50 公爵令嬢の帰還
天空の城を後にしてからは、移動もスムーズだった。
無事レグルス王国の王都近郊まで移動してから、街中で補給をして、アグスティア公爵領に向かう。
何度も馬車で移動した街道の遥か上空を、懐かしい気持ちで飛んだ。
田園風景の上を飛んでいると、やがて遠くに城の姿が見えてくる。
「そろそろね」
アグスティア公爵領の中央都市の近くに来てからは、空飛ぶ絨毯から降りて徒歩で移動する。
門では冒険者カードで身分確認をしてもらう。
そしてアンリエッタはまっすぐに城に向かった。
城門の前では、槍を携えた門番たちが厳重に立ちはだかっていた。
「公爵様の依頼により、馳せ参じました」
アンリエッタは進み出て、簡潔に名乗った。
門番たちは訝しげに顔を見合わせたが、その中の一人が彼女の顔をまじまじと見つめ、息を呑む。まるで、幽霊を見るような目で。
「あ、あなたは、もしや……」
――アンリエッタのことを覚えているらしい。
ならば、隠す必要はない。
アンリエッタは胸を張り、堂々と言った。
「執事長のルドルフを呼びなさい」
門番はしばし絶句したのち、慌てて背を向け、城館へと駆けていく。
――父であるジグフリード・アグスティア公爵はまだこの地に帰ってきていない。
つまり、令嬢アンリエッタが生きていたと知るものは、この地にはいない。いたとしてもごく一部だろう。
門の内側で待っていると、しばらくして老執事が姿を現す。
銀髪に整えられた口髭、深い皺の刻まれた顔。物静かな初老の男――ルドルフが。
「……っ、ま、まさか……」
ルドルフはその場に跪き、頭を垂れ、肩を震わせながら涙ぐんだ。
「アンリエッタ、お嬢様……!? 本当に……ご無事だったのですか……!」
アンリエッタはゆっくりと近づき、微笑を浮かべて応える。
「ええ、ただいま。ルドルフ。苦労を掛けたわね」
「お嬢様……もったいないお言葉です……」
その時、城の中から若い女性が駆け出してくる。
目が合って、アンリエッタはにこやかに笑った。
「――セラ。久しぶりね。元気にしていたかしら」
セラは目を大きく見開き、まるで幻でも見ているかのようにアンリエッタを見つめた。
「お、お嬢様ああああああああっっ!!」
叫ぶや否や、号泣しながら飛びついてくる。
「本当に……本当に、生きておられたのですね……!」
「ええ、こうして戻ってきたわ。心配をかけてしまって、ごめんなさいね」
アンリエッタが静かに頭を撫でると、それが合図であったかのように、奥から次々と使用人たちが駆けてくる。
彼らの瞳は驚きと戸惑い、そして喜びに彩られていた。
――亡き者とされた主君の娘が、いまここに帰還したのだ。
(わたくしの帰還……喜ばない人間がいるはずがないものね)
そんな中、老執事ルドルフが一歩前に出る。
そして、アンリエッタの隣に控えているダリオンに目を向けた。
「……ところで、お嬢様……そちらの御仁は?」
問われ、アンリエッタは微笑んだ。
「ダリオン・ヴァルフォード。わたくしの従者で……大切な人よ」
一瞬、場が凍りついた。
そして、ざわめきが起こる。
「そ、それはまた……どちらの家の御方ですか?」
「冒険者よ。どこの家のものでも、特定の組織の所属でもない……つまり、わたくしのものね」
使用人たちのざわめきは、ますます大きくなった。
どこの誰でもない冒険者を、公爵家の嫡子が連れている。大切な人だと言い切っているのだから、使用人たちも動揺するだろう。
アンリエッタはくすりと笑った。
「ふふっ、ダリオンの実力は、実際に見てもらうのが一番早いわね」
この男の規格外さは、実際に見てもらうのが一番だ。
彼の真価は恵まれた体躯でも、顔立ちでも、雰囲気でもない。
――それにしてもこの男、まったく浮足立っている様子がない。むしろここにいるのが当然のような佇まいだ。
「手の空いている騎士たちを呼んできなさい。ダリオン、手合わせしてあげて。あなたの実力がよくわかる程度にね」
「――わかった」
そうしてほどなく、騎士たちが集まってくる。全員が困惑していた。
壮年の騎士長は特に。
「お嬢様、ご命令とあらば戦いますが……ですが、何故このような……」
「あら、我が家の騎士団ともあろう者が、手合わせひとつで騒ぐなんて」
アンリエッタは唇をつり上げて、さらりと言う。
「わたくし、あなたたちの実力を見てみたいのよ――」
そうして広い場所で騎士たちとダリオンが対峙する。
最初に出てきたのは、まだ若い騎士だった。アンリエッタにいいところを見せようとしているのか、やたらこちらを気にしていた。
対するダリオンは、いつも通り静かなものだ。相手が剣を抜いても、まだ鞘に収めたままだ。
「――始めて」
アンリエッタの言葉で若い騎士が動き出した、次の瞬間――。
「…………ッ?!」
剣が鳴った。若き騎士の手から剣が飛び、地面に突き刺さった。
そして騎士も足がもつれて膝をつく。その間、わずか三秒。
場が静まり返り、今度は経験豊富なベテラン騎士が前に出た。
真剣な眼差し。長年鍛えた技と勘――しかし、踏み込んだ瞬間、金縛りにあったように動きが止まった。まるで、動く前からすべての動きを封じられているかのように。
次の瞬間、ダリオンに足を払われ、音もなく倒れる。剣を振る間もなかった。
再び沈黙が落ちる。
「さあ、次は誰――?」
アンリエッタが声を上げると、騎士長自らが剣を抜いた。
――三戦目。今度はダリオンも最初から剣を構える。剣先を相手に向けたまま身体を斜めにして――おそらく、相手の距離感を鈍らせている。
次の瞬間、刃と刃が交錯し、火花が散る。速く、重く、鋭い剣。
だが、当たらない。
しばらくして、騎士長が地に膝をつき、肩を震わせた。
「……完敗です」
騎士長が敗北を認めた時、場は静まり返った。
使用人たちは唖然とし、騎士たちは顔を見合わせ、ただ茫然と立ち尽くしている。
そんな中、アンリエッタは一歩前に出た。
「――まだよ。ここにいる騎士全員でかかりなさい」
空気が凍りつく。執事長ルドルフがおずおずと口を開いた。
「お、お嬢様……それはあまりにも……」
「わたくしの騎士たちは、この程度で満足するのかしら? わたくしは、実力が見たいのよ」
騎士たちが背筋を伸ばすのを見て、アンリエッタは微笑んだ。
昔は騎士があんなに怖かったのに、長年戦も経験しておらず、モンスターとも戦っていない彼らのことは、むしろ可愛く見える。
「ダリオン。全員を相手してあげて」
「……君が命じるなら」
ダリオンの青い瞳が静かに細められた。
次の瞬間、騎士たち十数名が一斉に武器を構え、円を描くようにダリオンを取り囲む。だが――。
その誰もが、踏み出せない。
視線ひとつで圧をかけられているのだ。
「どうしたの? あなたたちは、公爵家を守る騎士ではなかったの?」
アンリエッタが檄を飛ばすと、騎士たちは吠えるように突撃した。
刃が交差し、槍が閃き、怒号と風が渦巻く――
だが、届かない。
一人、また一人と地に伏していく。
誰一人、ダリオンの身体に触れることすらできない。そして数分後には全員が剣を落とし、地に這いつくばっていた。
ダリオンは息一つ乱れておらず、泥もついていない。
「――これで、彼を侮る者はいなくなったわね」
アンリエッタは周囲の様子を見る。騎士たちは各々の武器を手にしながら、敗北の余韻を噛み締めていた。
「――忙しくなるわね、ダリオン」
「……どういう意味だろうか」
眉をひそめるダリオンに、アンリエッタはにっこりと笑いかける。
「騎士団の指南役、お願いね。あなたにしか務まらないわ」
周囲の空気が一瞬止まる。執事長のルドルフが額に汗を浮かべた。
「お、お嬢様――さすがに、これは……」
「わたくしたちは、アグスティア領の防衛強化をお父様に依頼されているの。騎士団の強化もその一環よ」
本当なら部外者が騎士団を鍛え直すなんて、許されるはずがない。
だがアンリエッタは公爵の娘。そして依頼を受けた冒険者でもある。
誰に何を言われようと、依頼を完遂するだけだ。
「……君がそう言うなら、断る理由はない。だが、私のやり方は手厳しいぞ?」
「ふふっ、当然でしょうね。甘やかしても強くはならないもの。よろしく頼むわね、わたくしの騎士」
「心得た」
アンリエッタは満足して微笑み、公爵家の騎士と使用人たちの姿を見ていった。
「――わたくしが生きて帰ってきたことはくれぐれも内密にね。命令よ」
誰もが頭を垂れる中、アンリエッタはダリオンと並んで城の中へと歩み出した。





