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毘の華  作者: 逍遙軒
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啄木鳥

 翌朝、夜明けと共に出陣した越後軍。

 荷駄隊を含めた1万8千の軍勢だ。

 日が昇る頃には晴れることを連想させる朝靄の中、続々と出陣する越後軍は其々の指物を押し立てて中々勇壮なものだった。

 本陣中軍にいる俺も、柿崎のおっさんの部隊の後ろに続いて300騎を率いている。

 冷静になって考えてみれば、この後ろに続く300人の命を俺が背負ってる様なものなんだなぁ。

 精神的にかなり重圧になってる気もする。

 新調された具足に身を包んだ俺の後ろに居並ぶ兵達の背中には、真新しい毘の旗がはためいていた。

 この時代は、責任の重さと比例して勇壮で荘厳な美を飾るのかもしれないな。

 越後の軍勢を纏めた虎ちゃんは信濃国境へ続く細い道を2日程かけ、ゆっくりした行軍で8月15日までに信濃善光寺平に軍を進めた。

 善光寺平に到着直後は、そこにある善光寺に荷駄隊を含めた5千を残して犀川を越えて南下。八幡原と言われる千曲川と犀川の間の平地を抜けて妻女山と呼ばれる山に入ったのが8月16日だった。

 牛の角文字善光寺だね。そう言えば何かの旅行で来た事があったかも。

 『牛に引かれて善光寺詣り』を『牛に轢かれて』かと、つい最近まで思ってたなぁ。

 牛に轢かれちゃうんだから、かなり足が速い牛が突進して来るのかと。

 しかもお寺だから轢かれた後に葬ら…。

「あれ?妻女山?」

 物思いにふけっていた脳裏に、虎ちゃんが毘沙門堂で聞いたと言っていたキーワードが出てきた。

 ここに陣取れってお告げだったのかな?

 じゃ「きつつき」ってなんだろう。

 この妻女山に沢山啄木鳥が住んでたりしてな。

 とりあえず妻女山に陣を張った越後軍、見下ろせば海津城と呼ばれてる武田方の城が見えた。

 そこには高坂ダンジョウって人が入ってるらしい。

 ダンジョンみたいな名前だな。

 まだ信玄の本隊はやって来てないから、ここを先に攻めるのかな。

 妻女山中に陣幕や盾を設え、雨避けの簡易な掘立の建物を作りながら足場を固めて行くうちに、武田勢が甲府を16日に出発したらしい知らせが入って来た。

 信玄キタコレ!

 さて愈々だ。

 ちなみに本陣に参集した時に海津城を攻めるのか聞いてみたら、今回は信玄を討ち取る覚悟で対峙するから無駄に兵を損なう事はしたくないんだそうな。

 信玄本隊を八幡原に迎え入れてそこで強襲、殲滅するんだとか。

 殺る気マンマンだな。

 でも妻女山に陣取るだけの人数で勝てるのかな?

 善光寺平に5千人も残して来ちゃったんだよなぁ。

 そして日が過ぎて行き、24日になると武田勢はなんと2万もの兵を連れてやって来やがった。

 素人の俺にも分かる数の対比。

 1万3千対2万じゃヤバいはず。

 善光寺に残して来た5千人が応援に来れば数の上では同じくらいになるけど、他に何か良い作戦があるのかな?

 妻女山の陣場から見降ろすように南信濃から現れた武田勢を見ると、細長くなった軍勢を千曲川沿いに進ませ、途中で茶臼山に向かって行くのが分かった。

 信玄もこっちと同じく山の上に陣を作るんだろう。目の高さが同じくらいになる茶臼山なら陣を作っても不思議じゃないかも。

 とか思ってたら、そのまま軍勢を千曲川西岸にある塩崎城と呼ばれた城に入れてしまった。

 妻女山からもほど近い距離の武田方の城だ。

 余りにも近い。

「ずいぶん近いところに入ったね」

 本陣の中では軍議が開かれており、その中にいた俺の問いかけに不敵な笑みを見せた虎ちゃん。

 丁度今、越後の諸将が本陣に参集していた所で、今後の武田勢の出方で自らの軍勢の動きの打ち合わせをしていたところだった。

 お、何か自信満々だね。

「何か良い作戦でもあるの?」

「これで信玄が暫くの間動かなければ、勝ちは転がり込むよ」

 何故に?

 俺にはさっぱり分からなかったけど、何かの作戦を立てているみたいだ。

 近くにいた柿崎のおっさんは、不敵にも近距離の城に入った信玄に腹を立てたのか、いきり立って攻め込むべきだと主張している。

 直江さんは相変わらずクール過ぎて居るのか居ないのか。

 本庄さんは面倒臭そうに柿崎のおっさんを見ていた。

「柿崎、まぁ待て。信玄が動かぬ我らに痺れを切らし、塩崎城から千曲川を渡り海津の城に入ったときこそ」

 虎ちゃんの言葉でも柿崎のおっさんは不服げだ。

「海津城に入られてしまったらそれこそ一大事ではありませぬか。城は攻めるに堅い」

「なればこそじゃ。城に拠れば信玄とて要害に頼る心も出よう」

「要害に頼られてはこちらに不利でござろう」

「良いか柿崎、城に籠るとは城を囲まれると言う事じゃ。彼我の人数に大差が無い今、城に籠れば容易に打ち出る事はあるまい」

「待っているだけにござるか?」

「この戦、信玄入道が城から動かぬのならばかつえ殺しとする」

 この虎ちゃんの一言で、越後軍の評定では珍しく驚きの声があがった。

 まさしくザワザワである。

 柿崎のおっさんも驚いた風の表情だ。

 あぁ、ザワザワの意味を知りたい!

 俺は虎ちゃんの言った意味が分からなかったので、隣に座った、さっきまでいきり立っていた柿崎のおっさんに聞いてみた。

「柿崎さん、カツエ殺しって何?城にカツエって名前の人でも居るの?」

 柿崎のおっさんに限らず何時ものことだが、俺が質問すると必ずナニコイツ。的な目で見られるなぁ。そんなに一般的な事なのか?

「その方は本当にモノを知らぬなぁ」

 顔を赤くしていた主戦派の柿崎のおっさんだったが、虎ちゃんの戦術と俺の質問で、輪をかけた様に気が抜けたらしい。随分と大人しくなった。

「飢え殺しとは兵糧攻めじゃ」

「あぁ!」

 やっと意味が分かったよ。兵糧攻めだったか。

 兵糧攻めって言葉は良く聞くけど、そういえば越後軍で兵糧攻めはやった事ないのかな?

 俺がこっちに来てからは小田原でやられたのを見たくらいで、こっちから仕掛けたのは見た事がなかった。

 それのザワザワだったか。

「ならそれほど合戦で人は死なないから良いんじゃないの?」

 俺は余計な一言を言ってしまったようだ。

 瞬間湯沸かし器のようにいきなり沸騰した柿崎のおっさん曰く、

「合戦が無ければ手柄が上げられぬではないか。飢え殺し等は平時の乱で使う手じゃ」

 そう俺に怒鳴って席を立ってしまった。

「そんなに怒らなくてもいいのにねぇ」

 実にまったりとした俺の言葉に、すわ喧嘩か!?と俺達二人を見ていた重臣達も苦笑いをするのみだった。

 この戦術決定の後も攻めも攻められもせず只管無為に日を過ごした両軍だったが、先に動いたのは武田勢だった。

 武田勢が海津城に入ったのは29日。

 深夜の内に移動をしたらしい。

 とは言っても、先に虎ちゃんが予想していた動きをしただけだったので特に慌てる事も無かったのだが、俺としてはその予想通りに信玄が海津城に入った事には驚いた。

 ほんとに相手の動きを読んでるんだなぁ。

 ただ、海津城に入城後は、また再び何事も起こる気配が無かった。

 そして9月8日の夕方、その日も危急の場合に備えるだけで特段の事はせず、俺は日課になっていた妻女山の本陣周りを散策していたのだが此処で再び雪椿を発見してしまった。

「あれ?珍しいな。ここにも雪椿がある」

 この花はそれほど頻繁に狂い咲きするものなのかな?

 一輪だけ咲いていた花を採るのは可愛そうにも思えたが、何故か一人ぼっちで咲いている花をそのまま置いて行くのも不憫に思えたので手折って持っていく事にした。

 そのとき、ふと顔を上げて遠方の海津城を見てみると、いつもはもっと遅い時間に炊事の煙が上がる筈の城一帯から、濛々と煙が立ち上っているのが見えた。

「なんだろ?何時もより早く飯を食うのかな。まぁいいや」

 俺は深く考えもせずに再び見つけた雪椿を片手に散策を中止して本陣に戻ると、本陣では酒盛りが始まっていた。

 鼓や笛、果ては琵琶みたいな物まで鳴らして歌い踊り、飲み食いしている所を見れば、ここは合戦場だと言う事を忘れそうなほどだ。

 皆楽しんでいる。

 陣幕を掻き上げて中に入って行った俺をちらっと見た虎ちゃん。

 俺が手に持っていた物を見た。

 楽しげに盃を持ち謡や踊りを見ていたようだが、そっと近付いて雪椿を差し出すと物珍しそうに受け取った。

「広田、お前は雪椿とはずいぶんと縁があるようじゃな」

「何といっても狂い咲きだからね」

 虎ちゃんは何時も通りケラケラ笑うと、俺を挿し招いて酒を飲まぬかと聞いて来た。

 酒が嫌いではない俺はもちろん頂く事にして、末座に開けてもらった席に座り宴の一員に納まる事になった。

 飯は今一つだけど、酒は旨いから見逃す手はないよね。

 しかし、まだこの頃には清酒は無いみたいだ。

 いつでも濁り酒が出て来る。

 でもこれが甘露甘露。旨い。

 これで肴が刺し身とか天ぷらとかだったらなぁ。

 〆鯖やコハダ、イカの天ぷらとかを思い出すと涎がでる。

 思い出を摘みとしてグィと盃を干すと、様子を見ていた小姓さんが空かさず銚子を持って来る。

 俺の空になった盃に再びなみなみと濁り酒が注がれた。

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