能面の王太子妃候補
カルラに対する調査は、王命を受けてから一か月ほどで、おおむね終了した。
コンツ男爵家には、特別な政治的背景も、目立った不正もなかった。男爵は欲深い人物ではあったが、国を揺るがすような陰謀を企てる器ではない。娘が裕福な男性や高位貴族を捕まえてくれればよい。あわよくば、家の暮らしが楽になればよい。その程度の考えだった。
王家の密偵から報告を受けた国王は、少し呆れたように息を吐いた。
「結局、身の丈を知らぬ親子の欲か」
「そのようですな」
宰相も苦笑した。
「但し、カルラ本人の行動は引き続き観察すべきでしょう。家に大きな背景がないからといって、本人の振る舞いに問題がないわけではありません」
「うむ。ヴェンツェルたちには、そのまま一年の観察を続けさせよ」
「承知いたしました」
国王が見たいのは、カルラの身辺調査の結果だけではなかった。
カルラの存在によって、周囲の貴族子女がどのような行動を取るのか。王太子が別の令嬢に近づいていると知ったとき、誰がエルヴィーラを嘲笑するのか。誰がカルラに取り入ろうとするのか。誰が状況の不自然さに気づき、慎重に動くのか。そして、エルヴィーラ自身が、その人々をどう見極めるのか。
それを知るためには、ある程度の時間が必要だった。
エルヴィーラを取り巻く令嬢たちの中には、露骨に彼女を嘲笑する者がいた。
「王太子殿下を奪われて、お気の毒ですわね」
そう言って笑う令嬢に、エルヴィーラは静かに視線を向けた。
「殿下の行動については、私が判断いたします。あなたに心配していただく必要はありませんわ」
「まあ、怖いこと」
令嬢は、わざとらしく肩をすくめた。エルヴィーラは、その場ではそれ以上何も言わなかった。だが、心の中では評価を下していた。高位貴族の令嬢として、あまりにも振る舞いが軽率だ。他家の婚約者について公然と嘲笑し、その相手が将来の王太子妃となる可能性を考えていない。このような人物を、王宮の中枢に近づけるわけにはいかない。
一方で、別の令嬢は、同じように嘲笑するふりをしながら、エルヴィーラの反応を観察していた。
「殿下は、カルラ嬢と随分楽しそうにお話しになるそうですわね」
「そうですわね」
「エルヴィーラ様は、何ともお思いになりませんの?」
「何も感じないわけではありませんわ。ただ、私には私の役目がありますもの」
エルヴィーラの答えを聞いた令嬢は、ほんの一瞬、言葉に詰まった。
「……そうですの。随分落ち着いていらっしゃるのですね」
「そう見えるのでしたら、何よりですわ」
エルヴィーラは穏やかに微笑んだ。
令嬢はそれ以上追及せず、別の話題へ移った。しかし、立ち去る直前にちらりと向けた視線には、失望の色があった。エルヴィーラが取り乱すことを期待していたのだろう。婚約者を別の女性に取られたと嘆き、怒り、カルラを罵る。そんな姿を見られれば、彼女の評価を下げる材料に出来たはずだ。
だが、エルヴィーラはその期待に応えなかった。
「……成程」
エルヴィーラは、令嬢の後ろ姿を見送りながら、小さく呟いた。
「心配してくださっているのではなく、私の反応を見ていらしたのですね」
勿論、全ての令嬢がそうだとは限らない。
本当に心配して声をかけてくれた者もいた。王太子と婚約者の関係を案じ、軽々しく噂を広めるべきではないと忠告してくれた者もいる。
エルヴィーラは、その違いを一つひとつ記憶していた。将来、王太子妃となれば、社交の場で多くの人々と向き合わなければならない。相手の言葉をそのまま信じるのではなく、何を意図しているのかを考える。相手の立場や利害を理解し、必要に応じて距離を置く。
それは、王太子妃に求められる大切な資質の一つだった。そして今、その資質を試されている。
エルヴィーラは、そのことを理解していた。
一方、カルラは、自分を取り巻く状況にすっかり満足していた。
「ねえねえ、聞いてよ。今日、殿下といっぱいお話ししたんだ!」
昼休みの中庭で、カルラは周囲に集まった男子生徒たちに話していた。
「殿下って、前はすっごく冷たかったんだけど、最近はそうでもないんだよね。あたしのこと、気になってきたのかな?」
「さあ、どうだろうな」
男子生徒の一人が、曖昧に笑った。
「でも、殿下がカルラ嬢と話されているのは、よく見かけるようになりましたね」
「でしょ? やっぱり、あたしって可愛いから!」
カルラは、何の躊躇いもなく胸を張った。
「ねえ、今度はお茶に誘ってみようと思うんだ。殿下と二人でさ。そしたら、もっと仲よくなれるでしょ?」
「王太子殿下と二人きり、ですか?」
「そうだよ。何か変?」
男子生徒たちは顔を見合わせた。
王太子と親しく話すことと、王太子を個人的なお茶に誘うことは違う。ましてや、ヴェンツェルには公爵令嬢エルヴィーラという婚約者がいる。普通に考えれば、カルラの申し出が周囲にどのような印象を与えるかは、想像できるはずだった。しかし、カルラにはその感覚がない。
「だって、仲よくなりたいんだもん。仲よくなるには、一緒にお茶したりするんでしょ?」
「それは……」
「それに、殿下があたしのこと好きになったら、あたし、もっといい暮らしが出来るじゃん!」
あまりにも率直な言葉に、男子生徒たちは返事を失った。
カルラは、そんな反応を気にも留めなかった。自分の考えを隠す必要などないと思っていたし、何が悪いのかも判らない。きれいな服を着たい。おいしいものを食べたい。広い屋敷に住みたい。そのためにお金持ちの男性と仲よくなる。
それの何がいけないのだろう。カルラにとっては、それだけの話だった。
数日後、カルラは本当にヴェンツェルをお茶に誘った。
「殿下、今度あたしとお茶しませんか?」
「お茶か」
「うん! あたし、殿下ともっと仲よくなりたいんだ」
ヴェンツェルは、すぐには返事をしなかった。カルラは期待に満ちた目で彼を見上げている。
「そうだな。では、学院の茶室で、他の者たちも交えてなら構わない」
「えー、二人じゃだめなの?」
「婚約者のいる身だからな」
「でも、ただお茶するだけじゃん!」
カルラは不満そうに頬を膨らませた。
「なんでそんなこと気にするの? 別にいいじゃん。あたしと殿下が仲よくしたって」
「君は、私の婚約者がいることを知っているだろう」
「知ってるよ。エルヴィーラ様でしょ?」
カルラは、あっさり答えた。
「でも、殿下があたしと仲よくなったら、エルヴィーラ様よりあたしのほうが好きになるかもしれないじゃん」
ヴェンツェルは、笑顔を崩さなかった。だが、その言葉は彼の耳にしっかりと残った。
カルラは、婚約というものをどう考えているのか。王太子の立場をどこまで理解しているのか。
そして、自分の望みを叶えるためなら、他人の立場や気持ちをどこまで軽く扱うのか。
それらを見極める必要があった。
「カルラ嬢。人には、それぞれ立場がある。私にも、君にもな」
「立場って何?」
「いずれ、解ることもあるだろう」
「えー、何それ。よく解んない」
カルラはつまらなそうに口を尖らせた。ヴェンツェルは、そこで話を切り上げた。
「茶会の日程は、改めて知らせよう」
「ほんと? じゃあ、楽しみにしてるね!」
カルラは笑顔に戻った。
彼女は、ヴェンツェルが自分を拒絶しなかったことだけを喜んでいた。その背中を見送りながら、ヴェンツェルは静かに息を吐いた。
カルラの言動に、今のところ国家を揺るがすような企みは見当たらない。だが、だからといって、王太子の周囲に置いて問題がないとは限らなかった。
その日の夕刻、ヴェンツェルはエルヴィーラに会いに行った。
「カルラ嬢から、お茶に誘われた」
「まあ」
エルヴィーラは、驚いた様子を見せなかった。
「それで、どうなさいましたの?」
「他の者も交えてなら応じる、と伝えた。二人きりにはならない」
「賢明なご判断ですわ」
「ただ、彼女は私と君の婚約を知ったうえで、私が自分を好きになるかもしれないと言った」
エルヴィーラは、少しだけ眉を寄せた。
「……そうですか」
「怒っているか?」
「怒りがないといえば、嘘になりますわ」
エルヴィーラは、正直に答えた。
「けれど、カルラ嬢が何を考えているのかを知るためには、彼女の言葉を聞く必要があるのでしょう?」
「そうだ」
「ならば、今は感情だけで判断するべきではありませんわね」
そう言いながらも、エルヴィーラの表情には、僅かな硬さが残っていた。ヴェンツェルは彼女の手を取った。
「君を不安にさせていることは解っている。だが、私は君との婚約を軽んじるつもりはない」
「解っていますわ、殿下」
エルヴィーラは、彼の手を握り返した。
「だからこそ、私もこの試練に協力しているのですもの」
「ありがとう」
二人は暫く、静かに向かい合っていた。やがてエルヴィーラが口を開いた。
「殿下。一つ、お願いがございます」
「何だ?」
「カルラ嬢と接するとき、彼女を必要以上に傷つけるような言葉は避けてくださいませ。彼女の振る舞いに問題があるとしても、それを理由に私たちが礼を失してよいわけではありません」
ヴェンツェルは、少し意外そうに目を見開いた。
「君は、彼女を庇うのか?」
「庇うのではありませんわ。私たちが正しく振る舞うためです」
エルヴィーラは、まっすぐに彼を見た。
「王太子とその側近が、相手の無知や立場の弱さにつけ込んでよいはずがありませんもの。必要なことを教え、間違いがあれば正す。それでも改めないのであれば、そのときに相応の対応を考えればよいのです」
ヴェンツェルは、暫く黙っていた。そして、ゆっくりと頷いた。
「……そうだな。君の言うとおりだ」
「ありがとうございます」
エルヴィーラは微笑んだ。
その言葉は、カルラの行動を許すという意味ではない。王太子妃となる者として、自分たちの行動にも責任を持つ。
それが、エルヴィーラの考えだった。




