第3話:《絆の星紋》と、隠していた傷のこと
今回は、ナナが初めて辺境の集落を訪れる回です。
少しずつ失われていく人口。
枯れかけた守り木。
そして、ライアスが三年前から抱え続けている過去。
まだ何も解決してはいませんが、小さな芽がひとつ生まれたことで、止まっていたものが少しだけ動き始めます。
ナナとライアスの距離にも、わずかな変化が訪れる第三話です。
集落に着いたのは、昼前だった。
馬車の窓から見える景色は、屋敷の裏手の森を抜けると一気に開けて、なだらかな丘の斜面に家々が並んでいるのが見えた。
石造りの小さな家。煙突から薄い煙が上がっている。
「思ったよりずっと、人の気配があるんですね」
思わず口に出すと、向かいに座っていたライアスが窓の外を見た。
「三千人いる。小さな集落に見えるが、これでもこの辺境で一番大きい」
「三千人……」
「もっといた。十年前は四千を超えていた」
その言葉の重さを、少しの間かみしめた。
千人が、消えた。
死んだのか、逃げたのか。どちらにせよ、この土地から去ったということだ。
「それも、呪詛の影響ですか」
「作物が育たなければ民は食えない。食えなければ出ていくしかない」
ライアスの声に、感情はなかった。
でも感情がないのと、何も感じていないのは、違う。
私はそれを昨日から知っていた。
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馬車が止まると、集落の入り口に数人の大人が出迎えに来ていた。
全員、やせていた。
顔色が悪いという感じではない。ただ、日本で見ていた「普通」よりも、少しだけ削れている。
それが長年の積み重ねなのだとわかって、胸の奥が静かに痛んだ。
「伯爵様」
年配の男性が頭を下げた。村長らしい。
「ご無沙汰しております。こちらの方が……」
「星詠み師だ。今後しばらく、辺境に滞在する。辺境の様子を見てもらう」
村長の目が、私に向いた。
値踏みするような視線ではなかった。むしろ、縋るような目だった。
「……よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。ナナと申します」
深く頭を下げると、村長が少し驚いたような顔をした。
「星詠み師様が、頭を……」
「私は捨て妃として来ているので、身分は特にないです。気にしないでください」
ライアスがこちらをちらっと見た。
何か言いたそうだったが、言わなかった。
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村の中を歩きながら、私はできるだけよく見るようにした。
家の造り。井戸の位置。子どもたちの様子。
子どもはいた。それが少し安心した。
でも確かに数が少ない気がする。同じ規模の日本の農村なら、もっとわいわいしているはずだ。
「ナナ様、こちらへ」
リーナが案内してくれた先は、村の中央にある広場だった。
大きな木が一本、ぽつんと立っている。
その木の根元に、花が供えてあった。
「……誰かのお墓ですか?」
「違います。この木は昔から集落の守り木と呼ばれていました。でも三年前から、枯れ始めています」
見ると、確かに木の半分は枯れていた。
葉が落ちて、幹が黒く変色している。でも半分はまだ生きていて、薄い緑の葉が風に揺れていた。
「……これも呪詛の影響?」
「おそらくは。伯爵様は、この木を何とかしようとずっと動いていらっしゃいます」
リーナが静かな声で言った。
「三年前、伯爵様は自ら東の森の調査に行かれました。《黒の深淵》の近くまで。その時に」
そこで、リーナが止まった。
私は続きを待った。
「……辺境伯様は、その調査の帰りに一人で戻っていらっしゃいました」
「一人で」
「お供を連れて行かれていたんです。五人。……でも、帰ってきたのは伯爵様だけでした」
胸が、重くなった。
「それが、三年前」
「はい」
だからライアスは眠れない夜を過ごしていて、あの隈があって、笑わなくなった。
「伯爵様はあの日から、この件を誰にも話していません。私でも知っているのは断片だけです。でも……」
彼女は木を見た。
「ずっと、引きずっていらっしゃるのだと思います。救えなかったことを」
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風が吹いた。
枯れかけた木の、生きている半分の葉が揺れた。
私はその木に近づいて、そっと幹に手を触れた。
「……まだ、生きてる」
「はい。不思議なことに、完全には枯れないのです。三年間、半分死にながらも半分生きている」
「意地っ張りな木ですね」
「そうですね」
リーナが、柔らかく笑った。
初めて見た笑顔だった。
「……ライアス様に似てますよ、この木」
「……そうかもしれません」
リーナは木を見て、また静かな顔に戻った。
「だからこの木だけは、村の人たちも切ることができずにいるんだと思います」
私は手のひらを幹に当てたまま、少し目を閉じた。
何かが、手のひらから流れ込む気がした。
弱くて、細くて、でも確かに生きているもの。
「……《星詠み》って、植物にも使えるのですか」
「わかりません。文献にはそこまで」
「試してみていいですか」
「……伯爵様に確認を」
「確認してきます」
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ライアスは村長と話し込んでいたが、私が近づくと話を切り上げてくれた。
「何かあったか」
「守り木に、少し魔力を流してみていいですか。枯れかけてますが、まだ生きています。星詠みの力で何かできるかもしれない」
ライアスが私を見た。
「昨日覚えた魔力操作の応用か」
「練習も兼ねて。ただし壁に穴は開けません」
「保証はできないと思うが」
「最大限の努力をします」
少しの沈黙があって、ライアスが頷いた。
「やってみろ。ただし制御できないと思ったら即座に止めろ」
「わかりました」
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木の前に戻って、両手を幹に当てた。
昨日教わったことを思い出す。
力を手のひらに集める。ただし、今日の目的は力を叩き込むことじゃない。
静かに、流す。
木が何を必要としているか、感じ取ろうとする。
「……」
目を閉じた。
手のひらから何かが伝わってくる。
細い糸みたいな生命力。でもその糸の周りに、黒いものが絡みついている。
「呪詛だ」
思わず口に出した。
「見えるか」
後ろからライアスの声がした。いつの間にか来ていた。
「見えるというか……感じます。手のひらに、ざらついた感触があって」
「それが呪詛の残滓だ。木の内部に入り込んでいる」
「剥がせるかな……」
「急がなくていい。無理をするな」
その声が、いつもより少しだけ低かった。
私は深呼吸して、意識を集中した。
星詠みの力。使い方はまだわからないけど、この木が何を必要としているかはわかる。
光だ。
温かくて、清潔な光。
「……行くよ」
自分に言い聞かせて、力を流した。
叩き込むのではなく、川が流れるように。柔らかく、細く、でも確かに。
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手のひらが、光った。
淡い金色の光が、幹の中に吸い込まれていった。
後ろで誰かが息を呑む音がした。村長かもしれない。
光は幹の中を走って、枯れた枝の方へ広がっていって。
やがて。
木の枯れた半分から、小さな芽が一つ、ぽっと出た。
ちっぽけな、柔らかい緑の芽。
「……」
私は手を離した。
全部治ったわけじゃない。半分以上は枯れたままだ。
でも、一つだけ。
ちっぽけだけど、柔らかく新しい緑の芽がでた
「……小さいですね」
「小さくない」
ライアスの声が、静かだった。
振り返ると、ライアスは木を見ていた。
「三年間、ひとつも芽が出なかった」
その声に込められていたものを、うまく言葉にできない。
でも私は確かに聞いた。
「……そうだったんですね」
「ああ」
それだけだった。
でも村長は「伯爵様…」と呼んで、泣きそうな顔をしていた。
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帰りの馬車の中は、行きより静かだった。
ライアスはずっと窓の外を見ていた。
私は昨日のスキルウィンドウのことを思い出していた。
《絆の星紋》。
信頼関係が深まるほど、力が強くなる。
でもそれって、つまり。
「……あの」
「なんだ」
「私が力を使うとき、あなたが近くにいると、うまくいきやすかった気がするんですが」
ライアスが私を見た。
「気のせいか、あなたが声をかけてくれた瞬間に、魔力の流れが安定した感じがして」
「……俺が声をかけると」
「はい。昨日の訓練の時も、今日も」
ライアスは少しの間、何かを考えているような顔をした。
「《絆の星紋》について、文献を調べたことがある」
「え」
「星詠み師が持つことがある補助能力だ。術者と深い繋がりを持つ相手との魔力共鳴……らしいが、発現することは極めて稀だとされていた」
「……知ってたんですか」
「昨日、調べた」
「いつの間に」
「夜中だ。俺はあまり寝ない」
やっぱり夜も働いているのか、この人は。
「……それで、どういう能力か理解していましたか?」
「概ねは」
「じゃあなぜ教えてくれなかったんですか」
「お前が自分で気づいた方がいいと思った」
「なぜ」
「自分で掴んだ感覚は消えないが、教えられた情報は忘れる」
私は少し考えた。
「……それは正論ですね」
「だろう」
「でも、もう少し早く言ってくれると嬉しかったです」
「次から考慮する」
次から、という言葉が自然に出てきたことに、私は少し驚いた。
この人は、私がここにいることを、当たり前みたいに考え始めている。
なんか、嬉しいような。困るような。
変な気持ちだ。
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「ライアス様」
「なんだ」
「三年前のこと、リーナさんから少し聞きました」
ライアスの目が、わずかに細くなった。
「ごめんなさい。でも知っておいた方がいいと思って」
「……何を聞いた」
「調査隊のこと。詳しくは教えてもらえませんでしたが」
ライアスは窓の外を見た。
しばらく黙っていた。
「……責めているのか」
「え?」
「俺が調査隊を守れなかったことを」
「責めていません」
即答したら、ライアスが私を見た。
「責める材料がないので。あなたは五人を置いて逃げたんじゃないでしょう。でもあなた一人で生きて戻ってきた。それだけのことがあったということだと思います」
「……随分と、あっさりした見方だな」
「複雑に考えると複雑になるので、シンプルに考えます」
「お前のやり方か」
「元の世界からの癖です」
ライアスは少しの間黙った。
「詳しい話は、いずれする。今はまだ」
「大丈夫です。聞ける状態の時に聞かせてください」
それだけ言って、私は窓の外を見た。
夕暮れが近づいていて、空がオレンジに染まっていた。
日本の夕焼けよりも、色が濃い。
でも、きれいだった。
「……綺麗ですね」
独り言みたいに言ったら、ライアスが窓の外を見た。
「そうだな」
短い答えだったが、それで十分だった。
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屋敷に戻って夕食の後、私はひとりで部屋に戻った。
スキルウィンドウを開く。
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《信頼度:辺境伯ライアス・ケルヴィン》
現在値:18/100
《備考:本日17上昇。急激な信頼度増加を検知しました》
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「一日で17……」
思わず吹き出した。
「今日、何をしたんだろう私」
木の芽を出したこと。三年前の話を責めなかったこと。夕焼けを一緒に見たこと。
どれがカウントされたのかわからないが、18になっていた。
18/100。まだまだ先は長い。
でも今日一日で、ずいぶん上がった気がする。
「……帰るまでに、どこまで上がるんだろう」
呟いて、それから少し考えた。
帰るまでに。
帰ることは、変わらない前提だ。
変わらない。
そのはずなのに、なぜか今日の夕焼けの色を、ずっと覚えていたいと思っていた。
「……馬鹿みたい、また」
苦笑して、スキルウィンドウを閉じた。
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「ナナ様」
翌朝、リーナがいつもの無愛想な顔で扉を開けた。
「おはようございます」
「伯爵様から伝言です」
「なんですか」
「今日から魔法の訓練に加えて、《黒の深淵》への同行準備を始めるとのことです」
「準備って、どのくらいかかりますか?」
「早ければ一週間。ただし……」
リーナが少し表情を変えた。
「伯爵様は本来、あの場所には近づくつもりはなかったようです。ナナ様の力があれば、封印の調査が可能かもしれないと判断されたようですが」
「でも?」
「三年前と同じ場所です。伯爵様にとって……あそこは」
言葉が止まった。
私はリーナの顔を見た。
「リーナさんは、止めたいですか?」
「……私は止める立場にありません」
「そうじゃなくて、あなた個人として」
リーナは少しの間、黙った。
「……止めたいです。伯爵様が、あの場所へ戻ることが怖い」
「でも行かなければ、辺境の問題は解決しない」
「はい」
「だったら、私がちゃんとやります」
リーナが私を見た。
「三年前は星詠みがいなかった。でも今は私がいます。魔力だって、まだ制御できてないけど、ライアス様が近くにいると《絆の星紋》が働く」
リーナの目が、わずかに揺れた。
「……《絆の星紋》が、もう発動しているのですか」
「昨日、少し。完全じゃないですが」
リーナはしばらく黙って、それから深々と頭を下げた。
「……よろしくお願いします、ナナ様」
昨夜よりも深い、礼だった。
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執務室に向かう廊下で、ライアスとすれ違った。
書類を持って歩いていた彼は、私を見て足を止めた。
「伝言は聞いたか」
「聞きました。一週間の準備ですね」
「急ぎすぎかもしれないが、封印の弱体化は加速している。時間がない」
「わかりました」
「お前に無理をさせることになる」
「覚悟の上です」
ライアスが少し黙った。
「……星詠み師は、呪詛に触れると反動がある場合がある。昨日の木でも、何か感じたか?」
「少し手が痺れましたが、すぐ引きました」
「《黒の深淵》はあの比ではない」
「そのための準備期間ですよね」
「そうだ」
「じゃあ一週間、しっかり鍛えます」
ライアスは私を見た。
少しの間、何かを考えているような顔だった。
「……お前は怖くないのか」
「怖いです。普通に怖い」
「では」
「でも怖いからやらない、は選べないので」
ライアスの目が、わずかに変わった。
「この辺境には、守りたい人がいるってあなたが言いましたよね」
「ああ」
「私にも、今はいます」
ライアスが黙った。
「リーナさんと、あなたと、村の三千人」
「……一日でそこまで言えるのか、お前は」
「一日でも、会えば好きになります」
ライアスは私を見て、それから視線を外した。
頬が、ほんの少し赤かった気がした。
気のせいかもしれない。
「……訓練場に来い。今日から強度を上げる」
「はい」
「昨日みたいに壁に穴を開けるな」
「努力します」
「努力ではなく結果を出せ」
「厳しい」
「厳しくない。当然のことだ」
ライアスが歩き始めた。
その背中を追いながら、私は頭の中でウィンドウを確認した。
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《信頼度:辺境伯ライアス・ケルヴィン》
現在値:20/100
《備考:朝の会話により3上昇》
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「……3」
朝の廊下で、3
「やりがいある」
思わず声に出したら、前を歩くライアスが振り返った。
「何か言ったか」
「独り言です。気にしないでください」
「気になるから聞いた」
「頑張ろうと思っただけです」
ライアスはしばらく私を見て、それから前を向いた。
「……今日は昨日より長く訓練する。覚悟しておけ」
「覚悟します」
「それと」
「はい」
「昨日の木。あれは……良かった」
背を向けたまま、ライアスは言った。
「三年ぶりに、あの木が動いた。村の者たちが喜んでいた」
「……よかったです」
「礼を言う」
「一緒に頑張りましょう、ライアス様」
「……様はいらない」
「え」
「堅苦しい。ライアスでいい」
私は一瞬固まった。
「……ライアスさん」
「さんもいらない」
「……じゃあライアス」
「ああ」
それだけ言って、ライアスは歩き続けた。
私はその背中を見て、こっそり笑った。
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その日の夜。
窓の外に星が出ていた。
昨日と同じ、異世界の星空。
でも昨日よりも少し、馴染んだ気がした。
「帰る。絶対帰る」
言葉にする。それは変わらない。
でも。
帰るその日まで、この星空を覚えておこうと思った。
守り木の小さな芽のこと。
リーナの初めての笑顔のこと。
村長の、縋るような目のこと。
「ライアス、か」
名前を呼んでみた。
誰もいない部屋で、声に出すと恥ずかしかった。
「……馬鹿みたい、三回目」
でも今度は、苦笑じゃなかった気がした。
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《黒の深淵》への準備が始まる。
一週間後、あの場所で何が私たちを待っているのか。
そして、ライアスが三年間ひとりで抱えてきたものが、ついて動き出す。
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第4話へ続く
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、辺境が置かれている状況と、ライアスが三年前に経験した出来事の一端が明らかになりました。
次回からは、《黒の深淵》へ向かうための本格的な準備が始まります。
三年前、ライアスと調査隊に何が起きたのか。
封印の奥には何があるのか。
そしてナナの力は、辺境を救う希望になれるのか。
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第4話もお楽しみいただければ嬉しいです。




