の胸の内を探った。
多少感情的になっていたとはいえ、売り言葉に買い言葉で婚約解消を受け入れたわけではない。
オレアの自分本位さには、うんざりした。
しかし、それ以上にポートル家――とりわけ前侯爵夫人の在り方に、うんざりしていた。
ミリシャが頷かなければ、婚約は続くかもしれない。
だけど、ミリシャにポートル家独自のしきたりや作法を教えるのは、オレアの恋心を応援している前侯爵夫人だ。
キリアンがミリシャへ贈ったコサージュを欲しがったオレアを諫めるどころか、同じものを買い与え、婚約披露の場でもある第一夜会に身につけることまで許した人。
この先も、ミリシャとキリアンが歩み寄ろうとするたび、オレアは心を揺らすだろう。
そのたびに夫人はオレアを慰め、その心が晴れるように心を砕く。
そして結果として、ミリシャの心や名誉が傷ついても、きっと気にも留めない。
そんな人と、表面上だけでも良好な関係を築けるとは思えなかった。
それと、もう一つ。
ミリシャは、キリアンの顔を思い浮かべた。
彼はいつも、オレアの言動を注意してくれた。
だけど、その注意が受け入れられたことは一度もない。
コサージュも外すよう命じてくれた。
それでも結局、落ち込んだオレアを慰めに行かなければならなくなった。
ミリシャと婚約を続ければ、彼はこれからもずっと、そんな立場に立たされるだろう。
つらそうな顔をし、申し訳なさそうにミリシャの様子をうかがうキリアンを、もう見たくないという思いも生まれていた。
そういえば。
第一夜会では、国王陛下から婚約を祝うお言葉をいただけなかった。
それどころか、オレアに気を回すよう、キリアンへお言葉を掛けられた。
オレアとキリアンが実際にはどういう関係なのかは分からない。
だけど、国王陛下ですら、オレアの気が塞げば、それを慰めるのはキリアンの役目だと考えていらっしゃる。
その事実だけで、この婚約の行く末は見えているように思えた。




