怒りの言葉と、王族の責任
カルラの振る舞いは、その後も変わらなかった。
ヴェンツェルたちが以前より親しく接するようになったことで、彼女はますます自信を深めていた。学院の廊下で王太子を見かければ、遠慮なく声をかける。側近候補たちにも、気軽に話しかける。
「ねえ、トビアス。今日のお昼、何食べたの?」
「……普通の食事だが」
「何それ。普通って何?」
「肉や野菜などだ」
「へえ。あたし、もっとおいしいもの食べたいなあ。今度、いいお店に連れてってよ」
トビアスは、返事に困った。
カルラの要求は、悪意から出たものではないのかもしれない。しかし、相手の立場や都合を考えず、当然のように何かを求める態度は、貴族社会では問題になりやすい。ローデリヒは、そうした会話を聞くたび、カルラに少しずつ説明を試みた。
「カルラ嬢。誰かに何かを頼むときには、相手の都合も考える必要があります」
「え? でも、お願いするだけじゃん」
「お願いすること自体が悪いのではありません。ただ、相手にも予定や事情がありますから」
「ふうん。よく解んないけど、考えとく」
カルラは、そう答えて別の話題に移った。説明を聞く気がないわけではない。ただ、彼女には、相手の言葉の意味を深く考える習慣がなかった。平民として暮らしていたころは、欲しいものがあれば口にし、無理なら諦める。それで済んでいた。
だが、貴族社会では、言葉一つで相手の家の名誉を傷つけることもある。
そのことを、カルラはまだ理解していなかった。
ある日、エルヴィーラは学院の談話室で、カルラと数人の令嬢が話している場面に出くわした。
「ねえ、カルラ嬢。王太子殿下とは、随分仲よくなられたのね」
令嬢の一人が、面白がるように尋ねた。
「うん! 最近は、前よりいっぱいお話ししてくれるよ」
カルラは、得意げに答えた。
「まあ。それでは、エルヴィーラ様も気が気ではないでしょうね」
「何で?」
カルラは不思議そうに首をかしげた。
「だって、殿下の婚約者はエルヴィーラ様でしょう?」
「でも、あたしと殿下が仲よくなったら、あたしのことを好きになるかもしれないじゃん」
その言葉に、令嬢たちは顔を見合わせた。そして、誰かが小さく笑った。カルラは、その笑いの意味を理解していない。
「何がおかしいの?」
「いいえ、何でもありませんわ」
令嬢は、笑いを堪えながら答えた。
「ただ、随分自信がおありなのねと思っただけですわ」
「だって、あたし可愛いし!」
カルラは、当然のことのように言った。その場にいた令嬢たちの笑い声が、少し大きくなった。
エルヴィーラは、談話室の入口で足を止めた。カルラは、まだエルヴィーラに気づいていない。
「ねえ、エルヴィーラ様って、いつもあんな感じなの?」
カルラが尋ねた。
「どんな感じですの?」
「いつも顔が動かないじゃん。あたしが殿下と話してても、全然怒らないし。何考えてるのか、判んないんだよね」
「それは……」
令嬢が返事をしようとしたとき、カルラは続けた。
「なんか、能面みたい。ツンケンしてるし、あたしのこと見下してるみたいで、ヤな女!」
その瞬間、談話室の空気が変わった。
エルヴィーラは、静かに室内へ入った。
「カルラ嬢」
呼びかけられたカルラは、びくりと肩を震わせて振り返った。
「えっ……あ、エルヴィーラ様」
「私について、何かお話しになっていたようですわね」
カルラの顔から、さっと血の気が引いた。
「ち、違うよ! 別に、そんな……」
「違うのですか?」
エルヴィーラは、声を荒らげなかった。
「今のお話は、私の聞き間違いだったのでしょうか」
カルラは、目を泳がせた。
「……だって、ほんとのことじゃん」
その言葉に、周囲の令嬢たちが息をのんだ。カルラは、追い詰められたと思ったのか、急に強気になった。
「エルヴィーラ様って、いつもすましてるし、何考えてるか判んないし! あたしのこと、どうせ下の人間だって思ってるんでしょ!」
「私は、あなたを見下した覚えはありませんわ」
「うそ! 絶対そう思ってる!」
「カルラ嬢。あなたが私をどう思うかは自由です。但し、本人のいないところで悪口を言い、それを指摘されても改めようとしないのは、よい振る舞いとはいえません」
「悪口じゃないもん! 思ったことを言っただけじゃん!」
エルヴィーラは、少しだけ目を伏せた。
「……そうですか」
それ以上、言い争うつもりはなかった。彼女は、周囲の令嬢たちに視線を向けた。
「皆様、お騒がせいたしました。私はこれで失礼いたしますわ」
そして、カルラにもう一度だけ目を向ける。
「カルラ嬢。今後は、ご自身の言葉が相手にどのように伝わるか、少し考えてみてくださいませ」
そう言い残し、エルヴィーラは談話室を出ていった。カルラは、その場に立ち尽くしていた。
周囲の令嬢たちも、先ほどまでのように笑うことは出来なかった。カルラは、ただ思ったことを口にしただけだと考えていた。
しかし、ここは貴族の子女が集う学院である。相手の身分が高ければ、何を言ってもよいわけではない。反対に、自分の身分が低いからといって、どんな言葉も許されるわけではない。
そのことを、カルラはまだ理解していなかった。
エルヴィーラが談話室を出たあと、騒ぎはすぐにヴェンツェルの耳に入った。
「カルラ嬢が、エルヴィーラ嬢のことを能面だの、ツンケンしているだのと……」
報告を受けたヴェンツェルの顔から、笑みが消えた。
「本人の前で謝罪したのか?」
「いえ。エルヴィーラ様が退室されたあとも、不満そうにしていたとのことです」
「そうか」
ヴェンツェルは、机の上に置いた書類を閉じた。
怒りが込み上げてくる。エルヴィーラは、王太子妃候補としての役目を果たすため、感情を抑えながら行動している。自分が別の令嬢に近づくという状況を受け入れ、周囲の人間を観察し、王宮を支える者として必要な判断を積み重ねている。
それなのに、カルラは彼女の立場を理解しようともせず、陰で悪口を言った。
「……許せんな」
ヴェンツェルは、低い声で呟いた。
しかし、すぐに思い直した。ここで感情のままにカルラを罰すれば、王太子としての判断を誤ることになる。カルラには、貴族社会の礼儀を知らないという事情がある。それを考慮する必要はあるだろう。
だが、何も知らないことと、何をしてもよいことは違う。
「まずは、エルヴィーラの意向を聞こう」
ヴェンツェルは、そう決めた。
その夜、ヴェンツェルはエルヴィーラに会った。
「今日のことは聞いた」
「そうですか」
「すまない。君に嫌な思いをさせた」
「殿下が謝ることではありませんわ。カルラ嬢が何を言うかまで、殿下が決められるわけではありませんもの」
「だが、君に負担をかけているのは事実だ」
エルヴィーラは、少し考えてから答えた。
「負担がないとは申しません。けれど、これは私自身が引き受けたことです。最後まで、きちんと見届けたいと思っています」
「……君らしいな」
ヴェンツェルは、苦笑した。
「それで、カルラ嬢についてだが。彼女の行動は、今後も観察する必要がある。今回の発言についても、何らかの対応を取らねばならないだろう」
「はい」
「私は、彼女を修道院で三年間奉仕させるのがよいのではないかと考えている」
エルヴィーラは、少しだけ目を見開いた。
「三年間、ですか」
「ああ。公爵令嬢に対する侮辱を、軽く扱うわけにはいかない。礼儀を学び直す期間としても、必要だと思う」
エルヴィーラは、すぐには答えなかった。やがて、慎重に口を開いた。
「殿下。カルラ嬢の言葉は、確かに不適切でした。私のことを陰で悪く言い、本人に指摘されても反省しなかった。それは、問題にすべきことだと思います」
「そうだろう」
「ですが、今回のことを理由に、彼女を必要以上に追い詰めることがあってはなりません。三年間という期間が適切なのか、彼女の家とも相談する必要があるのではないでしょうか」
ヴェンツェルは、彼女の言葉を聞いていた。
「……君は、どこまでも冷静だな」
「冷静でなければ、判断を誤りますもの」
エルヴィーラは、静かに答えた。
「私が侮辱されたからといって、怒りのままに罰を決めるべきではありません。殿下も、同じではありませんか?」
ヴェンツェルは、返す言葉を失った。
そのとおりだった。彼は、カルラへの怒りから、罰を先に決めてしまっていた。王太子として、まず考えるべきは何が適切な対応なのかということだ。
自分の感情を満たすことではない。
「……解った。カルラ嬢の家とも相談し、妥当な対応を考えよう」
「ありがとうございます、殿下」
エルヴィーラは、ほっとしたように微笑んだ。
だが、ヴェンツェルは、まだ一つ話していないことがあった。彼は暫く迷ったあと、口を開いた。
「実は、もう一つある」
「何でしょう?」
「カルラ嬢の行動を調査している間、私は……怒りに任せて、とんでもないことを考えた」
エルヴィーラは、彼の顔を見つめた。
「とんでもないこと、ですか?」
「彼女を間者として利用する案だ。男に近づくことに抵抗がないのなら、敵対勢力に送り込み、色仕掛けで情報を集めさせればいい。そんな考えが、一瞬、頭をよぎった」
エルヴィーラの表情が、すっと厳しくなった。
「殿下」
「解っている。実行するつもりはない」
「そうであっても、そのような考えを王太子として採用してはなりません」
彼女の声は、いつもよりはっきりしていた。
「カルラ嬢に問題があることと、彼女を利用してよいことは別です。本人の意思や安全を無視して、女性を色仕掛けの道具にする。それは、王家が人をどう扱うかという問題にもなります」
「……そのとおりだ」
「殿下が怒りを覚えたことは理解できます。私も、あの言葉を聞いて不快でした。ですが、王太子として判断を下すときには、怒りと責任を分けて考えなければなりません」
ヴェンツェルは、深く頷いた。
「肝に銘じる。今の案を採用することはない」
「お願いいたします」
エルヴィーラは、漸く表情を和らげた。
「殿下。私は、殿下が間違えないことを期待しているのではありません。間違いに気づいたとき、正しく改めてくださることを期待しております」
ヴェンツェルは、彼女の言葉を胸に刻んだ。
王太子としての判断は、いつも正しいとは限らない。大切なのは、自分の誤りを認め、正すことが出来るかどうかだ。
その夜、ヴェンツェルは国王に報告を入れた。カルラの発言について。修道院での奉仕を検討していること。そして、自分が怒りに任せて不適切な案を思いつき、エルヴィーラに諫められたこと。
国王は、最後まで黙って聞いていた。
「……そうか」
報告を終えたヴェンツェルに、国王は静かに言った。
「そなたは、自分の考えが誤っていたことを認めたのだな」
「はい。エルヴィーラに指摘され、漸く気づきました」
「それでよい」
国王は、短く頷いた。
「王たる者も、間違いを犯す。重要なのは、間違いを犯さぬことではない。誤りを認め、改めることが出来るかどうかだ」
ヴェンツェルは、深く頭を下げた。
「肝に銘じます」
カルラへの対応については、コンツ男爵家との話し合いが行われた。
今回の件は、法律に触れる犯罪ではない。カルラがエルヴィーラを陰で侮辱したことは事実だが、国家反逆や詐欺、その他の違法行為を働いたわけではなかった。従って、法に基づく刑罰を科すような話ではない。
問題となったのは、公爵令嬢に対する侮辱と、貴族社会における礼儀を著しく欠いた振る舞いだった。
コンツ男爵は、王宮から事情を聞かされると、青ざめた。
「まさか、娘がそのようなことを……」
男爵は、カルラの言動を十分に把握していなかった。娘が学院で男子生徒たちと親しくしていることは知っていたが、それがどのような意味を持つのか、深く考えていなかったのである。王家から説明を受け、漸く事態の重さを理解した。
「娘には、礼儀を学び直させます。どうか、寛大なご判断を……」
男爵は頭を下げた。
最終的に、カルラには三年間、修道院で奉仕することが命じられた。それは犯罪に対する刑罰ではない。公爵令嬢を侮辱したことへの社会的な責任を取らせ、貴族社会で必要な礼儀を学び直させるための措置だった。
カルラは、決定を聞いて激しく不満を訴えた。
「なんであたしが、そんなことしなきゃいけないの!」
しかし、男爵は娘を庇わなかった。
「お前がしたことの結果だ。自分の言葉には責任を持ちなさい」
「だって、ほんとのことを言っただけじゃん!」
「カルラ!」
男爵の声が響いた。カルラは、びくりと肩を震わせた。
「お前は、まだ何も解っていない。自分がどのような立場にいて、何をしたのか。それを考えなさい」
「……っ」
カルラは、唇を噛んだ。
納得はしていなかった。自分は、ただ思ったことを言っただけだ。それなのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか。彼女には、まだ理解できなかった。
だが、決定が覆ることはなかった。
こうしてカルラは学院を去った。けれど、ヴェンツェルらの試練が終わったわけではない。その後の事態の収束及び臣下となる者たちの見極めが残っていた。




