第二十一話 答え合わせ
結局、冬休みの間にポートル家を訪れる機会はなかった。
新学期初日。
ミリシャが教室へ入ると、すでにオレアが来ていた。
今までなら、何も考えず挨拶をしていた。
けれど、第一夜会での出来事が脳裏をよぎる。
それでもこちらから挨拶すべきだろうか。
迷っているうちに、オレアの方が先に顔を逸らした。
向こうも、こちらと挨拶を交わす気はないらしい。
とりあえず、オレアの方へ向かって軽く膝を折り、挨拶をしたように見せて席へ向かった。
近くのクラスメイトと話をしていると、視線を感じた。
それとなく視界の端で探ると、オレアがこちらを見ているようだった。
顔を逸らしたのは偶然だったとしても、何も思うところがないのなら、向こうから話しかけてきてもいいはずだ。
それをせず、ただこちらの様子を窺っているということは、やはり胸に一物あるのだろう。
夜会の時のことだろうか。
それとも――。
◇◇◇
オレアが話しかけてきたのは、昼休みに入ってすぐだった。
「ミリシャ、少し話があるんだけど」
覚悟を決めたような顔だった。
できれば二人きりで話したいと言うので、空いている教室を借りることにした。
向かい合うと、オレアは胸の前で祈るように両手を組み、こちらを見つめていた。
その瞳は、すでに涙で潤んでいる。
「あのね、ミリシャ」
「はい」
以前よりよそよそしい返事をしたのに、オレアは気づかない。
気づいていても、気にしていないだけだろうか。
「あのね、ミリシャ。キリアンお兄様とあなたの婚約なんだけれど……」
そこで言葉を止め、上目遣いでこちらを見る。
涙に濡れたブルーグレーの瞳は美しい。
どこか儚げで、守ってあげたくなるような雰囲気がある。
キリアン様も、この雰囲気に絆されてしまったのだろうか。
オレアはしばらく息を詰めたようにこちらを窺っていたが、ミリシャが何も言わないのを見ると、意を決したように口を開いた。
「すごく、すごく申し訳ないのだけれど、婚約を取りやめてほしいの」
あぁ、やっぱり。
そう思った。
思ったけれど。
「理由を伺っても?」
感情をのせない平坦な声で問い返す。
理由を聞かれるとは思っていなかったのか、オレアは言葉に詰まった。
俯き、胸の前で組んだ指をもじもじと動かしている。
ポートル家では、こうして困った顔をすれば、誰かが手を差し伸べてくれていたのかもしれない。
その優しさを、ミリシャにも求めているのだろう。
だけど、ミリシャは手を差し伸べたりしない。
ただ真っすぐに見つめ、次の言葉を待つ。
自分でも、しんと冷え込むような空気を纏っている気がした。
それなのに、オレアは気づかない。
気にしない。
「ミリシャなら大丈夫だと思ったの。だけど、やっぱりダメで……」
答えのような、そうでもないような曖昧な言葉だった。
「私はキリアン様に相応しくないと?」
その問いに、オレアの瞳にはさらに涙が浮かぶ。
肩をすくめ、小さく、小さく。
弱く儚く。
見せかける。
「違うの。そうじゃないの」
声まで湿り気を帯びていた。
このままオレアの自主性に任せても、納得できる答えは返ってこないだろう。
「キリアン様は、同意なさっているの?」
とりあえず、一番気になっていたことを聞いた。
第一夜会の翌日から昨日まで、一日も欠かさず花は届いていた。
婚約解消に本人も同意しているのなら、贈り続ける意味はあるだろうか。
縁を切ろうとしている相手の機嫌を、取り続ける必要はないはずだ。
「お兄様は怒っていらっしゃって。だけど……」
「だけど?」
先を促す。
その先の言葉こそが大事なのだ。
「おばあさまが、ミリシャが同意してくれれば、それで済む話だと……」
あぁ、やっぱり。
妙な納得感に、こんな時だというのに口元がわずかに緩む。
ミリシャがキリアンから贈られたコサージュをオレアへ譲るよう勧めたのも、オレアの祖母。
ポートル家独自のしきたりや作法を教える予定を立てていたのも、おそらく祖母。
タウンハウスの家政を任され、そこで開かれる催しを取り仕切っているのも、多分そうだろう。
婚約の日にオレアの同席を許したのも。
第一夜会の日、落ち込むオレアを慰める相手としてキリアンを向かわせたのも。
穿ちすぎだろうか。
だけど――。
「私とキリアン様の婚約を解消した方がいいという案も、あなたのおばあさまから?」
あえて聞く。
「……違うわ」
蚊の鳴くような声だった。
「キリアン様は反対していて、おばあさまの発案でもない。では、誰の発案なのかしら」
改めて尋ねる。
きちんと答えを聞きたい。
本人の口から。
一歩も引かないミリシャの態度に何かを察したのか、オレアは呟くように答えた。
「……私が、言い出したの」
「あなたが言い出し、おばあさまはそれに同意した。キリアン様は反対している。だけど、私が同意すればどうとでもなると夫人は仰った。これで間違いない?」
「……間違いないわ」
ミリシャはしばらくオレアを見つめた。
冬休みのある日から、ずっと聞きたかったことがある。
答えは知っている。
だけど、本人の口から聞きたかった。
「夫人のお名前って、オルレア様よね?」
話題が変わったことに戸惑ったのか、オレアは俯いていた顔を上げた。
「えぇ」
「あなたがオレアで、夫人のお名前がオルレア様。
だから私は、勝手にあなたの名前はおばあさまからいただいたものだと思っていたの。
でも、違うのよね?」
何を言いたいのか悟ったのか、オレアの顔から血の気が引く。
「ただの偶然か、この国の北部ではよくある名前なのか。それは知らない。
でも、ポートル前侯爵夫人のお名前に由来するわけではないことだけは確かよね。
オレア・ルテル男爵令嬢」




