#11
授業が終わり、委員会がある瑠依とは一緒に帰れない崇宏は、しょんぼりしながら玄関に向かった。
滝のように降り注ぐ校舎の外を見て、一度教室に戻る。自分のロッカーに置いたままになっているビニール傘を手にふたたび玄関へ戻り、靴を履きかえようとしたところで立ち止まる。
今朝、瑠依が傘を持っていなかったことを思い出したのだ。
脱ぎかけた上靴に足を戻し、瑠依が降りてくるはずの階段を正面にして床に腰を下ろす。
雨脚はいかがなものかと玄関の向こうを覗き見る。小雨なら瑠依の靴箱に傘を引っかけて帰ろうという選択もできたが、相変わらず外は滝壺のようになっているため、さすがの崇宏もその選択肢は即、却下した。
何人もの生徒たちが軒下で戸惑っているのを横目で見やって、階段近くに腰をおろし、借りたばかりのマンガを開いて読み始めた。
かれこれ1時間ぐらい経っただろうか。もう一度外を見たが、いまだ校舎の外はどしゃぶり。
崇宏は両手を上げて身体を伸ばし、ちらりと軒下へ視線を移した。
さっきからずっと同じ場所に立ち尽くしている女子がいる。
あのとき自分が帰っていたら、瑠依もああして立ち尽くしていたのだろうと思うと、珍しく気が利いていたのでは? ナイス、俺! と思ったところでようやく瑠依が玄関へと下りてきた。
崇宏の姿を見つけると瑠依は笑みを浮かべる。
「まだいたの?」
「だって雨降ってるんだもん。瑠依ちゃん、傘なかったら困るでしょー」
「折り畳み傘持ってきてるって言っておけばよかったね。けっこう待ったでしょう?」
「マンガ借りてたの思い出したから退屈じゃなかったよ。瑠依、もう帰れる?」
微笑んで頷くのを見て、崇宏は弾みをつけて立ち上がった。
「崇宏も傘、持ってきてたんだ?」
「置き傘」
「よかった。あんたがどしゃ降りの中、馬鹿みたいにはしゃいで帰ってるところ、想像してたんだ」
「さすがにそこまで幼稚じゃないと思いたい」
瑠依はバッグの中から傘を取り出して小さく笑う。
靴を履き替え外に出ても、やはり雨脚は弱まっていない。瑠依が傘を広げたところで、崇宏はビニール傘を軽く持ち上げた。
「瑠依ちゃん」
「ん?」
「相合傘しようか」
「は? あんた、その手に持ってるのはなんなの」
「傘。さっきからね、あそこでずっと立ってるの、あの子。きっと傘なくて困ってるんだよ」
「なるほど、そういうことか。じゃあ貸してあげよう」
崇宏は空を見上げたまま動かない女子に声をかけようと一歩進む。その瞬間、瑠依の手が引き止めその子へ声をかけた。
「傘、貸そうか? こっち、2本あるの。あたしたち、家が近所だし1本あれば平気だから、よかったらどうぞ」
声をかけられた女の子は驚いたように瑠依と崇宏を交互に見上げ、頬を赤らめて頷いた。
崇宏のビニール傘ではなく、瑠依の折りたたみ傘が手渡され、女の子は礼を口にすると校舎から離れていった。
「なんで瑠依の傘?」
「かわいい子だったから」
「は?」
「ビニール傘じゃ恥ずかしいかなと思って」
「ふーん」
納得しながらビニール傘を広げると瑠依はすすっと寄ってきた。
「……お邪魔します」
「狭いですがどうぞ」
傘を傾け歩きはじめる。瑠依は校門を出たあたりでちらりと不満げな顔で崇宏を見上げた。雨が肩にかかっているという文句の視線かと思った崇宏は大きく瑠依のほうに傘を傾ける。それを押し戻しながら瑠依はやはり不満げに崇宏を見上げた。
「どしたの、瑠依ちゃん」
「あんたさー……」
「ん?」
「すっとぼけてる?」
「え、なにを?」
きょとんと首を傾げる崇宏から視線を逸らすと瑠依は小さくため息をついた。
「えーちょっと瑠依ちゃん、なに? 気になるんだけど」
「ホントに気づいてないならいい」
「なにが? もー瑠依ちゃん、意地悪しないでちゃんと言ってよ」
「……1組の飛田さんだよ、今の」
「そうなの? それがどうしたの?」
「もういい!」
ぷいっとそっぽ向いた瑠依にますます首をひねる崇宏は、本人も認める馬鹿である。いつもならそこで話は終了なのだが、崇宏は瑠依の耳が赤いのを見てもう一度首をひねった。
崇宏に与えられた情報源は、“とぼけているのか?”と“1組の飛田さん”と“瑠依の耳が赤い”のみっつ。崇宏は小さな脳をフル回転させて考える。
もうすぐ瑠依の家に着くところで、ようやく思い出した。
「思い出した。ラブレターの子だ」
「…………」
「いや、でもさー。けっこう前だよ? あのあと別に話してもいないし」
「……もういいって言ったでしょ?」
「やだなー瑠依ちゃん、ヤキモチやいちゃったの? かわいいー!」
傘を持ったままむぎゅっと瑠依を抱きしめる。そっと腕の中を見ると瑠依はさっきより不満そうに崇宏を見上げただけで怒っている様子はない。
「別にヤキモチじゃないし。放して」
「瑠依ちゃんがかわいいから悪い。心配しなくても俺、瑠依ちゃん一筋!」
「……あんた、そうやって人をからかうのやめなさいよね」
無理やり腕の中から抜け出した瑠依は崇宏のおなかに拳をあてた。
ふくれっ面の顔は赤いが、それには触れない。これ以上からかうとどうなるか、崇宏自身が一番よくわかっている。今、みぞおちにある拳には力は加えられていないが、追及した瞬間にめり込むに違いない。穴が開くかもしれない。
けれど、崇宏は残念ながら馬鹿である。もう少し瑠依の特性を知り、考慮すべきだった。
調子にのった崇宏は瑠依の肩に触れた。
見上げた瑠依の唇に近づく。
ゴッ。
どんどん強くなる雨音の中、鈍い音が響いた。
傘が濡れたアスファルトに転がり、おなかを抱えた崇宏が蹲って悶絶している。
「瑠依ちゃ……拒絶するなら顔背けるとか、イヤって言うとかなんかいろいろ方法はあると思うんだよね、ボク……」
「ああ、なるほど」
瑠依は素直に頷く。
「ちゅーぐらいいいでしょー……ほっぺにちゅーぐらいいいでしょー」
「今、絶対ほっぺじゃなかった。だいたいあんた、最近調子に乗りすぎ」
「なんでー? こんなに瑠依ちゃんのこと好きなのに……なにも殴ることないでしょー」
「生きててよかったって、思わない?」
「……思います。慈悲をありがとう……」
「どういたしまして。ほら、立って。もーあんたが傘落とすから濡れちゃったじゃないの」
転がった傘を拾い上げ、瑠依は崇宏へと傘をかざした。涙目で瑠依を見上げる崇宏は立ち上がらない。
「崇宏?」
「……瑠依ちゃん、手」
言われるまま手を差し出すと崇宏は瑠依の手をぎゅっと握った。
そのまま立ち上がり、瑠依の手から傘を抜き取る。何事もなかったかのように歩きだされ、瑠依は繋いだ手を軽く引っぱった。
「打ちどころ、悪かった?」
「大丈夫。さすがの俺も、鳩尾に脳はないから」
「だよね」
「ねー瑠依ちゃん」
「ん?」
「キスしようと思ったのは悪かったけどさー。どうして手を繋ぐのは平気?」
崇宏は常々、それが不思議でならなかった。手を繋いで歩くのも、ハグするのも、瑠依は拒まない。毎日一緒にいて、毎日するそれらは良くて、なぜキスはダメなのかと、殴られたあとはそればかり考えていた。
しばらく考えていた瑠依は、ややあって思案顔のまま崇宏を見上げる。
「なんでだろうね?」
答えになっていない。
崇宏も思案顔で瑠依を見下ろす。そしておもむろに抱き寄せた。
「ほら、怒らない」
「……ホントだね?」
「でも、こうすると怒る」
肩を掴み唇に近づく。殴られる。
崇宏は本当に馬鹿なのだろうか。
ふたたび蹲った崇宏の手を掴み立ち上がらせた瑠依はますます首をひねった。
「なんでだろう?」
「……今の流れからしてさ? 殴られるのわかっててキスするわけないでしょう?」
「あんたはすぐ調子に乗るからね」
「そうですね……」
たしかに今、崇宏は瑠依が拒まなかったらキスするつもりでいた。だまし討ちのようだがたしかにそのつもりでいた。完全に見透かされている。
しばらく考え込んでいた瑠依は、ふと、ひとつの出来事を思い出した。
そしてごまかすように笑い、崇宏のおなかをそっと撫でる。一応、やりすぎたとは思っているらしいが、その行為で崇宏はピンときた。
「瑠依ちゃん、もしかしてセンパイと付き合ってたとき、なんかあった?」
「な、なんでっ!?」
「やっぱり……センパイのことも殴ったの?」
「まさか!!」
瑠依は慌てて否定する。急に不機嫌になった崇宏は小さくため息をついた。
「あんまり聞きたくないけど、参考までに聞いておく……瑠依ちゃん、センパイとキスした?」
「……してない」
「ん。わかった」
崇宏は馬鹿だが、想像してみる。
あのセンパイが手を出さないわけがない。そのへんは自分とよく似ていると崇宏は思う。
おおかた、瑠依に迫って拒否されて、別れることにしたのだろう。そしてそのことは瑠依も気づいていて、傷ついた。
崇宏はこっそり冷や汗を拭う。調子に乗ってしまったばっかりに、危うく本当に瑠依との間に壁を作られるところだったと気づいたのだ。
「瑠依ちゃん、ごめんね? もうしない」
たぶん、と心の中で続ける。
絶対にしないとは言い切れないところが情けない。けれど、瑠依が離れていくことを考えれば、その場の欲求くらいはまだなんとかできる。
崇宏は馬鹿だ。
馬鹿みたいに純粋に、ただただ瑠依のことが好きだった。




