後半
「ボクの名前は、慎也だよ」
「慎也か。良い名前だな」
「えへへ。お父さんがつけてくれたらしいんだ」
「ぬ? らしい?」
私は慎也の言葉に疑問を感じ、逸らしていた顔を慎也に向けて尋ねた。
「えっと。ボクには、物心ついたときから両親がいないんだ」
そういえば、慎也は言っていた。
『家族をください』と。
今は私に明るい表情を見せているが、最初に慎也を見たときの生気を感じない表情が、私の脳裏に浮かんだ。
きっと、慎也は無理をして笑顔を作っている。
「……そうなのか。でもどうして、お父上が慎也に名前をつけたと知っているのだ?」
「お兄ちゃんから聞いたんだ。今では、そのお兄ちゃんもいないけど」
皮肉なものだ。
今日は、家族みんなが笑顔で過ごす日だとばかり私は思っていた。しかし、目の前の少年はそれが叶っていない。
誰よりもそれを望んでいるはずなのに。
私は慎也に向けて、慰めの言葉をかけようと思ったが、喉まで出かかったその言葉を飲み込む。
慎也の苦しみを実際に体験したわけではないので、軽はずみな言葉はかけられない。
なので、私は言葉の代わりに無言で慎也を抱きしめてあげた。
私が男にこんなことをするなんて、本当はありえないこと。
……最初で最後の、大サービスだ。
「ど、どうしたの、おとさん?」
慎也は私の行動に驚きの声を上げる。
雪の降る中、ろくな防寒具も身に着けずに外にいたため、慎也の小さな体は驚くほどに冷たかった。
そんな慎也の頭を、私は抱きしめた状態のままで優しく撫でる。
慎也は拒むことなく、私の胸元に顔を埋めると、――小さくすすり泣きを始めた。
「……ねぇ。どうして、ボクには家族がいないのかな?」
慎也は嗚咽の混じった声で言いながら、私の胸元を強く握りしめた。
「クラスの子に言われたんだ。『緒方もクリスマスは家でパーティーをするのか?』って笑いながら」
慎也の家庭状況を解った上で言っているのなら、許せることではない。
しかし、慎也くらいの年頃の子どもというのは、他人の心の痛みに対して、無邪気なまでに残忍なことは知っている。
「でもね。クラス全員の子が酷いことを言うわけでもないんだよ? 隣の席の女の子はボクにとても優しくしてくれて、サンタさんにお願いをすれば、きっと望みを叶えてくれるって教えてくれたんだ」
そういえば。今日は、サンタクロースとかいう、長い白髭に赤一色な服装をした老人が、子供の欲しがっている物をプレゼントしてくれる日でもあるらしいな。
そんなロリコン野郎、実際にいたら怖いと思うが……。
「だけど、クリスマス当日になっても、サンタさんはボクに家族を与えてくれなかった。もしかしたら、ボクの想いが足りなかったのかもしれない。そう思って……」
慎也は最後まで言い切ることはできなかった。
だが、言いたかったことは解る。
想いが足りないと思って、神社に足を運んだのだろう。
私はサンタクロースの正体を知っている。
クリスマスというのはどうしてこうまでも、家族のいない子供にとって残酷な日なのだ!
なにか、……私にできることはないのだろうか。
私は必死に模索する。
そして、一つの案が思い浮かぶ。
……サンタクロースよ。貴様の名前を借りるぞ。仮にも貴様は子供に夢を与える者なのだろ?
私は慎也の肩を優しく掴むと、一旦距離を開ける。
そして、私は長く閉ざしていた口を開き、
「実はというと、私はサンタクロースなのだ」
慎也の瞳を真っ直ぐに見つめながら、とんでもない嘘をついた。
慎也は一瞬びっくりしたような表情を見せたが、すぐにそれは疑いの表情に変わる。
それはそうだ。怪しまない方がおかしい。
今日初めて出会った輩に『私はサンタクロースです』なんて言われても、信じられる訳がない。
まったく。今日は初めて尽くしだ。
初めて人間の前で姿を見せ、初めて自分以外の存在に嘘をついた。
そして、解ったことがある。
どうやら、私は嘘が苦手なようだ。
そもそも人間にとって神という存在自体が嘘みたいなもの。
そんな嘘まみれな私だけれど、慎也に幸せになってもらいたいという想いだけは本物なはず。
「慎也。君の強い想いは私に響いたよ。――プレゼントをあげよう」
私は慎也から離れると、賽銭箱の前に取り付けられている鈴緒に手を掛け、狂ったように揺らした。
当然ながら本坪鈴が、ガランガランと大きな悲鳴を上げる。
自分が祭神として崇められている場で、こんな無作法なことをするなんて、三十分前の私では信じられなかっただろう。
ガラァン! ガラァン!
鈴は悲鳴を上げ続ける。
まるで、慎也の心の叫びを表すように。
そして、これだけ激しく鳴らせば、奴が反応を起こすはず――
「ごらぁぁぁぁ!! イタズラをしてるのは誰だ!!」
ドスの聞いた男の怒鳴り声が、境内に響き渡る。
同時に、雪原を力強く踏みしめる音も聞こえる。
「お、おとさん! なにしてるの!? 怒られちゃうよ!!」
私の行動に唖然とし、立ち尽くしていただけだった慎也が、怒鳴り声が聞こえたことによってか、戸惑いを浮かべながら私の裾を掴んできた。
「ん。あぁ、気にするな。この声は『おつとめ』と称してAVを見ている、ただのエロスの塊だ。恐れることはない」
こちらに向かってくる足音は、どんどん近づいてくる。
「――慎也。それは預けておく」
私は焦り気味に、慎也が持っているありがたい本を指差す。
「……預ける?」
慎也は首を傾げた。
「仲の良い間柄というのは、貸し借りをするものだろ? まぁなんだ、だからその、これは……」
その言葉を直接口に出すのが恥ずかしくて、私は言葉を止めてしまう。
ぐぬ、今更恥ずかしがることでもないであろう!
だがやはりっ、恥ずかしいものは恥ずかしいっ!
私は心の中で、そんな葛藤を繰り広げる。
もう、言わなくてもいいか!
そう考えたとき、
「……友達の証?」
慎也があっさりと、私の言いたかったことを口に出した。
「う、うむ! ……友達の証だ! 大切にしろ!」
羞恥の鎖を断ち切った私は、腕を組みながら怒鳴り気味に言う。
そんな私の反応を見た慎也は、
「……うん! ありがとう!」
満面な笑みでそう言った。
全くもって良い表情だ。これからは、私以外にもその顔を向けるのだぞ?
私は言葉に出さず、心の中で慎也にそう告げると、慎也の前から姿を消した。
「え! お、おとさん!?」
急にいなくなった私に驚き、声を上げる慎也。
「――はぁ。はぁ。神聖なる、おつとめを邪魔する者はどこだ……」
私が姿を隠したのとほぼ同時、息を切らしながら本殿に辿り着いた男、――神社の住職、緒方照明。
照明は全速力で走ってきたせいか、それともおつとめ最中ですでに疲れていたのか、膝に手を着いて俯く。
照明の登場に、慎也は少し怯えた表情をしながら、私が預けた本を両腕で抱きしめる。
「ふぅ」と息を吐き、呼吸を整え終えた照明は、ゆっくりと顔を上げた。
そして、慎也が視界に入り、
「ん? 子供!?」
驚きを声と顔に出しながら言った。
「ご、ごめんなさい! エロスの塊さん……」
慎也は本を抱きしめながら、頭を下げる。
「ちょ、ちょっと君! 誰から、そんな入れ知恵されたの!」
照明は、焦ったように言いながら、慎也に近づこうとする。
しかし、慎也の怖がりようを見た照明は歩を止めた。
「こんな寒い日、……クリスマスに、どうしてここへ来たんだい?」
慎也に目線を合わせ、優しい表情を向ける照明。
「……」
慎也は口を紡ぎ、黙りこくってしまう。
慎也の様子を見た照明は、訳ありと解ったのか、溜息を一つ吐き、
「ここは寒いから、お家の中に入ろう?」
親が子供に向けるような、優しさをこめて言った。
照明の人柄の良さが伝わったのか、慎也は小さく頷く。
「よし。それじゃあ、行こうか」
慎也に向けて、手を差し出す照明。
ぎこちなくだが、慎也はその手を取る。
「ん? 君、その抱えている物は……」
慎也が持っている本に気付いたのか、ぴくりと頬が動く照明。
「こ、これは、……おとさんとの、友達の証」
「う~ん、友達の証か。しかしだね、君くらいの歳の子に、その本はちょっと早……」
照明は言いかけ、恐らくだが、本に書かれた私の名前を見たことによって、表情が険しくなる。
「……その本、誰から貰ったの?」
顔は笑っているのだが、声は真剣そのものだ。
「ここで、お友達になったおとさん……」
「……おとさん、か。その人は、本に書かれている『御歳』という名前かな?」
「う、うん。大切な物には、名前を書くって言ってたよ」
慎也の返答を聞いて、照明は「そうか」と短く答え、雪に染まった境内を眺めた。
その際、たまたまだと思うが、照明と私の視線が重なる。
私は照明に、悪ガキのように「してやったぜ!」という笑顔を向けたのだった。
間もなくして。
どうやら、慎也は神社で引き取られることになったらしく、毎回決まった時間になると、私と出会った本殿に来ては、現状報告をしていた。
私は本殿の屋根の上から、耳を傾けてそれを聞いている。
しかし不思議だ。
慎也と出会って数日後。私に関する記憶は、慎也から消した。
それにもかかわらず、今でも慎也は私に会いたがっている。
名前までは思い出せないみたいだが、ここで大切な人と出会ったという記憶は、微かにだが残っているみたいなのだ。
しかし、私が慎也に姿を見せることはない。
神は本来、人間に姿を見せてはいけないからだ。
あの日、私はその掟を破って、慎也に姿を見せた。
その結果。私は慎也の人生を大きく変えてしまった。
よくよく考えてもみれば、私が手助けをしなくても、慎也は立派に生きていたかもしれないし、私が変に気を使ったことによって、慎也自身に宿る可能性という芽を摘んでしまったかもしれない。
……私に許されるのは、変えてしまった慎也の人生を見届けるということだけなのだ。
季節は変わり、桜の芽が育ち始めた頃。
かつて、私と共に神社を守っていた、妹の玉姫命の策略によって、私は神社を追放された。
お陰で、私はみるみる内に神としての力を失う。
そんな私が自然と流れついた先は、落ちぶれた神が集う場、森羅万象学園であった。
私はおかしいのだろうか?
妹に裏切られ、神として底辺に位置づけられたというのに、頭に浮かぶのは決まって慎也の姿だった。
慎也は今でも、神社で生活をしているのだろうか?
そして、いまだに私がいると信じて、本殿に足を運んでは現状報告を繰り返しているのであろうか?
……解らない。
せめて、慎也の人生を見届けるという使命だけは果たしたかった。
今日も私は、意味のない生活の中でそう考えるのである。




