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毘の華  作者: 逍遙軒
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出陣前夜

 8月に入ると同時に、春日山では出陣準備の触れが出された。

 信濃の国に出向いて、そこで頑張っちゃってる武田信玄を攻撃して追い出す作戦だ。

 そう言えば、これって俺でも知ってる川中島の戦いだな。確か中学生の時に習ったような。

 あれ?高校生のときだっけか。

 まぁどっちでもいいか。

 確か虎ちゃんはもう3回程川中島で戦ったって言ってたけど、川中島の戦って何回もあったとはね。知らんかった。

 こんな俺ののんびりした思いとは裏腹に触れが出されてからは城の中は慌ただしく人が行き交っている。

 越後の国中から兵糧を買い集めたり、人を国中に遣わして一揆勢と呼ばれる国人・地侍に参集を呼びかけたりする為にひっきりなしに使者に選ばれた家臣達が出入りしていた。

 合戦前は色々とやる事があるな。

 城域にある鍛冶小屋では昼夜徹して鎚音が響いてるし、鎧を繕ってる小屋もあった。

 簡易な鎧だから、お仕着せ具足って言われてた鎧の修繕なのかな?

 城下からも替え用の打ち刀や槍などが続々と届けられている。

 また弓の弦とかも入荷された。そういえば弦の張ってない弓を見たけど、弓って反対に反ってるのか。

 あと驚いたのは矢の方だった。

 何と無く弓より矢の方が大切に扱われてないか?

 ゆぎとか言う木の箱に納められて届けられていた。

 余りにも弓と矢の扱いに差があった気がしたので隣で働いていた人に聞いてみると、「矢が雨にぬれたり天道様に照らされて曲がったりしたら使い物になるめぇ」だそうな。なるほど。

 そんなこんなで連日の作業で用意された荷駄は一杯になって行った。

 俺も参集してきた人達をもてなす為の饗応係りとして働いたけど、人が足らないからってんで小荷駄に荷を括りつける手伝いなんかもさせられたりして。

 そして『8月に入ってから10日目位には』と云ったアバウトな予定で、春日山城から出陣するとの知らせが来た。

 愈々出陣か。準備は万端整ったけど、俺のような素人にも名が知られてる武田信玄との合戦となるとワクワクするような緊張するような。

 戦上手って話だからヤバイかもしれないのにこんな気分になるとは、俺もこっちの色に染まり出したのかも知れないな。

 さて、日も暮れてきたので虎ちゃんの寝具を整えに行くか。

 この時間の虎ちゃんは城内に造られた毘沙門堂に籠って何かしているようで部屋には居ない。

 その間に昼の間にたまった埃等を掃き雑巾で清め、蜀台の火を入れたり寝具を整えたりするのだ。

 ところが、何時もの調子でサクサク進めていると思いもかけずそこの主人が帰って来た。

「広田、いつも苦労である」

 障子が開いたと同時に声をかけられたのでチョットびっくりしたわ。

 風も一緒に入って来たのか、蜀台の火もユラユラと朧げに揺れていた。

「おぉ、びっくりした。今日は戻るのが早いんだね。どうしたの?」

 いつもは毘沙門堂にしばらく籠ってるのにどうしたんだろう。

「いや、なんとなくな。お前に会わねばならぬと感じた故」

「何?どんなご用?」

「用、と言う程のものではない。とにかくまぁ座れ」

 そう言えばさっきから驚いた拍子の中腰姿勢で立っていた。

 お陰で足が痛くなってきた所だったので有難い。

 直ぐに二人で小机のある座敷中央に進み、虎ちゃんはその小机をよけて自分と俺が向かいあうように座った。

 ほんとにどうしたんだろう。

「何かあったの?」

「うむ、良くは分からぬが、儂が堂に籠っておるとき妙な胸騒ぎがしてな、どこからか声が聞こえたのだ」

 うはっ、どこからか声って、幽霊じゃないよね。怪談話は遠くにあって面白いもの。

 身近にあると怖いだけだ。

「何、オバケでもいたの?」

 俺の冗談にも真剣に首を振る虎ちゃん。

「いや、物の怪の類かどうかはわからぬ。しかしはっきりと頭の中に響いて来たのだ」

「どんな声が聞こえたの」

「きつつき、と、鉄砲。妻女山」

「何それ怖い。てか、なんの事だろう」

「それと広田、お前の名も聞こえた」

「え、俺の名前まで聞こえたの?」

「うむ。何かこれだけで気が付いた事は無いか?」

 俺は余りにも少ないそのキーワードを元に考えてみた。が、流石に一向に思いつくものが無い。

「そうか。しかし胸騒ぎがする。広田、これをお前に渡しておく。肌身離さず持っておればお前の身を守ってくれよう」

 そう言って俺に渡して来たものは、10センチにも満たない木造仏だった。

 小さい割には彫刻が見事に施され、一見しても価値がありそうな感じだ。

「有難う。何の仏様かわからないけど、こんな手の込んだものを貰っちゃってもいいの?」

「うむ、おまえにやろう。大事にするのだぞ」

 虎ちゃんはケラケラと笑った。

「しかし何の仏か分からぬか。まぁお前を守れる仏ならば何でもかまわぬとは思うが」

 暫し間が空いた。なんだ?

「ただな、信心するに一向宗だけは止めておくのだぞ」

 一瞬真剣な眼差しになった気がした。

「ふ~ん。一向宗って何?」

 再び暫しの沈黙。

「………は?」

 虎ちゃんの目が点になってるが、何?どうした?

 さっきよりももっと声を上げてケラケラと笑いはじめてしまった。

 なんだろう?一向宗を知らない事はそんなに面白い事なのか?

 目に涙を溜めてまで笑わなくても良いのに。

「いや、さすが広田だ。これは儂も降参じゃ、参った」

 一瞬真剣になった筈の目が安心したのか拍子抜けしたのか。優しげなものに変わって行った所を見るとイッコウシュウとやらを知らなくて良かったらしい。

 笑いが収まると、今度は真剣な顔つきになった。

「おそらくではあるが先ほどの声な、儂が思うに、あれはこれから向かう信濃攻めに関わるものではないかと考えておる。広田の名が出てきた事は気に掛かる。戦の最中は充分に気を配るのだぞ」

「わかった、有難う」

「それと出陣の日取りは触れの通りに8月の10日とする故、それまでに身支度を整えておくのだぞ」

 こんな言葉をかけられたのは初めてだ。

 何か、何と無くだけど、別れの言葉に近い気がした。

 本当に何かを感じたのかもしれない。

 俺も死なない様に気を付けねば。

 やっと暮らしに慣れて来た所なんだ。

 それに死を間近で見たせいか、なんとなく生きていた平成の時代と違って生きている事に実感も出てきた。

 あ、これは盗ったり盗られたりの領国経営を身近に感じたからなんだろうな。

 勝てば大名、負ければ乞食。

 それを地で行くこの時代の面白さ恐ろしさが裏付けとなった感情だろう。

「身支度か。じゃぁ甲冑でも磨いておくかな」

「柿崎から貰った陣羽織も支度しておけ。もうお前は我が馬廻りの衆故、指物も新しいものを渡そう」

「馬廻りって、響きがカッコイイね」

「おぉ、そうじゃ。出陣前にお前に渡さねばならぬ物があった。今までは借り物だったが、この戦を期に、その方に太刀をやろう」

 虎ちゃんはそう言うと、部屋の片隅に置かれていた布で包まれたような棒を手に取った。

 器用に布を剥ぎ取ると、そこからは一振りの太刀が出て来た。

「お前が持ってきた木箆造りの金覆輪の太刀では見栄えは良いが役に立たぬ。故に新しく拵えさせた。それと具足も1領やろう。鉄地の二枚胴具足じゃ。兜も62間の明珍兜を用意した。前立ては無いがな」

「えぇ!?本物の甲冑を着られるの!?」

 内心本物を着たかった俺は小躍りして喜んでしまった。

「うむ。出陣前にその晴れの姿を見せてくれ」

「もちろん喜んで。あ、今までのヤツはどうしよう」

「それがあればもう用はなかろう。儂にくれぬか」

「え?あれってレプリカだけど、いいの?」

「れぷり…うむ、何かは知らぬが、アレのお陰でお仕着せ具足ができたのだ。後々ぷらすちっくが取れるようになった時までに大事に保管しておく心算だ」

 プラスチックが取れることは無いと思うけど、まぁ必要であるなら悪い気はしない。

 綺麗に磨きあげてから具足櫃に入れて持ってくる事を約束した。

 それから夜が更けるまで、最近はいつも忙しくて中々話す事も出来なかった虎ちゃんと色々と会話をする事ができた。

 久しぶりの二人だけの時間を過ごせた気がする。

 これが合戦前夜じゃなければなぁと思うのは贅沢なのかな。

 さて、久しぶりに同衾してしまった俺は、まだ月夜が白まない内に自室へ戻って行き、空が白み始めてからプラ具足を磨き始めた。

 プレゼントするならピカピカに仕上げなくちゃなるまい。

 それが磨き上がったころ、家臣一同に城内の大広間に参集の命令が出された。

 もちろん俺も呼ばれた。

 大勢の家臣が詰め寄せたそこで発表された事は、明朝夜明けと共に信州善光寺平に出陣するという下知だった。

 愈々武田信玄との一戦が始まるのか。

 思わず武者震いをしてしまったが、我ながらホントに武者震いなのか疑わしいものだった。

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