#08
夏休み中最後の補習を終えた崇宏は、瑠依と約束をしていたため、けっこう急いで玄関に向かっていた。そうじゃなくても約束の時間が過ぎてしまっていたから本当に急いでいた。
「崇宏くん、ちょっといいかな」
「んーごめん。ちょっとだめかな」
声をかけてきた女子は、隣のクラスの子だった。テニスのラケットを持ったまま靴箱の前に立っている。自分をかわいく見せる方法を熟知していて自身に満ち溢れた表情。
なんだか面倒くさい予感がした崇宏は床に靴を放り投げ、履き替えながらちらりと視線を送る。
「なにかな。俺、急いでるんだけど」
「あのね、崇宏くんがカメラ好きなのは知ってるんだけど、私――」
「うん、ごめん。俺、好きな子いるから」
「え……カメラ、でしょう?」
「ううん。好きな人がいるんだ。だからごめんね」
呆然とする女子に背を向け、今度こそ駆け出す。
あの続きは聞かなくてもわかっている。
『私、崇宏くんのことが好きなの。2番目でいいから付き合って』
本当にそうしたら怒るのに、なぜそんな理解のあるフリをしてまで付き合おうと思うのか、崇宏には不思議でならない。
もっとも、今の崇宏はいつだって瑠依の1番になりたいし、瑠依もそうであってほしいと願っている。少なくとも2番目でいいなんて発想は崇宏には信じられなかった。今でさえ、10番以内におさまっているのかすらわからないというのに。
そんなことより、と崇宏は走りながら腕時計に視線を落とす。
ただ補習が長引いただけならさすがの瑠依も許してくれるだろうが、本当は課題を忘れて居残りさせられたなんて真実がばれたら殴られる。遅れるという連絡はしたが、命が惜しいあまり、補修が長引いたとしか伝えていない。
とにかく急がねばと、待ち合わせ場所へと全力で走った。
瑠依とは、瑠依の姉の亜依が通っている大学の近くの駅で待ち合わせていた。今日は天野と亜依から、180度写真展に出品する写真選びに誘われていたのだ。
天野の写真がどうだったのかも気になっていたし、ふたつ返事で了承したのはいいのだが、約束の時間はもう30分も過ぎている。
待ち合わせ場所に到着するなり瑠依の姿を探すと、あっさり見つけた。瑠依は壁に寄りかかって本を読んでいた。
「ごめん、遅くなった」
「大丈夫。あたしも遅れちゃったから」
嘘だとすぐにわかる嘘。他人に厳しく自分に厳しい瑠依が、約束の時間に遅れるわけがない。たまにこうやって優しいんだよね、瑠依って。
思わず頬が緩む。
「んもー瑠依ってばかわいいんだから!」
よしよしと頭を撫でると、瑠依は呆れたような顔で俺を見上げる。
「あんた、酔ってんの?」
「こーこーせーなのに飲むわけないでしょう。さ、早く行こうか。殴られるの怖いし」
瑠依もそうだが、亜依も遅刻を許さないタイプな気がした崇宏は、瑠依を促して早足で大学へと向かう。
門のところで待っていた天野に遅刻を謝罪して、彼らの部室まで案内してもらった。
到着してしまえば気になるのは写真のことだ。
「写真、どうでした?」
「うん、思っていたよりちゃんと撮れてた。崇宏くんの写真も持ってきてくれた?」
「一応。でも天野さんの写真を使ったほうがサークルとしてはいいんじゃないですか?」
一応、部外者だし、と付け加える。
あの写真は別の使い道もあるから、天野は自分が撮影したものを遠慮しないで選択してくれたらいいと崇宏は考えていた。けれど、部室に足を踏み入れて一瞬でその考えは吹き飛ぶ。
勝手にイメージしていたのと同じ半球体の骨組みに、黒い紙が貼りつけられたミニチュアサイズの模型。
「これ……」
「うん、崇宏くんが言ってたように360度にするのが本来やりたかったことなんだよね。内側に1枚ずつ写真を貼って、あの日見た夜空を再現するって感じかな。一等星、二等星までは穴をあけてサイズ違いの電球を差し込もうかと思ってる。どうかな」
「いいですね!」
崇宏がイメージしていたものよりずっと本格的な設計に思わず目が輝く。
さっそく天野が撮影した写真をプリントアウトしたものをチェックする。明るさの補正は完璧にできていて問題なさそうに見えた。
作業台を借りて写真を1枚ずつ並べてみても、あの夜空は十分再現できているように感じる。そこに、瑠依が撮った左側の木ばかりの写真を繋げていくと、より近い。
ただし、このサイズだからだ。引き伸ばすには限界があって、星の輪郭はどうしてもぼやける。
ちょうど天野がキャビネサイズの写真に気づき指差した。
「それ、瑠依ちゃんが撮った写真? 使ってもいい?」
「はい……」
瑠依は照れたように笑う。
少し遅れてきた亜依が瑠依をどこかに連れ去るのを悲しい気持ちで見送っていると、天野がパソコンのモニタを指差しながら崇宏を呼んだ。テスト出力した写真をさらに引き伸ばしてみたプリントを確認するようだ。
「キャビネサイズなら明るさ調整だけでよかったんだけどさ、これ見てくれる?」
天野さんの言葉に、部室にいたほかの学生がプリントされた写真を持って脚立に上がった。
「あー……」
やっぱり、と思う。
星の一つひとつの輪郭がぼやける。写真が、生きてない。写真展としては合格といいがたい残念さ。崇宏はパソコンに詳しくないため、どこをどう補正すれば問題が回避されるのかサッパリ思いつかない。
許可をもらって色合いをいじってみたり明るさを絞ってみたりといろいろ試してみても、納得のいく作品にはならなかった。
「崇宏くんの写真、ちょっと取り込んでみてもいいかな」
「これを?」
「うん、元がよければ伸ばしてもいける気がして」
褒められるのはうれしいが、崇宏の感覚としてはこのまま使えるとは思えなかった。ただの星空の写真の域を超えない気がする。
案の定、ただ写真を引き伸ばしただけの陳腐なイメージが拭えない大判の写真が出来上がった。
撮り方が悪い。
そう結論が出たのは、瑠依が部室に戻ってきた2時間後だった。
聞けば、写真展を開くのは10月。大学祭に合せて開催する予定らしい。あと2ヶ月でできること――と考えて、ふと気づく。
「俺、手伝っていいんですかね?」
「できれば助けてくれるとありがたいんだけど……」
手伝うことは嫌ではない。それに、こんな大がかりなことはやったことがなかったから、むしろ手伝いたい。そんな気持ちが沸き起こる。
ひとまず撮影し直してみることで意見は一致して、崇宏は天野と連絡先を交換して別れた。
帰り道、瑠依は口数が少なかった。怪訝に思いつつ、そのままストレートに尋ねる。
「ずいぶん無口だね?」
「え? それ、こっちの台詞だから」
「俺は普通だよー。そういえばさっき、部室出てどこ行ってたの?」
「オープンキャンパス。入試相談とかやってて、ちょっと話を聞きにね」
「え、瑠依、あの大学入るの?」
「うーん。なんかちょっと違った。なにをやりたいのかも定まってないから選びようがないんだけどね」
「へぇ……大学、ねぇ」
「崇宏は進学? 就職? カメラと結婚?」
「だからカメラと付き合ってるわけじゃないんだってば。でもそうだねー。カメラで食っていけたら幸せ」
将来のことなんてなにも考えておらず、勉強が嫌いだから進学は嫌かなと思う程度の崇宏は、そうかと気づく。
高校を卒業したら、こうやって瑠依と一緒にいることも少なくなるのだ。
「俺、瑠依と同じ大学入る! だから女子大はやめてね!」
「あんた、その頭で私と同じ大学なんて受けられないよ? そのへん、わかってる?」
「がんばる!!」
「あっそう……がんばって……」
なんて冷たい子なんだろう。まだ先の話ではあるが、瑠依は自分と離れてもまったく平気なのだろうということだけはわかった。
とてもせつない。
夏休み終了の鐘が鳴る。
瑠依との関係アップは2学期へと持ち越された。
「崇宏、ルイ様と付き合ってるのってホント?」
クラスメートの篠原洋介が神妙な顔つきで囁く。
ぶぶーっと飲んでいたコーヒー牛乳が飛び散った。きったねーな、という男子のブーイングと女子の悲鳴。だが、崇宏のほうが悲鳴をあげたい。いったいどこでなにをどう間違ってそんなうれしいことになったのか。
「いやーなんか噂になってて。ルイ様って安斎センパイと付き合ってなかったっけ?」
「あのセンパイ、安斎っていうんだっけ。忘れてた」
「で、どうなのよ、ルイ様とは」
がっしり肩を組まれ、顔を寄せてくる洋介を追い払い、飛び散ったコーヒー牛乳を拭くものを探す。もたついていると隣の席の女子がティッシュをくれた。ありがたくそれをいただいて茶色い水滴を拭きとる。
「崇宏って秘密主義だっけ?」
「ううん。どっちかというとオープン。隠し事なんてできないもん。隠したこと忘れてべらべらしゃべっちゃう」
「だよな」
「んー……難しい質問だなー。好きか大好きかと問われれば、大好き」
「へぇ!」
「付き合ってるのかと問われれば、オトモダチから一歩も進ませてくれないんです」
泣き真似つきで訴えると洋介は笑った。
真実を語ったのに笑われるのは不本意だ。
「そっかそっか。命が惜しければ、もう二股なんてかけんなよ?」
「いや、ちょっと待て。俺はこれまでの人生、二股なんてかけたことはない。ちゃんと終わってから次の子だもん」
「そうだっけ? お前と別れた女子、みんな二股かけられたって怒り狂ってたけど」
「ないです。事実無根。あ、瑠依ちゃーん!」
話している途中で廊下を歩く瑠依を発見し、崇宏は大きく手を振る。瑠依は小さく笑って手招きした。
大進歩じゃないか、とよろこびかけると、瑠依は言った。
「課題、終わったの? 先生が呼んでたけど」
「きゃー。思い出させないで」
「だからちゃんとやりなさいってあんなに言ったのに。素直に怒られておいでー」
ひらりと手を振って、瑠依はそのままどこかへ行った。とても付き合っているだなんて噂が流れるような甘さは見られない。
「……まぁ……がんばってくれ。邪魔したな」
洋介は引きつった笑みを浮かべ、いそいそと自分の席へ戻っていく。
事実と違う噂話を鵜呑みするくらいなら課題を手伝ってもらいたかった。半分以上白紙の課題を恨めしく思いながら、崇宏はしぶしぶ立ち上がる。
瑠依の言うとおり、素直に怒られることを選択したのだった。




