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たなばたのはこぶね  作者: 比奈田美也


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#29

「瑠依ちゃん……そろそろお昼にしませんか……」


 ぐったりしたノリは先を行く瑠依の手を引く。

 瑠依は呆れた顔で振り返った。


「えー? もう?」

「……瑠依ちゃんが遊園地好きだってことはよくわかったからさ……とりあえず少し休憩しようよ……」

「あんた、顔青いけど大丈夫?」

「そりゃこれだけ連続で絶叫乗ってたら誰だってこうなるよ……」


 心配していた悪夢がまったくもってトラウマになっていなかったということなのか、あの姉にしてこの妹ありということなのか判断が難しいところだ。

 結局のところ瑠依は、混雑していないのをいいことに次々と絶叫マシンを制覇していった。気がつけばもう15時を過ぎている。気味が悪いほど沈黙しているスマホは念のため電源を落とし、瑠依は渋々頷いた。


「わかった。少しだけね」

「うん……でもさ、実はもう約束の時間を過ぎてしまっていてですね」

「気にしなくていいよ。子どもじゃないんだし」

「まぁそうなんだろうけど、おなかに風穴ってどうやって開けるんだろうね? 俺、ちょっと初めてで怖いんだけど。やっぱり痛いのかな」

「痛みなんか感じないくらい一瞬であの世だと思うから大丈夫だよ」

「そっかー。よかったー」


 安堵の息を漏らしたノリは手を繋ぎ直して歩き始める。あちこちに飲食店が点在していて、食欲を刺激する香りが鼻先を掠める。そうなると、仕方なく休憩にしたはずの瑠依もおなかがすいてくる。

 なにを食べるか相談しながら進むなか、手を繋ぐということにすっかり慣れてしまった瑠依は振り払うことすら忘れていた。

 あまり時間もないということで、ハンバーガーのセットをふたつ買ってベンチへ向かう。朝早く起こされて作ったお弁当は悪魔の手によって奪われてしまったが、このハードスケジュールでは開くのがやっとだっただろう。

 腹ごしらえしたあとは、わりと穏やかなアトラクションを楽しんだ。

 時間はあっという間に過ぎていく。


 ラストは定番の観覧車に乗ろうということになり、名残惜しい気持ちで列に並んだ。

 さほど待たされることもなく乗り込んだ観覧車はゆったりと昇っていく。

 上から望む景色を楽しんでいると、ひとつ先をいく箱の中で仲睦まじいカップルが目に入り、慌てて視線を逸らした。急によそよそしくなった瑠依を怪訝な顔で見ていたノリは、瑠依が目にしたものに気づいたらしく、小さく笑う。


「仲良さそうだねー?」

「そうですねー」

「瑠依ちゃん、顔が赤いですよー」

「そうですねー」

「懐かしい?」


 なにがだ、と顔を上げた瑠依の胸が鳴った。

 いつも通り、穏やかに笑っているノリが小首を傾げる。なんてことない、いつもと変わらないノリがそこにいるのに、いるはずのない人間の姿が重なる。薄暗く狭い空間で、瑠依は必死に目をこらした。

 ハッと気づいたとき、記憶の中の瞳とは違う瞳がまっすぐ瑠依を見つめていた。

 頬を手のひらがそっと撫でる。


「えっと……」

「大丈夫?」

「う、うん……?」

「急に泣きそうな顔するんだもん。びっくりしたー」


 そう言って笑ったノリの顔のほうが泣きそうなことに瑠依は驚く。頬に触れていた手のひらがゆっくりと離れていった瞬間、瑠依は思わずその手を掴んだ。


「え、どうしたの、瑠依ちゃん」

「あ……ううん、なんでもない。帰りも運転手、よろしくね」

「もちろん! 安全運転で帰りますよー」


 目を細めたノリは指先を掴んで離さない瑠依の手をそっと握った。その温もりになぜか瑠依は泣きたくなる。繋がれた手に微かに力が込められ、ゆっくりと顔を上げる。


「大丈夫。俺はいなくならないから」

「え?」

「……瑠依ちゃんが消えろって言ってもつきまとうから覚悟しておいて」

「……ストーカー宣告とかやめてよ」

「ご本人公認ストーカーとか新しいじゃん!」

「……やっぱりノリはあほだよ……」

「ん、それは認めるー」


 もう一度だけきゅっと握ったあと、ノリの手は離れた。すとんと膝の上に落ちた手にはまだ温もりが残っている。

 ノリは徐々に落ちていく陽を眺めながらぽつりとなにかを呟いた。聞き返そうと思ったが、頬杖をついて外を見つめるノリの横顔がなんだか悲しそうで、瑠依は出かかった言葉を飲み込んだ。



「で?」


 家へと送り届けられた瑠依は、なぜか自室で正座させられていた。

 仁王立ちの姉を見上げ、ため息を漏らす。


「門限は何時でしたか、瑠依さん」

「社会人にもなって、なんで門限なんか決められなきゃいけないの。しかもあたし、独り暮らしなんですけど」

「口答え?」


 ピクリと亜依のこめかみが動いた。ソファで悠々とコーヒーを啜っていた男がようやく口を開いた。


「でもさ、瑠依ちゃんが新しい人に目を向けられたことを喜んであげてもいいんじゃないかな」

「礼司は黙ってて」

「あ、そういえばお弁当、ありがとね。うまかったよ」

「礼司」

「はいはい」


 首をすくめた礼司――亜依の恋人である葛城礼司はふたたびカップを口に運んだ。悪魔と化した亜依に見慣れているのか、怯えることなく飄々としている。さすが、長年亜依と付き合っていることだけある、と瑠依はこっそり思った。

 ノリは、というと、瑠依の『部屋に電気がついている』と呟いた言葉に、『では、風穴を開けられに出頭しましょうか』と苦笑交じりで言った。ほんとうに車を降りようとしたノリをなんとか追い返し、ひとり帰宅したのだが、まさかこの年齢で30分も正座で説教を受けるとは思ってもいなかった。

 しかし瑠依に謝る気持ちなんて微塵もない。この姉が、謝罪の言葉くらいで終わるわけがないと知っているのも、姉妹ゆえ長い付き合いだからだ。


「あんた、あの男が好きなの?」

「そんなんじゃないってば……」

「アレのどこが好きなの?」

「しつこいなー……恋愛感情がなかったら男女で遊びに行っちゃいけないとでも?」

「崇宏くんはもういいの?」

「あのさ、お弁当にかかった食費、返してくれる?」

「礼司、帰るわよ」


 金銭の話になると勝てると踏んだ瑠依は正しかった。亜依はソファに置いてあったバッグを肩にかけ、なに食わぬ顔で玄関へと消えた。残された礼司は飲み終えたカップを置くと瑠依に向かって微笑む。


「ごめんね? あいつなりに瑠依ちゃんのこと心配してるだけだから」

「なんだかいつもすみません。お姉の気紛れに付き合わせちゃって」

「全然。でも残念だったなぁ。俺もペテン師に会ってみたかったのに」

「ペテン師?」

「詐欺師なら反対しようと思ったけど、ペテン師ならいいよね?」


 にっこりと微笑んだ礼司は、玄関から聞こえる声に急かされ、そのまま帰って行った。

 亜依も謎だが、瑠依にとってはまったくの他人である礼司の存在もまた謎である。何年経っても攻略できない。

 しばらく唖然としていた瑠依はややあってぽつりと呟いた。


「詐欺師とペテン師って同じじゃ……」


 まったくだ。


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