#18
高校最後の年――。
その日、ふたつのニュースが飛び込んできた。
ひとつ目は崇宏と瑠依の合格。
担任は涙を流して崇宏の合格を祝った。絶対に落ちるとあれほど断言したことなど、もうすっかり記憶にないようだ。もちろん、崇宏本人も覚えていない。
そしてもうひとつは、崇宏の写真がコンクールで最優秀賞を受賞したことだ。
たまたま目について送ってみた作品があれよあれよという間に選考を通り、ついには最優秀賞に辿り着いた。
瑠依とふたり、雑誌の発表ページを見ていた崇宏は、じわじわとわき上がってくる喜びを噛みしめたが、瑠依が硬直しているのを見て意識を保つ。
崇宏の視線を感じた瑠依はハッとして笑みを作る。
「すごいねー。おめでとう」
「ねー。びっくりしちゃったねー」
もう一度発表ページを見ようとした瑠依の前でぱたんとそれを閉じ、バッグにねじ込む。
そしてもう1冊バッグに入っていた雑誌を取り出し、広げた。
「瑠依ちゃん、一緒に旅行しない? 卒業旅行!」
「え……?」
「プレハネムーン? 合格祝い旅行? どっちでもいいー」
「じゃあ……お祝い旅行。合格と、受賞の」
「ん、じゃあハネムーンね!」
ぱらりとページを捲り、景色のよさそうな場所を探す。瑠依は相槌を打ちながらも心ここにあらずだ。
崇宏は今日まで真剣に将来のことを瑠依に話してこなかったことを悔いていた。
瑠依が崇宏に対して不安に思っていることを知っていたから言い出せなかったといえば聞こえはいいが、崇宏も不安だったのだ。
父親を見ていれば、いつか離れるときがくるとわかっている。そのとき瑠依が自分と付き合いを続けてくれるという自信がなかった。だから言い出せなかった。
旅行先はあとでゆっくり決めようと言われ、崇宏は微笑んで頷いた。
それから卒業式までの間、旅行の話も受賞の話題もなく過ごしていたが、卒業式が終わったあと、瑠依が崇宏を呼び止めた。
「旅行なんだけどね、沖縄がいいなって思って」
「いいねー。いつにする?」
「急だけど、3月20日がいい。2泊3日」
「ずいぶん具体的。なんでその日?」
「……副賞、23日でしょ?」
どくんと胸が鳴った。
真意を測ろうと崇宏は瑠依を見つめる。瑠依はにっこり笑った。その笑みはひどく寂しそうに見え、いっそう心が痛んだ。
「明日、旅行会社に行かない? 仮予約だけしておいたんだ」
「わかった。でも瑠依ちゃん、その日程なら俺、一緒に帰れないから、少しずらそう?」
「いいの。あたしが、見送りたいから。崇宏ががんばるところ、見送りたい」
瑠依は応援するという言葉が出せなかった。それに崇宏が気づいていることもわかっていたが、どうしてもその言葉が出てこない。
崇宏はわかったと言って微笑む。
その顔を見てさらに瑠依は苦悩する。好きな人が夢に向かって進もうとしているのに応援すらしてやれない心の狭い自分。強く押せば崇宏は従ってくれると知っていての提案。ひどく傷つけている自覚はあるが、瑠依には言えなかった。
崇宏も、瑠依の苦悩に気づいていながらも口には出せなかった。
ずっと一緒にいたいのだ。どんな道を進むにしても、隣には瑠依がいて、笑っていてほしい。けれど、それができないときがくるということがわからないほど子供ではなかった。
ふたりは互いに苦いものを抱えたまま、帰路に着いた。
3月20日。崇宏と瑠依は那覇空港に降り立った。
冬だとは思えない南国の風景は、少しだけテンションの下がっていたふたりもいつもの元気を取り戻すのに十分だった。
崇宏はさっそくカメラを構え、沖縄の空を切り取る。
予約していたツアーの時間までさほどないことに気づき、ふたりは急いで集合場所へと移動した。
まずは青の洞窟のシュノーケル。
水着の瑠依を見るのは初めての崇宏は照れ半分で冷やかし、がっつりと瑠依に怒られる。けれど瑠依の怒りもこの壮大な景色の前では持続せず、ふたりは手を取り合ってシュノーケリングを楽しんだ。水中カメラもレンタルして色鮮やかな魚やサンゴ礁を撮影する。
海から上がるとすぐにシャワーを浴び、ツアーガイドのバスに乗って美ら海水族館へと向かう。どうしても強行スケジュールになってしまうのは2泊しかできないからだ。
それでもひとり10万以上はかかるというのにここまで来れたのは、瑠依の姉のサークルで貢献したらしき収入と、どちらの両親も合格を心から祝い、それまでの努力を労ってくれた上にお祝いと称して旅費を出してくれたからこそのこと。ついこの間まで高校生だったふたりが不相応の旅に出られたのには、そんな経緯がある。
さっき海で見たような鮮やかな魚が優雅に泳ぐのを眺めながら、ふたりはよく笑った。心重いことなんかなかったかのような時間が過ぎていく。
思う存分堪能したふたりはホテルに帰り、遅い夕食をとった。
案内された部屋はバルコニーが海に面していて眺めがいいらしい。今はもう暗くて何も見えないが、太陽が昇れば圧巻なのだろう。
濡れた水着を軽く洗い、ハンガーにかけて吊るした瑠依は、バスタブに湯を張っているようだ。落ち着きなく動き回っているのは緊張しているのだろうかとこっそり思う。
崇宏は部屋に設備されている冷蔵庫の中を覗きこんだ。中にはサービスのミネラルウォーター以外、何も入っていない。瑠依に声をかけ、財布を持って部屋を出た。その瞬間、深いため息をついたことに気づき、唇を噛みしめる。
――無理なんかしていない。俺は瑠依が好きだ。
こんなに言いきかせたことなんか、今まで一度もなかった。好きだと思う気持ちはなにも変わらないのに、今ではそれさえも瑠依を傷つけているような気がしてならない。
もう一度深いため息を吐き、崇宏は背筋を伸ばし、歩を進める。
――俺たちは、大丈夫だ。今は少しだけずれてしまっただけだ。
部屋に戻ると、ちょうど湯が溜まったようで、バスルームから瑠依が出てきたところだった。両手に抱えたペットボトルを見て瑠依は噴き出す。
「どれだけ飲むつもりなの」
「なんか、どれがいいかなーって考えてたらわかんなくなっちゃって。瑠依、先に風呂入っていいよ」
「ん。じゃあ先に入るね」
崇宏の手から転がり落ちないようにペットボトルを慎重に引き抜いた瑠依は、冷蔵庫をあけてそれをしまっていく。すべて入れ終えると、バッグの中から着替えを取り出しそのままバスルームに向かった。
と、そこで足を止め振り返る。
「覗かないでね?」
「そんなことしないってば!」
久しぶりに見た小悪魔瑠依の笑みに崇宏はホッとしてそれに便乗した。
互いにそれで安堵したことはわかっていた。ギクシャクした空気を払しょくしたい気持ちも同じだということに心底安心する。
まだ、修復可能だ。
バスルームから聞こえる水音に耳を傾けながら、崇宏はベッドに身体を投げ出した。
大丈夫だ。修復なんてこれから何度でもできる。そう信じていた。
崇宏が風呂から出てくると、瑠依はベッドの上に座ってテレビを見ていた。
「おもしろい?」
「んーそこそこ。なにか見る?」
「いや、好きなの見ていいよ」
冷蔵庫からお茶のペットボトルを出し、キャップを捻る。ごくごくと半分ほど飲み干し、それを持ったままベッドへ向かう。
サイドテーブルにボトルを置き、少し迷ってから瑠依にずれるようジェスチャーする。瑠依はきょとんとしながらベッドの端へ身体をずらした。空いたスペースに身体を滑り込ませ、背後から瑠依を抱き寄せて足の間に納める。
「瑠依ちゃんぎゅーするの久しぶりー」
「崇宏にぎゅーされるの久しぶりー」
瑠依は小さく笑って崇宏の身体に寄りかかった。
そのまま顔を上げて崇宏の髪に触れる。
「また乾かしてないし」
「ぎゅーの時間、大事ですからね!」
額に唇を落とすと瑠依はくすぐったそうに笑う。
本当に久しぶりの甘い時間。瑠依は手を伸ばしてベッドの端にあったリモコンを取り、テレビを消した。
「瑠依ちゃん、合格おめでとう」
「崇宏も、おめでとう」
「受かると思わなかったよねー」
「がんばったもん、崇宏。偉かったねー」
「瑠依のためならなんでもできちゃうように遺伝子に組み込まれてんの。証明できたでしょ?」
「うん、偉かったねー」
瑠依はよしよしと崇宏の頭を撫でた。崇宏も瑠依の頭を撫でる。
最初はやさしく撫であっていたはずのに――なぜかそれがヒートアップしてきた。
「ちょっと瑠依ちゃん! 髪、ぐちゃぐちゃになったでしょー!」
「崇宏がやめないからでしょ!?」
「瑠依ちゃんがやめないから止まらないんだってば!」
「あんたが先にやめなさいよっ!」
背後から抱きしめていたはずが、ベッドの上でもみ合いになっている。
崇宏は瑠依の両手を掴み、ベッドに縫いとめた。
「へへー。俺の勝ちー」
「……卑怯だ!」
なんとか抜け出そうと身を捩る瑠依をさらに抑えつけ、崇宏はふふんと笑った。
「一応男の子なんでねー。瑠依ちゃん押さえつけるくらいできちゃうんですよーだ」
「悔しい……崇宏のくせに!」
「んーと、なんかいい角度なのでいただいてしまっていいでしょうかー?」
「あんたのそういうところ、ホント嫌い」
照れ隠しの憎まれ口は崇宏の口角を上げただけでそのまま塞がれた。
薄く開いた唇に舌を滑り込ませゆっくり絡めると戸惑いがちにそれに応える。味わうように咥内を撫で、舌を誘い出して吸いつく。瑠依の喉がコクンと動いた。
ゆっくりと唇を離すと瑠依はまっすぐ崇宏を見上げた。微笑んだ崇宏に安心したのか、瑠依もほんの少しだけ笑みを浮かべる。
もう一度唇を重ね、崇宏の手のひらはそっと瑠依の腰を撫でた。安心させるように撫でていた手のひらが少しずつ上へ移動し、瑠依のささやかな胸を包む。と、そこで止まった。
「あれ、瑠依ちゃん、胸成長した?」
「成長期ですから……ってあんた、なんで知ってるの!?」
「瑠依が俺の前で寝るから悪いと思うです!」
振り上げた瑠依の手を掴み、崇宏は笑う。
本当はそんな悪戯はしていない。瑠依の緊張を巧みに感じ取った崇宏のリップサービスだったなんてことは、瑠依は気づかない。文句を言おうとした唇をやさしく塞いだ。




