第十一話 彼の色
第一夜会の当日。
ミリシャの社交界デビューの日。
ウェザレル家は、静かな熱気に包まれていた。
朝からメイドたちが入れ替わり立ち替わり、ミリシャの身支度を整えていく。
若い肌はさらにみずみずしく磨かれ、丁寧に梳かれた髪は艶を帯びる。
パピヨットで巻いた髪を、初々しさを残しながらも品よく結い上げてもらい、最後にウェザレル家の女性が代々受け継いできた小ぶりのティアラがそっと載せられた。
香りのよいパウダーを薄くはたき、唇には同じ香りの香油をひく。
ふわりと漂う香りが、また一歩、自分を大人へ近づけてくれる気がした。
デビュタントドレスは白。
浅いスクエアネックに、胸の下で切り替えられたエンパイアスタイル。
袖は短いキャップスリーブで、白いロンググローブを合わせる。
人生で初めて、デコルテや二の腕を人前へさらす。
それだけでも気恥ずかしいのに、胸元にはキリアンから贈られた、彼の色のコサージュが添えられている。
否が応でも緊張した。
何度も鏡を見る。
前からも、後ろからも。
着付けをしてくれたメイドにも、侍女にも、母にも、何度も「おかしくない?」と尋ねた。
そのたびに皆、目を細め、やさしく笑って、
「大丈夫ですよ」
と言ってくれる。
それでも落ち着かない。
玄関ホールでキリアンを待つ間も、ガラスや飾り皿に映る自分の姿を見つけては確認してしまう。
グローブに変なしわは寄っていないか。
巻き髪は崩れていないか。
おくれ毛は飛び出していないか。
気になることばかりだった。
こんなことで、本当に大丈夫なのだろうか。
いっそ部屋へ逃げ帰ってしまいたい。
そんなことまで考え始めた時、
「キリアン様がお見えです」
と声がかかった。
あと少し遅かったら、本当に逃げていたかもしれない。
現れたキリアンは、大きな花束を抱えていた。
けれどミリシャの目は、その花束よりもキリアンへ吸い寄せられた。
正装姿を見るのは初めてだった。
まだコートを羽織っているというのに、夕暮れのホールランタンが彼をどこか物憂げで美しく照らしている。
男の人にも、色気というものがある。
ミリシャは、この時初めて知った。
やさしく微笑みながら、花束が差し出される。
「デビュー、おめでとう」
小ぶりのピンクの薔薇だった。
淡いだけではない。
少し銀色を溶かしたような、大人びた色合い。
それを、自分のために選んでくれた。
髪を結ってもらった時より。
おしろいをはたいてもらった時より。
ドレスに袖を通した時より。
今が一番、胸が高鳴っていた。
震えそうなほどの喜びを抱えながら、花束を受け取る。
「ありがとうございます」
顔を近づけると、やさしい香りがした。
自分の香りを邪魔しない、上品な芳香。
どこまでも細やかな気遣いに、彼の婚約者であることが誇らしくなる。
けれど、今日の本番はここではない。
王宮での社交界デビュー。
花束を執事へ預けると、キリアンがそっとエスコートしてくれた。
右足、左足。
当たり前のことなのに、足を前へ出すだけで精一杯だった。
それでも無事に馬車へ乗り込む。
向かい合って座ると、やはり緊張した。
けれどキリアンが自然に話しかけてくれるおかげで、会話は途切れない。
その安心感に包まれているうちに、王宮へ到着した。
再びキリアンにエスコートされ、王宮へ入る。
入口でケープを脱ぎ、従者へ預けた。
初めて人前へさらすデコルテと二の腕。
心臓が激しく鳴る。
寒い季節のはずなのに、寒さなど少しも感じなかった。
「すごく似合ってる。きれいだ」
控えめな声でそう言われた瞬間、心臓がもう一度大きく跳ねた。
このままでは、本当に倒れてしまいそう。
深く息を吸う。
それでも鼓動は収まらない。
きっと顔も赤い。
そう思った途端、ますます恥ずかしくなって俯こうとした、その時だった。
「ミリシャ!」
声が響いた。
振り向くと、オレアが立っていた。
彼女も白いデビュタントドレスをまとい、嬉しそうに微笑んでいる。
そして、その胸元には――
ミリシャと、まったく同じコサージュが飾られていた。




