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第三話 縫江偵察行

天孫暦二四六七年 標準暦一八〇七年 八月


 ある翼人族の男は、雨の中をひたすらに北へ向かって飛んでいた。

 見上げると、頭上の空模様は見渡す限り黒い雨雲の天井ばかりが広がっている。眼下に目を落とせば、人工物らしいものなど一切見えない。大自然に包まれた海岸線が水平線の先にまで広がっていた。

 自分の翼に目をやると、雨水を弾いた水滴が羽根の上に溜まり、後ろに流れて小さな滝のような水の跡を残していく。

「今日も空振りか……」

 ずぶ濡れになりながら翼人族の男は小さくつぶやいた。雇い主からここを飛ぶように命じられてから二十日目、まだ目当てのものは見えそうにない。

『確かな情報である!』と、黒く立派な顎鬚を蓄えた雇い主はそう笑いながら語っていたが、今となってはその笑顔が憎たらしくて仕方がなかった。

 雨に濡れて身体も冷えてきた。流石に今日は仕舞いにでもしようか。しかし帰ったとて、彼にやれることは山に入って山菜採りか、浜で釣りをするしかやることがない。

――それならまだ飛んでいた方が気晴らしになるか……

 そんなことをぼんやりと考えながら、高度を維持するために大きく羽ばたかせる。羽根に乗っていた水滴が一斉に宙に舞い、周囲に水煙を生じさせたのはいいものの、それが目に入ってしまった。沁みる目から涙混じりの雨水を手で拭い、視界が再び開けた刹那、それはいきなり水平線の向こうから現れた。

「あれは……」

 涙目なせいで未だにぼやける視界ではあるが、彼の瞳に映ったのは今までずっと探し求めていたものであった。

 考えるよりも先に、反射的といってもいいような早さで、彼は大きく翼を羽ばたかせてそれに近寄っていく。

 はやる気持ちを抑えつつ、気取られぬようにできる限り高く、もし見つかったとしても野鳥と間違えられるように飛ぶ。それは彼が今までずっと鍛錬をしてきた事であった。

 距離が近づくにつれ、次第に輪郭もはっきりとしはじめる。ここまでくれば間違いようがなかった。目的のものは海岸というより汽水湖の河口部、まるで大きな川のような水域へと入り込もうとしていた。

 これだけ自分の瞳に焼き付ければもう充分であった。高く飛ぶ猛禽類のような弧を描く軌道でゆっくりと離れていくと、これまで寝泊りをしていた簡素な宿営地まで向かい、簡素な荷造りとこれまで彼がここで暮らしてきた痕跡を徹底的に消してから、次なる目的地である古屯へと飛び立っていく。

「やっと……やっと帰れる」

 そう独り言をつぶやく彼の表情は、雨の中でずぶ濡れだというのに、笑顔に満ち溢れていた。

 これで野宿と自給自足の生活ともおさらばである。このような場でも任務をこなせるように教育を受けていたが、それでも苦痛であることには変わりはない。

 なにより、やることのない退屈な時間から解放されることが嬉しかったのだ。

 今すぐにでも米を腹一杯食い、ゆっくりと熱い風呂で身を清める。そして、敷香みたいな辺鄙な港町でもいいから遊びに繰り出したい。

 全身を濡らしながら飛ぶ彼の頭の中はそれで一杯であった。





 南から吹いてくる季節風を掴んだ帆は、膨らみながら船を北に押し上げ、船はそれに応えるかのように白波を切って進んでいた。

 敷香の漁師で九郎二郎は、それを睨めつけるように見上げていた。

 少し大きな波に乗り上げ、全長五十尺、船幅も七尺程度しかない小舟のような彼の図合船(ずあいぶね)は、舳先を波間に突っ込ませて大きな波しぶきを舞い上げると、彼とこの船を動かしている四人の水主、そして一人の客人の上に潮水を容赦なく降り注がせた。

 海水に濡れることは慣れていた。磯臭い潮水を全身に被りながらも、手で握った舵柄(かじづか)は決して離さなかった。舵取り次第でこの船の運命が決まるのである。死んでも離すことなどできなかった。

「船頭、縫江(ぬいえ)まではまだかかるのか」

 一時的な時化を乗り越え、揺れが落ち着いたところで前から声がする。それは船の帆柱の根元で座り込んでいる一人の客人、狐族特有の大きなとがった狐耳をした男からであった。

 すでに、今日だけで三度目になるその質問をする声は、まるで長屋の隣人に天気を聞くかのような調子であったが、その裏には静かな苛立ちが隠れているように聞こえてしまう。少なくとも、船頭の彼にはそのように聞こえてしまった。

「今少しでございます」

 漁師にしては物腰の優しい彼の言葉を聞いても、狐族の男は身動き一つせず進路の先を見続けている。水が入らないように動いている耳さえなければ、まるで木彫りの仏像のようであった。それは、海に慣れた彼ら船乗り達が見ても不気味に感じるほどであった。

――こんなことなら仕事を受けるべきではなかったな。

 九郎二郎は、何度目かになる後悔を胸に抱きながら、両手で掴んだ舵柄で船の進路を微調整する。彼自身、焦りがないわけではなかった。なぜならこの船は当初の予定から半日ほどの遅れが生じていたからである。


 それは三日ほど前の事であった。

「この敷香で、一番速い廻船はこの船と聞いたが、確かか?」

 暦も葉月となり、旬を迎えた帆立を満載して敷香の辺鄙な漁村に帰って来た彼らを待ち構えるかのように、狐族の男は突然現れた。

 狐族は、みな美男美女で見た人を惑わせると聞いたことがある。実際、これまで会って来た狐族の獣人はどれも顔が整っており、この男もその噂を信じたくなるような精悍な顔つきであった。

「えぇ、廻船の中ではあっしらが一番早い自負はありやす。お江戸の新酒番船(しんしゅばんせん)にだって負けやしねえ」

 新酒番船。その年に関西で生産された新酒を運ぶ競争を行った船であり、酒蔵が仕立てた十五隻の樽廻船(たるかいせん)が江戸の品川まで一刻も早く新酒を届けるべく競い合うのである。

 もっとも、小型で速度重視とはいえ輸送に特化した新酒番船の樽廻船と、九郎二郎達の乗る図合船のような漁もできる小さな廻船とでは、舟の大きさが三から五倍ほど違うのだが、それを彼は知らない。速度自慢の船が新酒を江戸に届けるのを競っている。それくらいの認識であった。

「ほう、それならおぬしらに仕事を頼むとしよう」

 そう言うと男は、手に持っていた地図を広げるとある一点を指さした。

「三日でここまで行ってもらう。できるか?」

 広げられたのは樺太の地図であり、男が指をさしたのはこの敷香から北に行った縫江と呼ばれる場所であった。

「三日……最速で飛ばせばなんとかなりやしょうが、何故にそんなところへ?」

「今は教えることはできぬ。しかし報酬は通常の四倍の銭は出そう。行けるか?」

「よん……!?」

 提示された額に、船にいた水主(かこ)たちは一斉に息を呑んだ。それほどに破格の報酬であったからである。

 そんな船員たちとは裏腹に、九郎二郎はその話を冷静になって受け止めていた。

――怪しい話だ。

 縫江なんぞ地名こそついているが、天ヶ原人の集落もない樺太の僻地である。鰊漁をするにしても、ここから百里も離れた漁場にわざわざ何日もかけて行く価値は無いといっていいだろう。

 そんなところになぜ向かおうとしているのか、そもそも行く目的を明かせられないとは、この美男子は涼しい顔の裏で何を企んでいるのか、九郎二郎をはじめとした漁師たちにとってはまるで意味がわからない。

 わからないと言えば、その男の身なりも彼からしてみれば謎であった。

 身なりこそ、そこら辺の町人や農民と変わらないものの、よく見ればしっかりと折り目のついた汚れのない生地と、庶民が着るものにしては妙に小綺麗であった。それこそ、こんな辺鄙な漁村には似つかわしくない。

 そしてなりよりも、彼の腰に吊るされている二尺は優に超えているであろう大きな太刀が異質な存在感を放っていた。

 帯刀を許されていない身分の者も旅をするときに護身用として『道中差(どうちゅうざし)』という一尺以上二尺以下の短い刀を帯びることは認められていたが、二尺を超える刀の帯刀を許されているのは苗字帯刀と呼ばれる武士や役人、その関係者といった特権階級の身分だけであり、他に例外があるとすれば、治安維持で帯刀を黙認されていた博徒くらいのものである。

 博徒か、それともお忍びの役人か、実に怪しい身なりである。それを踏まえてこの男を見ると、ずっと細い目でこちらに微笑んでいてどうも気味が悪かった。

 しかし、仕事を依頼された以上、九郎二郎が持ち合わせている答えは一つだけであった。

「行けやす。四倍の報酬を乗せられた手前、それをみすみす断るってのは船乗りの名折れってもんだ」

 船乗りの仕事をしていると、たまに夜逃げやらなんやらでこんな仕事は稀に舞い込んでくる。厳しい時刻の制限や行先が謎ではあるものの、今回もそういった手合いであろう。そう彼は判断した。

 彼の言葉を聞いた狐族の男は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら手を差し出す。その整った顔立ちといい、実に不気味で胡散臭い男であったが、九郎二郎はその手を握った。


 それからは、休む暇などなく働き続けた。彼の図合船に山のように積み込まれていた帆立は、手の空いている漁村の人間を総動員した結果、瞬く間に空となり、残ったのは帆立にくっついてきた海藻の破片ばかりとなった。

「羽振りのいいご客人が乗るんだ。とっとと洗い流しな!」

「いや、船を洗う時間すら惜しい。今すぐ出してくれ」

 男に急かされて海藻の生臭い匂いを漂わせながら、九郎二郎の図合船は船頭の彼の他に、水主四名、客人の狐族の男一名、合計六名を乗せて敷香を抜錨した。

 九郎二郎は、客人である狐族の男から名前を聞くことはしなかった。

 縫江に向かう目的すら明かさぬ怪しい男である。名前を聞いたところで、適当な偽名を名乗られてはぐらかされるだろうと思っていた。それに、依頼の金さえ払ってくれれば客人の名前など些細な問題であった。

 そんな客人である狐族の男は、はじめこそは滑り止めで砂を撒いただけの汚い舟板に腰を下ろし、大人しく水主達の仕事ぶりをただ眺めていた。

「これは何と申すか?」

「えっと……これは下げ縄と申しまして、帆桁(ほげた)の揺れを抑えやす」

「なるほど、ではこれは?」

「これは、はず縄といいやして……」

 しかし、大人しくしていたのも敷香が見えなくなる頃までであった。気が付くと彼は、船のあちこちをうろついては、水主達に気になったことを質問攻めするという、まるで好奇心旺盛な童のような存在になっていた。

 本当に相手が童であればこちらも気が楽なのであるが、多額の報酬を支払う客人が相手となると勝手が少しばかり違ってくる。質問された水主たちも、ぎこちない顔をしながらやりにくそうに受け答えをしていた。

「あの、ご客人、うちの水主が困っていやす。ご質問はほどほどにしていただけやすかね?」

 他の水主に舵取りを交代した時を見計らい、九郎二郎は目を輝かせている狐族の男にそっと話しかけた。

「おっと、これは失礼した。いつも乗る船とは勝手が違ったもので……これからは迷惑が掛からぬよう静かにいたそう」

 そう言うと、男は帆柱の根元に座り込むと、今度は悟りを開く僧侶のように不動の姿勢を取り始めた。それからは飯の時間以外は基本的にそこで座り続けるようになったのである。

「これ、食いやすか?」

「おぉ! これはありがたい!」

 不動の姿勢を続ける彼を見て、かわいそうに思った一人の水主が道中で釣った樺太鱒(からふとます)、本土では|青鱒とも言われる魚のあら汁を出すと大層喜んで食べ始めた。この時期は樺太東岸の川へ産卵のために群れを成して川に入る直前の樺太鱒が沿岸で採れるのだが、遡上して魚体に婚姻色の出ていない銀色の樺太鱒はしっかりと脂が乗っており、尚且つ身も柔らかくて大変美味である。

「これでもおいしいのだが……これも入れたらどうだろうか?」

 暫くは、静かに我々と共にあら汁を飲んでいた狐族の男だったが、懐からおもむろに蕗とも笹とも違う、青い茎のようなしなびたものを取り出した。

「なんですかい。これは」

「これは大虎杖(オオイタドリ)といってな、皮を向いて塩漬けにして乾燥させたものだ」

「虎杖って、傷薬で使う虎杖ですかい?」

「そうだ、あまりここいらの人間は食べないが、このようにしてやれば食べれないこともないのだ。ちなみに、虎杖というのは大型多年草でな、本土の北や北加伊道、この樺太にも生えている植物でな、茎に見える虎斑模様から、こう呼ばれるようになったとも言われるそうだ」

「は、はぁ……」

 いきなり饒舌になる男の話を聞き流しつつ、樺太鱒のあら汁の中に刻んだ大虎杖の塩漬けとやらを入れてみる。

「これは……」

 恐る恐る口に含んでみると、汁の中に微かな酸味とぬめりのある葉物野菜のような食感が足されてなかなかいける味である。他の水主達もいつもは船上では口にできない青物の食感に喜んでいるようであった。

「大変おいしかった。次もこのような汁をいただけるのであればとても有り難い」

 皆の椀も空になったころ。男は礼を言いながら骨だけになった器をこちらに返すと、再び帆柱の根元に座り込んだ。

 当直を残して彼らが眠った後も、彼の姿勢は崩れなかったようである。

「好奇心旺盛だったり、不動だったりとなんて極端な男なのだ……」

 朝に起きた時、夜に見た時と変わらぬ姿をしている彼を目の当たりにして、九郎二郎は思わずそんな言葉を小さく漏らしてしまった。

 勝手に動き回られるよりはありがたいのだが、かといってずっと不動でいられるのも気味が悪い。悩んだ挙句、彼はもう男の事をたまに動く仏像として見ることにした。それよりも、彼は船の行程について集中することにしたのである。

 悪いことに、周囲の状況は刻一刻と悪い方向に進みつつあった。

「まいったな……完全に凪いじまった」

 初日は良い風を掴んだこともあり、予定よりも早い行程で進んでいた。しかし、次の日になると神仏は我らを見放したようである。半日ほどの無風状態で九郎二郎の船は海で漂うばかりとなった。

「お前ら! 漕ぐぞ!」

 水主総出で櫂を持って必死に漕ぐものの、風が吹いている時とは比べ物にならないほど鈍重な進みであった。日が西に傾きだしたところで、漸く風も吹きはじめたものの、半日分の行程遅れは日をまたいだ今の彼らに重くのしかかっていた。


 そして、日をまたいだ三日目である。

 舵柄を強く握りながら、再び風を掴んで膨らんだ帆を眺める。見たところで船足が速くなるわけではないが、それでも見ずにはいられなかった。

「頭ぁ! 砂浜が切れました! 呂郷湾(ろごうわん)が見えます!」

 ついに、待望の言葉が舳先で見張りをしていた水主から聞こえてくる。樺太の東岸というのは、基本的に小さい岬と海岸線がほぼ一直線に続く地形である。その海岸線が切れる。汽水湖の河口部が見られるのはその中でも北部、縫江の少し南にある呂郷湾からであった。

――何とかたどり着いたか。

 ほっと胸をなでおろしていると、目の前で大きくなる影があった。これまでずっと不動の姿勢で腰を下ろしていた狐族の男が、ここにきてついに立ち上がったのである。

 男は、服のどこから取り出したのかわからない望遠鏡で呂郷湾の河口部を覗いていた。

「なにか、探しておるのですか……?」

「そんなところだ。しかし、ここではないようだな、このまま北上を頼む」

「は、はぁ……」

 そう言い放つ男に、九郎二郎はそんな生半可な言葉しか返せなかった。目的地に着いて喜んでいる我々とは正反対に狐族の男は静かに舟板に腰を下ろしていく。他の船員たちも困惑しながらお互いに目を見合わせることしかできなかった。

 それよりも、九郎二郎は彼が望遠鏡を離した時、一瞬だけ見えたこの男の目に九郎二郎は引き込まれそうになった。ここ数日、彼の事を見てきていたが、あんな目つきで海岸線を睨みつける表情は一度も現したことはなかったのだ。

――この男にはいくつの顔があるのだ。

 そんな言葉は胸にしまいながら、彼は舵柄を握りなおす。暫く北に進んでいくと、次の河口部が見えはじめる。縫江のすぐ南にある汽水湖、弥勒翁湖(みろくおうこ)の河口部であった。

「……おぉ!」

 先程と同じく、望遠鏡を覗いていた狐族の男が嬉しそうな声を上げる。目を凝らして見ると、小高い砂州を挟んでではあるが、弥勒翁湖の中に何か人工物のような柱が林のように乱立しているようである。

 しかし、あの柱のような物体はどこかで見たような気がする。と、記憶を遡ったところで九郎二郎は思い出した。あれは、西方国家群の船でよく見られる帆柱のそれであった。

 それにしても多い。こんな未開の地だというのに、ざっと見ただけでも三十本以上の帆柱が弥勒翁湖の中にひしめいていた。

 その中の一本に見覚えのある旗が風になびいていた。濃い青に、黄色い線がたすき掛けされている。確かあれはバータル帝国の旗だったような気がした。

「あれは、バータルの船ですか」

「左様。私はあの中に二十隻は居ると思うが、おぬしはどう思う」

「二十……いやもう少し少ないかと、恐らく十五、六隻程度じゃないですかね」

「なるほどな、しかし手前の陸地が邪魔でよく見えんなぁ」

 そう言いながら、狐族の男はふと上を見上げる。九郎二郎もそれにつられて顔を上げると、そこには天を衝かんばかりにそびえるこの船の帆柱があった。

 お互いの顔を見合わせていたのは、わずかな時間であった。瞬きをしている間に、狐族の男は履いていた草履を脱ぎ去ると、目の前の帆柱に飛びついて登り始めたのだ。

「え? あ! ちょっと!」

「なぁに、こう見えて木登りは童のころは得意だったのだ」

「いや、そうではなく!」

 まだこの依頼の銭を貰ってないのに、転落死でもされようものなら目も当てられない。他の水主たちが呆然と見守る中、男に続くように九郎二郎も帆柱にしがみついて登っていく。別に彼もが登る必要はなかったが、何もしないで男の行動を眺めているのが我慢ならなかったのである。

 帆を張っている帆桁まで登ったはいいものの、感じる揺れは下にいた時とは比べ物にならないほど激しいものであった。

「おぬしの言ったとおりだ! 見てみろ!」

 帆桁から足を滑らせぬよう、慎重に足元を確認していると、この揺れる帆桁など気にならないかのような、なんなら興奮した童のような弾んだような声で狐族の男は弥勒翁湖を指差しながら笑っている。

――なぜ笑っていられる。この男に恐怖心などはないのか……?

 顔を引きつらせながらも、男に促されるままに目線を向けると、眼前に広がる景色は下で見ていたものとはまるで違う別世界であった。

 視界を遮るように広がっていた弥勒翁湖と海とを隔てる砂州は、この高さまで来るともはや障害ではなく。湖の中を遠くまで見通せるようになっていた。

 そして、下では帆柱しか見えなかったバータル帝国の船影も、ここでは船体の上から下までほぼ全てを見通すことができた。天ヶ原の船とは明らかに違うそれらは、九郎二郎が予見したように十六隻が弥勒翁湖と海までを接続する、まるで大きな川のような水域にひしめき合って停泊していた。

「……む?」

 ここで、弥勒翁湖の湖畔に白い天幕が、それはまるでちょっとした町のように広がっていた。

「バータル人は、ここに入植して町でも作るつもりなのか……?」

 九郎二郎は、うめくような声を出しながら隣で同じ光景を見ている狐族の男へと目線を向けた。

 この男が縫江まで来た目的は、どう考えてもこれであるのは疑いようがなかった。これで『ここに入港しろ』なんて言い出したらどうしてくれようか、去年の大泊でバータル帝国がしでかした事は、敷香に住む彼の耳にも入っていた。

「よし……これなら我らは勝てる……」

 目の前にいる男は、そう小さくつぶやくと、肩を揺らしながら笑い始めた。

 勝てる? 何故、この男は急に笑い出す? このバータル人の町は何だ? もう見るものすべてが滅茶苦茶で、九郎二郎の頭は破裂寸前であった。

「よし! 今から敷香に帰るぞ! 逆風であれば……7日ほどで帰れるよな?」

 笑顔で語り掛けてくる狐族の男を前にして、九郎二郎は目の前が遠くなる気がした。




 新芽も硬くなり、青々と育った千島笹の茂みに、白い狼耳が浮かんでいた。

 草をかき分ける音を捉えた刹那、その大きくて白い耳は音のする方向へと瞬時に向けられ、相手に気が付かれぬようにそっと、音もなく笹の間から顔が浮かび上がった。

 徴募兵となったカヨの前に姿を現したのは、立派な馴鹿(じゅんろく)、原住民の言葉で『トゥナカイ』と呼ばれている動物の群れである。

 彼女はずっとこの群れがやって来るのを待ちわびていた。風上から漂ってくる彼らの匂いを追いかけ、待ち伏せしてやっとお目にかかれた獲物である。

 彼らは、千島笹の薮の中から次々と姿を現しては、日当たりのいい茂みで腰を下ろしてくつろぎ始める。最終的に二十頭ほどの馴鹿が彼女の前に現れた。

――さて、どれにしたものか。

 この中から一頭、食べるために命をいただかねばならない。

 初めに目が行ったのは、群れの中で一番存在感を放っている一番大きい雄の馴鹿であった。しかし彼女は、すぐに群れの中心にいる二から三才くらいと思われる若い雌の馴鹿に狙いを変えた。このくらいの若い馴鹿は、肉は柔らかく臭みも少なくて大変美味であった。

 手に持った鉄砲が重く感じる。こんなものを持つ日が来るなど以前であれば、それこそ皆を弔ったあの日であろうと想像することはできなかったであろう。

 教練で習ったとおり、火ばさみに挟んであった火縄に息を吹きかけてからゆっくりと構える。引き金に指を乗せた時、狙いをつける目当て越しに、若い雌の馴鹿と目が合った。

 躊躇っていたのは、僅かな時間だけであった。人差し指で引き金を引くと、火縄が火皿に落ち、すさまじい轟音と共に巣口から火が噴き出ると、一瞬の間をおいて狙った馴鹿の首筋から赤いものが噴き出した。

 銃声に反応して、今までくつろいでいた群れの目線が一斉にこちらを向く。数多の視線がこちらを凝視してくる。まさに背筋が凍る思いであった。一方の馴鹿達は危機を感じ取ったのか、彼女とは反対側の笹薮へと我先に飛び込んで行く。

 日当たりのいい草原に残されたのは、無数ともいえる蹄の跡と、首筋から一筋の赤いものを流しながら横たわっている一匹の雌の馴鹿だけであった。


「やったのかい?」

 後ろから声がする。振り返るとそこには、若い茶髪の髪に丸い虎耳をした少女が茂みから姿を現していた。

「シノか……雌の馴鹿を撃った。おそらく二十貫ほどはあるね」

 そう言いながら、カヨは未だに巣口から硝煙をたなびかせている鉄砲を担ぎなおすと、仕留めた若い雌の馴鹿に向かって足早に向かう。

 腰から、よく研がれて白光している小刀を抜き出すと、下草を濡らしている馴鹿の後ろ肢から刃を入れていく。肌に触れるとまだ熱いくらいに熱がある。つい先ほどまで、この獲物が生きていたという証拠であった。

「そういえば、さっきの群れにはもっと大きいヤツもいただろ、なんで撃たなかったんだ?」

「あれは雄の馴鹿だったから。年を取った雄の獣は、肉は固いし臭いしで、おいしいものではないって、よく一緒に遊んでいた近所の人が言ってたの」

 カヨは喋りながらも、手早く刃を進ませて半身の革を剥がし終わる。二人で馴鹿をひっくり返すと、残った半身の革を黙々と剥がし始めた。

「……なぁカヨ、それやらせてくれねえか?」

「獲物が冷めると、革が剝がしにくくなるのよね」

「……要はやらせたくないって事かい。なんでいなんでい! おらは下手くそって言いてえのかよ!」

 後ろで喚きながら地団太を踏んでいるシノを尻目に、カヨは毛皮を剝がし終わると、剥がした毛皮を肉の隣にそっと畳んで置いた。

「なんで毛皮を畳んでいるんだ」

「わかんない。さっき言ってた人が、ここの原住民から聞いてそうやっているって言っていたから」

 その人も、あの日に亡くなった。最期に見た顔は、よく兄と連れて行ってもらった山で焼かれた時である。一日中火を絶やさずに焼いて、最後は骨だけになったのを生き残った住人と豊原から来た役人さん達とでその山に埋葬した。

 未だに鮮明に思い出せるあの光景を頭でぼんやりと思い浮かべながら、カヨは馴鹿の腹から小刀を入れて、中の臓物を慎重に抜き出していく。ここで腸を傷つけると、中に詰まっているモノが肉にかかって臭くなってしまう。臓物を抜き終わると、少し太めの木の枝を拾い上げると、前肢と後ろ肢を括りつけていった。

 悲しい事ではある。でも、それをずっと悲しんでいても仕方は無い。前に進み、生きていかねばならないのだ。

「よしできた。シノ、仕事だよ」

「あいよ」

 カヨに呼ばれたシノは、枝にくくられた馴鹿を担ぎ上げる。流石は虎族と言ったところか、臓物と毛皮を抜いているとはいえ二十五貫ほどの重さはある代物を、彼女は軽々と担ぎながら歩き始めた。

「相変わらず、虎族は力だけが取り柄だな」

「うるせえやい。それで、この臓物は置いていくのか?」

「これは、鳥や獣が綺麗に食べてくれるから置いていく。ここの原住民は獲物を全部持ち帰らず、少し山に残しておくんだってさ」

 そう言いながら上を見上げると、すでに獲物を見つけた鷲が彼女らの頭上で弧を描くように飛んでいた。

「では、戻りましょうかね」

「そうだね、我ら愛しの陣屋とやらに帰るとしますか」

 二人で皮肉の一つも言い合うと、二又山と呼ばれている山を下りる。空を覆っていた木々の中を抜けると広がった視界の先、山裾のへりにある空堀で囲われた古屯陣屋が見えてきた。

「そういえばカヨ、樺太の北の方でバータル帝国の軍が上陸したって聞いてからもう七日くらい経ったが、奴らはいつ来るんだ?」

「さあね、敵さんにでも聞きに行けば話してくれるんじゃない?」

「やめてくれよ、おらはバータルの言葉なんてこんにちわすら言えないぞ」

「撃たれるよりも先に、そっちの心配? おめでたいわね」

「なんだとぉ!」

 シノをからかいながら古屯陣屋の門扉をくぐる。獲物を持って帰ったことで、陣屋の中は小さなお祭り状態となった。

「そういえばさ……」

 持って帰って来た馴鹿の骨が、調理場にて料理人の手によって抜かれていくのを部屋の隅っこで腰掛けながら眺めていたカヨは、一つ疑問に思う事があった。

「蓮見殿はどこに行ったの? 富内の陣にでも行ったの?」

 いつもなら、そこら辺をうろついているか、屋敷で大きなうなり声を上げながら地図と睨めっこをしているはずであるが、どこにもどの姿は無いし、屋敷も主を失ったかのように静かであった。

「いや、敷香に行ったらしい。どうも『愚息を迎えに行く』とか言っておったな」

 そう答えるのは、この調理場の長である御台所頭であった。カヨ達の持って来た馴鹿を解体して服が血で汚れている彼は、蓮見殿のお気に入り料理人であるらしく、わざわざ箱館の屋敷から蓮見殿と一緒にこの陣屋に来ており、この陣屋では一、二を争うくらい彼に詳しい人物であった。

「御子息がいたのね」

 カヨは小さくつぶやきながら、手に持った巾着袋の中から御台所頭より馴鹿を仕留めてきた褒美として貰った金平糖を一つ摘まむと、口の中へと転がし入れた。

「そりゃあ、あの年の爺さんだもの子供の一人くらいは居るだろうよ」

 隣でちゃっかりと褒美を貰ったシノは、そう話しながら金平糖を何個か口に放り込むと、音を立てて嚙み砕いた。

「シノや、『爺さん』というが、まだあの方は齢四十三だぞ。それに、蓮見家に仕える者の前でいい度胸じゃないか」

「げ……」

 流石にまずいと思ったのか、シノはそっと立ち上がると、御台所頭から目を離さず、ゆっくりと後ずさりしていく。

 笑いながら見ていた御台所頭は、馴鹿の骨を抜き終わったのか、柄の短い包丁から、柄の長い包丁へと持ち替えて肉を切り始めた。カヨの目の前では、赤黒い水玉のような斑点の入った色の濃い肉が次々と切り身になっていく。今宵はこれを、味噌味の鍋でいただけるとのことだった。

「にしても、あの人の息子か……どんな人なんです」

「底なしの好奇心の持ち主と言うべきかな、気になることは徹底的に調べないと気が済まないお方だ。近頃まで江戸のお屋敷で近代軍制を勉強なされておったが、その前は好奇心から植物の学問を熱心になされておった」

「植物の学問……」

 その言葉に、カヨは惹かれるものがあった。かつて大泊で、植物のうんちくを彼女に披露してくれた役人の姿が脳裏をよぎったのだ。が、その直後にこの陣屋の主である、黒く立派な顎鬚を蓄えた蓮見殿の顔が思い浮かぶ。

 志願してまだ十五日も過ぎていないというのに、彼女たち徴募兵は蓮見殿にひどくやられていた。

 体力づくりと言われて野山を一日中走らされたと思えば、方向感覚の鍛錬などと言って、行ったこともない山の中に徴募兵だけで置き去りにされたり、支給された火縄銃をいきなり解体して組み上げろと言われたりと、徴募兵になったばかりで何もわからないカヨ達に対して、問答無用で無理難題ばかりを言われてきていたのである。

「まさかね。あの蓮見殿の御息子だもの、もっと偏屈な人に……」

 そこまで言いかけたところで、カヨは隣にいる人物の視線に気が付いた。

 血で染め上がった包丁を持ちながら、御台所頭が笑顔でこちらを見ている。

 カヨはそっと立ち上がると、御台所頭から目を離さず、ゆっくりと後ずさりしていった。




 九郎二郎の操る図合船が敷香の港に着いたのは、縫江から離れて八日目の事であった。


 行きの追い風とは違い帰りは向かい風、逆風の中での航海であり、稲妻形のように舳先をころころ変えながら向かうので、その日程はどうしても伸びることになった。

 その伸びた間、水主と狐族の男は楽しく親睦を深めていたようである。

 本当に変な男であった。

 何故か保存に適した形にした野草を何種類も懐の中に忍ばせていたようであり、行きに出してきた大虎杖の他にもエゾニュウや秋田蕗(アキタブキ)、大花独活(オオハナウド)など、多種多様な塩漬けや乾燥させた野草を取り出しては、どれが魚の汁に合うかという研究会を始めていた。

 最終的に、乾燥させた行者大蒜(ギョウジャニンニク)で魚の生臭さを抑えつつ風味をつけるのが、一番美味しいという事で研究会は幕を閉じた。

 十日程度の船旅で、彼は水主達の仲間の一人になっていた。この図合船に乗る時は不釣り合いともいえた小綺麗な服装も、今となっては他の水主達と変わらない薄汚れたしわだらけの服になり果ててしまっていた。

 そんな中で、九郎二郎はその船で唯一、男と距離を取り続けていた。

――恐ろしい男だ。

 本心からそう思えた。一瞬でも気を許したら彼の魅力に取りつかれてしまう。そんな怖さを、あの男は秘めていた。

 九郎二郎は彼から依頼の金を、この困難な旅に見合う大金を徴収せねばならない。ここにいる水主達を養う責任を背負う身からすれば、自分も取りつかれてしまうのはあまりにも危うかった。

「帰ったか、利次よ」

 船を岸辺に着けた時、浜からそんな声が聞こえてきた。

 見ると、黒い顎鬚を蓄えた人間族の役人の男が一人、馬に跨がっていた。身に纏っている立派な裃を見る限り、その男はそれなりに位の高い御仁の様である。その後ろにはその役人の物であろうか、木箱が積まれた大八車と荷夫と思われる人影が見えた。

「これは、父上! よくここがわかりましたな!」

 船にいた狐族の男が満面の笑みを浮かべながら船から飛び降りると、役人の男まで浜を駆けていく。

 なんとなく察しはついていたのだが、あの役人の男はこの狐族の男の父親であるらしい。

「父上の断りもなく出かけてしまい、大変申し訳ありませんでした」

「まぁよい。それでどうだった縫江は? その目で見て来たのであろう?」

「えぇ、バータル帝国は弥勒翁湖の中に停泊し、野営地を築いておりました。船は十五隻ほど、あれではやって来た兵も二千はいないかと」

 狐族の男は、役人の男に対して縫江で見てきたことを得意そうに語っていく。その話を聞きながら、九郎二郎はあの男の正体がなんとなく見えてきていた。

 恐らく、あの男は武士である身分を偽り、己が密偵となって縫江にいるバータル帝国の軍を偵察しようとしたらしい。縫江のバータル軍が何を意味するのか九郎二郎には今一つわからなかったが、恐らくこの天ヶ原、津田幕府の脅威になりうる存在であることは容易に想像ができた。

「この兵力で奴らは来ますかね?」

「それなら、縫江にいるあちらの大将にでも聞いて来ればよかっただろうに。だが、ワシがその軍の大将ならば、その兵ではまず動くまい。少なくとももう一陣、援軍が来るのを待ってからだろう」

 九郎二郎の前で、いきなり親子間での軍議が開かれ始めた。敷香に着くなり男から銭を徴収しようと思っていた彼からすれば出鼻をくじかれたような形であった。

「今のところ、バータルの軍は全て父上の思い描いたとおりに動いております。勝ちましたな」

「あぁ、半分は勝ったといってもいいだろう。残りの半分はこれからよ」

 九郎二郎の背中に冷たいものが走る。彼らは津田幕府開祖以来、初めてとなる外国との戦をする話をしているのだ。

 今、自分は歴史の重大事に関わっているのではないか? そんなことが脳裏をよぎる。

「そうだった、忘れるところだった」

 そんなことを考えていると、狐族の男は思い出したかのように九郎二郎へと向き直る。

「おぬしたちに依頼の銭を渡すのがまだだったな。此度は良い働きをしてくれた」

「それですが、銭はいりませぬ」

 九郎二郎の言葉に、船にいた水主達が一斉に驚きの顔を向ける。正直なところ、口に出した自分ですら驚いていた。

「お話から察するに、防人のお侍様でしょう。国を守ってくれる方から銭を取ろうなんて、そんな無粋なことができましょうか。ささっ、行ってくだされ」

「そうか、ではご厚意感謝する!」

 彼らからしても思いもよらない言葉だったのか、二人は暫く呆然としていたようであるが、意味を汲み取ると笑みを浮かべながら礼を述べると、役人たちと大八車はゆっくりと漁村から去っていく。

「どうしちまったんだいお頭、悪いものでも食ったのか?」

「わからん。あの男の野草に毒でもあったのかもしれんな」

 二人の影が見えなくなると、水主の一人が心配そうな顔をしながら九郎二郎に近づいてくる。彼とは幼馴染で長い付き合いであった。だからこそ、普段の彼がこんなことをする人間ではないとよく知っていたのだ。

「本当によかったのかい?」

「そりゃあいいわけないだろ。全く、困ったものだ」

 気が付かないうちに、自分も彼らの魅力に取りつかれてしまっていたのだ。

「さぁ、十日も遊んじまったんだ! これから目一杯稼がんと冬が越せんぞ!」

 憮然としている水主達に、発破をかけながら普段の仕事に戻っていく。敷香の辺鄙な漁村にいつもの雰囲気が戻ってきつつあった。

――もっとも、無事に冬を迎えられればいいのだが……

 九郎二郎はその言葉を口に出すことはなかった。

 海を見ると、南から黒い雨雲がこちらに近づいてくるのが見える。

 それはまるで、今の彼の心境を現しているようだった。


「それで父上、わざわざ私のためだけに古屯から来たわけではありますまい」

 敷香の漁村から十分に離れたところで狐族の男、もとい蓮見利次は父である箱館藩侍大将の蓮見利義に対して口を開いた。

 恐らく、父にとって縫江の事などそこまで興味のある話ではないと思っていた。そうなると次に気になるのは、彼らの後ろで荷夫達が曳いている大八車に積まれた木箱であった。

「本当の目的はこの荷ですかな?」

「うむ、こればかりは他の者には任せたくなくてな」

「中を改めても?」

「よいぞ」

 父に許可を取った利次は木箱の蓋を取る。中には銃身を鈍く光らせる鉄砲が整然と並んでいた。

「これは、鉄砲ですか。特に変わったところは……?」

 木箱の中に、丁寧に収まっていた鉄砲を手に取ったところで、利次はこの鉄砲の違和感に気が付いた。

「見たことのない火ばさみをしておりますな……それに、この刻印は西方の言葉ですか?」

「あぁそうだ。西方国家群のルツァーン王国から輸入した鉄砲だ。火縄ではなく燧石で火薬に点火させるのが、あちらでの流行らしい。それよりも重要なのはその筒のほうよ、巣口のほうから覗いてみるがいい」

「筒、ですか……?」

 父に言われるがまま、利次は鉄砲の筒を巣口から覗いてみる。筒の内部を目にした彼は驚きのあまり、暫く固まってしまった。

「近隣の大名が、これで鷹狩をしているという話を思い出してから探させたが、こんな芸当ができる鉄砲鍛冶はあいにく天ヶ原の国にはいなくてな。結局、西方の商人から取り寄せることになったわい」

「それで、父上はこれで何をなさろうと……?」

「これを腕が立つ者に持たせ、敵の大将首を狙う。どんな敵だろうが、その大将がいなければ烏合の衆も同然よ」

 そう言いながら笑う利義の顔は、まさに邪悪そのものであった。

――父上は、この戦を楽しんでいる。

 隣で見ていた利次はそう思いかけたが、数日前に縫江で船の帆桁に登ってはしゃいでいる自分を思い出してしまう。

「血は争えない、という事か」

 誰にも聞こえないような声でつぶやいた彼は、ほくそ笑みながら父の後をついて行った。


 樺太に、戦雲が立ち込めつつあった。

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