第2話:辺境伯は今日も忙しそうで、私は今日も役立たずでした
第2話です。
今回はナナが異世界での生活を始めます。
少しずつ世界観や辺境の事情も出てきますので、楽しんでいただけたら嬉しいです。
それでは、本編をどうぞ。
翌朝、目が覚めた瞬間に思ったことが三つある。
一つ目。ベッドが柔らかすぎて、逆に腰が痛い。
二つ目。薔薇の香りが強すぎて、頭が少し重い。
三つ目。そうだ、私は異世界に捨てられたんだった。
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「……おはよう、私」
天井に向かって呟いて、ゆっくりと起き上がった。
窓から差し込む朝の光が、石造りの壁をオレンジ色に染めている。
日本の朝とは、色が少し違う気がした。空が、どこか青すぎる。
深呼吸する。
泣いても仕方ないことは、昨夜のうちに決めた。
やるべきことを整理するのが先だ。
やるべきこと。
帰る方法を探す。
そのために辺境伯と契約した。
星詠み師として働きながら、魔法研究者を集めてもらう。
「……方針は決まってる。あとはやるだけ」
声に出すと、少しだけ落ち着いた。
立ち上がって、用意されていた着替えに袖を通した。
深い緑のワンピースに、白いエプロンのような上着。質素だけれど、清潔で動きやすい。
扉をノックする音がした。
「ナナ様、起きていらっしゃいますか」
昨日の侍女、リーナだった。
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「おはようございます、ナナ様」
リーナは昨日と変わらぬ銀髪に、変わらぬ愛想のない笑顔で立っていた。
「おはよう、リーナさん。いろいろ、よろしくお願いします」
「……様をつけなくていいです。私はあなたの付き人ですから」
「じゃあ私にも様はいらないです。ナナで」
「……立場を弁えてください、ナナ様」
頑固だ、この子。
でも嫌いじゃない。昨日から思っているが、この子は正直だ。愛想を振りまかない分、信頼できる気がした。
「朝食の後、辺境伯様があなたに説明したいことがあるとおっしゃっています」
「説明?」
「辺境が抱えている問題について、だと思います」
リーナの声が、わずかに沈んだ。
その沈み方が気になったが、今は聞いても教えてもらえないだろうと思って黙っておいた。
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食堂は広かったが、私一人分しか食事が並んでいなかった。
「辺境伯様はもうお食事を済まされました。夜明けから執務室にいらっしゃいます」
「早い人なんですね」
「毎日そうです。あの方は、ほとんど休みません」
リーナが静かに言った。
「……昨日も、目の下に隈がありましたね」
「ここ一年、ずっとそうです」
またあの沈み方だ。
私はパンをちぎりながら、さりげなく聞いてみた。
「辺境伯様は、何歳なんですか?」
「二十九歳です」
思ったより若い。
「結婚は?」
「……されていません」
「婚約者は?」
「……いません」
リーナの答えに、わずかな間があった。
「以前は、いらっしゃいました。ですが三年前に」
そこで彼女は口を閉じた。
「……ごめんなさい、聞きすぎました」
「いいえ。いつか知ることになります」
リーナはそう言って、窓の外に視線を向けた。
「ナナ様。この辺境を、どうか侮らないでください」
「侮っていません」
「王都の人間は皆、この場所を捨て場所だと思っています。最果ての、価値のない土地だと。でもここには、三千人の民が暮らしています。辺境伯様は、その全員を守ろうとしている」
リーナの紫の瞳が、真剣だった。
「だから……あなたの力が本物なら。どうか、助けてください」
私は少しの間、リーナを見た。
「……星詠み師として、最善を尽くします」
ゆっくり答えると、リーナは小さく頭を下げた。
その仕草が、昨日よりずっと素直に見えた。
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執務室は屋敷の西側にあった。
扉をノックすると「入れ」と短い声が返ってきた。
中に入ると、辺境伯――ライアス・ケルヴィン辺境伯、というのが正式な名前らしい――は大きな机に向かって書類を読んでいた。
机の上に書類が山積みになっている。
昨日見たときより、さらに疲れた顔をしている気がした。
「座れ」
促されて椅子に腰かけた。
ライアスは書類を一枚脇に置いて、私を見た。
「昨日の話の続きだ。お前に頼む『仕事』の内容を説明する」
「はい」
「その前に聞く。昨日《万能の星詠み》が覚醒したらしいが、お前自身は何ができるか把握しているか?」
「……正直、ほとんど把握していません」
ライアスが眉をひそめた。
「昨日頭の中にステータスみたいなものが浮かんで、スキル名は見えました。でも使い方は全然わかりません。魔法の知識もゼロです」
「ゼロ」
「ゼロです」
「……昨日も思ったが、散々な話だな」
「私もそう思います」
ライアスはしばらく沈黙して、それからため息をついた。
「わかった。ではまず基礎から教える」
「辺境伯様が、直接?」
「魔法に詳しい人間が、今この館にいない」
「……人手不足なんですね」
「そうだ。それも問題の一つだ」
ライアスは立ち上がって、窓際に歩いた。
窓の外には、昨日も見た広大な景色が広がっている。山脈、森、そして遠くに集落が見えた。
「この辺境が抱えている問題を、三つ話す」
彼は窓を見たまま言った。
「一つ目。東の森で魔物の活動が増加している。例年の三倍以上の数が確認されていて、民への被害が出始めている」
「三倍……」
「二つ目。辺境の土地が徐々に枯れている。作物が育たない土地が、去年から目に見えて増えた。今年の収穫量は例年の六割を切った」
「食料問題ですか」
「そして三つ目」
ライアスがこちらを向いた。
その目が、鋭い。
「この二つの問題は、恐らく繋がっている。原因は辺境の東、《黒の深淵》と呼ばれる場所にある。近年、あの場所から――」
言葉が、止まった。
ライアスが口を閉じて、私を見た。
「どこまで信じてもらえるかわからないが」
「続けてください。信じます」
「……早い信頼だな」
「嘘をついて私を騙すメリットが、あなたにはないので」
ライアスが少し黙って、それから続けた。
「《黒の深淵》から、呪詛が漏れている。大地を汚し、魔物を狂わせる、古い呪詛だ」
「呪詛……」
「かつて百年前、この場所では大きな戦があった。呪術師たちが大地に封印を施した。その封印が、少しずつ弱まっている」
私はじっと話を聞いた。
「封印を確認し、補強するには《星詠み師》の力が必要だ。星詠みは封印魔法の最高位に相当する。……が、この辺境に星詠みはいない。王都にもいない。ここ数十年、誰も現れなかった」
「それで昨日の儀式を」
「俺は賭けだと思っていた。万に一つの可能性だと」
ライアスは私から視線を外して、また窓を見た。
「だが現れた。よりによって、王城から送りつけられた捨て妃として」
その言葉に、苦さがにじんでいた。
「……なんというか。運命って意地悪ですね」
私が言うと、ライアスがちらっとこちらを見た。
「捨てられた側がそれを言うか」
「当事者の方が実感があるので」
少しの沈黙があって。
ライアスが、かすかに表情を緩めた。
笑った、というには足りないくらいの、微妙な変化だったが。
「お前は変わっているな」
「よく言われます」
また嘘をついた。言われたことはない。
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「まず今日は、お前の魔力を確認する。庭に来い」
執務室を出て、裏庭に案内された。
広い石畳の中庭で、訓練用の的のようなものが並んでいた。
「魔法の基本は、体内の魔力を意志で動かすことだ。やり方を教える。まず右手を前に出せ」
言われた通りにする。
「次に、手のひらの中心に意識を集める。エネルギーが集まるのをイメージしろ」
「……こうですか?」
「目を閉じなくていい。意識だけでいい」
やり直す。
手のひらに意識を向ける。集まる、集まる、と思う。
「力を的に向けて、押し出せ」
押し出す。
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ドカァン、と轟音がした。
的が、木端微塵になった。
的だけじゃない。的の後ろにあった石の壁に大穴が開いて、その向こうの庭木が数本なぎ倒されていた。
「……」
ライアスが固まっていた。
リーナも、いつの間にか見に来ていたのだが、固まっていた。
「……ごめんなさい」
「お前は今、力を加減したか?」
「しようとしました。でも加減の基準がわからなくて」
「……そうか」
ライアスは少しの間、壊れた壁を見た。
石の壁に、人が通れるほどの穴が空いている。
「基礎からやり直しだ」
「はい」
「今日中に直す気か?」
「弁償します。働いて」
「今日だけでそれだけ働けるものではない」
「長期的に弁償します」
ライアスは目を細めて、それから短く言った。
「帰る方法が見つかるまでに、しっかり返せ」
「……それ、帰してもらえるってことですか?」
「契約した。守る」
私は少しの間、ライアスの顔を見た。
目の下に隈がある、疲れた顔。でも言葉は、はっきりしている。
「……わかりました。では長期的に弁償しながら、辺境のお役に立てるよう修行します」
「修行、という言葉をどこで覚えた」
「元の世界でよく使います」
「妙な世界だ」
「かもしれません」
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その日の午後。
私はライアスに基礎的な魔力操作を教わりながら、星詠みのスキルについて少しずつ試した。
《万能の星詠み》は、名前の通り何でもできるらしい。
未来を読む。魔法を使う。結界を張る。星の力を操る。
でも今の私はレベル1で、使い方もわからない。
「チートスキルって言っても、使いこなせなきゃ意味がないんだなあ」
呟いたら、ライアスに聞こえた。
「チートとは何だ」
「……ずるいくらい強い、という意味です」
「お前のスキルのことか」
「そうです。でも今は全然使えなくて、壁に穴を開けることしかできません」
「その壁に穴を開ける一撃が、俺の知る魔法使いの中で最上位の威力だったが」
「……え、本当ですか?」
「お前が加減したと言っていた状態で、だ」
私は自分の手を見た。
ごく普通に見える手だ。昨日まで大学のレポートを書いていた手だ。
「……どうして私なんでしょう」
思わず呟いた言葉に、ライアスは答えなかった。
でも少しして、静かに言った。
「わからん。だが星詠みの儀式が反応するのは、その人間が持つ本質的な何かに対してだと文献にある」
「本質的な何か」
「俺には判断できん。お前の中にある何かが、この世界に呼ばれた理由なのかもしれない」
この世界が、あなたを呼んだのです。
昨夜の声を思い出した。
「……それ、結構重い話ですよ」
「重い状況だからな」
「そうですね」
私は空を見上げた。
さっきドラゴンが飛んでいたあたりに、今は薄い雲が流れている。
重い、確かに重い。
でも昨日よりは少し、地に足がついている気がした。
やることが明確になったからかもしれない。
魔力の使い方を覚える。封印を確認する。帰る方法を探す。
一歩ずつだ。
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夕方になって訓練を切り上げたとき、ライアスが珍しく自分から口を開いた。
「明日、辺境の集落を案内する。民の様子を自分で見ておけ」
「ありがとうございます」
「礼は不要だ。星詠み師が辺境の現状を知らずに儀式を行えるわけがない、というだけだ」
事務的な理由づけだったが、それでもいいと思った。
「……一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「辺境伯様は、なぜそんなに辺境のために動くんですか?」
ライアスが、少し止まった。
「義務だ」
「義務だけではないと思います」
「……なぜそう思う」
「目の下の隈が、義務だけで働く人のものじゃないので」
ライアスは私を見た。
何を考えているのか、表情からは読めなかった。
「……余計なことを考えるな」
「すみません。でも知りたかったので」
「今日はここまでだ。夕食を取って休め。明日は早い」
そう言ってライアスは踵を返した。
でも数歩歩いたところで、立ち止まった。
背を向けたまま、ぽつりと言った。
「……俺が守りたい人間が、この辺境にいる。それだけだ」
それだけ言って、今度こそ歩き去った。
その背中は、遠くなってからもどこか頑なに見えた。
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夕食を食べながら、私はリーナに聞いた。
「ライアス様が守りたい人間って、誰ですか?」
リーナは少しの間黙って、それから言った。
「……三年前のことは、まだ話せません」
「そうですか」
「でも。辺境伯様が変わったのは、三年前からです。もっと前は……もう少し、笑う方でした」
リーナの声が静かだった。
「だから。私はあの方に笑っていてほしいと思っています。それだけです」
私はパンを手に持ったまま、少し考えた。
昨日会ったばかりの人のことを、こんなに考えている。
変だな、と思う。
でも、変かもしれないけど。
あの隈と、あの背中と、「守りたい人間がいる」という言葉が、頭から離れなかった。
「……私にできることを、ちゃんとやります」
リーナが、静かに頷いた。
「……よろしくお願いします、ナナ様」
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その夜。
ベッドに入ってから、頭の中でスキルウィンドウを開いてみた。
昨日は混乱していて、ちゃんと読めなかった部分がある。
ゆっくり、一項目ずつ確認していく。
《万能の星詠み(ユニバーサル・スターリーダー)》
未来予知・魔法適性全属性・星力操作・結界展開。
その下に、昨日は見えなかった追加項目があった。
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《隠し項目(解放条件:辺境伯との契約締結)》
《絆の星紋》:契約を結んだ相手との魔力共鳴。互いの力を補強する。
詳細:この能力は、術者と深い信頼関係を持つ相手との間でのみ発動する。信頼が深まるほど、共鳴の強度が増す。
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「……え」
私はウィンドウを見つめた。
契約を結んだ相手との魔力共鳴。
つまり、ライアスとの信頼関係が深まるほど、私の力は強くなる?
「なにそれ……どういうこと……」
答えは返ってこなかった。
でも頭の中で、さっきのライアスの声が再生された。
俺が守りたい人間が、この辺境にいる。
その声の温度を、なぜか私は覚えていた。
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窓の外で、星が光っていた。
日本では見えない、異世界の星空だ。
「……帰る。絶対に帰る」
それは変わらない。
でも。
帰るまでの間、この辺境のために、できることをやろうと思った。
それは義務でもなく、損得でもなく。
ただ。
守りたい人間がいると言った、あの疲れた背中を、少しだけ楽にしてやりたいと思っただけだ。
「……馬鹿みたい」
苦笑して、目を閉じた。
眠りに落ちる前、頭の中でウィンドウがもう一度光った。
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《信頼度:辺境伯ライアス・ケルヴィン》
現在値:3/100
《備考:昨日より2上昇しました》
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「……一日で2……」
ちょっとやりがいを感じた自分が、少し恥ずかしかった。
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第3話へ続く
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回はナナの初めての訓練と、辺境が抱える問題を少しだけ書いてみました。
ライアスもまだ堅いですが、少しずつ人柄が見えてくる予定です。
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。
それでは、第3話もよろしくお願いします。




