第一話 綺麗な箱
ミリシャは恋をした。
オレアの兄、キリアンに。
◇◇◇
ミリシャが、オレアと知りあったのは、ルトワー王立学園に入学してから。
二人は、淑女科の同じクラスだった。
入学式の日、あまり人見知りをしないミリシャが、一人で心細そうにしているオレアに声をかけたのがはじまり。
最初ミリシャは、オレアのことを自分の家と同格か、それ以下の家柄の令嬢だと思った。
『公の場では、内心に不安があったとしても毅然としていなさい』と貴族の令嬢は早くから習う。
それなのに、オレアは不安を隠しきれていない。
こちらから声をかけよう。
そう判断し、行動に移した。
自己紹介を受けて、オレアがポートル侯爵令嬢と知り、ミリシャは青ざめた。
下位から高位への声掛けは、マナー違反だからだ。
学園では、一つのクラスに高位と下位がどうしても混ざるので、大目に見てもらえることにはなっている。
しかしこの場合、侯爵家のご令嬢の顔と名前を知らなかったという無知をさらけ出したことになる。
ミリシャの謝罪に対して、オレアは「気にしないで」と笑ってくれた。
それ以来、二人は仲良くなった。
お互いのタウンハウスにも招きあった。
オレアの家族であるポートル家の全員が、オレアに友達ができたことを喜んで。
ミリシャがオレアの家に行くたび、歓迎してくれた。
家族がそろう夕食に、ミリシャは何度も招かれた。
――そこにキリアンもいて。
ミリシャとオレアが楽しそうに話しているのを、みんなが温かく見守る。
そういうひと時だった。
◇◇◇
キリアンはミリシャの三歳年上。
ポートル家の次男で、この春王立学園を卒業していた。
ルトワー王国では、貴族の嫡男以外は学園卒業を機に貴族籍から抜け、平民となるのが一般的だ。
しかし、キリアンはポートル家の内務を補佐するため、卒業後も貴族籍にその身を置くことが許されていた。
ポートル領は、北と東の辺境に隣接しており、王都と二か所の辺境をつなぐ公道も敷かれていた。
また、穀倉地帯としても有名だった。
そのため、有事の際の後方支援の拠点として、【重要領地】と認定されていた。
重要領地当主の仕事は多岐に渡る。
領地運営はもとより、貴族議会出席、公共事業に関する会議、辺境領との連携確認、社交場における情報収集など。
一年を通して、王都、領地、北と東の辺境領をこまめに行き来しなければいけない。
キリアンは卒業したてという事もあり、まずは王都で祖父の人脈と学園時時代の友好をもとに、若い世代のつながりを作ることを求められていた。
王都にあるポートル家本邸には、オレアの祖父母とキリアンが一年を通して滞在している。
そこに、王立学園に入学したオレアも加わった。
ミリシャから見るキリアンは、彼女の知る何人かの同年代の男の子たちとは違った。
彼らは、ミリシャをどこか粗雑に扱う。
距離が近く、言葉遣いも粗い。
そんな態度を見るたび、異性としては見られていないのだろうな、とミリシャは思っていた。
だけど、キリアンは馴れ馴れしくもなく、言葉遣いも丁寧。
どこか一歩引いた感じはするけれど、避けられているというより、ミリシャのことを一人前の女性として接してくれているようで。
それがうれしかったし、こそばゆかった。
胸の奥がくすぐったいような、落ち着かいない感覚ははじめてで、ほんの少しだけ、大人の入り口を覗いたような気分だった。
そんな気持ちを、オレアにそっと打ち明けた。
“好き”というには、まだ心許ない感情だったから、『あなたのお兄様、素敵ね』という風に。
すると。
それからミリシャがポートル家を訪ね、オレアとおしゃべりを楽しんでいると、キリアンが顔を出すようになった。
以前は、挨拶をしたらすぐにその場を離れようとするキリアンを、オレアが引き止めることで、ほんのひととき同席するという感じだったのに、オレアに『素敵ね』と伝えてからは、オレアに引き留められずとも『少し時間が空いたから』とキリアン自ら席を共にするようになった。
一歩引いた距離感と丁寧な物腰は、変わらないままに。
嬉しいけれど、少し気になった。
だから、オレアに聞いてみた。
「ねぇ、オレア。最近キリアン様、よくお顔を見せてくださるけれど、私が素敵って言ってたこと、もしかしてご本人に伝えた?」
まさかね、と思いながら。
するとオレアは、にこにこと笑いながら答えた。
「えぇ、伝えたわ」
ミリシャの心臓がどくんと跳ねた。
それまで、キリアンのことを考えると、どこかふわりとした感覚になっていたのに、オレアの答えを聞いて、足元の地面がぬかるみに変わったような気がした。
「なぜ?」
ミリシャが聞くと
「なぜ?」
オレアは、首をかしげた。
質問の意図が分からないらしい。
「なぜ、そのことをキリアン様に伝えたの?」
ミリシャは、もう少し丁寧に質問しなおした。
「え、だって。褒められたら誰だって嬉しいでしょう?」
オレアは、きょとんとした顔で答える。
それは確かにそう。
だけど。
ミリシャの『キリアン様、素敵ね』には、ほのかな恋心が混ざっている。
それをミリシャの許可なく勝手にキリアンに伝えることは、どこか不躾な気がする。
でも。
ミリシャは“キリアンのことが好き”と、オレアに言ったことはない。
オレアも『ミリシャはキリアンのことが好きらしい』と言ったわけでもない。
ミリシャが言った「素敵ね」をそのまま伝えただけ。
それでも。
ミリシャの心の中にある、綺麗な箱の中に勝手に手を突っ込まれたような不快感が残った。
とはいえ。
ミリシャの中に芽生えた不快感を、どう伝えればいいか分からない。
伝えていいのかも分からない。
ミリシャにとってその日の会話は、飲み込めそうで飲み込めないものを、喉元に抱えたようなものになった。




