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毘の華  作者: 逍遙軒
24/31

 成田親父の事件を皮切りに、結局辺りがざわついたまま、鶴岡八幡宮でのお披露目が終わってしまった。

 折角上杉の性を名乗れるようになったのに、虎ちゃんとしては不本意だったろうな。

 事件のせいで取って付けたようなお披露目が終わると、関東の殿様達は何かと理由を付けて自分の領地に帰って行ってしまい、残ったのは古河の偉い人とその家来さん、あと“岩槻”の太田さんと三田さんとか名乗る人のみ。

だいぶ人数が減ってしまった感がある。

 こうなると成田親父がやり込められた腹いせにワザと公衆の面前で叩かれて見せることによって、友軍として集まっていた関東の殿様達の心証を悪くさせる作戦だったかもしれない。

 なんか納得できないけど、亀の甲より年の功なのか。

 これが本当に作戦なら恐ろしい程に老獪なヤツだな。

 残った越後軍は鶴岡八幡宮の敷地を借りて本陣を作り、そこで今後の方策を練る事になった。

 この時、人数が少なくなったお陰で俺も会議に加えられる事になってしまった。

 イクサヒョウジョウとか言う会議らしい。

 ここで決まった事は、ばらばらになってしまった小田原遠征軍に、北條方からの追撃が来ない様にするため、この八幡宮から直ぐ近くの玉縄城というお城を攻めてから退却する事。

 ここで後先かまわずに逃げ出すと確実に玉縄城から追撃の軍勢が来るんだそうな。

 俺達はまだまだやれるぞ。掛かって来たらやり返すからな!と言う示威行為だとか。

 本気で攻め落とす心算が無いので、何日か囲むだけでその後は軍勢を二手に分けて退却。

 一方を平塚から北、青梅方面に向かわせるようだ。

 これに三田さんと太田さんが向かう事になり、本隊は来た道を戻って“岩槻”まで行く。

 その後は古河の偉い人達と分かれ、本隊は松山城を攻めるらしい。

 おぉ!松山城。

 そこも知ってるぞ!

 確か小学生のころに遠足で行った吉見百穴(“よしみひゃっけつ”:何故か今は“よしみひゃくあな”)の隣だったはず。

 ここにもホントにお城があったんだねぇ。

 で、まぁその城を落としたらコウヅケの厩橋城まで戻って、最終的には越後春日山へ戻る事になった。

 俺は“岩槻”まで戻ったら羽生の人達と分かれて虎ちゃんの馬廻りとして従軍する事が決定した。

 越後までの行軍目標が全て決定すると、善は急げとばかりに八幡宮から残った2万人で玉縄城を囲むことになった。

 人数が減ったとは言え2万人か。

 10万人から随分減った気もするけど、考えてみれば過疎化が進んだ町ひとつ分くらいの人数はいる。

 残った人数だけでも大軍には間違いない。

 八幡宮から玉縄城まではホントに近く、5キロも無いくらいだったからあっという間に到着。

 到着しても本気で攻める訳じゃないから城を囲んだ皆で大声を上げているだけ。

 なんだこりゃ?

 城からも攻め出してくる訳でもなく静かなもんだ。

 一度小田原城で怖い思いをしたせいか、何と無く落ち着いている俺が居た。

 これも成長の一つなのかも。

「これも合戦なの?」

 隣の床几に座る直江さんに話しかけてみた。

 そう言えば直江さんに話しかけるのって無かったな。

 直江さんは相変わらず涼しい顔だ。

 クールって言葉が似合いそう。

「左様、これも合戦の一つ。鬨をあげて威嚇するだけなのだが、これが城方の士気を削ぐ事ができるのだ」

 城を囲んで騒いでるだけで士気が下がるのか。ほんとかな。

 まぁほんとのトコロは囲まれてみないと何とも言えないので、そんなモノなんだろうと納得する事にした。

「これで敵が城から出て来ることは無いの?」

「出てくれば討ち取るのみ」

 うは。合戦になることもあるのか。

「しかし、玉縄の城兵は出て来る事はあるまい」

「何故です?」

「この程度で兵を繰り出すならば、本城籠城の時に我らの背後を突いておる」

「ふ~ん」

 俺が直江さんに分かったような分からないような返事をしてから暫く後、この玉縄城の囲みを解いて退却となった。

 ところがこの退却、北條さんにバレてたみたいで玉縄城から何キロか北上した辺りで追撃兵がやって来た。

 この時は平塚方面から退却する予定だった三田さんと太田さんの他に、柿崎のおっさんと直江さん達が反対に攻めて行ったお陰で追い払う事ができたみたいだ。

 柿崎のおっさんもなかなかやるもんだ。

 退却している時に分かったことなんだけど、どうやらこの北條さんの追撃兵は、あの成田の白髪親父が寝返ってチクった事が原因だったようだ。

 あのクソ親父、やっぱり作戦だったか。

 まぁ腹が立っても既に敵になっちゃってるから、虎ちゃんの考え一つで忍城に攻め寄せたりするんだろうけど。

 どうするのかな。

 このあと北條さんを追い払った三田さんと太田さんが平塚から分かれて北上して退却。

 玉縄からの追撃兵に警戒しながら退却してくる直江さんと柿崎のおっさんが帰って来るのを待ち、越後軍が再び来た道を辿り岩付城に戻れたのは5月も半ばになった頃だった。

 岩付城に到着した俺は、羽生の殿様の役目から解放されて虎ちゃんの馬廻りにジョブチェンジ完了。

 やってることは今まで通りの傍小姓だったけど。

 さて、時が過ぎるのは早いもの。

 小田原攻めは2月の寒い時に始まったのに、もう蒸し暑くなってきた。

 そんな初夏。

 腹の立つ成田の親父が居る忍城はそのままほったらかしても何の力も無いって事で、目下の緊急事態となった信濃の川中島が最優先として、岩付城から春日山城まで一気に走破する強行軍が決定した。

 まじすか。

 埼玉県から新潟県まで馬で行くとは。

 まぁまだ馬に乗れるからましか。

 歩きで行く人達が可愛そうになってしまった。

 出発したのは5月中旬のカラッと晴れた日の早朝。

 “岩付”の城を出発してから進路を西北に取り、越後までの道すがら途中の松山城を攻める事になった。

 どうやらこの城も小田原北條さんの支城のようで、上田何とかさんて名前の殿様がいるみたいだ。

 しかし“岩付”城の時もそうだけど、松山の城の周りも水だらけだとは知らなかった。

 なんとなく地形に面影があるけど、低い所は悉く沼みたく水が溜まってる。

 あ、みたく、ではなくて沼だね。

 吉見百穴の岩山から西側と南側は思いっきり池になってるぞ。

 国道があった辺りは波打ち際になってた。

 そういえばここに来るまでも道々池や沼が至る所にあったけど、たぶん後で水を落として耕作地にしたんだろう。

 関東平野って実は水の平野だったのかも知れないな。

 松山城は結構簡単に落ちた。

 誰がこの城に入るのか知らないけど、お城の殿様になっても攻められちゃう事を考えると、良い事ばかりじゃないんだねぇ。

 そんなこんなで越後春日山城に到着。

 お祭りは城の入り口付近でやっていたからそれほど気にならなかったけど、何ですかこの山全体を使ったお城って。

 なんだか塀を至る所に回してあって迷路みたいなんですけど。

 急な坂道や足場がしっかりしていない山城は歩き辛かったけど、こっちに来てから約半年。

 馬に乗ったり歩き回ったり、傍小姓の仕事で薪割りから寝具の上げ下げ、水汲みなんぞをこなしていたせいか、筋肉痛になる事も無く初めの頃の息切れも無くなって来た。

 ここは生活自体が運動だったのか。

 そのほかにも農作業やら合戦があるから、年端も行かぬ小姓さんでも無限の体力になっている理由が分かった気がした。

 そんな生活が続くうちに、なんとか自分の時間を持てるようになった俺は、何と無く春日山城をふらふら散策する事が日課になりつつあった。

 まさかお城や歴史に興味のなかった俺が、本物のお城が機能してた時代に居るなんて想像もできなかったけど、こうして歩いてみると石垣もしっかりして建物も茶色いけど趣があって実戦的で、中々良い。

 また、塀の外側にはたまに草木や花が咲いていた。

 テレビや映画も何にもないこの時代には、これを見るのも楽しくもあった。

 と、そのとき、赤い花が咲いている事に気が付いた。

「あれ?これは雪椿じゃ?」

 雪椿は確か、雪の降りしきる12月位に咲く花じゃなかったっけ?

 じゃぁこれはなんでしょ。

 塀の外側には犬走りって名前の段差がある。そのちょっと外側の崖に根をおろしていた花を一輪摘んでみた。

 良く分からないけど虎ちゃんに聞いてみよう。

 せっかくだから、また首長徳利にでも挿して持っていく事にしてみた。

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