#9
「ふんふんふーふーん♪」
女の子の可愛らしい鼻歌が聞こえる。
暗闇の廊下を照らす懐中電灯の光は、まるで未知の生物のように見えた。
光は次第に俺の方へと近づいてきて――
「きゃああああ!」
消火器の横で体育座りをしていた俺を照らすと共に、女の子は悲鳴を上げた。
「最悪だ。今日は稀にない厄日だ」
俺は校長室のソファーの上で、ダンゴムシのように丸くなって呟き続けていた。
廊下で消火器と仲良く座っていたところを校長に発見して貰えたことで、やっと俺は無現ループから解放された。
「おい、小さき人間。いくら友達が居ないからといって、消火器と友情を育むのはどうかと思うぞ?」
俺の向い側のソファーに座っている校長が、哀れむような瞳で俺を見た。
艶のある長い銀髪は、昼間と同様にツインテールだ。
「うぅ、違いますよ。帰ろうと思って何度も階段を下りたのですけど、一向に同じ階から抜けることができなかったんです」
「ふん。そういうことか。我が校舎の見回りをしていたおかげで助かったな」
「本当に助かりました。校長先生の可愛い鼻歌が聞こえたときは、嗚呼、天使が舞い降りた! なんて思ったほど嬉しかったです!」
俺はソファーの上で丸まっていた体を解くと、テーブルに置かれたコーヒーカップを手に取る。
「うなっ! わ、我は鼻歌などしておらん! 錯覚だ!」
校長は俺から見ても解るくらいに動揺する。
校長の容姿は幼い。
そのことから、子供扱いされるのが嫌で、必死に背伸びをして大人ぶった態度を取っていると見た!
先ほどの廊下での出来事は、校長にとって大きな失態だったわけだ。
「え? そうなんですか。じゃあ、あの可愛い鼻歌は一体誰だったんでしょうね~?」
俺はニヤニヤと笑いながら校長を見る。
夜の学校に一人でいたことから、俺の精神はズタズタだったわけだが、恥ずかしがる校長を見ることで、どんどん癒されていく!
「俺と消火器に懐中電灯の光が当たったとき、……物凄く可愛い悲鳴が聞こえたんですけど、あれも校長先生じゃなかったんですか?」
「む、無論だ!」
校長は俺から顔を逸らし、腕を組んでいう。
そろそろ……危険だな!
もう少し今の状況を楽しみたいけど、これ以上校長をイジれば俺の身に悲惨なことが起きるのはなんとなくだが解る!
話題を変えよう! 全力で!
「そういえば、どうして図書室に行くのに、あんな罰ゲームみたいなことをしなくちゃいけないんですか?」
「む。罰ゲーム? 小さき人間の言いたいことを理解しかねる」
校長は逸らしていた顔を俺に向けると、小さく首を傾げた。
「スクワット百回に、消火器を抱きかかえながら、五段目と八段目を踏まずに階段を上るという内容のことです!」
「スクワット? 消火器? 階段の五段目と八段目を踏まないという条件だけで、図書室に辿り着けるはずだが?」
「はぁ!? マジですか!」
あの先輩、俺に嘘をつきやがったのか! チクショー!
でも、嘘だと気付けなかった自分も情けない!
「もしかして、消火器と一緒に座っていた理由はそれか?」
「……そんな感じっス」
「ふん。まぁ良い。今日はもう遅いから家に帰れ。我が昇降口まで付いていってやる」
校長はソファーから立ちあがると、廊下に繋がる扉の前まで移動した。
俺もソファーから立ちあがると、腕時計で時間を確認する。
「うわ。もう夜の九時かよ」
家に帰って、飯と風呂をすませる頃には日付が変わってそうだ。
「校長先生は家に帰らないのですか?」
校長という立場であっても、流石にこんな遅くまで学校に残るものか?
疑問に思った俺は校長に尋ねた。
「……仕事が残っているから、我はもう少しだけここに残る」
バツが悪そうに言う校長。
「仕事が終わるまで待っていますよ。夜中に子供……いえ、レディーを一人で帰すなんてできません!」
子供と言ったら物凄い形相で校長に睨まれたため、即座にレディーと言い直す。
「……はぁ。別に隠すことでもないか。我はここで寝泊まりをしているのだ」
校長は深いため息を吐きながら言った。
「校長先生の仕事というのは、そこまで大変なんですか?」
学校に寝泊まりをする校長なんて、俺は聞いたことがない。
「確かに仕事は大変だ。でも、……理由は他にある」
体は小さくても態度は物凄く大きいはずの校長が、ここまでしおらしくなってしまうなんて、よほどな理由なのだろう。
理由を尋ねたいけど、校長は曇った表情をしているため、どうにも聞き出しづらい。
それに、理由を聞いたところで、俺に解決ができるのだろうか。
「なるほど。――あ、そうだ。変なお願いかもしれないですが、今日は学校に泊まっては駄目でしょうか? 前から夢見てたんですよ。学校に泊まるの」
俺では解決できないかもしれない。
だけど、心の支えになることなら俺にもできる。
今の校長を見れば解る。
精神がとても参っていると。
こんなときは、一人で居させては駄目だ。余計にドツボにはまってしまう。
「……我はこの学校の校長だぞ? 部活の合宿でもないのに生徒を泊めるなんて、認めるわけがなかろう」
先ほどまでの弱々しい表情が嘘のように、校長は厳しい表情で言う。
だが、なんとなくだが俺は解ってしまった。
――強がりだと。
「……ふぅ。立場というのは、わきまえるようにしていたんだが、しょうがない」
俺は呟きながら校長へと歩を進める。
俺がなにか良からぬことをすると思ったのか、校長は野良猫のように威嚇してきた。
『これ以上近づけば、威嚇だけでは済まないからな!』
瞳がそう語っている。
それでも俺は歩を進め、手を伸ばせば校長に届く距離になって止まった。
「な、なんだ! 言いたいことがあるなら――」
「俺をここの生徒扱いするなら早く制服をくれ。まだ前の学校のままなんだ」
校長が言い終える前に、俺は校長の頭に手を置いて言った。
俺の行動に驚き過ぎたのか、校長は一瞬ビクっとした後、一昔前のPCのようにフリーズしてしまった。
俺は校長の頭を撫でながら言葉を続ける。
「……強がってばかりいたら損するぞ? たまには誰かに甘えないとな」
「んにゃっ! にゃにをするかっ!」
校長はフリーズから復活すると、顔を真っ赤にしながら俺の鳩尾へ強烈な右ストレートを決めた。
「うごっ」
あまりに強烈な一撃だったため、俺は呻き声を出しながら両膝を床に着いてしまう。
その際、脳を揺さぶられたわけでもないのに視界が大きく揺れた。
あ、あぶねぇ! 意識を持っていかれるところだった!
俺が無事に意識を保っていられたのは、
『ろれつが上手く回っていない校長、可愛すぎだろ!』
という感想が、脳一杯に広がっていたからに違いない。
「ふんっ! 制服が違かろうが、貴様はここの生徒だ!」
校長は真っ赤な顔で俺を睨みつけた後、俺に背中を向けてドンドン足音を立てながらソファーの元まで歩くと、ソファーに寝転がった。
ふぅ。追撃を恐れていたけど、どうやら大丈夫みたいだ。
校長はなにも言ってこなくなったし、泊まってOKということかな。
とりあえず、疲れているから校長と同じようにソファーの上で横になろう。
そう思って、校長の向い側のソファーに向かう途中、
「……部屋の奥にシャワールームがあるから使え」
校長の拗ねた声が聞こえて、俺は思わず笑ってしまうのだった。




