チャプター15
ーハインヒュッテの村ー
宿屋に併設されたレストランの厨房にて、エルリッヒは一人女将に料理のいろはを学んでいた。もちろん、いろはと言うほど基礎的なことは、とうの昔に習得済みなのだが、色々な人の教えを請うことで、知識や技術に村がなくなる、と言う考えだった。こういう、飛び入り修行が許されるのも、地方の小さい村ならではだろう。システム化された大都市の宿屋では、こうは行かない。
「それで、この魚は独特の臭みがあるから、あらかじめ塩水で洗うといいのよ。ほら、見てご覧? 臭みと一緒に身の汚れが落ちたでしょう? こうして、下処理をするの。塩は貴重だけど、そこは遠慮しないで」
塩水で満たされたボールの中で、魚を優しく洗う。すると、透き通っていた塩水が徐々に白く濁って行く。
「本当だ。海の魚やお肉だとやってましたけど、川魚ではしてなかったです。臭みは香辛料で和らげることができましたし、何よりお塩を遠慮なく使うなんて、考えられないことですから。でも、臭みが抜けると、食べやすさが全然違いますもんね!」
「そうなのよ! だから、少し手間でもこうして塩水でもみ洗いするの。見てご覧この水の濁り。これだけの汚れが出て行くと思うと、安心でしょ? 体にも優しくなって、美味しく食べやすくなる!」
女将の指導は的確で、とても優しかった。エルリッヒのお願いを快く引き受けてくれた事自体に感謝だが、こうして昼食の仕込みに合わせて色々と教えてもらえるのは、本当にありがたかった。
大量の食数を用意する事も、教わりたい項目だった。今までも無難にこなして来たが、観光客がやってくるような店ではない。大変さから言えば、このレストランの方がよほど上だった。学ぶべき事は多い。
「それにしても、エルちゃん手際がいいのねぇ。人の多い王都で、しかも一人でお店を切り盛りしてるっていうのは、伊達じゃないわね。王都のお客さんはどう?」
「う〜ん、そうですねぇ。うちはお客さんといっても、おなじみさんが大半ですから。気心の知れた相手ばっかりだから、楽なもんですよ。それよりは、観光客を相手にしてる女将さんの方がよっぽどすごいですよ。観光客だと、気心が全然分からないですから」
お互いがお互いをたたえ合う。王都の人間からすると、観光客を捌いている姿はとてもたくましく映り、地方の人間からすると、舌の肥えているであろう王都の人間を相手にする方が大変に映った。つまりは、ないものねだりである。
「お互い様なのかしらね、こういうのは」
「そうかもしれませんね。っとと、オーブンの中は大丈夫ですか? いい匂いがしてきましたけど」
オーブンは二人から見て背後にある。二人はくるりと振り向いて、女将がミトンを装備しオーブンを開ける。一瞬にして厨房内を蒸気が駆け抜け、同時に「いい匂い」が充満する。
オーブン内では、野菜と豚肉のパイ包み焼きを作っていた。
「んん〜、いい匂いですね〜」
「ここの名物料理だからね! 味にも自信あるよ〜? 後で食べてくかい?」
こんなに嬉しい申し出はない。料理作りを手伝っていると、ついつい味を見たくなってしまう。だが、パイ包み焼きはそうはいかない。別個に作ってくれるというのなら、こんないありがたい事はない。どのみち、勉強も兼ねてここで昼食を食べて行くつもりだったのだ。
「もちろん! 他にも色々頼みたい料理がたくさんありますから! 作り方や捌き方を学ぶのも大事だけど、自分の舌で直接味わうのが一番ですからね!」
「あっはっは! そうだねぇ。どれだけの隠し味が分かるか、楽しみにしているよ」
女将の豪快な笑い声が響く。昼食のラッシュアワーが迫っていた。
「ごちそうさま〜」
「ありがとうございました〜」
昼食のラッシュアワーが終わると、食堂に静寂が戻って来た。エルリッヒがラッシュアワーと呼んでいる昼食で込む時間帯には、宿泊客、レストランや食堂のない他の宿の客、地元客など、色々な客が訪れた。エルリッヒもアーデルハイトと共に、女将の切り盛りを手伝っていた。
まだまだ修行中と言っているアーデルハイトはともかく、王都に帰れば一国一城の主であるエルリッヒの手助けに、二人はとても助かった。女将としては、まだまだ何日でも勉強と称して手伝いをして欲しいところなのだが、エルリッヒは火山裾野の森に棲むドラゴンを退治しに来た一行という事で、引き止めるのは難しそうだった。とても残念なのが本心だった。
「ふ〜。一段落ですね」
「エルさん……すごい手際です!」
「本当だよ。こういう忙しい時の切り盛りの上手さは、さすがだね。とっても役に立ったよ。さて、わたし達もお昼にしようか」
エルリッヒはこの後村を観光したいという。であれば、それを引き止める権利はない。元々、エルリッヒは宿泊代を頂いている「お客様」なのだ。それを、こうして手伝ってもらった事自体、幸運なのだ。感謝の気持ちを込めて、普段より気合いを入れて作らねばと、女将の腕がうなった。
「さてと、それじゃあたまには腕を振るおうかね。いつもまかない飯じゃ悪いし、エルちゃんはお客様だしね。リクエスト通り、パイ包み焼きも作るよ!」
「わーい!」
「やたっ! お母さんのパイ包み焼きは絶品だから!」
若い娘二人が喜べば、女将も悪い気はしない。残り三人前を、ノリノリで作り始めた。
食事が終わって一段落すると、エルリッヒは村の観光に出るための支度を整えた。
「それじゃ、ありがとうございましたっ! お昼ご飯、とても美味しかったです!」
「ありがとうね。お礼を言いたいのはむしろこっちの方さ。いつもの忙しい時間をあんなにゆったりと過ごせたのは久しぶりさ。それじゃ、ゆっくり楽しんでおいで!」
女将に景気よく送り出されると、意気揚々宿を後にした。
「さて、どこから回ろうかな」
村をふらつけば、ゲートムント達や御者ともばったり出くわすかもしれない。昼食には戻っていなかった。もったいないと思ったが、こんなところまで来て仕事に勤しんでいる姿は、あまり見られたい物でもない。それで良かったのかもしれない。
「えーっと……」
この村には観光案内地図のようなものはなかった。目に見える範囲を手がかりに、手探りで行くしかなかった。右を見ても左を見ても、のどかな田舎の景色が広がっているだけだ。夜にはマグマの明かりしか見えなかったが、昼間ともなると火山がよく見える。山頂からもくもくと上がる煙が、まだ休火山でないという事実を物語っていた。ドラゴンは裾野の森に棲んでいると言うが、果たしていかがなものか。
そして、火山にも生息域を伸ばしているのだろうか。
「ドラゴンの棲む森……か……」
山を見上げ、小さく呟いた。そうして、少しだけ神妙な面持ちになる。勢い任せとはいえ、こんなところまで来てしまったのだ。そして、小さくため息をついた。
「ふう。私ってば、何やってるのかねぇ……」
『ゴアァァァァァ!!!!』
言葉を遮るかのように、村中におぞましい雄叫びが響いた。村人達が耳を押さえている。
「これって! 竜の咆哮!!」
ここまでに出会って来た二種類のリザードとは違う。ゲートムントとツァイネをして怪我をして命からがら逃げ出して来た相手なのだ。いよいよ目前までやって来たのだという実感が涌いて来る。
「待ってろよ。わたしの友達を傷付けたおとしまえ、きっちり付けてやるからな……」
戦慄が走る。エルリッヒの呟きは、激しい怒気がたっぷりと込められていた。
〜つづく〜




