#09
性格が温厚で誰にでもだいたい優しい感じで優秀な理性たちが組み込まれているボク、進藤崇宏くんにも、怒るときがたまにあります。それが今です。
崇宏は動揺を抑えるためにそう呟いた。けれど、ちっとも抑えられない。
『すっげーよ。俺、女の呼び出しとか初めて見た』
洋介が興奮を隠せない様子で教室に飛び込んできた。
俺はけっこう頻繁に女の子から呼び出されるけどねーと言うと、無言で殴られる。
『あれ、殴られたりすんのかなー。さすがのルイ様も、あの人数に囲まれたらけっこう辛そう』
『はい、洋介くん。誰が囲まれてるって?』
『だからルイ様だって。おまえ、夏休み中に三枝サン断ったんだって? 逆恨みだねーあれは』
『うん、三枝サンが誰だか知らないけど、瑠依はどこ?』
『すっげーベタ。体育館裏』
階段を10段くらい飛び降りて1階を目指す崇宏は、かつてないほど動揺している。
現状どんなことになっているのかよくわからないくせに、瑠依が危険でピンチなのは俺のせいだとしたらもうどうしよう、瑠依が怪我してたらどうしよう、俺、女の子相手でも殴っちゃうかもしれない、などといろんなことを脳内で捲し立て、全力で走った。
途中で先生にぶつかって怒られたが当然のように無視して駆け続ける。体育館脇の窓から勢いよく身を乗り出すと、想像していたとおりの風景が目に飛び込んだ。
瑠依は女子に囲まれていて、ときどき瑠依ではない女子のどなり声が聞こえる。崇宏は、総毛立つということを身を持って体感した。
「瑠依!」
思わず叫んだ声に、一斉に振り返った。瑠依はなんとも言えない顔をしていた。
この学校は山の斜面に建っていて、体育館は校舎の1階より下、半分ぐらい階下にある。考えるまでもなく窓から飛び降りた瞬間、悲鳴が聞こえた。それに瑠依の声が含まれていないことが本当に残念だ。瑠依はというと呆れた顔で崇宏を見ていた。
「崇宏、大丈夫?」
心配そうに駆け寄ってきたのも、当然瑠依以外の女子。いつもならへらっと笑ってやれる崇宏の瞳は冷たい。駆け寄ってきた女子はその視線に怯えたように立ち止まった。
「瑠依、なにやってんの?」
「おしゃべり」
「みんなに囲まれて?」
「そう」
くすりと笑った瑠依は、まったく笑ってない目で崇宏を見上げる。まるで、余計なことしないでとでも言いたげな顔。
「じゃあね、秋葉サン」
いそいそと校舎に戻っていく女子たちを横目で見送り、崇宏は瑠依に視線を戻す。あの女子の中には、崇宏の知らない子もいた。それを意味するのは。
「瑠依ちゃん、今のオトモダチのみなさん、どちらさま?」
「安斎センパイのこの間までの彼女と前の彼女とあたしの前の彼女と、あんたに振られたっていう女の子が数人」
「なにかされた?」
「別に。ただなんか図々しいとか言われただけ。っていうかさぁ……あんた、足大丈夫? もうちょっと先に行けばドアあったじゃないの。なんで飛び降りるかなー」
「心配だったからに決まってるだろ!」
性格が温厚で誰にでもだいたい優しい感じで優秀な理性たちが組み込まれているボクも、怒るときがたまにあります。それが今です。
ところが瑠依は、一瞬身体がビクンと跳ねただけで、小さくため息をついてしゃがんだ。
「着地したの、どっちの足?」
「はぁ?」
「こっち?」
瑠依は力いっぱい崇宏の足首を握った。
「いったー!? ちょっとなにすんの!?」
「合ってた? 馬鹿だねぇ、崇宏は」
くすくす笑って崇宏を見上げているが、実は飛び降りた衝撃の痛みなんてこれっぽっちもなかった。足首を握った瑠依のその力加減のほうが、よっぽど骨折するかと思うほど。
つまり、瑠依は崇宏がいなくても全然平気で、むしろ力技なら負けてなかった、と。そういうことだったらしい。
「もーやだ瑠依ちゃん……」
「ごめんごめん。心配してくれたんだねーありがとねー」
へたりと座り込んだ崇宏の頭をよしよしと撫でる瑠依。
思わず目の前にある身体を抱きしめた。
「危ないこと、しないでよ……もうちょっと頼ってよ……」
「ドラマじゃないんだから、そんな危ないことなんてないでしょう。あんたこそ馬鹿じゃないの、飛び降りちゃったりして。しかもかっこわるい」
馬鹿だねぇ、なんて言いながらも、瑠依は崇宏の身体に腕をまわして何度も背中を撫でた。大丈夫だよと崇宏に言いきかせるように、何度もなんども撫でていた。
そんなことがあったせいで、崇宏はない頭なりに考え、周りをけん制することにした。
隙あらば「瑠依が大好き」を公言し続け、瑠依から一歩も離れず、『あれ、もしかしてあのふたりって付き合ってるの?』と周りに思い込ませる戦法。あわよくばそれが事実となれば一石二鳥という小賢しい戦法。この際、もはや情けなかろうが無様であろうが、なんでもよかった。
瑠依には『すっごく邪魔』と言われたけれど、そんなことくらいではへこまない強い精神力を身につけた。瑠依と一緒にいるには身につけざるを得ない、当然のスキル。
崇宏の目論見どおり、瑠依に嫌がらせをする女子はいなくなった。でも、少しすると別の問題が勃発した。
瑠依が、元カレの安斎センパイからしつこく言い寄られていることを崇宏は知ってしまったのだ。
「なんで!?」
「いや……なんでってあたしにそんなこと聞かれても……。っていうかあんた、なに泣いてんの!?」
「泣いてないやい!」
「あーもうほらー。早く液排出しないとだめでしょう。現像、失敗しちゃうよ?」
「わかってるって!」
崇宏は液を排出しながら鼻をすする。
元はといえば、瑠依を振ったのは安斎だ。付き合い始めはどうであれ、少なくとも別れたあと涙を見せる程度には瑠依だって好きだったはずだ。不本意なかたちで別れることになり、今になってよりを戻したいと言われたら、揺れないわけがない。
たしかに瑠依はかわいいけれど、小悪魔なんだぞ! 意地悪なんだぞ! そのへん、センパイはわかってなさすぎる!
脳内で罵倒し、崇宏はふたたび鼻をすすった。
「あんた、今失礼なこと考えてない?」
「いいえ。事実しか」
「そう?」
「そう。で? どうするの?」
「どうもしないよ。だって、なんか違うって言われて別れたのに、また付き合うのって意味わかんない」
「なんか違う!?」
「うん? なに怒ってんの?」
「もうもうもう! なんなのこの子は!! 穏やかなボク、カムバック!」
呆れた視線を感じるが崇宏はもうそれどころではない。安斎の目的がわかるから余計に腹立たしい。
「やめやめ! もー現像、やめー!」
「冗談やめてよ! あんたが撮りたいって駄々こねたから朝早く付き合ったんでしょう!?」
「瑠依ちゃんが鈍すぎてもう俺だめ限界死んじゃう」
「なにをわけわからないこと言ってるの……ほら、イイコイイコ。水洗、やっちゃおうね?」
「……はい……」
怒りを鎮め、おとなしく水洗作業を進める。
瑠依は好意に鈍いだけじゃない。悪意にも鈍い。あの安斎が瑠依と別れたあと、少なくとも5人はカノジョが変わっていることも、ゴチソウサマ破局が多いことも、同じ学校にいるのだから気づいているはずだ。
けれど、良くも悪くも目立つ崇宏が瑠依の周りをちょろちょろしてるからおもしろくなくて近づいてきたのだということに気づけと言っても、たぶん瑠依には無理だ。
なんで俺がこんなに怒ったり泣いたり忙しい思いをしているのか、気づけよ! なんて……絶対言えないけど、とため息をつく。
乾燥に入るころにはもう、崇宏はぐったりしていた。部屋に戻る間もため息しか出てこない。瑠依もさすがに気遣いがちに崇宏を見上げる。
「瑠依ちゃん、ここ座りなさい」
ぽんぽん、とベッドの上を叩くと瑠依は素直に座る。これ以上いじけさせたら面倒だと思ったに違いない。
ここぞとばかりに崇宏はごろんと瑠依の膝の上に寝転がる。
もう、殴られてもいいやという気持ちだった。
だが意外にも瑠依は、くしゃりと崇宏の頭を撫でて笑う。
「怒ったり泣いたりいそがしいね?」
「瑠依のせいだ」
「はいはい」
「瑠依ちゃん、好き。大好き」
「はいはい」
このように、あしらわれる。
でも、頭を撫でる瑠依の手はとても気持ちよくてあたたかい。
ずっとこうやってやさしかったらいいのにな、と思ったが、それも当然、言わなかった。常にやさしい瑠依なんて、瑠依ではないことを崇宏はよく知っている。
結局崇宏も、瑠依を手に入れたい気持ちはあっても、この距離感が失われるのは怖かった。だから肝心なところを言わない。
手を伸ばせば触れられる距離にいて、拒絶されないのだから、これ以上は望めない。
けれどそんな純粋な気持ちは長く続かない。
崇宏は自他ともに認める命知らず。別名、バカヒロ。




