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たなばたのはこぶね  作者: 比奈田美也


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#37

 搭乗手続きを終えた崇宏は、ロビーのベンチに腰を下ろし、電光掲示板をじっと見つめていた。

 少し離れた場所に座った未央子もまた、崇宏の瞳に映るすべてのものを見逃すまいと必死でその視線の先に目をこらす。

 無言の合間も、時間は刻々と迫っている。

 未央子は徐々に焦ってきた。本当にこれが最後となるのになにひとつ言葉が浮かばない。

 卑劣な手を使って瑠依と引き離したことを謝罪しようにも、もう今さらだ。まして、どれほど自分が真剣に崇宏を愛していたのかなんて、なおさら告げられない。それほどまでに自分が崇宏に拒絶されているということは、もう疑う余地もないほど理解している。なにもかもが今さらで、取り返しなどきかない。

 あと5分ほどで崇宏は立ち上がるだろう。そう思った未央子は意を決して口を開いた。


「6つも年上の女がって思うかもしれないけど……あたし、あの学園祭であなたとあなたの写真に一目ぼれしたのよ」

「うん、知ってる」

「あなたは、本当に一度もあたしを女として見なかったの?」

「うん」

「本当に?」

「うん。俺、瑠依ちゃん一筋だもん」

「そう……」


 がっくりと項垂れた未央子にはわかりきっていたことではあったが、こうも改めて真実を突き付けられると切ないを通り越して空笑いしかできない。残念だが崇宏は正直者すぎた。

 想い人と連絡がついたのだろうか。微かな着信音に弾かれたように携帯へ視線を落とした崇宏は、ふと思いついたように顔を上げた。


「未央子さんのスランプなんだけどさ。偉そうなこと言っちゃうと、俺の真似してない?」

「え? あぁ……ちょっと影響受けすぎかなって思ってたけど……やっぱり?」

「うん。俺と未央子さんじゃ、見える世界が違うからさ。たぶんそのせいだよ、構図のブレ」

「そう……プロ失格ね……」

「こっちきて最初のころの未央子さんの写真のほうが好きだよ」

「…………」

「俺には瑠依しかいないからほかの女なんてどうでもいいんだけど、未央子さんもそのうちイイヒト、現れるんじゃない?」

「そう、かな……」

「たぶん。よし、送信完了。んじゃ、未央子さん、送ってくれてありがとう。またね」


 崇宏はリュックを背負うといそいそとゲートに向かった。

 呆然としていた未央子は慌てて立ち上がる。


「またねって! また、会ってくれるの!?」

「もしかしたらまたそのうち一緒に仕事するかもしれないじゃん。そのときはよろしくね」


 崇宏はそのまま去っていった。

 見送っていた未央子の頬に涙が伝う。けれど口の端が上がっていた。

 本当に一瞬だったが、ずっと無表情だった崇宏が微笑んだのを未央子は見逃さない。

 ようやく本当に諦められたような気がした。ほんの少しだけ許してもらえたような気がした。



 日本についた崇宏は、迎えに来た洋介にまず一撃食らわした。腹を抱えて蹲る洋介の目の前にしゃがみ、にっこりと微笑む。


「おまえ……仕事早く切り上げて迎えに来てやった友人にする仕打ちか? これ……」

「なんでおまえ、浅島のことちゃんと見張ってなかったの?」

「はぁ?」

「あいつ、俺の瑠依ちゃんに手を出そうと何年も付きまとってたって話だけど事実?」

「知るかよそんなこと……」

「ちっ……」


 舌打ちのあと、ボソリと呟いた言葉に洋介は目を丸くした。


「えぇぇぇぇ!? 使えねぇってなに!? 俺、浅島の見張り役だったの!?」

「まあいいわ。浅島見つけたら縄つけて連行して。ところで洋介、ただいまー!」

「遅いわっ!! おまえホント意味わかんねー。えー……で、なに? ルイ様の家に送ればいいの? 引っ越したりしてない?」

「わかんない。でも俺の予想では瑠依ちゃん、引っ越してないと思う」

「連絡してから行けば?」

「いいのっ! 驚かせたいんだから」


 崇宏は車に乗り込むなり眠った。時差ボケに耐えられなかったのだろうか。それでも文句を言わないのが洋介のえらいところだ。6年ぶりの再会だというのにいきなり殴られ、ただのアシだということは確定済み。会話らしい会話は瑠依関連のみときた。それでも洋介は崇宏が帰ってきてうれしいのだから、いろんな意味で心配になる。


「洋介ー」

「なんだよ、寝たんじゃないのかよ」

「……迎えに来てくれてありがとう」

「え。幻聴? なにおまえ、腹でも壊した?」

「うっせーよ。下なんか走ってんじゃねーよ。上で高速マッハが基本だろーが」

「へいへい……。っつーか崇宏」

「なんだようるせーな黙れよ急げよ」

「おかえり」

「…………寝るっ」


 洋介に背を向け、改めてシートに丸まった崇宏を横目で見やり、洋介は小さく笑った。

 口調が悪くなるのは緊張の表れであることを、洋介はよく知っている。加えて、人に背を向けて丸くなるときは気まずい証拠。だてに長い間、この馬鹿男の友人を名乗っていない。

 これが男じゃなかったら頭くらいは撫でてやったのに、と思った直後、洋介の顔から笑みが完全に消えた。おぞましい自分の思考を大至急打ち消す。

 やはり、いろんな意味で心配だ。


 道が混んでいなかったおかげで、空港を出て1時間後には瑠依のアパート前に到着していた。なかなか車から降りない崇宏にしびれをきらし、洋介はシートベルトをはずした。


「俺、ルイ様がまだあそこに住んでるか見てくるわ。何号室?」

「いい!! おまえが先に瑠依ちゃんに会うなんて許せるかっ!」

「おまえ……本当に嫌な奴だな」


 けれどすでに崇宏は聞いていない。

 ピンポーンって鳴らして笑顔で部屋着の浅島が出てきたらどうしようとか、それ以前にもうここに住んでなかったらどうしようとか、俺のこと完全に記憶から消去してたらどうしようとか、本当にウザイ。うんざりする。

 それでも洋介は根気よく待ち続けた。

 崇宏が車から降りたのはそれからさらに1時間も経ってからだった。


 ここで待っていてやろうかとも思ったが、もしうまくいけば感動の再会およびそのまま復縁という可能性もある。洋介はなにかあったら連絡するようにと、聞いているのか聞いていないのかさっぱりわからない崇宏に言い残し、車を走らせた。

 バックミラーに映る崇宏は、闇の中で携帯を開き、それを空に向けている。洋介もなにげなくフロントガラスを覗き込んだ。

 そこには都内では珍しく、満天の星。崇宏がなにを祈ったかわかるような気がする。


「あぁ、今日はたなばたなんだっけ」


 洋介もこっそり祈った。

 どうか今日はもう、崇宏から連絡がありませんように……。

 そしてもうひとりの友人であるノリの気持ちを馳せる。


「酒でも奢ってやるかなー……」



 崇宏は星空に携帯のカメラを向け、ボタンを押した。

 6年前に見た天の川を思い出す。瑠依も、今日は天の川を見ただろうか。

 携帯の画面に表示された日付を見て胸が詰まる。


 7月7日。ちょうど6年前の今日、瑠依と別れた。

 6年も経ってしまったが、織姫と彦星のように自分は瑠依に会えるだろうか。


 もうすっかり暗記してしまった瑠依のアドレスを打ち込み、今撮ったばかりの画像を添付して送信した。

 1分。2分。5分経ってもリターンメールはない。


 小さく笑った崇宏の頬に一筋の涙が伝う。

 瑠依のアドレスは変わっていない。きっと、電話番号も変わっていない。きっと、ここで暮らしているのも変わらない。


「やばー……瑠依ちゃん、かわいい……」


 何度もタップしてコールできなかった番号を入れ、通話ボタンを押した。

 何度目かのコール音が途切れた。


「あー……瑠依ちゃん? 俺ー……」

『……どちらさま?』


 即座に返された不機嫌な声。ずっと聞きたかった瑠依の声。

 崇宏は涙を拭い、アパートの階段を静かにのぼっていく。


「やぁっぱ瑠依だ。おまえ、番号もアドレスも変わってないんだ?」

『どちらの俺様?』

「いやぁ。さすが瑠依。ステキな対応、ありがとう!」

『…………』

「携帯が変わってないっつーことは、家も同じだったりして?」

『…………』

「あれ? 返事くらいしろよー。ピンポンダッシュ、しちゃうよ?」

『……すんな。くんな』

「つめたー。酷いね。せっかく逢いに来てやったのに」

『頼んでないし。あんたなんかもう知らないし。忘れたし』


 崇宏は馬鹿みたいに笑った。

 6年前となんにも変わらない会話。遠慮のない言葉。声が震えているのは泣いているせいだろうか。それとも怒りなのだろうか。

 瑠依の部屋の前で足を止めた崇宏は、ドアノブを下げた。

 室内から大きな音が聞こえた次の瞬間、ドアは勢いよく開く。

 記憶の中よりずっと大人になっていて、記憶と同じ、薄い身体。


「やあ! 瑠依ちゃん、久しぶりー」

「失せろ馬鹿男」


 怒った顔をしても迫力がないのは瑠依がすでに号泣しているからだ。

 泣かせたのは自分なのに、崇宏は浮かんだ笑みを隠せない。


 ごめんね、瑠依ちゃん。寂しい思いをいっぱいさせちゃってごめんね。

 ありがとう、瑠依ちゃん。泣くほど待っててくれてありがとう。


 崇宏は瑠依を力いっぱい抱きしめた。

 懐かしい感触と温もりに崇宏の目に涙が浮かんだ。


「瑠依、ただいま」


 瑠依と別れる決断をする前に買っておいた指輪を薬指にはめる。そこへそっと唇を落とした。


「待っててくれてありがとう。もうずーっと一緒にいるから」


 待っていてくれたわけではないのもわかっているし、拒絶されてもしかたがないことは理解している。

 6年以上前に学生の分際で買った程度の、価値なんか皆無のその指輪は、チェーンにとおしてカナダで毎日首からぶら下げていたもので、悔しいときも挫折しそうなときもずっと触れていたものだった。

 きっと傷だらけで、20代後半の彼女にはまったくふさわしくない安物。


 けれど崇宏は、本当の最後に、これを渡したかった。

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