30 賭け
「…………」
これは賭けだ。
アンリエッタにとっては、一世一代の賭け。
どう答えられても、アンリエッタはすべてを受け入れるつもりだった。
しかしダリオンは、短く息を呑んだ後に口を閉ざした。
その沈黙が、まるで永遠のように感じられる。
――アンリエッタは待った。ダリオンの答えが聞けるまで。
ダリオンは視線を逸らし。
「……そういう話はしていない」
「ふふっ……そうよね」
アンリエッタは自嘲を零す。
――よく、わかった。
ダリオンを縛っているのは、彼自身の義務感や責任感だと。
アンリエッタが無理矢理エリクサーを与え、契約を結んだことで、ダリオンはアンリエッタの『力』を知り、その暴走を押しとどめようとしている。
周囲のために。世界のために。
ダリオンの『正義感』がそうさせている。
彼が気にしているのは、アンリエッタの『力』だけ。
アンリエッタ自身や心は見ていない――……
よく、わかった。
(……これ以上一緒にいても、お互い苦しいだけだわ)
アンリエッタは心が苦しい。
ダリオンもきっと同じだ。楽しくもない護衛と監視で神経が磨り減るだけ。
だから、静かに心を決めた。
「アンリエッタ、私は――」
ダリオンが何かを言いかけたが、アンリエッタは手を軽く上げて制した。
「いいのよ、もう。さあ、早く終わらせましょう」
前に進もうとしたとき、屋敷全体が大きく揺れる。
壁や天井が軋む音が響き、床が不安定に震え始める。
(――地震?)
ダリオンが瞬時にアンリエッタを抱き寄せ、守るように覆いかぶさる。
上から埃や古びた木片がパラパラと降り注ぐ。
しばらくして揺れが徐々に収まり、屋敷の静けさが戻ってくる。
「アンリエッタ、怪我はないか?」
「……大丈夫。ダリオンは?」
「問題ない」
「そう……よかった。ありがとう」
ほっとしながら辺りの様子を見る。
先ほどの揺れで更に散らかってしまっていた。
「――地震じゃなくて、何かが揺れたみたいな感じ。何かいるのは間違いなさそう」
時折揺れる屋敷を進み、震源地と思われる場所に向かう。
そこは、錬金術師の男の研究室――元図書室と思われる場所だった。
閉ざされた扉の向こうに不気味な気配を感じる。
「開けるぞ」
「ええ、お願い」
ダリオンが剣を持ったまま、ゆっくりと鉄の扉を開ける。
「――――っ」
その先に広がっていた光景に、アンリエッタは息を呑んだ。
そこにあったのは、ぷよぷよとした薄水色の半透明の壁。
表面をぽよんぽよんと波打たせて、いまにも扉から溢れ出してきそうなボリューム感。水ではない。ゼリーによく似ているが、それとも違う。
「これ……スライム?」
それは、部屋を埋め尽くさんばかりの大型スライムだった。
一体のスライムが膨張して、まるで液体のように広い部屋の中を満たしている。
襲い掛かってはこないが――敵意があることすら不明瞭だが、これがぶるるんっと揺れることで屋敷全体が動いているのは明白だった。
ダリオンが険しい顔をしてスライムを見つめる。
「どこかから入り込んで成長したか……ここまでのサイズはさすがに初めてだ」
「大きくなりすぎて、出られなくなっちゃってるのかしら。スライムが分解できるものは限りがあるしね……」
石や鉄は分解できない。
この部屋は石壁で覆われていて、扉も鉄製のため、分解できずに閉じ込められてしまったのだろう。
「スライムは斬ると分裂する――アンリエッタ、考えはあるか?」
「もちろんよ。一番効くのは火で燃やすことだけど」
「却下だ。屋敷ごと燃えかねない」
「わかっているわ。だから――凍らせて、砕いてあげる!」
【錬金術の極意】
――サブスキル発動――
【即興レシピ】【エレメンタル増幅:水属性】【共振現象】
「氷結爆弾!」
氷結効果を持つ爆弾を錬成し、スライムに投げつける。
触れた場所から冷気が溢れ、表面がわずかに凍る。
――次の瞬間。
共振現象を起こし、スライムの巨大な身体がすべて凍り付いた。
次の瞬間には表面に亀裂が入り、それは一気に奥まで到達する。
氷と化したスライムが音を立てて崩れ落ち、砕けた塊が床に散らばる。
崩れ落ちた部分は氷から水に変わり、床に吸い込まれていく。
しかし、完全には消滅しなかった。
もっとも中心部にあったスライムコアを抱いた部分は、生きたままぷるぷると震えていた。
「すごく、ぷるぷるしてるわ」
「頑丈な……」
「……あら、これもしかして、あの時のスライムじゃない?」
――合成獣とも呼べないものの素体にされて、様々な部位を融合させられていたスライムに見える。
【鑑定】ヒーリングスライム。体内に溜め込んだ回復薬を増殖させて自己回復を行う。
「やっぱり」
鑑定に出たなら間違いない。
ポーション漬けのスライムなんて、自然界にはそうそう存在しないだろう。
あの錬金術師の男の、お粗末な研究の素材にされていたスライムだ。
「どこかに行ったと思っていたら、ここを巣にしていたのね。幽霊騒動もあなたの仕業かしら? それにしても膨らみすぎね。いったい何があってあれだけ大きくなっていたの?」
問いかけるが、もちろん反応は返ってこない。
スライムには人語を理解するような知能はない――とされている。
「スライムの生態には謎が多いけれど、これはとびっきりね……よっぽど栄養価の高いものを取り込んだとか……? 残っていた合成獣用の素体とか……」
「アンリエッタ――」
ダリオンの示した先には、比較的新しい全身白骨が転がっていた。
「……まあ……とても、新しそうな骨ね」
アンリエッタは骨とスライムを交互に見る。
スライムは弱い生き物だ。
自然界のどこにでもいて、死んだ生き物を分解するだけの生き物。
ただし、スライムでも溶かしにくいものがある。
骨だけは、スライムでも溶かすのに時間がかかる。分解を諦めることがあるほどだ。
(これを取り込んであれだけ大きくなったのかしら?)
死体に残っていたマナを取り込んで。
(――スライムが死体を溶かして巨大化するなんて話、聞いたことないけれど……このスライムは普通のスライムではないし、有り得ないことではないかも?)
スライムの生態は本当に不思議だ。何もできなさそうなのに、何でもできそうな可能性が詰まっている。単純な構成だからこそ、変化にも強いのだろうか。
「……これは、あの男のものか……?」
ダリオンが、白骨を見ながら警戒心をあらわにする。
「さあ? ここで何があったかなんて誰にもわからないわ。他には何も残ってないもの」
素直に考えるなら、借主であった男のものである可能性は高い。将来を悲観して、あるいは病か事故で、あるいはスライムによって――死んだのだと。
骨しか残ってない状態では真相はわからない。だから、アンリエッタは気にしないことにした。
「でも、どうしましょう? これって依頼主に報告した方がいいかしら? それとも『分解』しちゃう?」
スライムが分解できないものでも、アンリエッタにはたやすく『分解』できる。
「……勝手には消さない方がいい。ちゃんと依頼主に報告した後、弔ってやるべきだ」
「……そうね」
アンリエッタは白骨を見る。骨の主の意識がいまここにあるとは到底思えないけれども。
「ごめんなさい。いまあなたのこと、物質としか見ていなかったわ」
素直に謝る。
相手が誰であれ、人として接する方が相応しいと思ったから。






