婚約者に告げるべきこと
ヴェンツェルは、王宮での謁見を終えると、エルヴィーラに面会を申し込んだ。
彼女はブライトクロイツ公爵家の長女であり、ヴェンツェルの婚約者だ。二人の婚約は幼いころに決まっていたが、家同士の取り決めだけで結ばれた関係ではない。互いに相手を理解し、信頼を積み重ねてきた。だからこそ、今回の密命を黙って進めるわけにはいかなかった。
「殿下。わざわざお越しになるとは、何かございましたか」
エルヴィーラは、いつもの落ち着いた声で尋ねた。
「話しておきたいことがある。少し時間をもらえるだろうか」
「勿論ですわ」
二人きりになれる部屋へ移ると、ヴェンツェルは国王から受けた命令を説明した。
カルラ・コンツのこと。学院で彼女が男子生徒たちに近づいていること。国王がその背景を調べるよう命じたこと。そして、調査のために自分と側近候補たちが彼女の周囲に侍ること。最後まで聞いたエルヴィーラは、すぐには口を開かなかった。
やがて、静かに息を吐く。
「つまり、殿下がカルラ嬢に近づくことそのものよりも、その状況に私がどう対処するかを見られているのですね」
「そう考えている」
「側近候補の方々も対象なのでしょう?」
「そうだ。だが、その婚約者たちは試練の対象ではないと聞いている」
エルヴィーラは、少しだけ考え込んだ。
「それなら、私は自分だけを守ればよいわけではありませんわね。側近候補の婚約者の方々が、噂に振り回されたり、周囲から侮られたりする可能性もありますもの」
「……そうだな」
「私が王太子妃として相応しいかだけでなく、将来の王宮を支える方々を見極められるか。そういう試練なのでしょう」
ヴェンツェルは、彼女の言葉に頷いた。
エルヴィーラは、感情がないわけではない。婚約者が別の女性に近づくと聞いて、何も感じないはずがなかった。だが、彼女はその感情だけで物事を決めるつもりはなかった。
「殿下。私は協力いたします。但し、いくつか約束していただきたいことがあります」
「何でも言ってくれ」
「密命に関わる重大な変更があれば、可能な範囲で共有してください。公の場での振る舞いと、二人きりのときの態度を混同しないこと。そして、私が王太子妃として判断すべき問題については、私にも判断させてください」
「約束する」
ヴェンツェルは、迷いなく答えた。
「君に全てを我慢させるつもりはない。必要なことは話すし、君の判断を尊重する」
「ありがとうございます、殿下」
エルヴィーラは微笑んだ。
「それでは、私も私の役目を果たしましょう」
「……頼もしいな」
「殿下が信頼してくださるのですもの。応えなくてはなりませんわ」
その言葉に、ヴェンツェルは彼女の手を取った。
二人の間に、言葉にしなくても伝わる信頼があった。だが、試練は二人だけで完結するものではない。
側近候補たちにも、それぞれの判断が求められていた。
翌日、トビアスはいつも以上に張り切っていた。
「殿下、ご安心ください。カルラ嬢の件は、私がしっかり見ておきます!」
「頼もしいことだな」
ヴェンツェルはそう答えたものの、トビアスが何をどこまで考えているのか、まだ判断を下してはいなかった。トビアスは行動力があり、命令に忠実だ。軍務卿の次男として育った彼は、指示を受ければすぐに動く。しかし、命令の意図を考え、周囲への影響を見通すことについては、まだ経験が足りないところがあった。
一方、ローデリヒとオスヴィンは、少し違った反応を示した。二人は翌日、ヴェンツェルに時間を求めた。
「殿下。今回の件について、ひとつ相談がございます」
ローデリヒが切り出す。
「婚約者に何も説明しないままカルラ嬢に近づけば、誤解を招く虞があります。詳細は明かせないとしても、王命による秘密の任務であることだけは伝えたいのですが」
「私も同意見です」
オスヴィンが続いた。
「事情を隠したままでは、婚約者との信頼を損ねかねません。勿論、秘密を守る必要があることは理解しています」
ヴェンツェルは二人を見た。
「よく考えたな。国王陛下から、婚約者にどこまで話してよいか確認を取ってある。君たちは、王命による秘密の任務であることを伝えて構わない」
「ありがとうございます」
「但し、具体的な内容は話せない、と説明しておくことだ。相手が不安に思うのは当然だが、必要以上に情報を漏らしてはならない」
「承知しました」
二人は一礼した。
トビアスは命令を受けてすぐに動いた。ローデリヒとオスヴィンは、婚約者への影響を考えてから相談した。どちらが正しいと単純に決められるものではない。
だが、王太子の側近として求められるものは、ただ命令に従うことだけではなかった。
そのころ、エルヴィーラは学院での生活を続けながら、自分を取り巻く令嬢たちの様子を観察し始めていた。
ヴェンツェルがカルラと親しげに話すようになったという噂は、既に社交界にも広がりつつあった。
令嬢たちの反応は、実に様々だった。
「エルヴィーラ様。王太子殿下が、あのカルラ嬢と随分親しくなさっているそうですわね」
ある令嬢は、心配するような顔をして近づいてきた。
「ええ。そのようですわね」
エルヴィーラが落ち着いて答えると、令嬢は僅かに口元を緩めた。
「お気の毒に。婚約者があのような方に夢中になられるなんて」
言葉の端に、隠しきれない嘲りがあった。エルヴィーラは笑みを崩さなかった。
「ご心配いただき、ありがとうございます」
それ以上は何も言わず、話を切り上げる。令嬢は拍子抜けしたようだった。
また別の日には、別の令嬢が近づいてきた。
「殿下のご様子について、皆様色々とお話しされていますわ。エルヴィーラ様は、どうお考えですの?」
その令嬢は、同情するような表情を浮かべていた。だが、視線はエルヴィーラの顔をじっと見つめている。反応を試しているのだ。
エルヴィーラは何も言わず令嬢の目を見て微笑んだ。言質を与えず、何の心配もしていないと示すように。令嬢は一瞬だけ目を見開いた。そして、すぐに笑顔を取り繕った。
「……お強いのですね」
「そうでしょうか」
エルヴィーラは、それ以上は追及しなかった。
彼女は、令嬢たちを単純に味方と敵に分けるつもりはなかった。露骨に嘲笑する者。慰めるふりをして見下す者。自分の反応を観察している者。そして、本当に心配してくれる者。
それぞれの言葉だけでなく、目線や表情、会話を切り上げるときの態度まで、丁寧に見ていた。将来、王太子妃となれば、周囲には多くの人が集まる。その全員が善意を持っているとは限らない。
大切なのは、誰を信頼し、誰に警戒し、誰を教育していくべきかを見極めることだった。
「さて……」
エルヴィーラは、窓の外に目を向けた。
「皆様が、どのような顔を見せてくださるのか。よく見極めなくてはなりませんわね」




