第二話 その時は、まだ気づかなかった
ミリシャが、キリアンとはじめて顔を合わせたのは、4月の終わりくらいだっただろうか。
ポートル家には、すでに何度かお邪魔していた。
その日は天気もよく、オレアに誘われて庭へ出た。
見晴らしのいいガゼボに座り、お茶を楽しもうとしていると、
そこから見えるところに、キリアンが通りかかった。
しかし少し離れていたため、彼はこちらに気づかずそのまま通り過ぎようとしていた。
「お兄様!」
オレアが、貴族令嬢には似つかわしくない、大きな声でキリアンを呼んだ。
キリアンは、その声に驚いたように足を止めた。
オレアは、キリアンに駆け寄り、彼の腕を引っ張るようにして、こちらへ連れて来た。
「お兄様。こちらはミリシャ。お友達なの」
オレアはそう言ってミリシャを紹介した。
本来は、家の名前と父の爵位も一緒に紹介するのだが、兄への気安さからか、名前だけの紹介だった。
「ミリシャ。こちらはキリアンお兄様。ポートル家の次男なの。この春、卒業だったから、私とは入れ違いになってしまって。すごく残念」
キリアンにはどうしようもないことなのに、オレアは口をとがらせ、少し責めるように言う。
ミリシャは、オレアの振る舞いにあっけに取られてしまい、キリアンへの初見の礼をとるタイミングを見失っていた。
キリアンも同様だったようで、目を丸くしたままオレアを見ている。
それを見たら、なぜか冷静になれた。
ミリシャは、すっと立ち上がり、ひざを折った。
キリアンも、我に返ったようだった。
「はじめまして。キリアン・ポートルです。え、っと」
普通は、家名を元に情報をたぐり寄せるのだが、オレアはミリシャの家名を言っていない。
急いで自己紹介をした。
「はじめまして。ミリシャ・ウェザレルです」
「あぁ。南部の」
キリアンの頭の中にある貴族名鑑には、ウェザレル家はきちんと記載されているようだった。
「はい」
「ウェザレル伯爵令嬢。今日は気候もいい。どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
ミリシャは、この言葉で話は終わるものだと思った。
おそらく、キリアンもそのつもりだったと思う。
しかし、オレアが
「もう、お兄様ったら。もう少しくらいいてくださってもいいでしょう?」
と引き留めた。
これを聞き、キリアンは再び驚いたような顔をした。
それはそうだろう。
オレアだけならともかく、初対面の異性がいる場に、同席を求められているのだ。
相手のことをほとんど知らないまま会話を続けるのは、かなり気を遣う。
それはミリシャも同様だった。
だけどオレアは、もう少しキリアンとお喋りしたいようで。
「ミリシャもいいでしょう?キリアンお兄様は、とても優しい方なの」
そう聞かれれば、
「私はかまわないけれど――」
と言うしかない。
キリアンが苦笑しながら
「オレア。私は、おじいさまの所へ行かなければならない」
「もう、お兄様はいつもそう言って――
「ほら、オレア。いつまでもお友達を立たせたままにしておくのは失礼だよ。
ウェザレル伯爵令嬢。妹がすまない。どうぞごゆっくり」
キリアンは、笑顔ながらも少し強引に話を切り上げて、邸内へ入っていった。
しかし、しばらくしてメイドが「キリアン様からです」と言って、最近王都で評判になっている焼き菓子を持ってきた。
国の南部で採れた果物をふんだんに使っていて、近頃、王都で話題になっていた菓子だった。
「出先でいただいたそうなのですが、あまり甘いものは得意ではないので、こちらで召し上がってほしいと仰っていました」
とのことだった。
しかし、この菓子は、果物の甘みは感じるけれど、さっぱりとしていて食べやすく、とても美味しい。
もしかしたら、ミリシャが南部出身なので、こちらに持って行くよう言ってくれたのだろうか。
考えすぎかもしれない。
それでも、そこになんとなくキリアンの気遣いを感じてしまった。
オレアは、しばらくの間つまらなそうにしていたけれど、メイドにお茶を入れ替えてもらい、焼き菓子をつまむうちに、気は晴れていったようだった。
◇◇◇
その後、ポートル家を訪問した際に、キリアンと顔を合わせることも増えた。
最初の頃、キリアンは、ミリシャへあいさつをすると、すぐにその場を離れようとして、それをオレアが引き止める。
それが、当たり前のやり取りになっていた。
予定が立て込んでいなければ、『少しなら』とお喋りに付き合ってくれた。
あれは、お茶をご一緒した何度目のことだっただろう。
それまでずっとキリアンは、ミリシャのことを『ウェザレル伯爵令嬢』と呼んでいた。
しかし、オレアが『ミリシャと呼んだら?』と提案したのだ。
さすがにその呼び方は距離が近すぎると、キリアンは渋った。
しかし、オレアから『ミリシャは私の大切なお友達だから、お兄様とも仲良くなってほしいの』と言われ、ミリシャの了承を得て、そのように呼んでくれるようになった。
キリアンは、あまり口数が多い方ではない。
だけど、オレアにせがまれて何かを話すとき、口調は柔らかく、とても分かりやすい。
ミリシャが話についてこられているか、表情を見ながら話を進めてくれる。
理解が追いついていないようなら、さらに分かりやすく説明を添えてくれる。
言葉ではなく表情で、『分かる?』と問いかけてくれる。
また、帰る時間までキリアンが同席してくれている時は、当たり前のように、立ち上がってから馬車に乗り込むまでエスコートしてくれる。
ミリシャには歳の近い兄や従兄弟がいて、兄の友人たちとも顔見知りだが、彼らの誰もキリアンのような丁寧さでミリシャに接してくれる人はいない。
彼らは、彼らだけが面白いと思う話をし、それをミリシャがどう思っているかなどおかまいなしだし、ミリシャが頑張って淑女らしく振る舞っても『らしくない』と笑う。
だけど、キリアンはちゃんとミリシャを一人前の淑女のように扱ってくれる。
気づけば、ポートル家を訪ねた時、キリアンの姿を探すようになっていた。
今日は少しお話しできるかしら。
そんな期待を抱くようになっていた。
なので、名前で呼ばれることに対して、特に抵抗はなかった。
むしろ、その呼び方が少しうれしかった。
今思えば、遠慮がちとはいえ、キリアンから『ミリシャ』と呼ばれるようになったことで、ミリシャの恋心は加速していったのかもしれない。




