#25
崇宏が瑠依の前から消えて3年が経った。
瑠依は崇宏がいなくなって少し経ったころ、なぜか教授の推薦を受け、テレビ局へと就職することができた。
希望の広報局に配属され、必死にやってきたこともあり仕事は充実していたし、同僚と飲みに行くこともあったり、大学時代の友人と遊んだり、なにも不自由はない。
ただ、一度だけ参加した高校のクラス会で崇宏の話題が出たときはその場にいられず、急用を装って逃げ帰った。それ以来、高校時代の友人とはあえて連絡をとることをしなくなった。
今日はメディア推進局に在籍している同期の加藤さゆりに誘われ、待ち合わせとなる居酒屋へ向かっていた。
予約の旨を伝えると、すぐに個室へと案内された。
ふすまが店員の手によって開けられた瞬間、瑠依は自らそれを閉める。
大急ぎで出口へと逃げる瑠依の腕が、実にあっさりとさゆりに捕まった。瑠依は恨めしい表情でさゆりを見下ろす。
「いったいなんの真似なの」
「だからー。飲み会だってば。別にアレよ? 合コンとかじゃないから!」
「男の人が来てるなんて聞いてない」
「聞かれなかったもーん。いいじゃん、会費は安いし、たっぷり食べてたっぷり飲んで、さっさと帰ればいいのよ!」
「あんたって人は……私、こういうのイヤなんだけど」
「ホントにみんな昔からの飲み仲間だし、大丈夫だって」
さゆりはにっこりと微笑み、瑠依の手を引いた。
この友人はとても優秀である前に、瑠依の恩人でもある。群れを好まない瑠依がひとりどんどん輪から外れていくのを、いつもこうして引っ張ってくれていた。だから無下にできない部分もあったのだ。
しぶしぶ個室へと戻った瑠依は、あらかじめ用意されていた端の席に腰を下ろした。
さゆりが仲間内の飲み会だと言ったのは本当だったらしく、どうやら集まったメンバー内で面識のないのは瑠依だけだったようだ。
女性陣は意外にも瑠依が来たことをよろこび、食べてね飲んでねとあれこれもてなしてくれる。男性陣も気さくだ。瑠依はうまく愛想笑いで繋ぎながら、勧められるままビールを煽った。
飲み始めて1時間ほど経ったころだろうか。瑠依は自分の目の前に座る男から向けられる妙な視線に、なんとなく顔を上げた。
男はにっこりと微笑み、グラスを指差す。
「けっこう飲めるね?」
「まあ……」
「秋葉さん、だっけ? 瑠依。ちゃん?」
「は?」
思わず眉根にしわが寄る。
構わずその男は続けた。
「かわいい名前だねー、瑠依ちゃん」
「秋葉です」
「えー? いいじゃん、さゆりちゃんたちも瑠依ちゃんって呼んでるんでしょ?」
「秋葉です」
「瑠依ちゃん、彼氏いるー?」
「秋葉です」
「俺、立候補してもいーい?」
どうやら人の話を聞かない男のようだ。瑠依は害虫と判断し、今度は無視を決めこむ。だが、男はまったく気にしない様子でひとり話し続けた。
あまりにも延々と話しかけられ、瑠依は次第に面倒くさくなってきた。これでは合コンと同じではないかと不機嫌ゲージがみるみる上昇していく。
「ねーねー瑠依ちゃん、今までの彼氏ってどんな人ー?」
「さぁ?」
「カッコイイ?」
「さぁ?」
「カワイイ系?」
「さぁ?」
「あ、もしかして金持ち? インテリ系?」
「さぁ?」
「ねーどんな人だったの? 瑠依ちゃんの彼氏。あ、もしかして今、好きな人とかいるー?」
「しつこい! 好きな人も、好きだった人もいない!」
そう言い放ち、気がつくとぐっと胸を押さえていた。まだ消えていないたったひとりの存在が、瑠依を苦しめる。
俯いてしまった瑠依を見て、男は驚いた顔をした。が、ゆっくりと上がっていく口角に瑠依は気づいていない。
「るーいーちゃん」
仕事帰り、ビルを出た瞬間に声をかけられ、瑠依は立ち止まった。
じっと見上げ、しばし考える。
――よし。知らない人だ。
ふたたび歩き始めた瑠依の前に立ちふさがった男は、身体を折り曲げて顔を覗き込んでくる。
じろりと睨み上げると男はにっこりと笑った。
「えー。ちょっとショックだなー俺。もしかして忘れちゃった?」
「……どちら様ですか」
「先週会ったでしょー。居酒屋で。さゆりちゃんたちと」
言われてもう一度まじまじと顔を眺める。
軽薄そうな男だということしかわからない。煩かった男だと言われればそうだったような気もするし、違うような気もする。つまり、瑠依は顔を覚えていなかった。
「思い出した?」
「いえ、あまり」
「ひでぇー。瑠依ちゃんの彼氏候補じゃん。顔くらい覚えてよー」
「すみません。必要ないことは覚えないようにできているので」
では失礼、と瑠依は頭を下げ、駅に向かって歩きはじめる。
今の男が誰だったかはさっぱりわからないが、ひとつだけわかることがある。
瑠依は、この男が苦手だ。
少しでも気を抜くと、一番思い出したくない人物とかぶる。無邪気な顔でまっすぐ瑠依と向き合う男――。
脳裏に浮かんだその顔を全力で蹴散らし、瑠依は歩を速めた。
いったいなんの嫌がらせなのか、男は毎日のように瑠依の前に現れる。もうずいぶんと長い間追い回されている気がする。
瑠依は深いため息を落とし、笑顔を浮かべた男の前で立ち止まった。
「いいかげんにしてくれますか」
「なんでそんなに嫌うの? 俺、もしかして誰かに似てる?」
「そんなんじゃない。目障りなんですけど」
「やらしてとか言ってないんだけどなー」
「……私、あなたに会いたくない」
声が震えるのが自分でもわかった。
似ている。この男はすごく似ている。怖い。
声だけではなく、身体も震えた。
逃げなきゃ、と踵を返した瞬間、男は瑠依の腕を掴んだ。
笑っていない男の目がじっと瑠依を覗き込む。
「顔、青いよ。大丈夫?」
「放して……」
「わかった。じゃあ、放すよ? 逃げないでね?」
手首を掴んでいた男の手が、ゆっくりと放れ、男は1歩瑠依から距離をとる。
「瑠依ちゃん、コーヒー1杯だけ、付き合ってくれない?」
「嫌です」
「絶対にコーヒー1杯だけ。それ以上は引き止めない。おっけー?」
本当に嫌なのに。すごく嫌なのに。一瞬だけ視線を向けた瑠依は見てしまった。
男が決定的に似ているところを。
瑠依を見下ろす悲しそうな瞳。瑠依が一番悲しませたくないと思っていた男によく似た瞳が、瑠依を頷かせた。




