31 アゾット
ぽよんぽよんと、アンリエッタの足元でスライムが呑気に跳ねている。
「なぁに? ポーションの匂いでもするのかしら」
アンリエッタが視線を向けると、今度はぷるぷると横に震える。
「ふふっ、なんだか可愛いわね」
「スライムが、かわいい?」
正気を疑うような目を向けてくる。
「可愛いじゃない。それに、もしかしたら使えるかも」
アンリエッタは改めてスライムが詰まっていた部屋の様子を見る。
スライムの分解能力のせいか、汚れはほとんど見当たらない。
アンリエッタは微笑んで、スライムに囁くように言う。
「あなた。わたくしの眷属になる? ポーションぐらいいつでも与えてあげるわよ」
スライムはアンリエッタの言葉を理解しているのか、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。
「ふふ、素直でよろしい」
まさか人語が通じているわけではないだろうが、とても興味深い。
「……スライムを飼うつもりか?」
「ええ。可愛いじゃない」
「……君の美的感覚には驚嘆を禁じ得ない」
「名前を付けてあげないと……スライムだから、スラ? ライム? イム……?」
その瞬間、スライムがピクンと反応したように見えた。
「よし、いまこの瞬間からあなたはイムよ! いえ……プニとかスラリオンとかスベスベマフィンの方がいいかしら?」
「……イムがシンプルでいいんじゃないか」
「そうよね?」
アンリエッタはポーションを一本取り出し、スライムの上からかけた。
ポーションはみるみるスライムの中に浸透し、スライムの色つや輝きが良くなっていく。
びりびりっとスライムの身体が発光し、アンリエッタの所有印が刻まれる。
これでスライムはアンリエッタの眷属となった。
「これからよろしくね。さあ、これで調査は完了ね」
「……色々と言いたいことはあるが、君がいいならいいだろう」
「あとは掃除だったかしら」
「ああ。一日では終わりそうにない。数日かけて行うとしよう。まずは窓を全部開けて埃を払い――いや、ゴミを捨てるのが先か」
掃除計画を立てるダリオンを見て、アンリエッタは心から感心した。
「ダリオン、あなたって、すっごく真面目なのね」
「仕事として請け負ったなら、責任をもってやり遂げるのが当然だろう」
「ええ、責任をもってやり遂げるわよ?」
【錬金術の極意】
――サブスキル発動――
【即興レシピ】【精密加工】【逆行変化】
「ハウスクリーニング」
屋敷全体に錬金術の力を走らせる。
スライムを倒したときにマナが広がったので、こうして高度なこともできる。
まるで時間を遡るかのように、老朽化していた部分が次々と新築の状態に変わっていく。
汚れは消えて、劣化は元に戻る。とても緻密に、精密に。
部屋中に良い木の香りが漂った。
「ふふっ、この家全体を錬金物にしてしまったわ。これで依頼完了ね」
「……反則的過ぎる……」
「仕事で大事なのは工程ではないでしょう? 結果が一番」
アンリエッタは明るく言い切る。
そのような教育を受けてきた。努力に意味はない。結果がすべてと。
「さて。思ったより早く終わったわね。んー……ちょうどいいかもしれないわ」
「……今度は何をするつもりだ」
ダリオンが不安げに聞いてくる。
「ちょっとした錬成よ」
元研究室は新築のように綺麗になっている。家具や器材もだ。床にも散乱しているが、壊れたものは後で『分解』する。壊れていないものはまとめておいて、処分は家主に判断してもらおう。
もし錬成にして部屋を少々破損させてしまっても、また直せばいい。
「――アンリエッタ、この家の権利は家主にある。勝手なことはするな」
「わかっているわ。借りる前に、ちょっと試してみるだけ。もし家を壊したら丸ごと買い上げるわ」
「そういう問題では――」
「ダリオンは片づけをしておいて。そうね、本を適当に本棚に入れるか、まとめておいて。壊れているものはあとでわたくしが『分解』してしまうから、放っておいてくれればいいわ」
「――アンリエッタ」
「命令よ」
――ダリオンはアンリエッタの命令に逆らうことはできない。
ぐっと歯噛みしつつも、部屋を出ていく。
「……無茶なことだけはするな」
「わかっているわ。心配してくれてありがとう」
ダリオンの背中を見送って、ほっと一息つく。
(さすがに、この素材は引かれそうだものね)
どうしてアンリエッタが持っているのかとか。
それを素材にするつもりかとか。
いろいろ言われそうなので、見せないのが一番いい。
そうしてアンリエッタは、『錬金術師の部屋』から魔女アルティナの身体を取り出した。
それを作業台の上に横たえる。
(なんて美しくて素晴らしい構成……さすが前世のわたくし、天才すぎるわ)
うっとりと眺める。
(でもこれは、美しすぎるだけね)
美しいのは美しい。だがわくわくしない。
そこにあるのはただの人の形。不老なだけの肉体。
(それにしても不思議な気分ね)
前世の身体と向き合うというのは。
前世とはいえ別の人間だ。
アンリエッタはアンリエッタで、アルティナはアルティナ。
記憶を引き継いだと言えど、魂が同じだったとしても、アンリエッタは17歳までアンリエッタとして生きてきた。
いまのアンリエッタには、アルティナの肉体は物質にしか見えない。
そこには魂も何もない。
(ごめんなさいね、アルティナ――いまから、あなたの身体を素材にするわ)
アンリエッタはアルティナの身体に手を伸ばし、そっと触れた。
(ダリオンったら……錬金術師を倒す錬金物――面白いものを依頼してくれるじゃない)
アンリエッタに依頼してきたのは大正解だ。
ダリオンもよくわかっているのだろう。アンリエッタが世界最強の大天才錬金術師だと。
アンリエッタは、自分の弱点を一番よくわかっている。
(わたくしなら、わたくしと戦うとなったら、こういうものが欲しいわ――)
【錬金術の極意】
――サブスキル発動――
【完全なるもの】【精密加工】【調和の力】
冷たく澄んだ光が部屋を包む。
光の中で、遺体は徐々に形を変えていく。
アンリエッタの意志が、それを分解して再構築していく。
マナが凝縮されながら鋭い光を放ち、短剣がアンリエッタの手の中で完成する。
「できたわ、『アゾット』……」
アンリエッタは新たに生まれた短剣を見つめながら呟いた。
それは完全なるもの。
始まりであり、終わりであるもの。
白く滑らかな、力強くも美しい刃は、まさに意図した通りの「完全」だった。






