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毘の華  作者: 逍遙軒
30/31

一騎駆け

 喧噪渦巻く八幡原を後にして本陣まで戻ると、床几に腰かけながら戦場を見まわしている虎ちゃんも有利な展開に喜んでいるようだった。

「良く戻った柿崎、手柄じゃ。少し休め。広田、お前は暫し休んだ後に儂と共に駆けよ」

 馬から降りた俺は足元が覚束ない程ふらふらしていた。

「駆けるって、どこに?」

 ずっと馬に乗っていたため内股が痛い。

 歩く姿が自分でも分かる程にぎこちなくてカッコ悪いことこの上ない姿だわ。

 手近にあった床几に崩れるように座る俺に、虎ちゃんから驚愕とも言える一言が伝えられた。

「信玄の本陣に儂自らが討ち入るのだ。信玄が首を上げるぞ」

 一瞬何を言い出したのか分からなかった。

 たぶんその時の俺の顔は「ふ~ん」て言いだしそうな顔でもしていただろう。

 さっきまでの疲れから、言われた言葉が頭の中を回って理解するまでに、ちょっと時間がかかる。

 何時もの事かも知れないけど、今は特にね。

 そしてやっとその意味を理解した。

「えぇ!?信玄の本陣に行くだって!?無事に帰れるの?」

 間の空いた俺の驚きに一瞬呆けた虎ちゃん。

「これも戦だからな、無事に戻れるかどうかはわからんよ」

 俺の問いにケラケラ笑っていた。

「儂と時を合わせて信玄本陣に討ちかかれ。信玄の本陣と思しきものは5つ。しかしそのどこにいるか分からん。その為に本陣と思われる全てへと切り込む人数が5人。ほかの3人はもう選んである。広田、お前と儂を含めて5人じゃ」

「まじすか」

 虎ちゃんは馬廻りの騎馬武者と自分を含めた5人で、ダミーが幾つもある信玄の本陣を突くという離れ業を宣言した。

「信玄の本物の本陣はどこに有るか見当もつかないのか…」

「広田、お前の働きを楽しみにしておる。ここで手柄を立てよ。だが人数が割けぬ故、儂の引き連れる隊とは別に、お前に預けた人数で本陣に当ってくれ。運良く我らの何れかが信玄本人を討ち崩す事が出来れば、この劣勢を覆す事が出来るのだ」

 この時、悲しみを含んだような凛々しい虎ちゃんの顔を見た。

「劣勢?今は物凄く有利に進んでる気がするけど」

「今は有利に事は進んでおるが、妻女山へ向かった武田の別働隊がもうすぐ戻って来る頃合いだ。これが戦場に着いてしまっては信玄坊主を討ち取る好機が無うなるどころか、それこそ『きつつき』じゃ」

 なるほど。そう言えば『きつつき』だったっけ。

「て事は、俺も死ぬかもしれないってことだ」

 なんだか実感ないなぁ。

「儂もな」

 そこで虎ちゃんは雪椿を取りだした。

 徳利に挿して今まで大事にしていたのだろう。

 それを抜き取ると、俺の直垂の襟元にすっと挿して来た。

「儂は死なぬ。お前も死なぬ。只一息に駆けよ。駆けて駆け抜け、信玄を見たら討て。また討ち取ったら儂の元へ来い」

 この何とも言えない全てのしがらみを振り切ったような、清々しい表情に俺は改めて惚れなおした。

「わかった。俺に任せとけ」

 精一杯の強がりを言って見せたあと、喉の渇きを覚えたおれは床几を立ち上がりガニ股で水を呑みに行った。

 そう言えば馬に乗って走り回ったせいなのか、妙に体が熱を帯びている気がする。

 兜の中が蒸れてたまらなくなった。

 折角水を呑みに来たんだからと、砂塵に汚れた兜を脱いで烏帽子も脱ぎ、柄杓で頭に水をかけた。

 ひんやりとして気持ちが良い。

 あ、手拭が無いや。

 仕方ないので出陣の際に渡されていた首袋で頭と顔を拭った。

 首袋とは、討ち取った敵の首を入れて持ち運ぶ風呂敷みたいなものだけど、ちょっとなぁ。

 俺には手拭くらいの使い方で丁度良い。

 折角なので首袋も水にぬらして首に巻いてみた。

 クソ暑い真夏の合戦場には貴重な涼しさだ。

 再び烏帽子をかぶり、兜は背中にまわして本陣近くの木陰で涼をとる事にしたんだけど、どう言う訳だか目眩がしてきた。

 夏の暑い日差しに気が付かずに怨嗟渦巻く戦場を走り回り、見慣れる事の無いグロい行為を目の当たりにした結果が出たのだろう。

 気分も悪い。

 目を瞑って戦場の喧噪を遠方に聞くと、まだまだ命のやり取りが続いているのが分かった。

 どれくらいの時が過ぎたのか、遠くで俺を呼ぶ声が聞こえた。

 なんだろう、なんだかぼーっとしてる。

 足音が近づいて来た。

「広田殿、そろそろでござるぞ」

 はっと気が付いた俺、どうやら眠っていたらしい。

 馬廻りの一人が迎えに来てくれたようだ。

「あ、分かった。直ぐ行く」

 先に戻って行く馬廻りの背中を見た後、俺は直ぐに自らの背中に下げていた兜を被りなおして陣幕内に向かって行った。

 既にそこには3人、名は知らないけど屈強そうな武者が並んでいた。

「来たか」

 虎ちゃんは俺を見ると、すぐに手招きをして3人と共に自分の前に並ばせ、陣幕の外まで先導した。

 ちょっと小高くなっている本陣からは八幡原が一望できる。とはいっても左程標高がある訳じゃないから、山の上から見下ろすような感じじゃないけど。

 そして虎ちゃんは鞭を颯っと持ち上げ、信玄本陣と思しき集団に右の端から指差して行った。

 確かに5つの同じような集団が見える。あのうちのどれか1つが本物なんだろう。

 右端から順に馬廻りの3人を其々に向かうよう指示し、自らは右から4番目を目指すようだ。

 また、俺には一番人数が少なそうに見える左端を突くように伝えられた。

 さっきまで寝ていたからなのか暑さのせいなのか、頭が冴えない。

 ぼーっとした状態がずっと続いている。

 虎ちゃんの下知は聞こえて理解もしているが、なんとなく視点が落ち着かなかった。

 これって熱中症かな。

 そんな中で馬廻り3人は其々、自分の人数の所に戻って行った。

 皆決死の覚悟が表情に現れていたな。

「広田、どうした?顔が赤いぞ」

 呆けたような俺を見て心配してくれたんだろうか、虎ちゃんが覗きこんできた。

「あ、あぁ、大丈夫、日に当てられて頭に血が昇ったみたい」

「そうか、くれぐれも気を付けるのだぞ」

「うん、あ、虎ちゃん」

「どうした?」

「もしこれで無事に戻って来る事ができたら、元の世に帰る方法を考えてみるよ。それが分かったら一緒に行ってみない?」

 熱に浮かされたように口走る俺の言葉に、虎ちゃんは頷いてくれた。

「分かった。楽しみにしておるぞ」

 そこで虎ちゃんも兜をかぶった。

 そう言えば銀色の甲冑と兜だな、カッコイイ。

 顎紐をきゅっと結ぶ姿は如何にも戦国武将然としていた。

「なればこれより信玄本陣を突く、各々配置に着け。本陣から貝の音が鳴り響いた時こそ攻めるとき。遅れをとるな!」

 本陣周りでは、この声に呼応して恐ろしい程の鬨の声が上がった。

 俺も急いで自分の人数のいる陣まで走り馬上に納まったとき、本陣から法螺貝を吹き鳴らす音が響いて来た。

 全身が総毛立つ。

 これから何か、恐ろしい事が起こる前触れの様な貝の響きだった。

 直ぐに4方向に走り出す騎馬隊が目に入った。

 銀色の甲冑が夏の太陽の光を反射している。

「よし、俺達も行くぞ!進め!」

 再び鞭を頭上でくるくると回した俺に、騎馬隊300人が付いて来た。

 信玄の本陣までは凡そ1キロくらいか。

 その間には何重もの敵陣が構えている。

 もちろん柿崎のおっさんや本庄さんの部隊が中央で戦ってくれているお陰で、敵全員が向かってくる事はなかったが、やはり其々に受け持ちの場所では押し寄せて来た。

 腹をくくった俺は槍を掻い込み、向かってくる騎馬武者がいたら突き伏せる覚悟を決めた。

 だんだんと本陣に近づくにつれて俺が率いた人数も数を減らして行く。

 こっちも真剣だけど向こうも真剣だ。

 気を抜いたほうがやられるのは目に見えている。

 と、このとき目の前に武田側の騎馬武者が出て来た。

 たまたま他とやり合ってたときに出て来たみたいだけど、今更俺の勢いを止める事はできない。

 しかたない。

 初めての人殺しになっちゃうけど、えいや!と槍を繰り出した。

 ところが、思いっきりすっぽ抜けて穂先は空を切った。

「ありゃま、しまった」

 それを見越していたんだろう、体制を崩した俺を狙って騎馬武者の槍が繰り出されようとした。その瞬間、俺と一緒に走っていた人が持っていた槍で相手の槍を叩き落してくれた。

 無事に敵の騎馬武者の脇をすり抜ける事が出来たんだけど、まさに危機一髪だった。

「ありがとう、助かったよ」

「広田殿、手元不如意だぞ」

「ほんとにそうだ。気をつけないと。ところでお宅の名前は?」

「儂は貞興さだおきじゃ、小島貞興。皆は鬼小島の弥太郎とか呼ぶがのぉ」

 この貞興さんも柿崎さんと同類みたいだな。越後は豪快な人が多いのかもしれない。

「さぁ広田殿、信玄坊主が本陣は目の前でござる。いざ参ろうぞ」

 俺は再び馬を走らせて本陣に向かって行った。

 ところが目的の場所についてみると本陣はもぬけの殻、ダミーだった事が判明した。

「ダミーだったか!貞興さん、急いで虎、じゃなくて御屋形様の所に向かうぞ!」

 共に駆け行った貞興さんも空振りした無念さが顔に出ていた。

「おう、御屋形様の隊は二町も離れてはおらん、急ぎましょうぞ」

 とはいえ、いくらダミーだった本陣でも敵勢がいる。

 わらわらと寄って来られてしまい、そこを抜けるのに苦労した。

 まぁ殆どお任せしてしまったので、苦労したのは貞興さんだったけど。

 そんなこんなでやっとダミーを抜け出る事ができた。

 そして虎ちゃんの所に到着すると、なんとそこが本物だったらしく信玄の旗本や馬廻りが虎ちゃんの部隊に群がっていた。

 その中に居るはずの虎ちゃんを捜してみるがどこにも見当たらない。

「あれ?虎ちゃんがいない、どこいった?」

「虎ちゃんですと?」

「あ、いや、なんでもない。御屋形様がいないぞ」

 貞興さんは合戦場をぐるりと見渡した。

「まさか、やられちゃったなんて事はないよね」

 ちょっと泣きそうになってる俺を見ると、ゲラゲラ笑いだしてしまった貞興さん。

 なんだか柿崎のおっさんにそっくりだな。

「広田殿、御屋形様の騎馬隊がまだあれだけ健在なのだ、易々と討たれてはおりませぬよ」

「それなら良いけど」

 ほっとするのも束の間、虎ちゃんの騎馬隊が信玄本陣の正面から押されるように流されて行くと、偶然からなのか陣幕の剥ぎ取られた武田本陣が丸見えになっていた。

 そこには真ん中で床几に座った、毛がボーボーの兜をかぶっている人物が見えた。

 まだ距離があって顔はハッキリとは見えないけど、おそらくあれが信玄なんだろう。

 チャンス到来!

「正面が空いた、今ならイケる!」

 馬腹を蹴って走り出そうとした俺の目の前に、一頭の白馬が現れた。

 それは気負うでもなく恐れる風でも無く、ひたすら無人の野を走るように信玄へと吸い込まれて行く。

「あれって、虎ちゃんじゃ…」

 言い終わるかどうかの内に白馬に乗った銀の武者が信玄に辿り着き、抜き放っていた太刀を打ち振るい始めた。

 切っ先が首に届く寸前に信玄が軍配を振り上げ、間一髪首が落ちるのを防いだようだけど、繰り返し3太刀程浴びせたようだ。

 目にも止まらぬ斬撃のうち、一太刀が肩に当ったのか崩れそうに体を傾けた信玄。

 これをチャンスと見た銀の騎馬武者が止めのもう一太刀をと振り上げたとき、信玄の伴廻りが駆けつけて来た。

 自らの主を護る為に焦る供廻りの繰り出した槍。

 これが偶然にも銀の武者の乗る白馬の尻に当った。

 驚いた馬が竿立ちになった為にバランスを崩し、信玄への止めを外した銀の武者は急ぎ体勢を立て直すとその場を走り去った。

 しかし、そのとき信玄本陣の両脇から鉄砲隊が一斉に現れたのだ。

「あ、鉄砲だ!もしかしてコレの事だったのか?」

 俺は虎ちゃんに聞いていた声の内、まだ鉄砲と俺の名前が出ていない事に思い当たった。

「やべぇ、貞興さん、あの鉄砲隊を脇から崩して下さい、俺は御屋形様の所へ行きます」

 貞興さんは「応」の声を残して人数を引き連れ、信玄の鉄砲隊へと向かって行った。

 俺は単騎で虎ちゃんの後を追いかけた。

 まだ銃声が響かない所を見ると準備ができてないんだろう。

「虎ちゃん!」

 完全に鉄砲隊に背中を向けていた虎ちゃんと鉄砲隊の間に入る形で声をかけたとき、虎ちゃんが振り向くのと同時に銃声が聞こえた。

「広田!」

 俺は思わず鉄砲隊の方を見ていた。

 あれ?この風景、どこかで見たような。

 鉄砲に狙われているという極度の緊張のためか、スローモーションで流れる風景がはっきり見える。

 なんだろう?この景色はどこかで…。

 死を目前にしながらもデジャブのような、何とも言えない気分を味わった。

 俺を正面に捕えていた鉄砲隊から煙が流れ、騎馬隊が走り回っている。

 あ!これは春日山のお祭りで見た風景だ!

 次の瞬間、まびさしに鉄砲玉が当り火花が散った。

 まさか。

 直後、俺は鉄砲玉にしたたか頭を弾かれ、視界が段々とぼやけて行った。

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