#15
瑠依の予想どおり、ゆかたの出番は唐突にやってきた。
去年の夏、まだ崇宏と付き合っていないときに一度だけ行った夏祭りに誘われたのだ。
部屋でひとり、着ていくべきかどうしようかとゆかたをじっと見つめていた瑠依は、予期せぬタイミングで聞こえたノックの音に驚いて顔をあげた。
「瑠依、アイス食べる? って、今日からお祭りだっけ。ゆかたの出番じゃないの」
「うん……」
「メイク、してあげようか?」
瑠依の返事を待たずに、亜依は食べかけのアイスを口に入れたまま自分の部屋へ戻り、メイクボックスと紙袋を持ってきた。
食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に放り投げ、Tシャツを脱がせた瑠依を鏡の前に座らせると鼻歌交じりで髪を梳かす。
「崇宏くんの好みってどんなの?」
「知らない……。今まで付き合ってた子もみんなタイプが違うし……」
「でもあの子、色っぽい子はそんなに好きじゃないみたいね」
「え、なんで?」
「なんとなく」
含み笑いをしながらサイドで髪を結い、紙袋の中から髪留めをいくつか取り出すと、結び目にあてて鏡を覗き込む。何度もそれを繰り返し、ようやく満足したのか、桔梗のゆかたによく合う白百合の花飾りをあしらった。
続いて化粧っ気のない瑠依の顔に下地を薄くのばし、ファンデーションをのせる。瞼にはピンクパールのアイシャドウを薄くなじませ、瑠依の戸惑いなんか気づかない様子でどんどんメイクが進んでいく。
最後にピンクオレンジのティントを唇にのせ、あっという間にすべて終わらせた亜依は満足げに微笑んだ。
「ピンクとかオレンジとか、あたし、似合わないんだけど……」
「瑠依はあたしに似てるんだからかわいいの。今日も崇宏くん、迎えに来るの?」
「うん……17時って言ってた」
「じゃあそろそろ着替えたほうがいいんじゃない?」
部屋から出ていく様子のない亜依に背を向け、瑠依は緊張した面持ちでゆかたに袖をとおした。あれから何度も練習したおかげで、ぎこちないなりにもしっかりと着付けていく。最後に帯を回して全体を鏡でチェックした瑠依は、亜依に向き直る。
「どう?」
「うん、上手になったじゃない。かわいいよ、瑠依」
「ありがと……」
「崇宏くん、よろこぶといいねー」
「実は崇宏、あたしがゆかた買ったこと知らないんだ……ねぇ、変じゃないかな」
「大丈夫。いつもかわいいけど、今の瑠依はもっとかわいい」
亜依はぽんっとひとつ、肩を叩く。ほんの少しだけ安心したように笑う瑠依に笑みを向け、持ち込んだ私物を手にドアを開けた。
「瑠依が少しでもやだなって思うなら、それ、脱がないで帰っておいで」
「うん……」
「そんなことで別れを切り出す男なんて、あんたには必要ない」
「崇宏は……大丈夫だと思う……」
「無理やりやられそうになったら、骨のひとつでも折ってやりな」
ニヤリと笑った亜依は悪魔そのもの。遺伝子とは恐ろしいことに、瑠依はホッとしたように笑みを返した。
それから30分ほどして崇宏が迎えに来た。
ゆかた姿の瑠依は恥ずかしくてなかなか顔を上げられずにいる。
永遠とも思える沈黙のあと、いきなり抱きしめられた瑠依は驚きのあまり声が出ない。
「瑠依ちゃん、かわいいっ!!!」
「えっと……」
「なんなのもう瑠依ちゃんかわいすぎて死んじゃうっ!!」
「ありがとう……」
「やだもー瑠依ちゃんどうしようかわいいどうしようっ!!」
「ちょ……崇宏、苦しいってば」
想像を超えるよろこびっぷりに、照れよりも先にどうしたらいいのかわからなくなる。
玄関先でぎゅうぎゅうと抱きしめられていた瑠依の横を、スリッパがものすごい勢いで飛んでいった。
「彼女の家の玄関で盛るのやめなさいよ」
「亜依さん、こんにちは。瑠依ちゃん、いただきます」
「泣かせたら命はないと思いなさいよ?」
背筋が凍りそうな不敵な笑みを浮かべ、飲み物を片手に階段をのぼっていく亜依を見送り、ようやく崇宏は抱きしめる腕を弱めた。
「瑠依ちゃん、ゆかた、買ったの?」
「あんたがゆかたってうるさいから……」
「しつこく言っておいてよかった!! 過去の俺、グッジョブ! ありがとう、瑠依ちゃん!」
両手をがっしりと握り、崇宏は満面の笑みで瑠依の顔を覗き込んだ。
よろこんでもらえて瑠依はホッとする。顔を見合わせ小さく笑ったふたりは、手を繋いで祭りへと向かった。
毎年かわり映えしない夏祭りも、今年はなんだか色鮮やかに見える。人ごみに疲れて通路から少し離れた場所へ腰を下ろした瑠依は、巾着の中に入れてあったデジカメを取り出した。崇宏は不満げに瑠依を見下ろす。
「ねえ、なんで瑠依だけカメラ持ってきてるの……」
「え、崇宏、持ってきてないの? 珍しい」
「カメラばっかりだとふられるって言われたんだもん……」
「じゃあ、これで撮る?」
「いい……フィルムで撮りたい……」
しゅんと肩を落とすのを見て瑠依は苦笑いを浮かべ、巾着の中にカメラを戻した。
励ましてやろうといちご飴とキウイ飴を買いに行き、いちごのほうを崇宏の口に入れる。もぐ、と口を動かした崇宏は小さく笑った。
「子どもじゃないんだから」
「おとなしい崇宏ってなんか変だもん」
「でもいちご飴、おいしい。食べる?」
瑠依は少し考えて頷く。口元に運ばれたいちご飴は、かじるとすっぱい。想像してなかった味に思わず顔をしかめる。
口の端についた飴のべたつきを指先で拭おうとした瞬間、その手が掴まれ崇宏の顔が近づいてきた。ぺろりと舌が口の端を撫でる。反射的に唇が薄く開く。
「えーと。瑠依ちゃん、今はダメだと思います」
「え?」
「がっつりちゅーしちゃったら、俺、襲うよ?」
「ゆ、優秀な理性たちは!?」
「お留守のようです」
困った顔をした崇宏が、でもやっぱり、と言いながらふたたび唇に近づいてくる。
ぎゅっと目を閉じたその瞬間。
「あー! 崇宏じゃん!」
能天気な声が鼓膜を直撃した。一瞬でふたりは素早く離れる。
声がしたほうを見ると、洋介が数人のクラスメートとともにふたりの元へとやってくる。小さくため息をついた崇宏は項垂れた。
「ルイ様、ゆかたかわいいねー。って、崇宏、どうした?」
「…………」
「え? なんて?」
「……死ね」
「えぇっ!?」
「……おまえら全員、神の元へ旅立て」
「なんでっ!?」
「邪魔だからに決まってんだろ!? 状況、よく見ろよ! 完全に邪魔だろおまえらっ!」
「ま、まぁまぁ……。篠原たちも来てたんだ?」
とりなすように崇宏を引っ張り寄せた瑠依は苦笑いで洋介たちを見上げる。
邪魔だと言われてショックを受けていた洋介もようやく我に返り、引きつった笑みを浮かべた。けれど、次に発した言葉に今度は瑠依が引きつった。そしておずおずと崇宏を見上げる。
「花火、特等席を確保したんだよね。遠慮しないでルイ様もおいでよ」
「う、うん、ありがと……」
「じゃあさっそく行こうぜ。崇宏、腹減って機嫌悪いんだろ? あっちに食い物も買ってあるし」
まったくもって空気の読めていない発言ではあるが、親切で誘ったのであろう洋介の言葉に瑠依は曖昧に頷くことしかできない。
崇宏は諦めたように立ち上がると、瑠依の手を握り彼らの後ろを渋々ついていく。
「……ごめんね、瑠依ちゃん……」
「えっ!?」
「俺が早くあいつを仕留めておかなかったばっかりに……」
「や……でも、ほら。みんなで花火見るのもきっと楽しいよっ!」
「ふたりでイチャイチャしてたほうが100万倍楽しかったけどね……」
こうして、健全なお付き合いは続行することとなった。ことあるごとに邪魔が入るのは、きっとそういう星のもとにあるのだろう。
その後、『俺と瑠依がふたりでいるときは、絶対に近寄るな』と無表情で詰め寄られた洋介は、こっそり涙を拭う。
計10名ほどで打ち上げ花火を楽しむ中、洋介だけはシートの隅で膝を抱え震えていたのは言うまでもない。




